奄美が女神の島である理由①奄美の氏神はノロ(女性神官)
2013年09月24日
奄美が女神の島である理由を、特に小難しい文章を書くでもなく、つらつらと気楽に書いてみたいと思います。
奄美が女神の島であるという真の理由は、この奄美のなりたちにまで言及せねばなりませんが、
それは奄美の神々が秘された歴史の扉に手をおかけになるまで、お任せすることとして、
私共が奄美という島に今思いを到すべきは、「奄美の神性・理念」ではないかと考えます。
では、奄美の神性とはなんであるかと申しますと、それは、
奄美が「女神達によって創られ、守られてきた」という事実そのものに由来するのではないかと、私は考えております。
それでは、奄美が「女神達によって創られ、守られてきた」事実とはなんでしょうか。
それは、琉球神道とも呼ばれる、琉球独自の祭祀制度・ノロ(女性神官)祭祀です。
琉球神道・ノロ祭祀とは、
集落をまとめる豪族の男系の女性が、集落の祭司長となり、宗教的権威となります。
わかりやすく言うなら、邪馬台国の卑弥呼の、集落版ともいえましょうか。
男性が政治的な権威であるなら、女性は宗教的権威となり、その神事における決定は、部族長といえども覆すことはできなかったそうです。
各集落の祭司長ノロのトップに「親ノロ」と呼ばれるノロの長がおり、親ノロの上に、さらに、各地の親ノロのトップである「聞得大君」と呼ばれる最高位のノロがいました。
この聞得大君は、琉球王の姉妹が即位していました。
琉球王と聞得大君の関係は、まるで、皇族内における斎王にも似ていませんでしょうか?
私は、ここに、日本神道のルーツとなるものを感じております。
琉球のノロ祭祀を研究している方のなかには、ノロ祭祀自体が、奄美発祥ではないかという説を唱える方もおられます。
その理由は様々にありましょうけれども、今は、その理由に細かく言及することは避けたいと思います。
私はノロ祭祀の発祥が奄美であれどこであれ、
奄美にその制度が長くゆるぎなく継承され続けてきたという事実そのものに、大きな意味があると感じております。
各集落の宗教的権威である、女性祭司長ノロ。
ノロは生き神として特別視され、
死後は、「神」として、当時信仰されていた霊山・神山に葬られました。
神山とは、ノロが神と交信をする聖地であり、原則、ノロと関係者以外は入ることを許されない禁足地です。
ノロが神山に「神」として葬られるということは、
ノロの魂は、死後、神山の神の眷属として、
次代のノロが神山に祈りにくるたび、霊的に指導したのでしょう。
それが、数百年、ともすれば、もっと長いあいだ、この奄美の地では、繰り返されました。
これが何を意味するかといえば、
奄美の各集落の氏神様のほとんどは、ノロと、ノロにつながる神々であるということがわかります。
気の遠くなるような長い年月に、繰り返されてきた、
女性が生き神として、神と交信し、
その権威が集落の秩序となり、
女性の生き神は死後、神となるべく、神との交信の霊山に葬られる。
その霊は、次代の生き神の指導者・先達として、祀られ続ける。
女性の神の系譜が、この奄美では長く繋がれ続けてきたのです。
奄美がどこか悲しく、優しく、あたたかいのは、
神と集落のためにすべてを捧げた女性たちの、
慈愛の眼差しがいくつも重ねられているからもしれません。
この事実から、私は、
奄美が女神の島であることに、強く確信を持つ次第です。
では、奄美の神性・理念とはなんであるかというと、
それは、長くなりますので、一旦こちらで止めまして、次の稿に譲りたいと思います。
失礼いたしました。
奄美が女神の島であるという真の理由は、この奄美のなりたちにまで言及せねばなりませんが、
それは奄美の神々が秘された歴史の扉に手をおかけになるまで、お任せすることとして、
私共が奄美という島に今思いを到すべきは、「奄美の神性・理念」ではないかと考えます。
では、奄美の神性とはなんであるかと申しますと、それは、
奄美が「女神達によって創られ、守られてきた」という事実そのものに由来するのではないかと、私は考えております。
それでは、奄美が「女神達によって創られ、守られてきた」事実とはなんでしょうか。
それは、琉球神道とも呼ばれる、琉球独自の祭祀制度・ノロ(女性神官)祭祀です。
琉球神道・ノロ祭祀とは、
集落をまとめる豪族の男系の女性が、集落の祭司長となり、宗教的権威となります。
わかりやすく言うなら、邪馬台国の卑弥呼の、集落版ともいえましょうか。
男性が政治的な権威であるなら、女性は宗教的権威となり、その神事における決定は、部族長といえども覆すことはできなかったそうです。
各集落の祭司長ノロのトップに「親ノロ」と呼ばれるノロの長がおり、親ノロの上に、さらに、各地の親ノロのトップである「聞得大君」と呼ばれる最高位のノロがいました。
この聞得大君は、琉球王の姉妹が即位していました。
琉球王と聞得大君の関係は、まるで、皇族内における斎王にも似ていませんでしょうか?
私は、ここに、日本神道のルーツとなるものを感じております。
琉球のノロ祭祀を研究している方のなかには、ノロ祭祀自体が、奄美発祥ではないかという説を唱える方もおられます。
その理由は様々にありましょうけれども、今は、その理由に細かく言及することは避けたいと思います。
私はノロ祭祀の発祥が奄美であれどこであれ、
奄美にその制度が長くゆるぎなく継承され続けてきたという事実そのものに、大きな意味があると感じております。
各集落の宗教的権威である、女性祭司長ノロ。
ノロは生き神として特別視され、
死後は、「神」として、当時信仰されていた霊山・神山に葬られました。
神山とは、ノロが神と交信をする聖地であり、原則、ノロと関係者以外は入ることを許されない禁足地です。
ノロが神山に「神」として葬られるということは、
ノロの魂は、死後、神山の神の眷属として、
次代のノロが神山に祈りにくるたび、霊的に指導したのでしょう。
それが、数百年、ともすれば、もっと長いあいだ、この奄美の地では、繰り返されました。
これが何を意味するかといえば、
奄美の各集落の氏神様のほとんどは、ノロと、ノロにつながる神々であるということがわかります。
気の遠くなるような長い年月に、繰り返されてきた、
女性が生き神として、神と交信し、
その権威が集落の秩序となり、
女性の生き神は死後、神となるべく、神との交信の霊山に葬られる。
その霊は、次代の生き神の指導者・先達として、祀られ続ける。
女性の神の系譜が、この奄美では長く繋がれ続けてきたのです。
奄美がどこか悲しく、優しく、あたたかいのは、
神と集落のためにすべてを捧げた女性たちの、
慈愛の眼差しがいくつも重ねられているからもしれません。
この事実から、私は、
奄美が女神の島であることに、強く確信を持つ次第です。
では、奄美の神性・理念とはなんであるかというと、
それは、長くなりますので、一旦こちらで止めまして、次の稿に譲りたいと思います。
失礼いたしました。
各市町村はすでに神話を観光宣伝に使っているので奄美も神話押しでいかが
29日・30日の「うさとの服と島ののの展 と ゆらい処」&「愛かな工房祭」私もブース出店いたします✩
奄美で真剣にこれを応用したい。『80歳でパソコン・タブレットを使いこなす「葉っぱビジネス」の達人おばあちゃん』
久々のアマンデー清掃奉仕
古神道口伝に残されていた『海神国』の場所 ~第73代武内宿禰こと竹内睦泰さんの書籍より
女神アマミコ・男神シニレクのキャライラストができました!!
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