隊長講演会講演録・アマミさんなりの感想(2)
2013年03月20日
隊長講演録のアマミさんなりの感想、第二回でーす。
サラサラと書いてるように見えるでしょ?本当はかなーり大変なんですよ。(笑)
さて、引き続き、
http://amamikyo.amamin.jp/e326941.html
こちらの感想を書かせていただきたいと思います。
隊長が、ご先祖へのお祀りと同じく大切にしてほしいと言ったもの、それが「神様へのお祀り」です。
神道の八百万の神の頂点に立つ造化三神・その中央におられる天御中主神は、創造主であるということでした。
創造主は「造る」神であり、とても寛容な神様であるがゆえに、造ったものに対してその後の干渉を一切しない神であると。
だからこそ、人間の人生の不幸はほとんど神の関与するところにない、自己責任であるということでした。
では、災害などで不幸のうちに亡くなられた魂に対して、私達はどう受け止めるべきか?
その点に関して、隊長は以下のように言われています。
「死に損にさせないために、生きている私達が、彼らからいただいた教訓を生かしていく事が大事です」
また、自殺された方とそのご遺族に対しても、隊長はこのように言われています。
「その人のその死が原因で、残された私達が考え方を変えて、そして、世の中、人のため一生懸命生きたという結果につながれば、その死は必ずしも救いのない死ではなくなる」(アマミ意訳)
ここに、最初の隊長のお話・『お祀り』がそのまま通じるのではないかと、私は感じました。
怨霊でさえも鎮める究極の作法・『お祀り』。
それは、「無念・怨念の状態の魂でさえも、信じ敬い感謝の意を唱えることで、鎮まり加護をもたらす存在となる」
ということでした。
つまり、『お祀り』の理念を、個々人レベルでどう使っていくのかという実践論を、隊長はここで具体的に説明してくださっているわけですね。
それは、「信じる」ということだと隊長は言われています。
相手様が今現在どうであるかではなく、
こちらが、相手様からいただいた恩恵や加護や教訓を信じ、感謝し、言霊にして語りかけ、お祀りする。
お祀りは特別なものではなく、私達一人一人の心がけから起こるものだと、隊長が教えておられるように、私には感じられました。
そして、お話は、創造主・・・造化神のお話に戻ります。
創造主である神は、我々を造りっぱなしにした冷たい存在なのか?
否と、隊長は言います。
この神様こそ、神道で一番大切な姿勢『奉仕』そのものであると。
『奉仕』とは、「させていただきます」という見返りを求めない姿勢であり、
私達人間を造られた造化神・天御中主神は、人間だけではなく、人間が必要とするすべての存在をも造られた。一切の見返りも求めることなく。
「だから、この神様は決して冷たい神様ではなく、むしろ、われわれ人間のほうが、それをどのように解釈するか、っていうほうが大事なんです。」
と、隊長は言います。
「そういう神様には、やっぱり感謝の気持ちを持たなきゃいけない。
そのためにはどうしたらいいかといったら、自分たちの姿勢を正して、美しい生活をやっていくしかないです。
それが日本で、世界に誇れる唯一の内容、道徳なんですよ。」
これが、『お祀り』に通じる心なのではないかと、私は感じます。
私達を造ってくださった創造主から、与えきりの奉仕をいただいていることに対し、報いる姿勢とはどのようなものであるのか。
それが「自分たちの姿勢を正し、美しい生活を心がけること」道徳であると、この国では継承されてきたのですね。
道徳という気高い精神によってまとめられた日本の平和と秩序。これを、世界に発信すべきではないかと、隊長は言います。
そして、お話はお墓の話題に移ります。
お墓とはご先祖のお骨が自然に還る場所であり、ご先祖の荒御霊が鎮まる場所です。
そこに大切なのは形式ではなく、ご先祖への感謝を、できる範囲内で、形にするということだと隊長は言われています。
「だけど、できる範囲でやるっていうことが大事なんです。そこの気持ちが相手に伝わる。ご先祖に口に出して話しかけるのも大事、そこの気持ちが相手に伝わる。」
では、お墓があるなら、どうして仏壇も祀らねばならないのか?お墓だけで充分ではないのか?
