【natsuさん】ブログ主が使う「妄想」は、私にとっては「戯言」
2013年12月15日
【開店休業親父の戯言】
たまには、ちょっと違う方向の内容でも書いてみましょうか。
ブログ主が使う「妄想」は、私にとっては「戯言」です。
私の守護霊というか、ご指導を中心としていただく方は、複数人が人生のタイミングでそれぞれ交代しています。
一番最初は密教系。
次はキリスト教。
次は佛教。
次は神道。
そしては最近は、、イスラムとは言いませんが古代の中東系の方のようです。
※なんの保証もない戯言です(笑)
その時々の状態(学生、社会人、結婚、その他)によって、出来る限り適した方という形のように私には思えます。
特に現在影響を与えて頂いていると思われる古代中東の方(という呼称とします)に関しては、
それまでとは違って、現実社会での実績というか、古代で言う「成功=自分の名前をつけた地域、時間」を支配するとい認識を持たられているようです。
不思議という表現が最もしっくりとくるのですが、自分の中に全く無い発想などが、突然、自分の中から湧いて出てくるのです。
また上記の各守護、指導をしていると思われる方の価値観は、それぞれに違います。
「優しさ」という内容にしても万人に向けて愛する。区別を付けない平等性というものを重要視する方もいれば、まずは優しさというのは、情報を知らなければ何も出来ないという考える方もいれば、親が幼少期の子供を見るように、指導するということを重点的に見る方もいます。
現在の方は物事を非常にシビアに見ると感じています。
要は、無駄なことはあまりしない。 相手に伝えても相手が理解できるような情報でないならば、ほっときなさい。
怪我しようが、痛い目をみようが、それは本人の問題であり、本人にとって必要な痛みでしょう、と。
別に声を荒らげるようなことはありません。静かに呆れているだけ、ということのようです。
これは他人に対してもそうですし、私自身に対しても、そのような視線を感じる時があります。
手取り足取りなんてことは、まずありません。(笑)
また、これは私が中年になってきているからかもしれませんが、それまで引っかからなかった言葉で「血路」というものに、目が留まります。
血路、、 要は、血を流して、痛みを経ても、物事を進めるということを考える部分が増えました。
例えの表現として正しいかどうかは分かりませんが、一滴の血も流さずに、新しい命を出産として生み出すことは出来ません。
血や犠牲を強いても何かを生み出す。物事を前に進める。
このような発想は以前の私には全くありませんし、今でも好ましいことではないと思っています。
こういう犠牲が出るということは、以前の私であれば、犠牲=コスト=それだけ優秀な計画ではない=バカ
というような考え方でした(笑)
物事に対しての捉え方、考え方というのは、よくも悪くも人の数だけあります。
どの方法が良いと判断するかの違いを「個性」といいます。
もう少し固い表現をするならば、情報をどのように判断するのか?その違いを私達は個性と呼んでいます。
この世の方からも、あっちの世界からも、様々な影響を私達は受けています。
しかし「受けている」ということが問題なのではなくて、その情報をどのように判断し結論を出すか?が各人の個性であり、責任といえる内容となるのでしょう。
たまには、ちょっと違う方向の内容でも書いてみましょうか。
ブログ主が使う「妄想」は、私にとっては「戯言」です。
私の守護霊というか、ご指導を中心としていただく方は、複数人が人生のタイミングでそれぞれ交代しています。
一番最初は密教系。
次はキリスト教。
次は佛教。
次は神道。
そしては最近は、、イスラムとは言いませんが古代の中東系の方のようです。
※なんの保証もない戯言です(笑)
その時々の状態(学生、社会人、結婚、その他)によって、出来る限り適した方という形のように私には思えます。
特に現在影響を与えて頂いていると思われる古代中東の方(という呼称とします)に関しては、
それまでとは違って、現実社会での実績というか、古代で言う「成功=自分の名前をつけた地域、時間」を支配するとい認識を持たられているようです。
不思議という表現が最もしっくりとくるのですが、自分の中に全く無い発想などが、突然、自分の中から湧いて出てくるのです。
また上記の各守護、指導をしていると思われる方の価値観は、それぞれに違います。
「優しさ」という内容にしても万人に向けて愛する。区別を付けない平等性というものを重要視する方もいれば、まずは優しさというのは、情報を知らなければ何も出来ないという考える方もいれば、親が幼少期の子供を見るように、指導するということを重点的に見る方もいます。
現在の方は物事を非常にシビアに見ると感じています。
要は、無駄なことはあまりしない。 相手に伝えても相手が理解できるような情報でないならば、ほっときなさい。
怪我しようが、痛い目をみようが、それは本人の問題であり、本人にとって必要な痛みでしょう、と。
別に声を荒らげるようなことはありません。静かに呆れているだけ、ということのようです。
これは他人に対してもそうですし、私自身に対しても、そのような視線を感じる時があります。
手取り足取りなんてことは、まずありません。(笑)
また、これは私が中年になってきているからかもしれませんが、それまで引っかからなかった言葉で「血路」というものに、目が留まります。
血路、、 要は、血を流して、痛みを経ても、物事を進めるということを考える部分が増えました。
例えの表現として正しいかどうかは分かりませんが、一滴の血も流さずに、新しい命を出産として生み出すことは出来ません。
血や犠牲を強いても何かを生み出す。物事を前に進める。
このような発想は以前の私には全くありませんし、今でも好ましいことではないと思っています。
こういう犠牲が出るということは、以前の私であれば、犠牲=コスト=それだけ優秀な計画ではない=バカ
というような考え方でした(笑)
物事に対しての捉え方、考え方というのは、よくも悪くも人の数だけあります。
どの方法が良いと判断するかの違いを「個性」といいます。
もう少し固い表現をするならば、情報をどのように判断するのか?その違いを私達は個性と呼んでいます。
この世の方からも、あっちの世界からも、様々な影響を私達は受けています。
しかし「受けている」ということが問題なのではなくて、その情報をどのように判断し結論を出すか?が各人の個性であり、責任といえる内容となるのでしょう。
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Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 18:13│Comments(2)
│natsu さん
この記事へのコメント
最後の方の文は、私達は自分が他から受ける影響を、ただそれがあったという事実だけでなく、自己分析せねばならないと言う意味合いでしょうか?
何故そういった影響を受けるのか?といった。
何故そういった影響を受けるのか?といった。
Posted by 銀さん at 2013年12月16日 05:05
>銀さん
おそらくそうういう意味だと思います。
私はそうとらえました。
この「自己客観視のために情報を集めることの必要性」が、natsuさんの持論のひとつでもありますね。
おそらくそうういう意味だと思います。
私はそうとらえました。
この「自己客観視のために情報を集めることの必要性」が、natsuさんの持論のひとつでもありますね。
Posted by アマミちゃん
at 2013年12月27日 01:01

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