天使の臨在
2016年03月16日
もうすぐ映画『天使にアイムファイン』が公開されますが、
(奄美では4月3日、あいあい広場でさせていただきます✩)
予告編を見ながら、
「ああ、こういう霊人、マッサージの時によくいるわ~」
と思っていたら、
ふと昔のことを思い出しました。
これは小っ恥ずかしいので、封印しようとしていたお話。
中2の時にウツ状態になったのは何度も書いてるお話ですが、
高2~高3の時に、ふとその当時のことを絵にしてみようと思い立ちました。
あの頃、私は発狂寸前の状態になると、決まって“なんらかの力”によってムリヤリ正気に引き戻されていました。
(だから当時はその“なんらかの力”の主がうらめしかった。善意は分かるんですけど、精神的に逃げたくても逃げられないというのは辛かったのよ)
精神的に逃げられないと知った私は、本当に辛い時は、泣きながら目に見えない存在に祈って、祈っている時だけすごく楽だったんです。
その時だけ、すごく体が温かくなり、気持ちが軽くなり、強迫観念や自責の念から開放されました。
そして一時的な安らぎを得てから、眠りにつくという状態でした。
そのウツの時の自分を絵にしてみようと思った私。
当時の、真っ暗な部屋で泣きながら天井に向いて祈ってるという当時の私の姿を書いていたら、
どうしても、絵が書けない。「こうじゃない!」と書いてる利き腕が拒否するwww
おかしいなーと思いつつ、じゃあ、書きたいのをかけーいと利き腕のうずきに任せると、
泣いている私を囲む、柔らかい光を纏った三人の見知らぬ大人を書いていました。
一人は、泣いている私を抱きしめるギリシャ風の装束をつけたゆるい巻き髪の女性。
私の少し上のほうに、ファンタジー漫画に出てくる宗教学校の先生みたいな格好をした男性。
(詰襟の制服のような衣装に横がけに袈裟っぽい布をかけて、片手に本を持ち、もう片手で私に向かって手をかるくかざしてる。この人が一番光っていて、てのひらから私に向かって光を向けながら何か私に話しかけている雰囲気。髪は長くてストレート。後ろで縛ってる)
そして私の真横に、抜き身の剣を持った戦士風の男性が、私を守ってくれていました。
(これもファンタジー漫画に出てくるような人で、なにやら彫刻の入った額あてをしてた。装束も当時書いてたけど今は思い出せない)
私は自分が書いてるものにビックリして、そして涙が溢れました。
私が孤独のどん底にいたときに、
私はこれだけの人に守られていたのだと。
だから、祈っていたら、あんなに温かくなって、体も心も楽になったんだと。
私は当時何度も祈り、次の日には祈ったことも忘れ、辛くなったらまた祈り、でも楽になればまた忘れるを繰り返していました。
そんな恩知らずな当時中学生の私に、その霊人たちは、それでも祈るたびにきてくれていたんだと、
その絵が教えてくれました。
おそらく、戦士風の男性は、私にまとわりつくオバケを払い除けてくれていて、
ギリシャ風の女性は、私の悲しみを共有することで、私を慰め、かたくなな心をときほぐしてくれたのでしょう。
そして、教師風の男性が、私に自他への理解をすすめてくれたのだろうと思います。
当時まだ私は幸福の科学の本もふれたばかりですし、いろんな宗教の本やスピ系の本を読んでも、
実際に自分にそれだけの霊的な現象が起きてるとはにわかには信じ難かったのですが、
それでも、それが真実であることを、「自分の意図ではなく書いた絵」が告げていました。
(中3の時からなんとなく書いていた観自在菩薩風イラストが自分の守護霊の姿だったと知るのは34の時。
般若心経にハマってたときだったので、自分が感じた守護存在を観自在菩薩だと安直に脳内変換していた青さがいかにも中学生ww)
奄美の神様からメッセージがきはじめたのは、祈りの現象からしばらくたってからのことでした。
ちなみに、このギリシャ風の女性は、社会人になったあと、再びお会いすることになります。
東京正心館落慶前の東京道場で、最上階での礼拝が特別に許されていた時に、
巨大な熱風をともなった光(主エル・カンターレの眼差し)に魂のすべての記憶を観られるという形容しがたい奇跡現象を体験しましたが、
その直後、天上から現れて私に短剣をくださった、あの天使でした。
(その時に霊的に受け取った短剣が、幸福の科学の法具として実在すると知ったのはそれから数年後w
外部会場用の小型サイズの降魔の剣を見たときに「なんであれがここにあるの!!!」とマジで飛びあがった)
これは決して私が特別なのではなく、
本当は誰の身にもおきている霊的な姿だと思います。
たまたま、私はそれを感知しやすかっただけで。
ですから、私は映画『天使にアイムファイン』の予告編を見て、
あの時の自分の絵を思い出し、
「あれが映像になってる!!!!」
と、個人的に感無量でした。
まるで自分の体験が実写化されたような感覚で、なんと表現したらいいか分かりませんが、胸がいっぱいになりました。
当時中学生だった私を、祈りにこたえて支え続けてくださった三人の天使。
その当時、私はまだ幸福の科学の本も読んでいませんでしたが、
(私が幸福の科学の書籍を読んだのは高校生になった直後)
のちに、東京道場最上階で、私に降魔の剣をくださったことからも、
彼女が幸福の科学霊団の天使であったと分かります。
あの時の天使達にお伝えしたいのです。
ありがとうございました。
私もあなたがたのようになりたいです。
