【Mさんからの資料】古代奄美の信仰世界・奄美の文化圏
2016年07月14日
埼玉のHS幽霊信者にして初期からのお気楽チャットメンバー・Mさん。
この人は前世のとある時代に奄美に生まれてたらしく、
(ムー後継時代らしい。当時は喜界島と奄美は繋がってたらしい。どんだけ前だよ!)
そのおかげで、奄美のことには奄美人の私よりも詳しい(笑)
そのMさんから資料をもらったので、メモがわりに置いとく。
奄美の文化圏(PDFファイル)
私なりに読んでまとめてみた。
・ナルコ神(山の神)テルコ神(海の神) 集落によってはこれが逆転してるが本来はこっち。
・この両神を「ナルコテルコ神」「テルコナルコ神」と呼ぶこともある
・テルコテルコ神を二月にお迎えし四月にお送りする二ヶ月間の大祭があった
・テルコナルコの神々を接待するのは女の役目であり男はその間神女の屋敷に近づいてはならない
・一般的にはナルコテルコはニライカナイとも同一の意味を持つ。この場合は海の向こう側にある異世界信仰
(信仰観が明確に定義されていないため、各地方によって意味が少しずつ違う)
・島々の神歌では必ず神の名前は対句をもって表現され、一神二名が普通であった
(野崎注:アマミコ・シニレクがもともと一神という説もここからか?)
・加計呂麻島では巫女集団(ノロ)がネリヤ神(竜宮の神)オボツ神(神山の神)を二月から四月に祭祀していた。
・田植えの時期と重なっているので、稲霊信仰とも関連が指摘されている
・平瀬マンカイはもともと女のみで行う行事であった
・冬折目(フユウンメ)という冬の大祭があり、これは山芋の収穫祭と同じ時期にあたる。11月戌の日。本土の新嘗祭と同じ意味合いか。
山の神からの祟り除けも兼ねていて、魔除けの意味合いの強い桑の葉を使用する。
沖縄にも同等の意味を持つと思われる祭りはあるが、フユウンメの方が名称が古式。
・冬折目と対局的にある祭りが夏折目(ナツウンメ・ナツメ・ウフンメ)であり、七月頃にある。
集落によっては中折目(ナハオリメ)、中祭(ナーウリキジャリ)とも呼ばれる
夏折目は稲魂信仰になる前の粟や稗などの焼畑信仰からきているのではないか
・ノロは祭祀中、人々が収穫した里芋や粟を食べる。それが祭祀。つまりノロは神そのものであり、人々から献上された山の幸を神として食べる
・アラホバナと水口(ミニャクチ)祭り、この二つは稲魂信仰。つまり上記二つの祭りよりもあとにできた。
・アラホバナは稲の願掛け祭りで、水口祭りは水田を耕す祭り
・沖縄にはアラホバナに相当する祭りはあるが、ミニャクチに相当する祭りは奄美に最も近い伊平屋島にしかない
・筆者によると、沖縄の稲作大祭よりも、奄美の夏折目の方が古式で複雑だそう。奄美の夏折目が稲魂信仰により儀礼化して沖縄における稲大祭になった見るべきだろうと書いている
・二月のウムケ(お迎え)オーホリ(お送り)の大祭は、ウムケは旧暦二月初壬(みずのえ)の日、オーホリは旧暦四月の壬の日にする。ウムケはテルコ神をお迎えし、オーホリはテルコ神をお送りする。
これは奄美大島とその離島にしかない神祭り
おそらく本土にみられる二月祭りと同質ではないかと筆者は書いている
・テルコ神は海の神であり漁の神でもあるが、奄美ではテルコ神を竜宮の神と呼び変える例がよく聞かれる。テルコ神は水神としての竜神としての性格もあるから農耕の神ともされている。
・他の祭祀はノロそのものが神となっているが、テルコ神に関するウムケ・オーホリは明確に外に神がいる。ノロ集団のなかでもテルコ神を接待するノロは別におり、テルコ神役のノロだけがテルコ神の接待をする。このテルコガミ役のノロは、テルコ神そのものであると同時にテルコ神を接待する巫女役でもある
・このように、祭祀の神によって神女団も別に存在しているところが古式を保持しているといえる
・ノロ祭祀の中では山の神が上位というかメインであり、海の神は来訪神としての扱いになっている(古代の焼畑信仰が関連すると思われる)
・奄美大島の最も古形の形態を残していると思われる集落では、テルコ神は明確に来訪神であり、テルコ神とニライカナイを混同することはない。テルコは奄美諸島と伊平屋島諸島にかけての海の国であり、これに対応するのはおそろしい神の住む山の世界。
ニライカナイは沖縄諸島における海の異世界であり、これに対応するのはオボツ・カグラという象徴的天界。
関連を考えるとすれば奄美諸島のナルコ・テルコの方がより時代的に古く文化としても古形であると筆者は指摘している
超勉強になったぁああああああああ
Mさん、あざーす!!!!!!!!!
