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奄美こそは、宗教(道徳観)の復権を

2011年04月17日

中学生の頃、「奄美独立革命論」を読んだ私は、奄美の古来より継承された「女性性・霊性・調和」を重んじる精神に深く感動した。

それを「姉妹(ウナリ)神思想」と名付け、先生方に知ってもらおうと試みた。

しかし、先生方の反応は冷たいものだった。

「学校で宗教的なことを教えてはいけない」

それが理由だった。

古来より継承されてきた精神文化や倫理観・道徳観は、そのなかに「神(上)」なる存在への畏敬を多分にもっている。目に見えない恩恵への感謝や敬意。それを、学校では「宗教」といって切り捨てるのだ。

ああ、これは学校でいじめがやまないのも仕方がないなと、中学生の私は失望した。

学校では「道徳や倫理の背景にある宗教的精神論」を教えてはいけないのだ。それを、教師が信じているのだ。確固とした善なる精神論を持てない教師が、どうやっていじめをなくせるというのか。

当時まったくの無宗教だった私にさえ、その姿は「宗教精神排撃教」をいう名の偶像のない宗教(思想)を盲信しているようにしかみえなかった。

それを確信したのは、ある社会科の先生とのやりとりだった。

戦前の修身が親孝行を教えていたというのを知った私は、社会科の先生に「どうして今の学校は親孝行を教えないのですか?修身は素晴らしいことを教えてましたよね」

すると社会科の先生は「そういう考えが戦争を呼ぶんです!」

私は「( ゚Д゚)ポカーン」

それじゃなにか?道徳が戦争をおこすんか?親孝行は大事という考え方が戦争をおこすんか?この人の脳は大丈夫か?先の戦争は天皇制が原因だったと本気で信じてるのかこの人は?

この先生の言葉をきいたときに「ああ、物事を白か黒かで極端に見たらいけないな。自分は自分の考えと異なる意見からも見方を学べる人間になろう」と深く勉強になりました。

私は当時赤旗を毎日読んで共産党系の本はほとんどチェックしていた。その私でさえ疑問と不信を抱くのだ。学校の先生の考えがいかに思想的に無神論のほうに傾いていたか、今思うと「あれって明らかにアブナイよな」と思う。

小さい頃から霊や神を否定される教育を今の子供はうける。しかし、それはハッキリ言って「不健全」だ。

日本は八百万の神の国だ。それは「すべての存在に神(上)が宿る」という、万物への敬意と感謝、おごり高ぶりを戒めると共に「自分も偉大なる神の一部である」という、自他の尊厳の確立の強い道徳観なのだ。

なぜ天皇陛下が偉大なのか。それは、天皇陛下とは「神道」という古来より継承されし日本の歴史そのものである宗教の事実上のトップだからだ。これを私は何度も繰り返し述べる。

本来この日本の精神文化は学校で堂々と教えるべきだろう。でも、それをまともに教えられた人がどれだけいるだろう。すくなくとも、私は教えてもらっていない。

私がブログで宗教のことを書いても、いろんな人から「ブログに宗教のことを書くな」と言われた。

なぜブログで宗教のことを書いてはいけない!その論拠を示せ!なぜ宗教をタブー視する!宗教は思想犯か!仏壇は悪か!位牌は悪か!お墓は悪か!尊いものに手を合わせることは悪か!神を信じるということはそれほどまでに悪か!大いなる善なる意志を敬い、感謝し、その恩恵に報いたいと願うことは悪なのか!

祖先より継承されたそれらの精神を嘲笑いながら、あなた方は子孫に一体なにをのこそうというのか?

私は「女神アマミコの島・奄美」の人々が、宗教に無知であり、神を敬う心を軽んじることが、深く悲しい。

この島は本来「信仰の島」であった。その偉大な精神価値を、かつての栄光の民が自ら打ち壊そうとしている。

私は神を信じています。地球神エル・カンターレを信じ、日本の神を信じ、奄美の神々を信じています。ご先祖様からの加護に深く感謝し、奄美という故郷を深く愛しています。

宗教は歴史でもある。私たちの世代から、新しい宗教観をつくりたい。


奄美のこども達に伝えたい。奄美は、女神の島なのだと。

女神の子達よ、祈りを大切にしなさいと。

アマミは、女神の祈りの島だったのですから。












 





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Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 10:56│Comments(10)奄美つぶやき
この記事へのコメント
はじめまして
こんにちは
あまにぃと申します
大変共感させていただき、ありがとうございます
今の日本 世界が最大の危機に瀕していることは
それまでの人類の目的が間違っていたからという事
それを人間が受け入れる
まさに今が天の時だと思います
Posted by あまにぃあまにぃ at 2011年04月17日 11:47
本当に同感します

曾祖母ちゃんの時代は奄美の民は、神々と共に、常に一緒に生きておられました!

