自衛隊はやっぱりヒーローだ!!!
2015年09月11日
昨日の、生中継のなかでの自衛隊による救出劇、ご覧になりましたでしょうか?
アレを見て一部の方々は、
「所詮権力側の演出だろ!」
と云われるかもしれませんが(本当にうちの父はこう言う)、
事実として、
『いままでマスコミ権力は、自衛隊の活躍をほとんど地上波に流しませんでした』
マスコミの中に、自衛隊を日陰者にし続けていた暗黙のルールのようなものがあったんですね。
その長き慣習に、確実に風穴があいているのを感じました。
私はその理由に、
東日本大震災と、御嶽山噴火災害のあの時の、
自衛隊のみなさまの決死の救出活動があったからではないかと思います。
自衛隊は最後の砦です。
警察や消防が行けないような、命の危険のある場所に、最後に行くのは自衛隊です。
その自衛隊の命をかけた働きに、
多くの痛みを経験して、やっと、多くのマスコミ人、日本人が無視できない状況になったというのが、
今回のこの自衛隊による救出劇が報道された背景にあるのではないかと、
私は感じました。
自衛隊のみなさん、ありがとうございます。
日本に自衛隊のみなさんがいてくださってよかった!!!!
心から、そう思いました。
ありがとうございました。
ここから先はつぶやき。
その自衛隊に対していまも平然と反対する方々もいれば、
「平和憲法では自衛隊は違憲だ!だから自衛隊は存在してはならない!」という、正気であればとても言えない恥ずかしいご意見を堂々と語る方もいます。
自国を守る軍隊を否定するGHQ様ご下賜の植民地憲法を礼賛してる時点であなたはどこの国の(略)
前から疑問なんですが、共産党や民主党のなかの旧社会党系のみなさんは、一生懸命
「自衛隊は戦争を呼び込むぞ!平和を守れ!」と盲目的平和主義を唱えてますけど、
共産主義思想そのものは平和思想でもなんでもないんですよ。
ここ勘違いしてはいけません。
共産主義は、れっきとした「武力革命思想」です。
旧社会党系の方々の一部が尊敬する毛沢東は、中国で内戦を指揮した方ですし、
共産党は戦後の混乱期のせいにしてますけど戦後すぐに武力闘争してますよね。
両方とも、いまは平和主義の猫かぶってますけど、そもそも思想そのものは武力革命を礼賛するものであり、
この時点で世間を欺く欺瞞が見え隠れします。
本当に平和主義なら、レーニンや毛沢東も否定するべきですよね?
そして自衛隊を否定するなら、民族自決のための防衛戦争ももちろん否定しなければなりませんから、
アメリカ帝国主義に対して戦ったホー・チミンも否定するんですよね?
そもそも平和主義が社会主義の絶対理念なら、なおさら中国の横暴は断じて許してはいけないはずですよね?
なのになんでアメリカ帝国主義の横暴は叩くくせに、中国による武力侵攻に対しては「内政干渉」とダンマリ決め込むんでしょう?
アメリカによる侵略は許せないのに、中国による侵略は黙認しているのです。
わかりますか?この矛盾が。
つまり、一見平和主義を標榜する旧社会党系の方々や、共産党の方々の平和主義の持つ大きな歪みは、
「資本主義の軍隊は許さないが、社会主義(身内)の軍隊は肯定する」というダブルスタンダードにあるのです。
ですから、アメリカに対しては厳しい眼差しを向けるけれども、
中国に対しては非常に甘いのです。
(本当ならば共産主義者は身内にこそ厳しくしなければならないはず)
そもそも、アメリカ帝国主義を許してはならないのなら、
何故アメリカ帝国主義の押し付けた植民地憲法を「平和憲法」などと礼賛するのか?