つまり沖縄の信仰観による異世界(神の世界)「ニライカナイ」と、
奄美の信仰観による異世界(神の世界)「テルコ・ナルコ(もしくはナルコ・テルコ)」は本来全然違うということです。
(琉球侵攻によって琉球王朝の信仰観が奄美の神官制度に組み入れられてからは、ごっちゃになってる模様)
おそらく奄美の勢力圏内で一度整えられた「テルコ・ナルコ」信仰が、琉球侵攻や薩摩侵攻その後の時代の混乱によって神官による継承に断絶が生じてしまったのだと推測されます。
でもたぶん、背景にいる奄美の神々と沖縄の神々は一緒だと思いますけどね。
呼び方や多少の概念が違うだけでね。
この辺は私の憶測だけどね!!!!!!!
南西諸島における女性の霊性尊重の文化が、古代日本における文化であったのなら、
(古神道でも禊ぎ祓い最強の神様は女神)
日本本土はいつから男尊女卑がおこったのか?
男尊女卑は中国が強烈なんですが、何故天照大神をいただく日本がそうなったのか?
非常に気になるところです。
以前夢で「男面」と「女面」を見せられましたが、
あの夢は関係あるのかな???
この人は前世のとある時代に奄美に生まれてたらしく、
(ムー後継時代らしい。当時は喜界島と奄美は繋がってたらしい。どんだけ前だよ!)
そのおかげで、奄美のことには奄美人の私よりも詳しい(笑)
そのMさんから資料をもらったので、メモがわりに置いとく。
奄美の文化圏(PDFファイル)
私なりに読んでまとめてみた。
・ナルコ神(山の神)テルコ神(海の神) 集落によってはこれが逆転してるが本来はこっち。
・この両神を「ナルコテルコ神」「テルコナルコ神」と呼ぶこともある
・テルコテルコ神を二月にお迎えし四月にお送りする二ヶ月間の大祭があった
・テルコナルコの神々を接待するのは女の役目であり男はその間神女の屋敷に近づいてはならない
・一般的にはナルコテルコはニライカナイとも同一の意味を持つ。この場合は海の向こう側にある異世界信仰
(信仰観が明確に定義されていないため、各地方によって意味が少しずつ違う)
・島々の神歌では必ず神の名前は対句をもって表現され、一神二名が普通であった
(野崎注:アマミコ・シニレクがもともと一神という説もここからか?)
