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小学校で行われた「慰霊祭」に見る宗教の必要性

2011年04月13日

今日、テレビを見ていると、多数の犠牲者をだした小学校で、地元の僧侶の呼びかけに応じて学校関係者・父兄・児童など一同にて「慰霊祭」が執り行われたという。

ここを読んでる公務員の方はわかると思うが、本来は学校での特定宗派の儀式はタブーだ。

しかし、これによって多くの参加者の傷ついた心にある種の区切りがついたのではないかと思う。

この日本という国では、なぜか宗教はまるで「思想犯」のような扱いで、片隅に追いやられている。
(私はこれを「宗教への差別である」とハッキリ断言する)

しかし、この世の理屈でこえられない苦難や困難のなかにあるとき、やはり、人は宗教によって救いを得るのではないだろうか。

今日は私は霊的な話はしない。

道徳心・倫理観・古代から継承された智慧としての「宗教観」の優位性をここで理解してほしい。

宗教とは「祖霊」や「神仏」や「あの世」という認識をもつことによる「なぐさめ」でもある。

この世のこえがたい困難に、新しい意味を見出すための観の転回でもある。


いくら神仏を否定し、宗教を軽蔑し、あの世を嘲笑っても、

愛する人が死したあと、もしも魂があるとしたら、

ささやかなりと、来世での安らかな救いを祈るだろう。

それが霊的には真実ではある。真実ではあるが、それを見ることも聞くこともできぬ人に、

「供養」という「なぐさめの愛」を双方に手向けることのできる宗教は、

やはり偉大だと思うのです。

すべての宗派は、その垣根をこえ、

「愛」という動機において、一つだと私は信じています。




主エル・カンターレよ、幸福の科学霊団の諸如来・諸菩薩よ。光の天使たちよ。

日本の神々よ。彼の地を永く護りたまいし祖霊たちよ。

どうか、彼の地にて亡くなられた方々の、

迷える御霊を、お救いください。

どうか、いまだ迷える魂たちを、

安らぎの地、本来の世界、

光の世界、霊天上界へと

お導きください。

とうとがなし。





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Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 20:18│Comments(2)つぶやき
この記事へのコメント
http://mainichi.jp/life/ecology/biodieseladventure/2009/07/post-25.htmlより
「とうとがなし」とは奄美の言葉で、人や自然に対し最大級の「感謝」や「ありがとう」という気持ちや祈りを表したものだそうだ。

http://gaiacafe.exblog.jp/11940445/より
奄美には、とうとがなし という言葉があります。尊尊我無と書きます。
自分のことよりも相手を尊く敬う、という意味です。
あなたのことを誰よりも深く思っています、という意味にもなります。
ありがとう、というかわりに「とうとがなし」といいます。

私はこんな島こそ、母なるいのりの発信地にふさわしいと心から思っています。


http://belleaile.blogspot.com/2010/08/blog-post_31.htmlより
タイトルの 尊尊我無(とうとがなし) という言葉ですが
これは奄美の方言で、意味は、我を無くして誰よりも相手を尊く敬う。
人や自然など色々な物事への最大限の感謝で、
『ありがとう』や『祈り』に際し使う言葉です。
素敵でしょう?!
とにかくすべてが『ありがたい』(有ることが難い)という感謝の気持ちになる瞬間でした。



「とうとがなし」という言葉をはじめて聞きました。
「尊尊我無」と、漢字にすると、なるほど、と感じました。
こういう言葉は、永く残って欲しいです。
Posted by hara at 2011年04月14日 11:43
宗教と言っても沢山ありますからね。

残念ですが宗教が宗教の評判(表現が正しくないかも)を悪くしているわけで。

人間という種が絶滅するかもしれない引き金を引こうとしているのは宗教同士の対立なわけで。

どこだって自分とこの宗教が正しくて自分とこの神様が一番と思っているわけで。

エル・カンターレが地球系霊団の最高の秘密を明かしてなんとか頑張っているけど、やっぱり最終的に問題になるのは無宗教の人よりむしろ既存の他の宗教や信者なのではないかと思うわけで。

僕が大事に思うのは全て創造主(神様)の子供であるということで。存在を存在させている大いなる存在が全てから全てを見透かしているわけで。

僕は宗教というよりも総裁が教えて下さる真理を一人でも多くの人と共有したいわけで。

何が言いたかったか分からなくなったわけで。

馬鹿丸出しの文章ですいません。
Posted by 21 at 2011年04月14日 22:32
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