【natsuさん】つらつらと
2012年08月29日
こんにちは。
では、今回もつらつら~と書いてみたいと思います。
ちょっと忙しくて時事ネタにはあまり切り込めませんがご容赦下さい。
おおまかには「個人的な主観」となりますので、そのへんは適当に聞いて下さい。
私は日本人は「前提」ということを考えることがとても苦手だと思っています。
この弊害はかなり大きなものではないかと思っています。
当然ですが、学校教育の現場では先生はルールです。
そして教科書も間違いないという前提で話が始まります。
そのような前提は「大人の事情」として隠して、多くの子供達は学校という
小さな社会で学び始めるわけです。
通常であれば、「学校」「家庭」「社会」という様々な枠を体験することで
子供ながらに”大人の事情”や”ずるさ”ということを学びながら「社会」ということを
理解していくわけですが、こうした様々な立ち位置ということを体験することのない
人達は、自分が過去に経験した狭い範囲の内容と、自分のもっている限界ある処理能力で
世界の物事を判断しようとし始めます。
前回のメールで日本政府の「密約」についての記載がありました。
まず前提として考えなければいけないのは、密約が良いか悪いかという
話ではなくて、どうして密約が必要だったか?です。
むしろ、どうして問題の処理にあたって密約という形式をとる必要性があったのか?
ということを、まずは知り、理解をする必要があります。
その最初のステップをすっ飛ばして、良いとか悪いとかと騒ぎ立てるのは
やはり頭が悪いという判断になるのではないかと思います。
物事の善悪というのは、何を目的にして、どういう立ち位置で、どういう理由によるのか?
という様々な要因に依存します。
何を判断の基準に持ってくるかによって「善悪」というものは変わります。
国、人種、性別、世代、外的要因、、様々なものによって、当事者達の「善悪」「正義」と
いうものは変わるわけです。
こう書いてしまえばとても単純な話なのですが、多くの人にとっては
情報を理解する、受け入れると言うことは、言葉を理解出来るかどうかという問題よりも
「感情」によるところが多いのが実情です。
繰り返します。
多くの人は、能力的に考えることが出来るかどうかではなくて、根本的には「感情」に支配されて
人生を生きているのです。
このことを「受け入れたい」と思うか、「受け入れたくない」と思うかは本人にお任せしますが
事実、現実だと言えます。
私の経験上では、他人の感情に対してあまりツッコミを入れすぎると
大体において、話がこじれることが多くあります(笑)
最初は公平な目で見ようという思いが当人にあったとしても、それを厳密にやると
自分にとって不都合な現実が見えはじめ、そして自分にとって不都合な現実はそのままにして
欲しいので、最初の「正邪を明らかにしよう」という話はどこかにすっとんでいく、ということに
落ち着くことが多いようです。
まーこんなものです。
私がアマミキョさんのブログに書いていることも、感覚的にはこれに近い部分があります。
何かしら、tunさんのように気付いてくれる人が数人出てくればいいかなと思っていましたが
現実には、なかなか厳しいという感じです(笑)
私が書いている内容は、特別に難しいような用語はあまりありません。
しかし、私が書いている内容が受け入れられないという現実があります。
まー、上から目線だの、偉そうだの、と様々な意見なり感想はあるでしょうが、
私が見ているところの結論は、私の意見を受け入れると、読んでいるご本人にとって
「都合が悪い」ことが多いからだと思っています。
そして正しい情報というか価値観かもしれないが、自分が見つけ出した話ではなく
相手(私)から教えてもらってしまったのが、本人としては非常に悔しいという気持ちを
呼び起こしており、私の情報を受け入れがたいという感情になってしまっている、ということだと
思っています。
私が相手の感情を害さずに相手に”気付き”を与えられないという能力しかない、といえば、それまでです。
しかしながら、私自身は、そこまでお人好しになろうとは思っていませんし、そういう方に
対処をしている時間も労力もないというのが正直なところです。
学ぼうという人達とは様々な意見の交換をしながら切磋琢磨したいと思いますが
学びたくないという人に対して、学びの道に入れるというところは、私の仕事ではないと思っています。
話を最初に戻しますが、目の間にある世界を認識するためには、自分の生きた年数の中で
自分が考えたことだけを拠り所にしていては、何も理解は出来ません。
もちろん、それを否定するつもりはありませんが、それは学ぶ、知りたいという形ではありません。
