natsuさんより<自分への根拠のない自信を恥じる>への返歌
2011年07月22日
以下は私(natsu)の私見です。
和歌でいう”返歌”のようなイメージで書いてみました。
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
野崎さんの文章で<自分への根拠のない自信を恥じる>http://amamikyo.amamin.jp/e129649.html
というものがありました。
思う所あり、感想文のようなものではあるが書かせて頂きます。
この文章をオープンにするのは、上の表題の文章を誰もが読むことが出来ることと、
私の文章に対して思う所があれば、コメントを頂けるとありがたいと思っています。
私は自分の意見だけが正しいなんてことは全く思いません。
私はこう思うよ、感じるよ、というスタンスで書きます。
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
野崎さんの文章を見ていると非常に痛々しいと感じる時があります。
(毎度ではありません)
私も人のことは言えないのだが、絡まった糸をほどこうとして悪戦苦闘したあげくに、指先が痛くなり、勢いと怒りで、糸をハサミで切り刻んでしまう(力業)ようにも見えます。
これは2つの点が理由としてあると思っています。
・自己イメージが高いが、到達できない。それによる焦り。
・現実の自分の能力を認められない。許せない。
時折、野崎さんは気持ちの振れ幅が大きいのではないかと考えています。
それに関しては、魂的な部分と育った環境などの影響が多きのではないかと推測しています。
(実際にはお会いしたことがないので)
幼少期の身近な人達の感情の発露方法というのは、恐ろしいほど、その人の表現方法に影響を与えます。
私は「適切」という言葉が好きです。
また、同じような言葉で「過ぎたるは及ばざるがごとし」という言葉も好きです。
野崎さんは、自分の感情の力が強く、右も左も上も下も、
気持ちがいささか”行き過ぎ”てしまうことがあるように思えるときがあります。
それは、私にとって必ずしも不快と感じるものとは限りません。
むしろ一生懸命ではあるが、結果としては不器用となってしまうことに、
こちらとしては見て見ぬふりが出来ない、何か手伝えることはないか?
と考えてしまうような感覚さえも受けます。
私が野崎さんに望むのは、自分も他人も許してあげることです。
まってあげること。
時間を与えてあげることです。
確かに、「時間がない」、「今しかない」という気持ちは大きなエネルギーを出すことになります。
強い使命感にもなるとも言えます。
しかしながら、それはある意味では、「焦り」にもなってしまい「視野が狭くなる」とも言えます。
「勢い」というものが大切なのはよく分かります。
しかしながら、目の前の1歩1歩に集中するあまり、周りの四季折々の美しさ、
太陽の神々しさ、星々の煌めき、朝露まとう新鮮な空気、鳥のさえずり、沈む夕日の美しさ、などを
感じずに時間が過ぎてしまうことにならないで欲しいと願っています。
確かに、一日を振り返ったときに、今日の一日は学びは多かったか、
効率的に生きられたか、無駄はなかったか、ということを反省することは
大切だとは思います。
しかし、今日一日の中で、どれだけ”美しさ”を目にしたか、心が弾んだのか、
ということを心に問うことも、素晴らしい一日の振り返り方ではないかと思います。
言葉遊びに過ぎないのかも知れませんが、調和の方法として
相手を受け入れる、ということがあるのではないかと思っています。
また、現状の自分も受け入れるというも大切ではないかと思っています。
未熟な自分、至らない自分、上手く出来ない自分。
その1つ1つが限りない個性ではないでしょうか。
限界があることを闇雲に突破として破壊するのではなくて、
限界があることを受け入れる。受け入れた上で、限界があるからこそ
乗り越える達成感という快感も得られると思ったら、少しは違うのではないかと思うのです。
愛を与える、愛を与える、愛を与える。
真実、自分を許すことが出来ない方に、他人を許すことは出来ないでしょう。
もし、やっているという方がいるならば、それは「許してやっている」という
裁きではないかと思うのです。
”~ねばならない”の呪縛から解き放たれて頂きたいと思います。
”~ねばならない”と強く考えているのは他の誰でもない自分です。
何事も「時節」というものがあります。
人は必要なときに、適したかたちで、適した法に巡り会います。
一人一人が、法に出会うそのストーリーは違います。
その違いが個性であり、
その違いが、私は他の人々への関心となり
その違いが、相手の素晴らしさの一端であり、また魅力の一端ではないかと思っています。
自分自身を
真実なる意味において、抱きしめて、受け入れて、全てを許してあげて下さい。
野崎さんは、とても魅力的な女性だと思っています。
読んで下さって有り難うございました。
_________________
えー、natsuさん、ご感想まことにありがとうございました。(笑)
たしかに私は気持ちのブレ幅が極端で、また感情をすぐ「怒り」という形で現わしやすいです。(照)
これは父親の影響が強いことは自覚しておりますが、それを良しとしている以上、自分の責任であることも承知しております。
子房さんにもいただきましたね。「自分を責めている心、自分への怒り」が私にはあると。
自分は周りに認められたいという「我」が強いので、おそらくはnatsuさんのおっしゃることが正しいのではないかと思われます。
現在、自分を許せないという感覚は実はほとんど自覚できておりません。
それほどに自己に対して明らかに盲目な私ですが、natsuさんにご指摘をいただけますことでまた自分を知ることができますことをとてもありがたく思います。
私は自己陶酔が大好きですので「自分を責めているフリ」という自己憐憫も過分にあるかとは思いますが、それも含め、そろそろ精神的に大人(笑)にならないといけないのかもしれませんね。
