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野崎私見・一霊四魂論から見た神社と位牌とお墓の重要性 神道における「神」とは何か

2019年12月03日

全国一億5千万の神道好きのみなさん、大変お待たせいたしました!(笑)


さっそく前の神道記事

https://ameblo.jp/amamikyo77/entry-12549669364.html


を書き終えたあと

「私すげー!」

な慢心が出てきて


すかさず覚醒寝言&リアル寝言で

『自惚れんなボケ』(意訳)

と叱られました。


ありがたいですけどもうちょい褒めてくれても

(´;ω;`)


ほんと、つくづく慢心を矯める道はどこまでも続きますね・・・・(遠い目)




というわけで、今回は


《一霊四魂論から見た位牌とお墓と神社の重要性 神道における「神」とは何か》


です。


例によって幸福の科学の中でなんの肩書きも持たない一在家信者の私見なので

神道関係者のみなさん、「ここ違うけど」というところがあったら

どうか私を助けると思ってご教示くださいまし。

(´;ω;`)


そうしないとマジ自惚れるんで・・・・(滝汗)


奄美の神様にものすごく感謝してることの1つは

「自分を盲信する心(慢心)こそ最大の敵」

と中学生の私に教えてくださったことですね。


(この過程でキチガイになりかけたけど)


自分の背伸びした知識や感性を盲信して

「世界や自分を分かった気になりたい」

「いろんな意味で悲劇のヒロイン」

思春期の子供の脳内で

冷静に他人からツッコミいれられることを想像してみてください。

頭おかしくなると思いませんか?私はなりました。


(なので思春期ウツの子の対して

「自分の被害者意識が自惚れと自覚してないだと!

親を裁く目線がすでに慢心だと自覚してないだと!

ぬるいんじゃい!お前にはまだ自己への絶望が足りない!

絶望の底を抜いてまだおちろ!

自分なんか生きてる価値ないのは当然だ!

その絶望に耽溺するままならお前はただのナルシストだ!

お前は悪人だ!罪人だ!

罪人ならその命の限り贖罪しろ!安易に死ぬな!死ぬことが許されると思うな!死はただの逃避だ!

自分の無力さに血反吐はいてもがきながら土下座して周りのために生きろ!

それ以外は全部自己憐憫の変形じゃい!」

と無駄な上から目線を持ってたりする。

そういう思いを中学生の私に毎日ぶちこんでくれたわけです。

そしてさらに、そういう思いも上から目線で慢心だという自覚を持たせてくれてたりするので

もうね私にどういう精神の立ち位置を求めてるのと)


あれから多少は聞き分けのいいお子さんになりました。(笑)


(それまでは本当に被害者意識の塊だった。

小中学校の卒業アルバム、マジで目つきが悪い。)


そのおかげで幸福の科学信者になっても

「幸福の科学だけでいいいいいいいいい!!!」

と思わず神道を学んだりしてるわけです。


幸福の科学を疑ってるわけでは微塵もなく、

「自分の正しさ盲信する危険性」

を自覚してるからです。


(といってもどこかの神社に出入りしてるわけじゃないので中途半端感が満載なんですが)



でも神道系の記事を書くとめちゃエネルギー使うんで


(疲れ方が普通の文章書いてる疲れ方じゃないので

分を超えてるのか

禊ができてないのかのどっちか。

たぶん後者wwww)


今回はかなりゆるーくいきます。


______________



《一霊四魂論から見た位牌とお墓と神社の重要性 神道における「神」とは何か》



前回の一霊四魂論で、一霊四魂の仕組みについて書きました。


直霊(なおひ)・・・・・神々の分霊意識。四魂の中心にあたる霊。四魂の偏りを「反省」や「思考の切り替え」によって修正する機能を持つ


幸魂(さちみたま)・・・・・四魂の中心存在。最も直霊に近い。愛や慈悲や優しさを司る。天界に帰ります(神様の一部になる)


和魂(にぎみたま)・・・・・調和や公益性を司る。神社に宿ります(氏神の一部になり地域の守りになる)


奇魂(くしみたま)・・・・・霊智霊感や知性理性洞察力を司る。霊璽(位牌)に宿ります(一家の守りになる)


荒魂(あらみたま)・・・・・行動力や現実に干渉する念力を司る。奥津城(お墓)に宿ります(一族の守りになる)


ということでした。


なので、神社も霊璽(位牌)も奥津城(お墓)も大切にすることが大事であるというお話でした。


では、この3つを重要視することでどういうことがもたらされるんでしょうか?




・神社を大切にすることで和魂の機能を高め(調和力公益性) 

・霊璽を大切にすることで奇魂の機能を高め(霊智・知性) 

・奥津城を大切にすることで荒魂の機能を高め(行動力・念力) ることができます。 


幸魂機能(愛)はこの3つを大切にすることで 自然に高まります。(幸魂は神との繋がりそのものなので)



つまり、


神社・霊璽・奥津城とそれぞれの場所に

感謝や崇敬の念という「信仰心」を形式にこめて向けることで、

祖霊の四魂の力を自分の守護・指導のお力としていただくのと同時に、

自動的に自分自身の四魂の偏りをも補完していただく仕組みを作っているわけなのですね。


この作法考えた人スゲー!!!!!!


