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第二回隊長講演会 講演録(2)

2013年03月18日



それと同時に大事にしてほしいのが、神様ですね、神様を大事にしてほしい。
でも、古今、東北の大震災があったり、戦争があったりするじゃないですか。
いっぱいいろんな人が死ぬ。生まれたばっかりの子供が死んじゃったりする。この世に神仏(かみほとけ)があるものかって、思っちゃうんですよね。ないですか?
そのへん、説明しろよって話ですよね。
天之御中主之神という神様が神道の中で一番中心におられるわけです。
この神様の役割は何か、造化神といって、創ること、造る神様。わかります?
創造主っていうんですね。キリスト教でもいま、ヤハウェの神様、創造主、イスラム教も当然いるし、仏教もそういう神様いるんですね、創造主。
この神様たちの仕事はなんでしょう?
造ること、創ることです。
そして、すごく寛容な神様なんですね、創ったあとは干渉しません。
わかりますか?それ以降は、自分たちの自己責任なんですよ、そこを勘違いしちゃだめです。
世の中で戦争が起きたりするのは、実質的には、我々人間が自分たちで起こしていることなんです。
それは、神様のせいじゃないです。
じゃあ小さい子がすぐ死んじゃったりするのは何?と言われますが、それも神様が任意的に殺したりしているわけじゃないです。そういうふうな『定め』なのですね。
東北の震災もしかり。ああいう地震が何年かの周期でやってきたりする。それは土地に問題があって、そんな結果になったと言われる方もおられるけど、そんなやりきれない話はしたくない。
そうではなくて、自然災害ということで、では、そこで死んでしまわれた方々は、もう死に損じゃないかっていうことになっちゃいますけれども、しかしそれを死に損にしないようにさせるためには、やっぱり生きてる人間が、認識して、その亡くなられた方々からの教訓っていうのを生かしていくっていうのが、大事なんですね。


自殺をされると、自殺、浮かばれません、って言いますね。もう、成仏することもなかなか難しい。
でも、周りでそれを解消する方法もあるんですよ、実は。
自殺を仮にしたとしても、その内容を意義あるものっていったらおかしいけど、別の方向に変えられるような内容・・・例えば、その人のその死が原因で、私達が考え方を変えて、そして、世の中、人のため一生懸命やっていきましたと、最終的にそれがあったおかげでそのような考え方、行いにつながりましたという部分もあるんです。
もちろん、自殺はよくないですよ。しちゃいけません。
だけど、100%だめ、100%浮かばれないじゃ、あまりにもかわいそうな状況です。
だから、どこかで助けてあげたいという気持ちがあるんだったら、そういうふうに周りの人間が思ってですね、弔う、祀る、そういう思いと行為が大事なんですね、わかります?
絶対に自殺はしちゃだめですよ、われわれ宗教者はそういうのを推奨していません。
地獄に落ちるぞって言います。
でも、そのご家族はいたたまれないと思いませんか?なんの希望もないじゃないかと。では、本当に全然希望はないのかっていったら、そういうわけじゃあない。さっき言ったみたいな話もありはするんです。
でも、それで、(自殺された霊が)完全に改心した状態で成仏できるのかっていったら、それはまた別の問題なんですけど、でも、やらないよりはやったほうがいいです。
信じてやるっていうことが大事なんですね。信じるってこと、信仰っていうのもそう、信じるってこと、さっき言った神様の信仰もそう。


