宜保愛子さんへの感謝・守護霊という存在の認識
2013年01月28日
私が人生で最初に感動したのは、あれは忘れもしない、小学校三年のとき。
当時、うちの母と兄たちは心霊モノの本にハマっていた(笑)。
母や兄がどこからか借りてくる心霊写真の本や怖い本を、小さな私はその傍らでこわごわチラ見していたが、
そのうち、寝転がって読んでいる母の背中に乗っかって一緒に読むようになっていた(笑)。
当時は宜保愛子さんの「恐怖!○○~~」というシリーズの本があり、その本の内容は小さな私にはたくさんの衝撃を与えた。
それは心霊体験の恐怖などの衝撃ではない。いや、怖いのは怖いんですけど。
(おかげでのっぺらぼうがトラウマです)
それ以上に衝撃だったのは、宜保さんの霊にたいする考え方だったんです。
この世の外には霊界という世界があり、人間は霊界から生まれ、死んだあと霊界に帰り、また霊界から生まれ変わるということ。(これは宗教によって「極楽浄土」とか「ニライカナイ」とか呼び名が違うが、同じところらしい)
人間は死んでも終わりではなく、むしろ、死んだあとに、生前の心や行いによってその報いがくるということ。
一般に言う「霊」とは、本当は「不成仏霊」であり、本当はちゃんと成仏している(あの世に帰っている)霊の方が多いということ。
不成仏霊とは、この世になんらかの執着を持ってさまよっているだけの存在で、本当は生きてる私たちとなんら変わらない存在だということ。
それは、逆に執着を持ったまま死ねば、誰もが不成仏霊となる可能性もあるということ。
自殺は絶対にいけないということ。自殺をした霊はもれなく死後その数十倍の苦しみを味わっているということ。
(これはその後いろいろな本を読みましたが、ほとんどの霊能者が共通して言ってました)
そういう「なんらかの執着を持っているために、霊界に帰れず苦しんでいる霊」に呼びかけ、スムーズに霊界に帰れるようにサポートするのが、いわゆる「霊能者」と呼ばれる人達であるということ。
宜保愛子さんの話の数々は、小さな私の胸をすごくときめかせた!!!!
そのなかで、私の人生観が変わるほど(笑)に感動した文章があった。
《すべての人間には、必ず、守護霊と呼ばれる霊がついている。守護霊はその人がいい方向にいくように、いつもサポートしているし、その人が悲しんでいるときには、その人以上に一緒に悲しんでいる。たとえばなんとなく傘を持っていかなければと傘を持って外にでてしばらくすると雨が降ってきた、などということも、守護霊からのインスピレーションなどである場合が多い。守護霊はいつもインスピレーションという形で本人にしらずしらず、危機を回避させたり、いい出会いを結びつけようとしている》(要約)
この文章に小さな私は驚愕し、その事実にはじめて霊の世界の素晴らしさを知った気がした。
(宜保さんによるとほとんどはご先祖らしいが、のちに読んだ他の霊能者の本では違う記述もでてくる。幸福の科学では守護霊は魂の兄弟と説かれている。おそらく、そのときに守護的な立場にいる人の総称なのであって、かならずしもご先祖様だけともかぎらないのかもしれない)
小さな私はいつも孤独に耐えていたように思う。
しかし私は一人ではない。私の上にはかならず善なる存在がいて、私のことをいつも見守っていてくださっているのだ。私が間違った方向にいくとその方が悲しむし、私が幸せになれば、その方も喜んでくださるのだ。
それを知ってから、本当に心が楽になった気がした。
のちに私は感動さめやらぬままこの本を学校に持ち込み、授業でとりあげてほしいとお願いしたら、先生が困った顔をして
「宗教とか心霊とかの内容は学校で先生がとりあげちゃいけない決まりなんだよ」
と答えてくれたですが、そのときはじめて小学三年の私の心に「おいおいおい、こんないい内容教えないなんておかしーだろ!どんんだけの子供がこれで救われると思ってるんだよ!子供の心よりも偏見とるのか学校はよー!」という義憤がもえたったのも懐かしいお話です。
中学三年の時には「日本の神話とか親孝行の大切さとか奄美の姉妹神信仰の素晴らしさを学校が授業で教えないなんておかしいと思うんですよね」と修身を復活してほしいと日教組のバリバリの先生に話してた私(笑)。子供の純粋さはときにおそろしい。
でも、私は間違ってなかったと今でも思うの。できたら今からでもいいから守護霊のこととか姉妹神信仰のこととか日本の神話とか親孝行の大切さとか奄美の歴史とか学校でちゃんと教えてほしいとすごく思うの☆
守られているという認識によって、私は道を踏み外すことなくこれたように思います。
守護霊さま、いつもありがとうございます!m(_ _)m
守られていることへの感謝が、自分を奮い立たせ、自分も守るべきものを持つべきという聖なる義務感に通じるのではないかと思うのです。
私が奄美に恩返ししたいと小学六年のときに思い始めたのも、もしかすると、小学二年で宜保さんの本にふれたからかもしれない。
私の人生の価値観での最初の恩人は宜保愛子さんです。(笑)
私には恩人がたくさんいる。ありがたいばかりです。恩が大きすぎて今生で返せない!!!!!!