(奄美では4月3日、あいあい広場でさせていただきます✩)
予告編を見ながら、
「ああ、こういう霊人、マッサージの時によくいるわ~」
と思っていたら、
ふと昔のことを思い出しました。
これは小っ恥ずかしいので、封印しようとしていたお話。
中2の時にウツ状態になったのは何度も書いてるお話ですが、
高2~高3の時に、ふとその当時のことを絵にしてみようと思い立ちました。
あの頃、私は発狂寸前の状態になると、決まって“なんらかの力”によってムリヤリ正気に引き戻されていました。
(だから当時はその“なんらかの力”の主がうらめしかった。善意は分かるんですけど、精神的に逃げたくても逃げられないというのは辛かったのよ)
精神的に逃げられないと知った私は、本当に辛い時は、泣きながら目に見えない存在に祈って、祈っている時だけすごく楽だったんです。
その時だけ、すごく体が温かくなり、気持ちが軽くなり、強迫観念や自責の念から開放されました。
そして一時的な安らぎを得てから、眠りにつくという状態でした。
そのウツの時の自分を絵にしてみようと思った私。
当時の、真っ暗な部屋で泣きながら天井に向いて祈ってるという当時の私の姿を書いていたら、
どうしても、絵が書けない。「こうじゃない!」と書いてる利き腕が拒否するwww
おかしいなーと思いつつ、じゃあ、書きたいのをかけーいと利き腕のうずきに任せると、
泣いている私を囲む、柔らかい光を纏った三人の見知らぬ大人を書いていました。
一人は、泣いている私を抱きしめるギリシャ風の装束をつけたゆるい巻き髪の女性。
私の少し上のほうに、ファンタジー漫画に出てくる宗教学校の先生みたいな格好をした男性。
(詰襟の制服のような衣装に横がけに袈裟っぽい布をかけて、片手に本を持ち、もう片手で私に向かって手をかるくかざしてる。この人が一番光っていて、てのひらから私に向かって光を向けながら何か私に話しかけている雰囲気。髪は長くてストレート。後ろで縛ってる)
そして私の真横に、抜き身の剣を持った戦士風の男性が、私を守ってくれていました。
(これもファンタジー漫画に出てくるような人で、なにやら彫刻の入った額あてをしてた。装束も当時書いてたけど今は思い出せない)
私は自分が書いてるものにビックリして、そして涙が溢れました。
私が孤独のどん底にいたときに、
私はこれだけの人に守られていたのだと。
だから、祈っていたら、あんなに温かくなって、体も心も楽になったんだと。
私は当時何度も祈り、次の日には祈ったことも忘れ、辛くなったらまた祈り、でも楽になればまた忘れるを繰り返していました。
そんな恩知らずな当時中学生の私に、その霊人たちは、それでも祈るたびにきてくれていたんだと、
その絵が教えてくれました。
おそらく、戦士風の男性は、私にまとわりつくオバケを払い除けてくれていて、
ギリシャ風の女性は、私の悲しみを共有することで、私を慰め、かたくなな心をときほぐしてくれたのでしょう。
そして、教師風の男性が、私に自他への理解をすすめてくれたのだろうと思います。
当時まだ私は幸福の科学の本もふれたばかりですし、いろんな宗教の本やスピ系の本を読んでも、
実際に自分にそれだけの霊的な現象が起きてるとはにわかには信じ難かったのですが、
それでも、それが真実であることを、「自分の意図ではなく書いた絵」が告げていました。
(中3の時からなんとなく書いていた観自在菩薩風イラストが自分の守護霊の姿だったと知るのは34の時。
般若心経にハマってたときだったので、自分が感じた守護存在を観自在菩薩だと安直に脳内変換していた青さがいかにも中学生ww)
奄美の神様からメッセージがきはじめたのは、祈りの現象からしばらくたってからのことでした。
ちなみに、このギリシャ風の女性は、社会人になったあと、再びお会いすることになります。
東京正心館落慶前の東京道場で、最上階での礼拝が特別に許されていた時に、
巨大な熱風をともなった光(主エル・カンターレの眼差し)に魂のすべての記憶を観られるという形容しがたい奇跡現象を体験しましたが、
その直後、天上から現れて私に短剣をくださった、あの天使でした。
(その時に霊的に受け取った短剣が、幸福の科学の法具として実在すると知ったのはそれから数年後w
外部会場用の小型サイズの降魔の剣を見たときに「なんであれがここにあるの!!!」とマジで飛びあがった)
これは決して私が特別なのではなく、
本当は誰の身にもおきている霊的な姿だと思います。
たまたま、私はそれを感知しやすかっただけで。
ですから、私は映画『天使にアイムファイン』の予告編を見て、
あの時の自分の絵を思い出し、
「あれが映像になってる!!!!」
と、個人的に感無量でした。
まるで自分の体験が実写化されたような感覚で、なんと表現したらいいか分かりませんが、胸がいっぱいになりました。
当時中学生だった私を、祈りにこたえて支え続けてくださった三人の天使。
その当時、私はまだ幸福の科学の本も読んでいませんでしたが、
(私が幸福の科学の書籍を読んだのは高校生になった直後)
のちに、東京道場最上階で、私に降魔の剣をくださったことからも、
彼女が幸福の科学霊団の天使であったと分かります。
あの時の天使達にお伝えしたいのです。
ありがとうございました。
私もあなたがたのようになりたいです。
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