そこで隊長が説明されるたが、神道の一霊四魂でした。
人間の魂は、死後四つに分かれるそうです。
幸御霊(さちみたま)は、神様の分御霊そのものであり、死後は、高天原に還ります。
和御霊(にごみたま)は、地元の神社(産土神社)に還り、氏神として地域を守る守り神の一部となります。
奇御霊(くしみたま)は、霊璽(位牌)に宿り、その家の守り神となります。
荒御霊(あらみたま)は、一番エネルギーの強い魂であり、良くも悪くも大きな影響をもたらすそうです。
いろんなものに憑依しやすい性質を持つため、お墓に憑依させることで、安定したお祀りが可能となるわけですね。
この荒御霊が、きちんと祀られていない場合は、川原の石に憑依したりするので、川原の石を拾うのはやめたほうがいいと、隊長は言います。
巷で言われる「動物霊」は、この荒御霊が動物に憑依して、自分を動物であると思い込んだ結果である事も多いのではないかと隊長は指摘しています。
それぞれ四つの性質を持つ人間の魂。
それぞれを古来からの作法によって大切にお祀りさせていただくことにより、四つの魂からのご加護をいただくことが可能となると、私は感じました。
そして、一番大切なことを、隊長が言われていました。ここは私個人は、とても大切だと思いました。
「より、ご先祖を身近に感じるってことが大事なんですよ。
それは、自分たちが最後に、お墓でご先祖さんになるとき(自分が子孫を守るとき)にも必要なんだから。」
なぜご先祖を敬い、祀る必要があるのか。
それは、いずれ私達も先祖になるからではないでしょうか。
私達はいずれ死して四つの魂に分かれる。
そのときに、私達が、子孫や地域を護り導く存在となる。
非常に大切な観点ではないかと、私は思います。
私達がやがて先祖の一部となり、子孫や地域の人々を護り導くそのときに、
少しでも私達の加護の力を受け取ってもらえる子孫であってほしい。
では、ご先祖のその気持ちに立ったときに、子孫としての私達のあり方は、いかにあるべきなのか。
その気持ちが、ご先祖様や神様と私達をつなぐ、大切な心ではないかと、私は感じました。
サラサラと書いてるように見えるでしょ?本当はかなーり大変なんですよ。(笑)
さて、引き続き、
http://amamikyo.amamin.jp/e326941.html
こちらの感想を書かせていただきたいと思います。
隊長が、ご先祖へのお祀りと同じく大切にしてほしいと言ったもの、それが「神様へのお祀り」です。
神道の八百万の神の頂点に立つ造化三神・その中央におられる天御中主神は、創造主であるということでした。
創造主は「造る」神であり、とても寛容な神様であるがゆえに、造ったものに対してその後の干渉を一切しない神であると。
だからこそ、人間の人生の不幸はほとんど神の関与するところにない、自己責任であるということでした。
では、災害などで不幸のうちに亡くなられた魂に対して、私達はどう受け止めるべきか?
その点に関して、隊長は以下のように言われています。
「死に損にさせないために、生きている私達が、彼らからいただいた教訓を生かしていく事が大事です」
また、自殺された方とそのご遺族に対しても、隊長はこのように言われています。
「その人のその死が原因で、残された私達が考え方を変えて、そして、世の中、人のため一生懸命生きたという結果につながれば、その死は必ずしも救いのない死ではなくなる」(アマミ意訳)
ここに、最初の隊長のお話・『お祀り』がそのまま通じるのではないかと、私は感じました。
怨霊でさえも鎮める究極の作法・『お祀り』。
それは、「無念・怨念の状態の魂でさえも、信じ敬い感謝の意を唱えることで、鎮まり加護をもたらす存在となる」
ということでした。
つまり、『お祀り』の理念を、個々人レベルでどう使っていくのかという実践論を、隊長はここで具体的に説明してくださっているわけですね。
それは、「信じる」ということだと隊長は言われています。
相手様が今現在どうであるかではなく、
こちらが、相手様からいただいた恩恵や加護や教訓を信じ、感謝し、言霊にして語りかけ、お祀りする。
お祀りは特別なものではなく、私達一人一人の心がけから起こるものだと、隊長が教えておられるように、私には感じられました。
そして、お話は、創造主・・・造化神のお話に戻ります。
創造主である神は、我々を造りっぱなしにした冷たい存在なのか?