信じるということです。さきほど、造化神・・・物を創られる神様って、存在しますよと、そして創るだけでそのあとは自己責任ですと、すごいぶっきらぼうな言い方をしました。
これは、ただ、創りっぱなしかよっていうふうに、聞こえるでしょ?
でもこの神様が、『奉仕』という、神道で一番重要な言葉そのものの存在なんです。
奉仕とは、やらせてくださいっていうような内容です。
ボランティアっていうのは、してあげます、ですね。
してあげますという姿勢は、見返りを要求するくらいの感じなんですね、
だけど、奉仕っていうのは、逆です。
頭を下げてさせてくださいっていうわけです。
これの頂点に立つのが、いまの造化三神のなかの天之御中主之神という中央の神様なんですね。
何故かというと、われわれがご飯食べたりする、魚や野菜、すべて創ってくれているわけなんですよ。
人間だけじゃないんですね。
この神様は、誰がお願いするわけじゃないのに、全部造ってくれているんです、奉仕で。
奉仕じゃなかったら、見返りを求めちゃいますよね。でも、この神様は見返りは求めてないんです。
見返りを求めてないのに、いろんなことをしてくれる、こういうありがたい神様なんですね、
だから、この神様は決して冷たい神様ではなく、むしろ、われわれ人間のほうが、それをどのように解釈するか、っていうほうが大事なんです。
わかりづらくないです?そこを勘違いしないでほしいんですね。

魚の話って、子供さんにしたりするんですよ。
お母さんが魚を焼いて食べさせてくれる、その魚はお母さんが、どこで買ってくるかといえばスーパーで買ってくる。じゃあ、スーパーは誰から買うかって言うと、中卸の人から買う。
仲買の人はどこから買ってくるかっていったら、漁師から買うんですね。
じゃあ、漁師は、海に行って魚を獲ってくるんでしょ?
その魚は誰が作るの?っていう話。
お子さんに話をするときは、神様の話はこういう話になるんです。
この魚を造ってくれたのが神様だよと。
みんな中間の人たちはお金を必要としているから、お金のやり取りをするけど、一番最初に魚を造るときに、お金を請求しないのは、神様です。
だと思いません?そういうこと。そういうものの上に、われわれは成り立っているんです。ですよね。
日本の神様は、八百万の神様とも言って、神様がいっぱいいるわけです。
造化神のつくられたなかから、いろんな神様が派生するわけですよ。天照大神様とか、イザナギ・イザナミとか、人間ぽい神様がでてくるわけですね。
これらの神様は人間の人生計画に関与してくる神様。
でも、もともとの造化三神というのは、そういう内容じゃなくて、われわれ人間だけではなく、アマミノクロウサギにしても、そのへんのうさぎにしても、魚にしても、全部均等に、ただ、造るという神様なんですね。
そういう神様には、やっぱり感謝の気持ちを持たなきゃいけない。
そのためにはどうしたらいいかといったら、自分たちの姿勢を正して、美しい生活をやっていくしかないです。
それが日本で、世界に誇れる唯一の内容、道徳なんですよ。


明治維新以降、列強大国がいっぱいある中で、誰だったかが言ったんですね。
日本が唯一世界に向けて発信できるのは、『道徳』だと。そうらしいです。
道徳。すごく美しい教えだと思いますよ。
その中に奉仕があるんですね。
外国人の方は、奉仕って言う言葉は理解できないんですよ。知っていました?
なんでやらせてくださいなんだよ、っていう話、してあげますで十分だろう、と。
でも、やらせてくださいっていうのが、われわれの中には息づいているんです。
これは何かっていったら、ネイティブな思想、昔から受け継がれていた、御先祖さんから継承されてきた内容が、そのままきているんですね。
これを大事にすることで、われわれは、平和国家を維持することができるんですよ。
だけど、悪用すれば、戦争にもいっちゃったりするわけですよ。
戦後の日本は平和をこよなく愛しています、これもひとえに神様のおかげですって言ったら、言い過ぎなのかもしれない、でも、少なくとも、道徳心があるおかげっていうのは、あると思うんですね。
いま、どこの国とは言わないけれど、諸外国で道徳心のない国がありますね。はっきり言わないけど。
それに対して日本人が違和感を感じるのはなぜかというと、われわれは、道徳心があるからですよね。
道徳に基づいた内容でやってもらえれば、おかしい話っていうのは、ないはずなんですよ、本来。ですよね。
だけど、利益第一主義だとかなんとかってなっていくと、それが違えてくるんですよ。
でも、われわれには、道徳がある。大事なことなんです。
本当に世の中のことを考えたり、世界の平和を考えたりするんだったら、道徳がないとできません。
これを世界中に発信していく必要があるんですね。