それは、ちょっと前のはずなのに

戦後教育と科学発展が、一番大切なものを見えなくしてしまいました。(でも、偉大な科学者でも、竹内先生のように真理をわかっていらっしゃる方もいます)

今回の大震災で、我々の[心の目]が再び開きはじめたと思います 無信仰の兄でさえも、手を合わせるようになりました
それこそ、気づきですね。

合掌
Posted by 奄美三世 at 2011年04月17日 11:49
昔読んだ中尊寺ゆっこさんの漫画には、
自分の会ったアラブ系の人は必ず、あなたの宗教は?と聞いてくるという話があって、
無宗教だ、と答えると
無宗教の人間は、ただ呼吸して飯食ってクソして寝るだけの馬鹿だって言われるんだって書いておられました。
ずいぶん昔に読んだので細かい言い回しとか違ってたらごめんなさい。
雑誌の連載で読みました。

私の頭の中では、宗教と新興宗教団体ってのは別物です。
有象無象の新興宗教団体による奇行や犯罪が印象最悪なのは私も同じですが、
前者はアマミキョさんや隊長さんが言われている、神や仏を信じる、以上のこと。生きる指針、道徳感、大いなるもの(自然とかも含む)に生かされてるという考え方全般だと思うんです。
アマミキョさんが自分の経験や信仰に基づいて、自分の思いを語ることの何が問題なのかしら。
(幸福の科学さんの重要な情報ならまだ取り扱いに気をつけてというのも分かるけど)
宗教の事書くなって言ってくる人たちはやっぱり『言わされてる』んでしょうねえ。
Posted by もーむ at 2011年04月17日 22:20
もーむさん こんにちは
地震の影響を心配しております


もーむさんの言う新興宗教ってのは確かに おかしなものが多くて言葉自体にマイナスのイメージがくっついてると思います

しかし、幸福の科学も新興宗教であり 仏教もキリスト教も全ての宗教は始まりは新興宗教であり 新興宗教がおかしいと言うのは違うと思いますよ

ただ無数に起こる宗教のほとんどは おかしなものが多く 興っては消えていく

千年を超える歴史の風雪に耐えて残るものは やはり本物
しかしながら始まりは全てが新興であり 宗教においては この新興の時期が一番大事なんです
Posted by 宮崎 県太郎 at 2011年04月18日 01:20
宮崎 県太郎さん
こんにちは。いつもご心配くださってありがとうございます。
今日も良く揺れておりますが、先週の土曜に一ヶ月ぶりにガスが復旧して、
やっと家のお風呂に入れました。
下水処理施設が壊れてるので数日置きですがw
私の生活範囲ではお陰さまで困ることは少なくなってきました。

「新興宗教団体の印象が最悪」 と書きましたが、
「新興宗教」 全てがおかしいと書いたつもりはありませんでした。
大変失礼いたしました。

現代に宗教を起せば、教義・活動内容にかかわらず、
すべて「新興宗教」とついてしまうものだと認識しています。
現代に設立された宗教のための団体に関係し、信仰実践されている方々からしたら、
新興「宗教」と新興「宗教団体」は区別のある物じゃないですよね;
うまく書けてませんでしたが; 私の書きたかったことは、
「新興宗教(の中の、特定するいくつかの)団体」の印象が最悪だ。と言うことでした。
失礼いたしました。

ちなみに、最近の幸福の科学さんの私の印象は、
『最近分かった新しい進んだ仏教の宗派』 です;
※私の印象です、すみません><;

