思春期の頃
2016年09月29日
本日、よもぎを繕いながら、叔母さんと母と雑談してました。
この叔母さんは私が中三のときに頭おかしくなった時期のことを見て知ってる数少ない方(笑)
私がクソ熱い八月に窓しめきって風呂もはいらず暗い部屋で一人でゲラゲラ笑ったり泣いたり独り言で何時間も会話してるのを目撃している(笑)
私が自分の写真をハサミで切って自分の遺影をつくったり自分の血まみれ生首写真をつくってニヤニヤしてたのも見ている(笑)
叔母さん「リノちゃん、あの時は大変だったよねぇ」
母「私はもうあの時は、子供を一人失くしたと思ったよ」
私「イヤ、ホント、すいませんでした・・・・」
でも頭おかしくなった経験のおかげで、
頭おかしい人が実は「それを演じてるだけで結構本人は冷静に周りを観察してたりする」こととかが分かるようになったのが、
我ながら実にありがたい経験でした。
ですから私はいい意味でもそうでない意味でも、精神障害者やウツの人を差別もひいきもしません。
健常者同様にあつかいますし説教もします(笑)
オブラードにくるんで言うなんてことはしませんし、
あまりに度が過ぎてると
「あんた、実は分かってるだろ?いつまでも構ってちゃんでキチガイ演じるのもいいかげんにせーよ。あんたの今の精神状態は~」
と冷静に突っ込みます(笑)
こちとら元経験者なので、本人が自覚してない演技も分かるっちゅーの。
自分が頭おかしくなった状況を自己分析すると、
私の場合は現実逃避と自己憐憫でした。
その状態の時は、本人はキチガイしてても、結構冷静に「周りが自分をどんな目で見てるか」を観察してます(笑)
子供が仮病や反抗期を演じてる時とそう変わらない心理だったりするのですね。
(子供が仮病や反抗期に演じる精神状態のように、
精神的なアレの状態も、経験として多いのはその状態を演じすぎてシラフに戻るタイミングが分からなくなってるorその状況を利用して現実逃避をさらに重ねてるor周りにあてつけてる心理です)
また、悩みに大きく比重がかかっている時は、
自分が今何に悩んでいるのか分からないというパニック状態から起因している感情的な高ぶりが大きかったりしました。
それを浮上させるには、時間も必要ですが、
「自分は今本当は何に悩んでいるのか」
「自分が本当にしたいことは何なのか」
という問題整理・心の整理と、それを本人が理解することが重要だと思います。
私はこれを自力でしたら高校三年まるまるかかりました。
私のウツに至った心の原因は
・思春期特有の鋭敏な感性による社会に対する自己の無力感、無価値感
・長年うけたいじめによる過度なストレスと恐怖心
・幼少時に両親に迷惑をかけたことへの罪悪感
・憑依(実は先祖霊が両親の離婚を食い止めるための霊障)
・自己の内面に存在する多人格への違和感と理解できない苦しみ(ここに悪霊と先祖霊と守護霊数人の意識がごっちゃになってた)
でした。
これを自分で1つずつひもといていく過程で、守護霊や奄美の神様からアクションをいただいたわけですが、それはまた別のお話。
どうでもいい話ですが、ユングはマジですごいと思う。
あの人は霊能者だと一発で分かりました。
あれだけ心の世界を立体的に説明できるなんて他のどの宗教書にもなかったもん。
高1のときにはじめてユング読んだときビックリして飛び上がりました。
ウツ状態になっていることは裁きの対象ではありません。
人にはそれぞれ事情と背景があります。
その事情と背景をくんであげ、理解してあげることが必要だと思います。
ただ、その先もあることを本人が理解することも大切だと思います。
人にはリハビリの過程も必要ですが、
よりよき未来へのビジョンも同時に必要です。
ここのさじ加減をどうするかが、その人の未来をよりよき方向に歩み進めていくように、私は思います。
私の場合、家が貧しかったので、親を頼れなかったというのが一番の自立への道でしたが(笑)、