否と、隊長は言います。
この神様こそ、神道で一番大切な姿勢『奉仕』そのものであると。
『奉仕』とは、「させていただきます」という見返りを求めない姿勢であり、
私達人間を造られた造化神・天御中主神は、人間だけではなく、人間が必要とするすべての存在をも造られた。一切の見返りも求めることなく。
「だから、この神様は決して冷たい神様ではなく、むしろ、われわれ人間のほうが、それをどのように解釈するか、っていうほうが大事なんです。」
と、隊長は言います。
「そういう神様には、やっぱり感謝の気持ちを持たなきゃいけない。
そのためにはどうしたらいいかといったら、自分たちの姿勢を正して、美しい生活をやっていくしかないです。
それが日本で、世界に誇れる唯一の内容、道徳なんですよ。」
これが、『お祀り』に通じる心なのではないかと、私は感じます。
私達を造ってくださった創造主から、与えきりの奉仕をいただいていることに対し、報いる姿勢とはどのようなものであるのか。
それが「自分たちの姿勢を正し、美しい生活を心がけること」道徳であると、この国では継承されてきたのですね。
道徳という気高い精神によってまとめられた日本の平和と秩序。これを、世界に発信すべきではないかと、隊長は言います。
そして、お話はお墓の話題に移ります。
お墓とはご先祖のお骨が自然に還る場所であり、ご先祖の荒御霊が鎮まる場所です。
そこに大切なのは形式ではなく、ご先祖への感謝を、できる範囲内で、形にするということだと隊長は言われています。
「だけど、できる範囲でやるっていうことが大事なんです。そこの気持ちが相手に伝わる。ご先祖に口に出して話しかけるのも大事、そこの気持ちが相手に伝わる。」
では、お墓があるなら、どうして仏壇も祀らねばならないのか?お墓だけで充分ではないのか?
そこで隊長が説明されるたが、神道の一霊四魂でした。
人間の魂は、死後四つに分かれるそうです。
幸御霊(さちみたま)は、神様の分御霊そのものであり、死後は、高天原に還ります。
和御霊(にごみたま)は、地元の神社(産土神社)に還り、氏神として地域を守る守り神の一部となります。
奇御霊(くしみたま)は、霊璽(位牌)に宿り、その家の守り神となります。
荒御霊(あらみたま)は、一番エネルギーの強い魂であり、良くも悪くも大きな影響をもたらすそうです。
いろんなものに憑依しやすい性質を持つため、お墓に憑依させることで、安定したお祀りが可能となるわけですね。
この荒御霊が、きちんと祀られていない場合は、川原の石に憑依したりするので、川原の石を拾うのはやめたほうがいいと、隊長は言います。
巷で言われる「動物霊」は、この荒御霊が動物に憑依して、自分を動物であると思い込んだ結果である事も多いのではないかと隊長は指摘しています。
それぞれ四つの性質を持つ人間の魂。
それぞれを古来からの作法によって大切にお祀りさせていただくことにより、四つの魂からのご加護をいただくことが可能となると、私は感じました。
そして、一番大切なことを、隊長が言われていました。ここは私個人は、とても大切だと思いました。
「より、ご先祖を身近に感じるってことが大事なんですよ。
それは、自分たちが最後に、お墓でご先祖さんになるとき(自分が子孫を守るとき)にも必要なんだから。」
なぜご先祖を敬い、祀る必要があるのか。
それは、いずれ私達も先祖になるからではないでしょうか。
私達はいずれ死して四つの魂に分かれる。
そのときに、私達が、子孫や地域を護り導く存在となる。
非常に大切な観点ではないかと、私は思います。
私達がやがて先祖の一部となり、子孫や地域の人々を護り導くそのときに、
少しでも私達の加護の力を受け取ってもらえる子孫であってほしい。
では、ご先祖のその気持ちに立ったときに、子孫としての私達のあり方は、いかにあるべきなのか。
その気持ちが、ご先祖様や神様と私達をつなぐ、大切な心ではないかと、私は感じました。
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Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 11:50│Comments(0)
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