((((;゚Д゚))))ガクブル
当時、うちの母と兄たちは心霊モノの本にハマっていた(笑)。
母や兄がどこからか借りてくる心霊写真の本や怖い本を、小さな私はその傍らでこわごわチラ見していたが、
そのうち、寝転がって読んでいる母の背中に乗っかって一緒に読むようになっていた(笑)。
当時は宜保愛子さんの「恐怖!○○~~」というシリーズの本があり、その本の内容は小さな私にはたくさんの衝撃を与えた。
それは心霊体験の恐怖などの衝撃ではない。いや、怖いのは怖いんですけど。
(おかげでのっぺらぼうがトラウマです)
それ以上に衝撃だったのは、宜保さんの霊にたいする考え方だったんです。
この世の外には霊界という世界があり、人間は霊界から生まれ、死んだあと霊界に帰り、また霊界から生まれ変わるということ。(これは宗教によって「極楽浄土」とか「ニライカナイ」とか呼び名が違うが、同じところらしい)
人間は死んでも終わりではなく、むしろ、死んだあとに、生前の心や行いによってその報いがくるということ。
一般に言う「霊」とは、本当は「不成仏霊」であり、本当はちゃんと成仏している(あの世に帰っている)霊の方が多いということ。
不成仏霊とは、この世になんらかの執着を持ってさまよっているだけの存在で、本当は生きてる私たちとなんら変わらない存在だということ。
それは、逆に執着を持ったまま死ねば、誰もが不成仏霊となる可能性もあるということ。
自殺は絶対にいけないということ。自殺をした霊はもれなく死後その数十倍の苦しみを味わっているということ。
(これはその後いろいろな本を読みましたが、ほとんどの霊能者が共通して言ってました)
そういう「なんらかの執着を持っているために、霊界に帰れず苦しんでいる霊」に呼びかけ、スムーズに霊界に帰れるようにサポートするのが、いわゆる「霊能者」と呼ばれる人達であるということ。
宜保愛子さんの話の数々は、小さな私の胸をすごくときめかせた!!!!