そして、お墓の話かな?お墓・・・なんていったかな、水をかけちゃだめだって、誰が言ったんでしょう?細木数子さんかな?テレビかなんかで、そう言っておられたらしいと。よくわかんないですけど。
なんで、お墓に水かけるか知ってます?聞いたことあります?
お墓に水をかける理由。土に帰れっていう意味なんですよ。土に還れって。清めるとかなんとかって思ってたでしょ?ちがう、土に還れって言う意味です。一番大事なことです。土に還らなきゃいけないんです、ちゃんと。知ってました?
ぜひ周りの方に教えてください、いろんな人に。あとなんか柔らかいスポンジで洗わなきゃいけないとか、ブラシは使っちゃいかんとか?
いや、洗ってくれるなら、洗ってくれたほうがいいですよ。藻だらけになるより、洗ってくれたほうがいいです。掃除もしてもらったほうがいい、当然です。
できる範囲でいいんですよ。腰が痛い、手がリュウマチで痛いっていうのに、スポンジできれいに洗うなんて、できません、無理。
だけど、できる範囲でやるっていうことが大事なんです。そこの気持ちが相手に伝わる。ご先祖に口に出して話しかけるのも大事、そこの気持ちが相手に伝わる。
これも道徳ですね、これを基本に考えていけば、やっていることは、同じことなんですね。わかります?
もしくはお墓掃除ができない人だっておられるわけなんですよ。
家から出られない、足が痛い、腰が痛い。そしたらどうするかといえば、家からお墓に向かって手を合わせる。
これしかできないのなら、やらないより、やったほうがいいんです。やらないより、やったほうがいい、絶対に。


前に言われたのは、家の仏壇に手を合わせているんだから、墓に行って手を合わせる必要ないだろ、っていう話だったんですね、不思議に思いません?
家に位牌があるのに、なんでお墓で手を合わせなければいけないのかな、って思った人いません?
理由があるんですね、神道的にはですよ。ほかの宗教はわからないです。
神道的な理由は、魂は4つの魂から構成されているんですね。
荒御霊(あらみたま)、
奇御霊(くしみたま)、
和御霊(にごみたま)、
幸御霊(さちみたま)、
この4つです。
亡くなられたときに、幸御霊というのは、まっすぐ神様の下に還ります。
奇御霊(くしみたま)は、お通夜のときに霊璽(れいじ)と言って、仏教でいう位牌を枕元におくんですね。
なんで置くのかっていったら、それに奇御霊を憑依をされるんですね。
奇御霊、これが後後にそのおうちの守りの神になるんですよ。わかります?
和御霊(にごみたま)っていうのは、これが地元の産土(うぶすな)神社と言われる、ご自宅の近くの神社に還られる。
これが、氏神様ってやつです、うじは苗字ですね、氏神様、管轄する氏神のところに還る。
これが、神道独特な解釈ですね、どこまでそうなのっていう話もあるけど、一応、私はそれを継承しております。
理由は?って聞かれても困るけれど。氏神様に還る。
で、荒御霊(あらみたま)っていうのが、一番最後に残る、これを、どうするか?
荒御霊の習性っていうのは、憑依。憑きやすいんですよ。いろんな物に。人間に憑依したり、石に憑依したり。
この特性を生かして、作られたのがお墓なんですね。
お墓に憑依させる、憑依っていったらたら、言い方悪いですね。
祀り納めるっていうことですね、わかります?
荒御霊をそうやって鎮めるんです、それは、49日になって、お墓に鎮めに行くときの儀式などをやるわけですね。
そして50年間お祈りを続けて、最後に50年祭(50年目の供養が終わった節目)をしたときには骨壷に残っているお骨なり水なりを土に還して終わりっていうことですね。通常はですよ。
これが荒御霊。荒御霊というものが、お墓でお祀りをしていないと、たまに、たまにですよ、川原の石についてみたり、海辺の石についてみたりします。
霊って、水場に寄りやすいんです。
何故かと言うと、水って言うのは、物を清らかにする力がある。竜神さんっていうことですね、
それに少しでも近づこうと思って、水場に行くんですよ。
流れる水に行けばいいんだけど、最終的にたまりっていう、いわゆる沼とか、池にはいっちゃう。
そうすると、よくないものになる。そのときに荒御霊っていうのが、変なものに憑依しちゃうことがある。
川原にいったら、石拾ってくるなって、言われたことありますか?聞いたことある?これがその理由。
荒御霊がついている可能性があるから、やめておきなさい、ろくなことないです。


