【Mさん&星さん】奄美沖縄超古代・ムー後継文明時代のイメージ画
2015年04月30日
当ブログの重鎮・Mさんと星さん(お二人とも本土在住の幸福の科学会員)から、
奄美・沖縄の超古代・ムー後継文明のイメージ画をいただきました!!!!
星さん、Mさん、ありがとぉぉおおおおお!!!!(´;ω;`)
(注・下記情報は幸福の科学の公式見解ではありません。あくまでMさんと星さんによるイメージです)
いままでMさんと星さんのイメージによる古代南西諸島における文明は、新しい順に
①古代海神国(古事記における豊玉姫・玉依姫の故郷)
↓
②古代ニライカナイ文明(海神国のルーツとなる大きな文明)
↓
③古代ムー後継文明(ムー大陸滅亡後、ムーの植民地だった南西諸島に文化が移った時代。もっともレベルが高かったのがこの時代だそう)
(実際はこの三つの間にも小さな文化が興っては滅ぶを繰り返してるそうですが、主だった文明がこの三つなんだとか)
当時は沖縄・奄美はくっついた一つの大きな島だったり、同じ国のくくりだったそうです。
いただいた絵は、「湯湾岳にかつてあったラ・ムー再誕の祈りのための聖地」の再現図だそうです。
当時の湯湾岳は、今よりもはるかに高い大きな山脈だったそうです。
当時の奄美・沖縄は太陽神(=ムー文明の伝説の王ラ・ムー)信仰を主体とした多神教だったそうです。
湯湾岳にあった聖地は基本的に当時は高級神官の一部を除き、大祭以外は入山規制がされてたそう。
神殿そばの長方形の広場で、ラ・ムー再誕の祈りをしていた?そうです。
(雰囲気としてはこんな感じにちかいらしい。)
円形で列柱のある円錐形の屋根のある神殿は、その他の神山の中腹や町中の儀式用だったということ。
広場の周りの地面は草の生えてない鮮やかな黄色~茶色だそうです。(アマミキョ注・赤土のことだと思う)
Mさんと星さんによると、「神殿がない時代もあるけど、神殿のある時代にフォーカスしたほうが分かりやすい」とのこと。(笑)
当時の国の紋章は「太陽の紋章」だそうです。(ラ・ムーの紋章に近い?)
Mさんいわく「奄美では太陽に合掌するのは大事」だそうです。
星さんによると、後代、太陽神ラ・ムーのことは忘れ去られ、太陽神(ラ・ムー)信仰の女性神官長が、後代に太陽の女神として信仰されたのではないかと。
その女神信仰から、のちに女性の霊性の時代として「ニライカナイ文明(仮称)」が興ったのではないかとのことでした。
その残り香が、海神国(竜宮)ではないかと。
「ニライカナイほど美的感覚に優れている文明はないでしょう」
とのこと。
海神国時代よりも、ニライカナイ文明の時代の方が、より透明性のある文化だったそうです。
このニライカナイ文明の末流が、古代海神国だけではなく、宇佐三女神にも繋がっているのではないか?とのことでした。
アジアの光としての文明は、ムー後継文明から高千穂の流れに行き、そこで一度南西諸島文明は廃れ、
その後南西諸島に興ったニライカナイ文明の、その末流である海神国から、同じムーの後継である高千穂を補佐したという形だそうです。
ニライカナイの霊統は海神国の時代に母なる海として仕事をしたということではないのことでした。
Mさん、星さん、重ね重ね、ありがとうございましたー!!!!!!!!
(注・上記情報は幸福の科学の公式見解ではありません。あくまでMさんと星さんによるイメージです)