その大きな矛盾に、いつまでも気づかないフリをしている。
その理由は「日本国憲法が軍隊を否定するかぎり、共産主義思想の成就・・・つまり武力革命・武力蜂起に都合がいい」からだと、
本当は気づいているけれども、誰もそれを直視しない。
そして表面上だけの平和の言葉で、アメリカ帝国主義による植民地憲法を礼賛する自己矛盾を誤魔化し続けている。
ここに私は大きな不誠実さを感じます。
本当に平和を愛するのならば、どこまでも平和を希求すべきであるし、そのための正しき方向性を指し示すべきであるでしょう。
それは軍隊を否定し曖昧な平和経を唱えるだけでできるとは到底思えません。
社会主義を掲げる者としての誇りを持つのならば、なおさら、自分達のしていることの矛盾に目をつぶり続けるのではなく、
過ちや歪みを直視し、社会主義の思想に則った平和とは何か、そのための方法とはどんなものか。
もっともっと理論の練り直しをすべきではないかと、私は外部から眺めていて思います。
アレを見て一部の方々は、
「所詮権力側の演出だろ!」
と云われるかもしれませんが(本当にうちの父はこう言う)、
事実として、
『いままでマスコミ権力は、自衛隊の活躍をほとんど地上波に流しませんでした』
マスコミの中に、自衛隊を日陰者にし続けていた暗黙のルールのようなものがあったんですね。
その長き慣習に、確実に風穴があいているのを感じました。
私はその理由に、
東日本大震災と、御嶽山噴火災害のあの時の、
自衛隊のみなさまの決死の救出活動があったからではないかと思います。
自衛隊は最後の砦です。
警察や消防が行けないような、命の危険のある場所に、最後に行くのは自衛隊です。
その自衛隊の命をかけた働きに、
多くの痛みを経験して、やっと、多くのマスコミ人、日本人が無視できない状況になったというのが、
今回のこの自衛隊による救出劇が報道された背景にあるのではないかと、
私は感じました。
自衛隊のみなさん、ありがとうございます。
日本に自衛隊のみなさんがいてくださってよかった!!!!
心から、そう思いました。
ありがとうございました。
ここから先はつぶやき。
その自衛隊に対していまも平然と反対する方々もいれば、
「平和憲法では自衛隊は違憲だ!だから自衛隊は存在してはならない!」という、正気であればとても言えない恥ずかしいご意見を堂々と語る方もいます。
自国を守る軍隊を否定するGHQ様ご下賜の植民地憲法を礼賛してる時点であなたはどこの国の(略)
前から疑問なんですが、共産党や民主党のなかの旧社会党系のみなさんは、一生懸命
「自衛隊は戦争を呼び込むぞ!平和を守れ!」と盲目的平和主義を唱えてますけど、
共産主義思想そのものは平和思想でもなんでもないんですよ。
ここ勘違いしてはいけません。
共産主義は、れっきとした「武力革命思想」です。
旧社会党系の方々の一部が尊敬する毛沢東は、中国で内戦を指揮した方ですし、
共産党は戦後の混乱期のせいにしてますけど戦後すぐに武力闘争してますよね。
両方とも、いまは平和主義の猫かぶってますけど、そもそも思想そのものは武力革命を礼賛するものであり、
この時点で世間を欺く欺瞞が見え隠れします。
本当に平和主義なら、レーニンや毛沢東も否定するべきですよね?
そして自衛隊を否定するなら、民族自決のための防衛戦争ももちろん否定しなければなりませんから、
アメリカ帝国主義に対して戦ったホー・チミンも否定するんですよね?
そもそも平和主義が社会主義の絶対理念なら、なおさら中国の横暴は断じて許してはいけないはずですよね?
なのになんでアメリカ帝国主義の横暴は叩くくせに、中国による武力侵攻に対しては「内政干渉」とダンマリ決め込むんでしょう?
アメリカによる侵略は許せないのに、中国による侵略は黙認しているのです。
わかりますか?この矛盾が。
つまり、一見平和主義を標榜する旧社会党系の方々や、共産党の方々の平和主義の持つ大きな歪みは、
「資本主義の軍隊は許さないが、社会主義(身内)の軍隊は肯定する」というダブルスタンダードにあるのです。
ですから、アメリカに対しては厳しい眼差しを向けるけれども、
中国に対しては非常に甘いのです。
(本当ならば共産主義者は身内にこそ厳しくしなければならないはず)
そもそも、アメリカ帝国主義を許してはならないのなら、
何故アメリカ帝国主義の押し付けた植民地憲法を「平和憲法」などと礼賛するのか?
その大きな矛盾に、いつまでも気づかないフリをしている。
その理由は「日本国憲法が軍隊を否定するかぎり、共産主義思想の成就・・・つまり武力革命・武力蜂起に都合がいい」からだと、
本当は気づいているけれども、誰もそれを直視しない。
そして表面上だけの平和の言葉で、アメリカ帝国主義による植民地憲法を礼賛する自己矛盾を誤魔化し続けている。
ここに私は大きな不誠実さを感じます。
本当に平和を愛するのならば、どこまでも平和を希求すべきであるし、そのための正しき方向性を指し示すべきであるでしょう。
それは軍隊を否定し曖昧な平和経を唱えるだけでできるとは到底思えません。
社会主義を掲げる者としての誇りを持つのならば、なおさら、自分達のしていることの矛盾に目をつぶり続けるのではなく、
過ちや歪みを直視し、社会主義の思想に則った平和とは何か、そのための方法とはどんなものか。
もっともっと理論の練り直しをすべきではないかと、私は外部から眺めていて思います。