そのなかで、私の人生観が変わるほど(笑)に感動した文章があった。
《すべての人間には、必ず、守護霊と呼ばれる霊がついている。守護霊はその人がいい方向にいくように、いつもサポートしているし、その人が悲しんでいるときには、その人以上に一緒に悲しんでいる。たとえばなんとなく傘を持っていかなければと傘を持って外にでてしばらくすると雨が降ってきた、などということも、守護霊からのインスピレーションなどである場合が多い。守護霊はいつもインスピレーションという形で本人にしらずしらず、危機を回避させたり、いい出会いを結びつけようとしている》(要約)
この文章に小さな私は驚愕し、その事実にはじめて霊の世界の素晴らしさを知った気がした。
(宜保さんによるとほとんどはご先祖らしいが、のちに読んだ他の霊能者の本では違う記述もでてくる。幸福の科学では守護霊は魂の兄弟と説かれている。おそらく、そのときに守護的な立場にいる人の総称なのであって、かならずしもご先祖様だけともかぎらないのかもしれない)
小さな私はいつも孤独に耐えていたように思う。
しかし私は一人ではない。私の上にはかならず善なる存在がいて、私のことをいつも見守っていてくださっているのだ。私が間違った方向にいくとその方が悲しむし、私が幸せになれば、その方も喜んでくださるのだ。
それを知ってから、本当に心が楽になった気がした。
のちに私は感動さめやらぬままこの本を学校に持ち込み、授業でとりあげてほしいとお願いしたら、先生が困った顔をして
「宗教とか心霊とかの内容は学校で先生がとりあげちゃいけない決まりなんだよ」
と答えてくれたですが、そのときはじめて小学三年の私の心に「おいおいおい、こんないい内容教えないなんておかしーだろ!どんんだけの子供がこれで救われると思ってるんだよ!子供の心よりも偏見とるのか学校はよー!」という義憤がもえたったのも懐かしいお話です。
中学三年の時には「日本の神話とか親孝行の大切さとか奄美の姉妹神信仰の素晴らしさを学校が授業で教えないなんておかしいと思うんですよね」と修身を復活してほしいと日教組のバリバリの先生に話してた私(笑)。子供の純粋さはときにおそろしい。
でも、私は間違ってなかったと今でも思うの。できたら今からでもいいから守護霊のこととか姉妹神信仰のこととか日本の神話とか親孝行の大切さとか奄美の歴史とか学校でちゃんと教えてほしいとすごく思うの☆
守られているという認識によって、私は道を踏み外すことなくこれたように思います。
守護霊さま、いつもありがとうございます!m(_ _)m
守られていることへの感謝が、自分を奮い立たせ、自分も守るべきものを持つべきという聖なる義務感に通じるのではないかと思うのです。
私が奄美に恩返ししたいと小学六年のときに思い始めたのも、もしかすると、小学二年で宜保さんの本にふれたからかもしれない。
私の人生の価値観での最初の恩人は宜保愛子さんです。(笑)
私には恩人がたくさんいる。ありがたいばかりです。恩が大きすぎて今生で返せない!!!!!!
((((;゚Д゚))))ガクブル
イスラエル問題と今目の前にある中国軍からの核攻撃危機(リアルな話です)
何故か国が発表しない国内ワクチン重症化予防データと、調査しない未曾有の超過死亡数(お察しください)
G7が招く国難とその他徒然
LGBTQに配慮した「男女別トイレ撤廃」という世紀の愚行について。
日本を蝕む病理「保身」とは また保身を破る道とは
自分の心を観察するとはどういう事か・初級
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この記事へのコメント
修身復活(爆笑)
思いっきり純粋右翼じゃねーか。
でも、修身が出来てる人間は素晴らしいんだよなぁ。
俺は修身がキチンと出来てない。
過半数の日本人が出来てない。
せめて脳裏残すように修身は復活して欲しい。
思いっきり純粋右翼じゃねーか。
でも、修身が出来てる人間は素晴らしいんだよなぁ。
俺は修身がキチンと出来てない。
過半数の日本人が出来てない。
せめて脳裏残すように修身は復活して欲しい。
Posted by 逢坂秋介 at 2013年01月29日 00:15
いつも楽しく
読ませて頂いております
信仰
神話
奄美の歴史
学校で教えるというのは
なかなか難しそうですね
アマミさんが
地域の子どもたちに
教えてあげるのも
またよいかと思いますが
読ませて頂いております
信仰
神話
奄美の歴史
学校で教えるというのは
なかなか難しそうですね
アマミさんが
地域の子どもたちに
教えてあげるのも
またよいかと思いますが
Posted by あまみふぁん at 2013年01月29日 12:51
>秋介さん
当時は右翼のことも全然理解できてませんでした(笑)
>アマミファンさん
地域の子供達に教えてあげられるような何か企画を考えないとですね!
当時は右翼のことも全然理解できてませんでした(笑)
>アマミファンさん
地域の子供達に教えてあげられるような何か企画を考えないとですね!
Posted by アマミキョ
at 2013年02月09日 09:34

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