もう1つは、親が「自立を促す教育」をしてくれたことがとても大きかったと思います。
ウツで苦しんでいた当時中学生~高校生の私に、
「選ばれた人間」
とか
「明けの明星」
とか
「奄美の金星」
とか言われても、全然響いてこないどころかプレッシャーにしかなりませんでした。
それよりも、奄美の神様が教えてくださった
「無価値でも俗物でも泥まみれでも、歩き続けることがささやかでも世の希望となる」
という言葉の方が、私には支えでした。
「苦しくとも、自分を救える自分になれ。自分の痛みを誰でもなくお前がその手で受け止めてやれ」
そう教えてくれた方がいました。
私はその言葉を信じて歩いてきました。
私はあの中学生の頃からちっとも変わってません。
今も、あの時のまんまだと思います。
神様はどんな人間でも愛しておられると思います。
なんのとりえもないウツの中学生の私でも神様は愛してくださっていました。
私がよりよき道へ歩むようにと語りかけ続けてくださいました。
神様の声は、
自分の苦しみと向き合った時に聞こえてきました。
(当時はこの声も自分のリアル妄想だと思ってた。本物の神様だったと知るのは社会人になってからです)
だから、泥まみれの俗物の自分を勇気を出して理解してあげてほしい。
自分は何に苦しんでいるのか、それを勇気をもって心の泥沼から抉り出してほしい。
なさけない自分を隠さず疎まず、認めてやって一緒に歩いてやってほしい。
なさけない自分を、自分自身の手で少しずつ育ててやってほしい。
その先に、他者の痛みも自分の痛みのように理解できる道があり、
他者からいただいた愛に感謝できる道があるのではないかと、
私は思います。
私もまだまだ道の途中でなさけないままのちっぽけな人間ですが、
私の経験が誰かのお役に立てたらありがたいです。
ウツだった私でも高校生になったら親にお詫びもかねて高校3年間バイトして代は全額母親におさめてました。
子供のみなさん、ご両親からいただいたご恩は忘れずできるかぎり親孝行しましょう。
この叔母さんは私が中三のときに頭おかしくなった時期のことを見て知ってる数少ない方(笑)
私がクソ熱い八月に窓しめきって風呂もはいらず暗い部屋で一人でゲラゲラ笑ったり泣いたり独り言で何時間も会話してるのを目撃している(笑)
私が自分の写真をハサミで切って自分の遺影をつくったり自分の血まみれ生首写真をつくってニヤニヤしてたのも見ている(笑)
叔母さん「リノちゃん、あの時は大変だったよねぇ」
母「私はもうあの時は、子供を一人失くしたと思ったよ」
私「イヤ、ホント、すいませんでした・・・・」
でも頭おかしくなった経験のおかげで、
頭おかしい人が実は「それを演じてるだけで結構本人は冷静に周りを観察してたりする」こととかが分かるようになったのが、
我ながら実にありがたい経験でした。
ですから私はいい意味でもそうでない意味でも、精神障害者やウツの人を差別もひいきもしません。
健常者同様にあつかいますし説教もします(笑)
オブラードにくるんで言うなんてことはしませんし、
あまりに度が過ぎてると
「あんた、実は分かってるだろ?いつまでも構ってちゃんでキチガイ演じるのもいいかげんにせーよ。あんたの今の精神状態は~」
と冷静に突っ込みます(笑)
こちとら元経験者なので、本人が自覚してない演技も分かるっちゅーの。
自分が頭おかしくなった状況を自己分析すると、
私の場合は現実逃避と自己憐憫でした。
その状態の時は、本人はキチガイしてても、結構冷静に「周りが自分をどんな目で見てるか」を観察してます(笑)
子供が仮病や反抗期を演じてる時とそう変わらない心理だったりするのですね。
(子供が仮病や反抗期に演じる精神状態のように、
精神的なアレの状態も、経験として多いのはその状態を演じすぎてシラフに戻るタイミングが分からなくなってるorその状況を利用して現実逃避をさらに重ねてるor周りにあてつけてる心理です)