最近出来たからおかしい、とは全く思ったこともありませんし、
逆に古かったらなんでも正しい、とも全く思いません。
どうしても人間がかかわることで、変化したり、歪んだまま確定したり、はじめからおかしかったりすることがあるものだと思います。
教えを乗っ取って歪める人間を越えた存在もいることですし;
Posted by もーむ at 2011年04月18日 03:41
俺は科学と宗教ってのは反比例するイメージがありますね

科学が発展すると宗教が衰退するみたいな。絶対になくならないってのも特徴でしょうね。そう考えると幸福の科学ってナイスなネーミング。Mr.Childrenみたい(笑)


今後の日本は良いか悪いか宗教が力をつけるような気がする。


大学のときインドネシアからの留学生が、宗教を衰退させずに科学を発展させるにはどうしたらいいのか。日本みたいになりたいが、日本みたいになりたくないって話してたな。

彼は今どこで何をしているのか。
Posted by 一般人 at 2011年04月18日 10:29
幸福の科学が カルトって言われてね

いちいち、傷つく自分がいたのですが

とある人がね、キリスト教も仏教も最初はカルトなんだ。
と言われた時にね

なんかふっきれたというか~

そうなんですよ~カルトなんですよ。いまは、、
でもね、キリストも仏教も昔はカルトと言われていたのですよ。
新宗教として迫害されていた。でも、本当によい教えならば 残りますよ~って 私は幸福の科学で どんどん 性格がよくなったと 一般の人達から言われますから これでよいんだと思います~と

ニコニコしながら 穏やかな気持ちで 話したり 書き込み出来る様になりましたよぉ
Posted by 由里亜 at 2011年04月18日 21:50
あまみちゃんと同感です。

本来、奄美大島、以外の離島も含めて「信仰の島」であったと…


喜界島にいる頃、苦しかった。いや食べ物が不足してるとか、雨露凌ぐ家がないとかではなく…

心が不安定で、しんどかったですね。

少なくとも、心の指針、生きていく指針があれば、あれほど苦しまなかったのではないか、心底思います。

勿論、あの時に幸福の科学に出会えていたら良かったとも思いますが、いや出会えてなくても、古来から大切にされている「修身」「道徳」が学校教育、また家庭に浸透していれば、心の荒廃はかなり減っていたと思います。

以前にも書きましたが、中学の時、家庭もめちゃくちゃで、学校でもうまくいかず、ほんと孤独だった時、校長先生にいきなり「先生、人間て、やっぱ心だよね」と言った事あります。校長、少し驚いた様子で私の顔を見ると、一呼吸おいて「…そうだね、そうだよね」と笑顔で答えて下さいました。


「真の心の教育」、ほんと必要、痛感します。
Posted by 喜界島のプレアデス清二 at 2011年04月19日 00:24
もーむさん、コメントありがとうございます

もーむさんの言わんとされてることは 今までのコメントや やり取りで十分分かっていたんですが 常日頃、『日本の発展繁栄の為に必要なこと』の1つとして

宗教と言う言葉に貼り付いたマイナスのイメージの払拭と
新興宗教と言う言葉に貼り付いたマイナスのイメージの払拭

この2つが必要だと感じていたので もーむさんのコメントに反応しちゃいました


僕も基本 もーむさんの考えと同じです
Posted by 宮崎 県太郎 at 2011年04月19日 00:54
北教組の強いこちらの地域では、よくわかると頷きたくなるお話です。

例えば、家長をたてるとか、親を大切にすることなど学校では教わらなかったと記憶しています。
時々にあたる先生にもよるのでしょうが、如何に女性が虐げられてきたかの歴史を一生懸命教える先生や、弱い立場のものたちのつぶやきをこそ聞き漏らしてはならない、大企業が公害を作っていて不幸な人を増やしている(ネ〇レなんて悪い企業だと言われてました)と教える先生もいました。
いまで言うフェアトレードではないという論調だったと思います。
悪い大企業、善良な労働者と壊されゆく自然…極左の信条でしょうが、子どもの心ははじめはわからないので、そういうものだと思ってしまうのです。

ただ家庭に信心深い祖父母がいて、日々神仏への祈りをしていたのを見ていたことは、私にとっての悟りのよすがであり救いであったと感じています。
Posted by 時計ウサギ at 2011年04月19日 21:48
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