ご指摘まことにありがとうございました。
自分を許せなくて人を許せるわけがないというnatsuさんの言葉は、真実であると思います。
和歌でいう”返歌”のようなイメージで書いてみました。
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
野崎さんの文章で<自分への根拠のない自信を恥じる>http://amamikyo.amamin.jp/e129649.html
というものがありました。
思う所あり、感想文のようなものではあるが書かせて頂きます。
この文章をオープンにするのは、上の表題の文章を誰もが読むことが出来ることと、
私の文章に対して思う所があれば、コメントを頂けるとありがたいと思っています。
私は自分の意見だけが正しいなんてことは全く思いません。
私はこう思うよ、感じるよ、というスタンスで書きます。
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
野崎さんの文章を見ていると非常に痛々しいと感じる時があります。
(毎度ではありません)
私も人のことは言えないのだが、絡まった糸をほどこうとして悪戦苦闘したあげくに、指先が痛くなり、勢いと怒りで、糸をハサミで切り刻んでしまう(力業)ようにも見えます。
これは2つの点が理由としてあると思っています。
・自己イメージが高いが、到達できない。それによる焦り。
・現実の自分の能力を認められない。許せない。
時折、野崎さんは気持ちの振れ幅が大きいのではないかと考えています。
それに関しては、魂的な部分と育った環境などの影響が多きのではないかと推測しています。
(実際にはお会いしたことがないので)
幼少期の身近な人達の感情の発露方法というのは、恐ろしいほど、その人の表現方法に影響を与えます。
私は「適切」という言葉が好きです。
また、同じような言葉で「過ぎたるは及ばざるがごとし」という言葉も好きです。
野崎さんは、自分の感情の力が強く、右も左も上も下も、
気持ちがいささか”行き過ぎ”てしまうことがあるように思えるときがあります。
それは、私にとって必ずしも不快と感じるものとは限りません。
むしろ一生懸命ではあるが、結果としては不器用となってしまうことに、
こちらとしては見て見ぬふりが出来ない、何か手伝えることはないか?
と考えてしまうような感覚さえも受けます。
私が野崎さんに望むのは、自分も他人も許してあげることです。
まってあげること。
時間を与えてあげることです。
確かに、「時間がない」、「今しかない」という気持ちは大きなエネルギーを出すことになります。
強い使命感にもなるとも言えます。
しかしながら、それはある意味では、「焦り」にもなってしまい「視野が狭くなる」とも言えます。
「勢い」というものが大切なのはよく分かります。
しかしながら、目の前の1歩1歩に集中するあまり、周りの四季折々の美しさ、
太陽の神々しさ、星々の煌めき、朝露まとう新鮮な空気、鳥のさえずり、沈む夕日の美しさ、などを
感じずに時間が過ぎてしまうことにならないで欲しいと願っています。
確かに、一日を振り返ったときに、今日の一日は学びは多かったか、
効率的に生きられたか、無駄はなかったか、ということを反省することは
大切だとは思います。
しかし、今日一日の中で、どれだけ”美しさ”を目にしたか、心が弾んだのか、
ということを心に問うことも、素晴らしい一日の振り返り方ではないかと思います。
言葉遊びに過ぎないのかも知れませんが、調和の方法として
相手を受け入れる、ということがあるのではないかと思っています。
また、現状の自分も受け入れるというも大切ではないかと思っています。
未熟な自分、至らない自分、上手く出来ない自分。
その1つ1つが限りない個性ではないでしょうか。
限界があることを闇雲に突破として破壊するのではなくて、
限界があることを受け入れる。受け入れた上で、限界があるからこそ
乗り越える達成感という快感も得られると思ったら、少しは違うのではないかと思うのです。
愛を与える、愛を与える、愛を与える。
真実、自分を許すことが出来ない方に、他人を許すことは出来ないでしょう。
もし、やっているという方がいるならば、それは「許してやっている」という
裁きではないかと思うのです。
”~ねばならない”の呪縛から解き放たれて頂きたいと思います。
”~ねばならない”と強く考えているのは他の誰でもない自分です。
何事も「時節」というものがあります。
人は必要なときに、適したかたちで、適した法に巡り会います。
一人一人が、法に出会うそのストーリーは違います。
その違いが個性であり、
その違いが、私は他の人々への関心となり
その違いが、相手の素晴らしさの一端であり、また魅力の一端ではないかと思っています。
自分自身を
真実なる意味において、抱きしめて、受け入れて、全てを許してあげて下さい。
野崎さんは、とても魅力的な女性だと思っています。
読んで下さって有り難うございました。
_________________
えー、natsuさん、ご感想まことにありがとうございました。(笑)
たしかに私は気持ちのブレ幅が極端で、また感情をすぐ「怒り」という形で現わしやすいです。(照)
これは父親の影響が強いことは自覚しておりますが、それを良しとしている以上、自分の責任であることも承知しております。
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Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 18:59│Comments(1)
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この記事へのコメント
まだまだ寛容になるって難しい(^^;
Posted by あーちゃんママ at 2011年07月23日 15:34
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