・加計呂麻島では巫女集団(ノロ)がネリヤ神(竜宮の神)オボツ神(神山の神)を二月から四月に祭祀していた。
・田植えの時期と重なっているので、稲霊信仰とも関連が指摘されている
・平瀬マンカイはもともと女のみで行う行事であった
・冬折目(フユウンメ)という冬の大祭があり、これは山芋の収穫祭と同じ時期にあたる。11月戌の日。本土の新嘗祭と同じ意味合いか。
山の神からの祟り除けも兼ねていて、魔除けの意味合いの強い桑の葉を使用する。
沖縄にも同等の意味を持つと思われる祭りはあるが、フユウンメの方が名称が古式。
・冬折目と対局的にある祭りが夏折目(ナツウンメ・ナツメ・ウフンメ)であり、七月頃にある。
集落によっては中折目(ナハオリメ)、中祭(ナーウリキジャリ)とも呼ばれる
夏折目は稲魂信仰になる前の粟や稗などの焼畑信仰からきているのではないか
・ノロは祭祀中、人々が収穫した里芋や粟を食べる。それが祭祀。つまりノロは神そのものであり、人々から献上された山の幸を神として食べる
・アラホバナと水口(ミニャクチ)祭り、この二つは稲魂信仰。つまり上記二つの祭りよりもあとにできた。
・アラホバナは稲の願掛け祭りで、水口祭りは水田を耕す祭り
・沖縄にはアラホバナに相当する祭りはあるが、ミニャクチに相当する祭りは奄美に最も近い伊平屋島にしかない
・筆者によると、沖縄の稲作大祭よりも、奄美の夏折目の方が古式で複雑だそう。奄美の夏折目が稲魂信仰により儀礼化して沖縄における稲大祭になった見るべきだろうと書いている
・二月のウムケ(お迎え)オーホリ(お送り)の大祭は、ウムケは旧暦二月初壬(みずのえ)の日、オーホリは旧暦四月の壬の日にする。ウムケはテルコ神をお迎えし、オーホリはテルコ神をお送りする。
これは奄美大島とその離島にしかない神祭り
おそらく本土にみられる二月祭りと同質ではないかと筆者は書いている
・テルコ神は海の神であり漁の神でもあるが、奄美ではテルコ神を竜宮の神と呼び変える例がよく聞かれる。テルコ神は水神としての竜神としての性格もあるから農耕の神ともされている。
・他の祭祀はノロそのものが神となっているが、テルコ神に関するウムケ・オーホリは明確に外に神がいる。ノロ集団のなかでもテルコ神を接待するノロは別におり、テルコ神役のノロだけがテルコ神の接待をする。このテルコガミ役のノロは、テルコ神そのものであると同時にテルコ神を接待する巫女役でもある
・このように、祭祀の神によって神女団も別に存在しているところが古式を保持しているといえる
・ノロ祭祀の中では山の神が上位というかメインであり、海の神は来訪神としての扱いになっている(古代の焼畑信仰が関連すると思われる)
・奄美大島の最も古形の形態を残していると思われる集落では、テルコ神は明確に来訪神であり、テルコ神とニライカナイを混同することはない。テルコは奄美諸島と伊平屋島諸島にかけての海の国であり、これに対応するのはおそろしい神の住む山の世界。
ニライカナイは沖縄諸島における海の異世界であり、これに対応するのはオボツ・カグラという象徴的天界。
関連を考えるとすれば奄美諸島のナルコ・テルコの方がより時代的に古く文化としても古形であると筆者は指摘している
超勉強になったぁああああああああ
Mさん、あざーす!!!!!!!!!
つまり沖縄の信仰観による異世界(神の世界)「ニライカナイ」と、
奄美の信仰観による異世界(神の世界)「テルコ・ナルコ(もしくはナルコ・テルコ)」は本来全然違うということです。
(琉球侵攻によって琉球王朝の信仰観が奄美の神官制度に組み入れられてからは、ごっちゃになってる模様)
おそらく奄美の勢力圏内で一度整えられた「テルコ・ナルコ」信仰が、琉球侵攻や薩摩侵攻その後の時代の混乱によって神官による継承に断絶が生じてしまったのだと推測されます。
でもたぶん、背景にいる奄美の神々と沖縄の神々は一緒だと思いますけどね。
呼び方や多少の概念が違うだけでね。
この辺は私の憶測だけどね!!!!!!!
南西諸島における女性の霊性尊重の文化が、古代日本における文化であったのなら、
(古神道でも禊ぎ祓い最強の神様は女神)
日本本土はいつから男尊女卑がおこったのか?
男尊女卑は中国が強烈なんですが、何故天照大神をいただく日本がそうなったのか?
非常に気になるところです。
以前夢で「男面」と「女面」を見せられましたが、
あの夢は関係あるのかな???
【Mさん】奄美の八月踊りについて
【Mさん&星さん】奄美沖縄超古代・ムー後継文明時代のイメージ画
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Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 11:42│Comments(0)
│Mさん
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