自分のルールにいつまでもしがみついていたら、どんな場所で、どんな素晴らしい先生に巡り会ったとしても
何も得られることなく、人生という時間が終わることは、誰にも理解出来ることでしょう。
改めてですが、大切なことは
学びたいと思うのか
自分にとって都合の良い世界の住人でいたいのか
二者択一をするということだと思います。
では、今回もつらつら~と書いてみたいと思います。
ちょっと忙しくて時事ネタにはあまり切り込めませんがご容赦下さい。
おおまかには「個人的な主観」となりますので、そのへんは適当に聞いて下さい。
私は日本人は「前提」ということを考えることがとても苦手だと思っています。
この弊害はかなり大きなものではないかと思っています。
当然ですが、学校教育の現場では先生はルールです。
そして教科書も間違いないという前提で話が始まります。
そのような前提は「大人の事情」として隠して、多くの子供達は学校という
小さな社会で学び始めるわけです。
通常であれば、「学校」「家庭」「社会」という様々な枠を体験することで
子供ながらに”大人の事情”や”ずるさ”ということを学びながら「社会」ということを
理解していくわけですが、こうした様々な立ち位置ということを体験することのない
人達は、自分が過去に経験した狭い範囲の内容と、自分のもっている限界ある処理能力で
世界の物事を判断しようとし始めます。
前回のメールで日本政府の「密約」についての記載がありました。
まず前提として考えなければいけないのは、密約が良いか悪いかという
話ではなくて、どうして密約が必要だったか?です。
むしろ、どうして問題の処理にあたって密約という形式をとる必要性があったのか?
ということを、まずは知り、理解をする必要があります。
その最初のステップをすっ飛ばして、良いとか悪いとかと騒ぎ立てるのは
やはり頭が悪いという判断になるのではないかと思います。
物事の善悪というのは、何を目的にして、どういう立ち位置で、どういう理由によるのか?
という様々な要因に依存します。
何を判断の基準に持ってくるかによって「善悪」というものは変わります。
国、人種、性別、世代、外的要因、、様々なものによって、当事者達の「善悪」「正義」と
いうものは変わるわけです。
こう書いてしまえばとても単純な話なのですが、多くの人にとっては
情報を理解する、受け入れると言うことは、言葉を理解出来るかどうかという問題よりも
「感情」によるところが多いのが実情です。
繰り返します。
多くの人は、能力的に考えることが出来るかどうかではなくて、根本的には「感情」に支配されて
人生を生きているのです。
このことを「受け入れたい」と思うか、「受け入れたくない」と思うかは本人にお任せしますが
事実、現実だと言えます。
私の経験上では、他人の感情に対してあまりツッコミを入れすぎると
大体において、話がこじれることが多くあります(笑)
最初は公平な目で見ようという思いが当人にあったとしても、それを厳密にやると
自分にとって不都合な現実が見えはじめ、そして自分にとって不都合な現実はそのままにして
欲しいので、最初の「正邪を明らかにしよう」という話はどこかにすっとんでいく、ということに
落ち着くことが多いようです。
まーこんなものです。
私がアマミキョさんのブログに書いていることも、感覚的にはこれに近い部分があります。
何かしら、tunさんのように気付いてくれる人が数人出てくればいいかなと思っていましたが
現実には、なかなか厳しいという感じです(笑)
私が書いている内容は、特別に難しいような用語はあまりありません。
しかし、私が書いている内容が受け入れられないという現実があります。
まー、上から目線だの、偉そうだの、と様々な意見なり感想はあるでしょうが、
私が見ているところの結論は、私の意見を受け入れると、読んでいるご本人にとって
「都合が悪い」ことが多いからだと思っています。
そして正しい情報というか価値観かもしれないが、自分が見つけ出した話ではなく
相手(私)から教えてもらってしまったのが、本人としては非常に悔しいという気持ちを
呼び起こしており、私の情報を受け入れがたいという感情になってしまっている、ということだと
思っています。
私が相手の感情を害さずに相手に”気付き”を与えられないという能力しかない、といえば、それまでです。
しかしながら、私自身は、そこまでお人好しになろうとは思っていませんし、そういう方に
対処をしている時間も労力もないというのが正直なところです。
学ぼうという人達とは様々な意見の交換をしながら切磋琢磨したいと思いますが
