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「原爆投下は終戦を早めた」は大嘘 日本からの和平交渉を拒否していたアメリカ フーバー回顧録が明かした真実

2017年06月30日

平凡なスピ好き主婦なんですが、なぜに私はこうも自分の知性をK点越えしたネタばかり書いてるんでしょうか。(嘆き)

そしてまた、自分の分をこえたこんな題名つけてるわけですよ・・・・・。

数ヶ月前に奄美の某右翼の方に、

「あなた、言いたいことは分かるけど過激すぎ。少し抑えて」

とアドバイスをいただきました。

自分のどこが過激なのか分からないのが一番の問題点なのかもしれません。(遠い目)






というわけで、本日の話題です。

某SNSで、こんなご質問をいただきました。

「とあるところでオバマの広場でのパフォーマンスを批判したら、
被曝3世という人から批判をいただいた。
オバマの広場訪問はよかったと、さらに広場の原爆が日本の分断と本土決戦の被害を防いだと言う。
本当かどうか」(意訳)

えーと、それもうすでに保守界では大嘘だってのが事実だと明確になってるんですが、

その証拠どこにあったっけ・・・と資料探してたら、

霊感(笑)で見つけました。

これだこれ。



日米戦争を起こしたのは誰か ルーズベルトの罪状・フーバー大統領回顧録を論ず
https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E7%B1%B3%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%82%92%E8%B5%B7%E3%81%93%E3%81%97%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%81%AF%E8%AA%B0%E3%81%8B-%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E3%81%AE%E7%BD%AA%E7%8A%B6%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC%E5%A4%A7%E7%B5%B1%E9%A0%98%E5%9B%9E%E9%A1%A7%E9%8C%B2%E3%82%92%E8%AB%96%E3%81%9A-%E8%97%A4%E4%BA%95-%E5%8E%B3%E5%96%9C/dp/458523036X
アメリカの封印50年 今、事実が鮮明に! !
「日米戦争を起こしたのは狂人の欲望であった」と私が言うとマッカーサーも同意した。“I said that the whole Japanese war was a madman's desire to get into war. He (MacArthur) agreed."
50年の封印を開き、2011年に刊行された元アメリカ大統領フーバーの衝撃の大著。 “FREEDOM BETRAYED Herbert Hoover's Secret History of the Second World War and Its Aftermath"(2011)

米国民をたぶらかし、日本に戦争をしかけ、蒋介石とスターリンに莫大な軍事援助を与え、世界に惨劇をもたらした誤った政策の数々。フーバー自身が蒐集した膨大な資料に基づき、つぶさに検証した大著=第二次世界大戦史の内容を紹介、討論する。同時に第二次世界大戦さえ回避できたとするウェデマイヤー将軍回顧録も紹介、三人の論客が徹底討論して、東京裁判の無効を明かにし、自虐史観を完全に払拭する。






2011年まで表になってなかった元アメリカ大統領回想録なので、知らない人が多くても仕方ないですよね。

まぁなんだ。手っ取り早く言うとですね。

元アメリカ大統領のフーバーさんが、

「日本との戦争なんてする必要なかったんだよ!ルーズヴェルトのクソが!!」

と、あらゆる証拠揃えてこれでもかと元アメリカ大統領ルーズヴェルトを告発してる内容なわけです。

できればこの本を読まれると一番いいと思うんですが、まず優れた方からお智慧を拝借させていただきます。

こちらリンク先サイト様を読んでいただいたら大体概要はつかめると思います。


フーバー大統領の回想録には、大東亜戦争の歴史の書き換えを迫る重大な記録が含まれている。
http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/1651085.html




フーバーの回想録"Freedom Betrayed(『裏切られた自由』)が47年ぶりに出版された。共産主義者に操られたルーズベルト大統領が、日本を開戦に追い込み、ソ連を護り育て、世界に戦争の危機をばらまいた。
http://hoi333.blog.fc2.com/blog-entry-1827.html

■7.日本に無条件降伏を要求し、原爆投下

 こうして日本は対米戦争に追い込まれ、当初は西太平洋、東南アジアから米英勢力を駆逐したが、昭和20(1945)年には敗色濃厚となり、講和の道を探っていた。そこにポツダム宣言が出される。

__________
 ポツダムにおけるトルーマンの過ちが、第16番目の過ちである。・・・

これ(JOG注: ソ連の東欧への勢力拡張を許した事)に加え、指導者の人々の忠告に反して、日本に無条件降伏の最後通牒が出されたことである。アメリカの経験ある多くの專門家が勧告した、天皇(みかど)を維持することを許す救済条項を入れないで、無条件降伏を要求したのである。日本側は、回答として、この条件のみを求めたが、原子爆弾が投下された。そして、最後になって、この条件が受け入れられた。1,p124]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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 第17番目のアメリカの政治の大道からの逸脱は、トルーマンが日本人の上に原子爆弾を落とすという非道徳的な命令を下したことである。日本は繰り返して平和を求めていたにもかかわらず。これはアメリカの全ての歴史のなかで、他に比較するもののない残忍な行為であった。これはアメリカの良心に対して、永久に重くのしかかるであろう。[1,p127]

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄







えーと、で、なんでしたっけ?

原爆投下が終戦早めた?

( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \






元アメリカ大統領フーバーが

「そもそも日本と戦争する必要なかった。させたのはルーズヴェルト」

といろんな証言証拠揃えて言ってますよ~

このフーバーさんが日本における鳩山由紀夫キャラじゃないしっかりした方だったというのは、

フーバーさんの意見がマッカーサーや他の米軍将校との意見との一致をみている点からしても明らかですね。

えーと、「日本の軍部が暴走したから戦争はじまったし~」て寝言言ってたうちの親父に読ませなきゃ・・・・・

注文注文~~~~~




野崎注・日本側は複数ルートを使い何度も和平交渉のアプローチをしている。
アメリカも蒋介石もソ連もそれを知りながら事実上相手にせず無視していた。これは明らかに意図的な戦争状態の継続にあたる


情報ソース:日本の降伏
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E9%99%8D%E4%BC%8F
一方で、当時小磯内閣も本土決戦を進めながら、同時に和平工作を模索していた。1944年(昭和19年)に宇垣一成元陸軍大臣を中国に派遣して蒋介石政権との和平交渉を打診した。そして、1945年(昭和20年)3月には南京国民政府高官でありながら既に蒋介石政権と通じていることが知られていた繆斌を日本に招き、和平の仲介を依頼している。だが、当時の重光葵外務大臣は繆斌を信用せず、小磯国昭総理大臣と対立して結果的に内閣総辞職につながった。
4月7日に成立した鈴木内閣の外務大臣東郷茂徳は、翌年4月には期限が切れるとは言え、未だに日ソ中立条約が有効であったソビエト社会主義共和国連邦を、仲介とした和平交渉を行おうとした。東郷自身はスターリンが日本を「侵略国」と呼んでいること(1944年革命記念日演説)から、和平交渉の機会を既に逸したと見ていたものの、陸軍が中立条約の終了時もしくはそれ以前のソ連軍の満州への侵攻を回避するための外交交渉を望んでいるため、ソ連が和平の仲介すると言えば軍部もこれを拒めないこと、ソ連との交渉が破綻すれば日本が外交的に孤立して軍部も実質上の降伏となる和平条件を受け入れることになるという打算があったとされている。かつて東郷自身、駐ソ大使としてモスクワで、ノモンハン事件を処理し、ソ連との和平を実現させたという経験も背景にあったとされる。
5月の最高戦争指導会議構成員会合(首相・陸海軍大臣・外相・陸軍参謀総長・海軍軍令部総長の6人)では、ソ連の参戦防止・中立確保のための交渉を行う合意を得た。当初はこれに戦争終結も目的として含まれていたが、阿南惟幾陸軍大臣が「本土を失っていない日本はまだ負けていない」として反対したため、前記の2項目のみを目的とすることになった[1]。東郷は、元上司で元首相の広田弘毅をヤコフ・マリクソ連大使と箱根などで会談させたが、具体的条件や「戦争終結のための依頼」であることを明言せず、はかばかしい成果は得られなかった。
6月6日の最高戦争指導会議構成員会合で「国体護持と皇土保衛」のために戦争を完遂するという「今後採ルヘキ戦争指導ノ基本大綱」が採択され、それが御前会議で正式決定されると、内大臣の木戸幸一と東郷、米内光政海軍大臣は、第二次世界大戦の際限ない長期化を憂慮し、ソ連を通じた和平の斡旋へと動き出した[2]。木戸からソ連の斡旋による早期戦争終結の提案を受けた昭和天皇はこれに同意し、6月22日の御前会議でソ連に和平斡旋を速やかに行うよう政府首脳に要請した[3]。
しかし東郷は、広田・マリク会談に時間をかけすぎ、進展が見られなかった(広田はマリクとの最後の会談でソ連に和平斡旋の条件として、満州国の中立化などを提案している[4]が、マリクは政府上層部で真剣に考慮されるだろうと回答しただけであった[5])ことから、天皇は7月7日に親書を持った特使を派遣してはどうかと東郷に述べた[6]。東郷は近衛文麿に特使を依頼し、7月12日に近衛は天皇から正式に特使に任命された。外務省からはモスクワの日本大使館を通じて、特使派遣と和平斡旋の依頼をソ連外務省に伝えることとなった[注 1]。
しかし、すでにソビエト連邦は、1945年(昭和20年)2月のヤルタ会談で、ヨーロッパ戦勝記念日から3ヶ月以内の対日宣戦で合意しており、日本政府の依頼を受ける気はなかった。5月から6月にかけて、ポルトガルやスイスの陸海軍駐在武官から、ソ連の対日参戦についての情報が日本に送られたり[8]、モスクワから帰国した陸軍駐在武官補佐官の浅井勇中佐から「シベリア鉄道におけるソ連兵力の極東方面への移動」が関東軍総司令部に報告されたりしていたが[9]、これらの情報は、日本軍・外務省の間で共有されなかったり、希望的観測のもと、重要な情報が軽視される結果となった。
7月のポツダム会談では近衛特使の件を、アメリカ・イギリスに暴露した上で、両国と協議してソ連対日宣戦布告まで、日本政府の照会を放置する事に決定した上でポツダム宣言に同意した。一方、日本政府はソ連の仲介を期待して「ノーコメント」とする方針を取り[10]、8月6日の広島への原子爆弾投下、8月9日のソ連対日参戦を回避することは出来無かった。







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Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 08:10│Comments(0)アマミちゃん大東亜戦争への考察☆
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