さて、これからするお話は、多々異論があると思います。
自称蛇、狐、狸の霊がいるじゃないですか、蛇の霊が憑いていますなどという表現を聞いたりしませんか?
これからのお話は、僕の持論ですので、無視してもらってもかまいません、
蛇の霊って、日本語しゃべるんですか?
狐の霊は?どうして生前日本語使ってないのに、日本語ができるんでしょう?
でも、もしも、人間の荒御霊が蛇に憑依したら?荒御霊が狐に憑依したら?そして、何年も何年もそれを繰り返したら、どうなるか?
自分が蛇だ、自分が狐だって、思い込んじゃうこともでてくると思うんです。元は人間なんですけど。
僕が祓ったなかでは、自称蛇の霊や自称狐の霊が、本当の動物霊であったということは一度もないです。いまのところは、ですよ。
でも、なかには神様として祀らなきゃならないくらい古い霊もいるんですよ。それは、本人を尊重して、蛇の霊、狐の霊ということで、処理・・・処理って言ったら言い方悪いですね、祀り直すっていう形をとったりすることもあります。
でも、さっき言った人間の言葉をしゃべる動物霊というのはやっぱり人霊なんです。
で、それが全部憑依するっていう性質を持っている荒御霊がそういう(動物霊になりきる)ことをやるわけですね。
でも逆の言い方をすると、お墓に荒魂を納めて護ってもらうという方法も、それがゆえにできるんですね。
これも、日本古来からのやり方。
だから、荒御霊に手を合わせてみたり、奇御霊に手を合わせたりするわけです、
だから、家の位牌(霊璽)に手を合わせたり、お墓にいって、手を合わせる必要があるんですね。
わかりづらくないです?こういう話は誰もあまりしてくれないかな?と思うんですよ。
だから、漠然とそういわれたからやってます、という人が結構多いと思うんだけど、理由を知ってほしいんです。
なぜ、そうするか?理由を知ったら、お墓や仏壇でご先祖に接するときの気持ちが変わるじゃないですか。そう思いません?
より、ご先祖を身近に感じるってことが大事なんですよ。
それは、自分たちが最後に、お墓でご先祖さんになるとき(自分が子孫を守るとき)にも必要なんだから。 









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Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 22:31│Comments(1)隊長(眷属さん)
この記事へのコメント
引き続き、有り難うございます!

転載させていただきました。

隊長さんのお話で、日本人の中に養われてきた「道徳心」って、やはり、神道や仏教に根ざしているのだと、実感しました。

「道徳」が宗教と切り離された途端、戦後学校で教師が「道徳」を教えられなくなったのは、当然の帰結でしたネ。

古来、日本で「道徳」を教えてきたのは、神主様やお坊様だったとなれば、宗教教育無しに日本の道徳教育はないことに、そろそろ気づいても良さそうデス。

誇り高き、宗教大国だった日本。

もう一度「宗教立国」を果たし、日本人の“道徳心”を世界に発信していきたいものだと思いました。

その為には、神様仏様ご先祖様から見て恥ずかしくない生活をしているかと云えば、根底から見直すべき我が日々…(笑)
古き良き日本人(人生の先輩方)の“心根の美しさ”、“生活の正しさ”を思うと、現代人の一人として、ただただ頭が下がります。(「修身」を習った世代と習っていない世代の断絶は、如何ともしがたいと最近思ってます。)

隊長さん講演会、宗派を越えて現代の日本人にとって、為になるお話でした。

一人でも多くの人に聞いていただきたいですね!

アマミちゃん、GoodJob!!!
Posted by megamiyama at 2013年03月19日 11:36
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第二回隊長講演会 講演録(2)
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