学びたくないという人に対して、学びの道に入れるというところは、私の仕事ではないと思っています。
話を最初に戻しますが、目の間にある世界を認識するためには、自分の生きた年数の中で
自分が考えたことだけを拠り所にしていては、何も理解は出来ません。
もちろん、それを否定するつもりはありませんが、それは学ぶ、知りたいという形ではありません。
自分のルールにいつまでもしがみついていたら、どんな場所で、どんな素晴らしい先生に巡り会ったとしても
何も得られることなく、人生という時間が終わることは、誰にも理解出来ることでしょう。
改めてですが、大切なことは
学びたいと思うのか
自分にとって都合の良い世界の住人でいたいのか
二者択一をするということだと思います。
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Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 09:42│Comments(8)
│natsu さん
この記事へのコメント
小生は、natsuさんの記事により
多くの"気づき"があり、
大変感謝をしております。
多くの"気づき"があり、
大変感謝をしております。
Posted by 愛知県人 at 2012年08月29日 12:57
密かに、山深く隠れ72さんファンです。
おっと、誰か来たようだ・・・。
おっと、誰か来たようだ・・・。
Posted by 油売り at 2012年08月29日 17:11
この文章には、優しさを感じました。
Posted by 星に願いを at 2012年08月29日 18:37
私は、生きている限り、いや、永遠に学びたいと思っているものであります。
この年になっても(57歳)毎日毎日が学びと、発見の連続です。
「どんだけ自分は愚かなんだ」、と思う毎日です(笑)
そういう意味でも、ナツさんの御論考は、大変勉強になります。
これからも、遠慮なさらず、ビシビシ、お願いたします。
それにしても、今回のご投稿、なんか、あったかいものを感じました。
この年になっても(57歳)毎日毎日が学びと、発見の連続です。
「どんだけ自分は愚かなんだ」、と思う毎日です(笑)
そういう意味でも、ナツさんの御論考は、大変勉強になります。
これからも、遠慮なさらず、ビシビシ、お願いたします。
それにしても、今回のご投稿、なんか、あったかいものを感じました。
Posted by おいちゃん at 2012年08月29日 19:03
今回の記事は、何の抵抗もなく読むことができました。
私を含めて、殆どの人々は、感情に支配されたうえで「正邪」「善悪」を考えて言葉にして発信していますね。
良きにつけ悪しきにつけ、その反作用は本人が受けていますね。
natsuさんの記事には、気づきが多く含まれ、私にとっては成長のきっかけになるようです。
本当にありがとうございます。
“自らの思いを言葉に乗せて発していく” ということの大切さに気付かせてもらいました。
私を含めて、殆どの人々は、感情に支配されたうえで「正邪」「善悪」を考えて言葉にして発信していますね。
良きにつけ悪しきにつけ、その反作用は本人が受けていますね。
natsuさんの記事には、気づきが多く含まれ、私にとっては成長のきっかけになるようです。
本当にありがとうございます。
“自らの思いを言葉に乗せて発していく” ということの大切さに気付かせてもらいました。
Posted by ガミちゃん at 2012年08月30日 09:15
>私自身は、そこまでお人好しになろうとは思っていませんし、
この言葉、なければよかったのに・・・
この言葉、なければよかったのに・・・
Posted by hara at 2012年08月30日 10:36
いつも楽しく拝読させてもらっています。内容が書けば書くほど、敵を作る方に傾き誤解され、いわれのない中傷などが多くなると思いますが、本当の意味での頭の良さと、勇気と深いとこでの、温かさを感じます。これからも、厳しいご意見、お願いいたします!
Posted by 徹男 at 2012年08月30日 12:11
実に理論整然とした、意見が素晴らしいです。
反論する、或いは、感情的に嫌悪感を示す方も、おられるでしょう。
しかし潔く意見される方ですね。
感服いたします。
反論する、或いは、感情的に嫌悪感を示す方も、おられるでしょう。
しかし潔く意見される方ですね。
感服いたします。
Posted by ツクヨミ at 2012年08月30日 14:52
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