また、悩みに大きく比重がかかっている時は、
自分が今何に悩んでいるのか分からないというパニック状態から起因している感情的な高ぶりが大きかったりしました。
それを浮上させるには、時間も必要ですが、
「自分は今本当は何に悩んでいるのか」
「自分が本当にしたいことは何なのか」
という問題整理・心の整理と、それを本人が理解することが重要だと思います。
私はこれを自力でしたら高校三年まるまるかかりました。
私のウツに至った心の原因は
・思春期特有の鋭敏な感性による社会に対する自己の無力感、無価値感
・長年うけたいじめによる過度なストレスと恐怖心
・幼少時に両親に迷惑をかけたことへの罪悪感
・憑依(実は先祖霊が両親の離婚を食い止めるための霊障)
・自己の内面に存在する多人格への違和感と理解できない苦しみ(ここに悪霊と先祖霊と守護霊数人の意識がごっちゃになってた)
でした。
これを自分で1つずつひもといていく過程で、守護霊や奄美の神様からアクションをいただいたわけですが、それはまた別のお話。
どうでもいい話ですが、ユングはマジですごいと思う。
あの人は霊能者だと一発で分かりました。
あれだけ心の世界を立体的に説明できるなんて他のどの宗教書にもなかったもん。
高1のときにはじめてユング読んだときビックリして飛び上がりました。
ウツ状態になっていることは裁きの対象ではありません。
人にはそれぞれ事情と背景があります。
その事情と背景をくんであげ、理解してあげることが必要だと思います。
ただ、その先もあることを本人が理解することも大切だと思います。
人にはリハビリの過程も必要ですが、
よりよき未来へのビジョンも同時に必要です。
ここのさじ加減をどうするかが、その人の未来をよりよき方向に歩み進めていくように、私は思います。
私の場合、家が貧しかったので、親を頼れなかったというのが一番の自立への道でしたが(笑)、
もう1つは、親が「自立を促す教育」をしてくれたことがとても大きかったと思います。
ウツで苦しんでいた当時中学生~高校生の私に、
「選ばれた人間」
とか
「明けの明星」
とか
「奄美の金星」
とか言われても、全然響いてこないどころかプレッシャーにしかなりませんでした。
それよりも、奄美の神様が教えてくださった
「無価値でも俗物でも泥まみれでも、歩き続けることがささやかでも世の希望となる」
という言葉の方が、私には支えでした。
「苦しくとも、自分を救える自分になれ。自分の痛みを誰でもなくお前がその手で受け止めてやれ」
そう教えてくれた方がいました。
私はその言葉を信じて歩いてきました。
私はあの中学生の頃からちっとも変わってません。
今も、あの時のまんまだと思います。
神様はどんな人間でも愛しておられると思います。
なんのとりえもないウツの中学生の私でも神様は愛してくださっていました。
私がよりよき道へ歩むようにと語りかけ続けてくださいました。
神様の声は、
自分の苦しみと向き合った時に聞こえてきました。
(当時はこの声も自分のリアル妄想だと思ってた。本物の神様だったと知るのは社会人になってからです)
だから、泥まみれの俗物の自分を勇気を出して理解してあげてほしい。
自分は何に苦しんでいるのか、それを勇気をもって心の泥沼から抉り出してほしい。
なさけない自分を隠さず疎まず、認めてやって一緒に歩いてやってほしい。
なさけない自分を、自分自身の手で少しずつ育ててやってほしい。
その先に、他者の痛みも自分の痛みのように理解できる道があり、
他者からいただいた愛に感謝できる道があるのではないかと、
私は思います。
私もまだまだ道の途中でなさけないままのちっぽけな人間ですが、
私の経験が誰かのお役に立てたらありがたいです。
ウツだった私でも高校生になったら親にお詫びもかねて高校3年間バイトして代は全額母親におさめてました。
子供のみなさん、ご両親からいただいたご恩は忘れずできるかぎり親孝行しましょう。