((((;゚Д゚))))ガクブル





中心意識・直霊は「反省」「修正」も入ってますが、

そもそも神の分霊意識そのもの(神性)なので、

「仏性」と解釈した方がよいかと思われ。


むしろここで重要なのは


神の分霊意識そのものである直霊が、

神道では

四魂の偏りを整える役割として「反省」「修正」の機能を有しているということでしょうね。


それだけ、反省修正が大事であるということを、神道はちゃんと理解しているわけです。


ですから、「神道では反省はいらない」ということは全くなく、


むしろ「神の分霊として、自分の偏りを反省修正できるのは大前提」です。


ここまで( ・∀・)b OK?





ですから、


 「過去にクヨクヨしない」のは大事ですし、その為に禊ぎ祓いがあるわけなんですが、


そもそも過去や自分に関して反省がないのは

 『直霊』の言うことを聞いていないということになるんですね。 (笑)


神道の教えは過去の過ちをないがしろにしろではない。 

過去の過ちから起きた罪ケガレを 神々に祈り助力を得ることで清めていただくことにあります。


これは 「なかったことになる」のではなく 

四魂が安定し 幸魂をはじめとした四魂機能が正しく働くことで、

自分の霊心体のバランスがとれるということ。 

(だから「やり直しができるようになる」) 


神道はあくまで「自己責任」なので、神様が全部をチャラにはしません。


神様がしてくださるのは「罪ケガレを清めてくださる」ことであり、

(それにより四魂の偏りを反省修正しやすくなる)


その清々しい状態をいかに維持して、

それを多くの人への奉仕と自分の幸福を一体化させるかは、

ひとえに本人の信仰の学びと自助努力にかかっています。


神道は「○○したら救われるよ!」という安易な宗教では全くないので、どうかご理解ください。


人間は色んなところでストレスを抱えやすく、またいろんなところで生活バランスが乱れやすく、

またいろんな場面で心身が不調和を起こします。

また、オバケーやなまねんさんにより邪気を受けて心身が不調和になったり、

また、心身の不調和のせいで、オバケーやなまねんへの抵抗力が薄れ、

結果的に霊障になることもあるでしょう。


それらの状態を「ケガレ」と呼び、


その状態が招いた結果を「罪」と呼びます。


それらをつねに禊ぎ祓いによって「クリアな状態」に戻すことにより、

心身と霊の不調和状態(四魂の偏り)を、反省修正しやすくするわけですね。


四魂機能の反省修正はもちろん自己責任なので

ご自分の直霊の力でどうぞ。


でも自分だけの力ではやっぱり限界がありますから

祖霊や神々からの霊的サポートをいただける場が、


神社であり、霊璽であり、奥津城であるわけですね。


神道おそるべし・・・・・・

(;・∀・)



神社や霊璽や奥津城が重要である理由がお分かりいただけましたでしょうか?

(^ω^)






神道がたとえば仏教と違うのは


仏教は「仏を目指す為に、自分の中にある仏とは真逆の性質を自覚し離していく」という観点なのに対して


神道は戒律は最低限で「いかに神を目指すか」を徹底的に重視しています。


では、神道における「神」とはなんでしょうか?


それは、一霊四魂に代表される

愛・公益性・行動力・霊智

その4つのバランス(中道)を兼ね備えたご存在です。


そして、神道における「神」とは


慈悲深きご存在であると同時に

忘れてはならない観点があります。


それは


「神こそ

完全なる奉仕をしてくださってるご存在である」


という事実です。


神はすべてのものをお作りになり、

そのすべてを与えてくださり、

今も維持し続けてくださり、

そのことに見返りを求めることがありません。


つまり神こそ、「究極の奉仕」のご存在なのですね。


ですから神道が愛・公益性・行動力・霊智を重要視するのは


神そのものが、愛・公益性・行動力・霊智を

「万象万物に対して惜しみなく注いでくださってる」

からこそ、


我々も親である神に倣うということに他ならないわけです。


ですから「神を目指す」のは、


霊魂の親の背中をどこまでも純粋にひたむきに追いかけるということであり、


親がどこまでも愛して下さり、

私を愛してくださるようにたくさんの子の幸福を願われていて、

そのために無限の行動力を与えてくださり、

さらに無限の霊智を与えてくださっているからこそ、


その恩恵をただただいただいている我々も、


親のように、見返りを求めず、


どこまでも愛を高め、

たくさんの人々の幸福に貢献し、

少しずつでいいから行動力を高め、

少しずつでいいから霊智を高めていくこと。


そして、親である神のように、

「見返りを求めない与えきりの守護者奉仕者」

となることを目指す。

その為に、四魂の力を使うべきであるし、

また、その為にこそ四魂は輝く。


これが、神道における信仰観だと私は感じております。


ですから、神道が万物への礼節を重んじるのは、

万物に造られた神の愛が宿っているからであり

我々もその一部であるからだと解釈できますね。







長々と書いてきた神道考察記事でしたが、いかがでしたでしょうか?


少しは神道を身近に感じていただけましたでしょうか?


ですから、神道的観点から見た時に、


本来差別はあってはならないし、また「軽蔑」や「見下し」は存在しえません。


(だから礼節が重んじられてるわけです。

礼節は神に対してだけではなく、万物に向けるべきものなのですね)


神はすべてを慈しみ愛してくださっているのですから、

神に愛されている霊魂の同族を

民族や地域や経歴によって差別し軽蔑し見下すことは、

神の御心から遠く離れた、人間同士のさもしい比較観です。


神の元、すべては霊魂の同族。和することが神の道。


だからこそ「五族協和」「八紘一宇」が成立し得るのですね。


この神道的観点を、もっと多くの方に知っていただきたい。


そう私は思います。



おわり。









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Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 09:59│Comments(0)つぶやき
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