【子房さん】沖縄の起源
2012年07月21日
子房さん、いつも本当にありがとうございます!!!
______
以前の日記で、沖縄はかつて細長い帯状の陸地であり、ムーの出先機関があったところと書きました
沖縄の起源はムーにあって、そこから日本列島へ文化の伝承があったと考えたわけです
また、魏志倭人伝の記述はかつての沖縄を指しているという指摘もしました
なかには、沖縄の人々の起源として中国からの流れがあったとする人もいます
ですが、中国から流れてきた人々が沖縄の文化の起源であるなら、沖縄の方言に中国の影響があるはずです
例えば南米の国では、スペイン語やポルトガル語が流通している地域がありますが、それはスペインやポルトガルなどがかつて南米の地域を侵略した過去があるからです
ヨーロッパから流れてきた人の数は少なかったでしょうが、支配階級にある人々の文化や言語が強く影響します
もし、沖縄に中国から流れてきた人々が文化の伝承者なら、沖縄方言にはからなず中国語の影響が色濃く残っているはずなんです
ですが、沖縄の方言は古代の日本語と同一のものなのです
沖縄の方言を研究することで、古代の日本語はどのうだったか調べたりされることがあるわけです
では、どれくらい過去に日本語と分かれたかを調べると、一説には二〜三世紀ころだったと言われています
ちょうど邪馬台国があったとされる頃ですね
邪馬台国の後に日本についての中国での記述が無くなる空白の時期がくるわけですが、沖縄と日本列島の文化交流が途絶えたと思われる時期と一致するわけです
おそらく、邪馬台国は沖縄奄美と密接な関係にあったのが、戦乱により邪馬台国が滅ぼされた時に、沖縄奄美とも交流が途絶えたということでしょう
邪馬台国の女王卑弥呼には侍女が千人もいたことになっています、これは数が多過ぎるのでいくらか水増しされているかも知れませんが、多数の女性が周りにいたのは事実でしょう
侍女となっていますが、本当は神に仕える巫女であったと思います
こうした巫女が選ばれて邪馬台国にきたわけですが、そこで沖縄奄美が役割があったように思います
たくさんの巫女が沖縄奄美からきていたのではないかと感じられます
あるいは修行場のようなところになっていたのかも知れません
そういうわけで、沖縄は日本の創成期に関わっていたと思われますし、その起源はムーにあり、中国ではないと思います
というのも外国の超能力者という人が、邪馬台国の起源を中国から渡ってきたものたちによると言っていたらしいです
中国から流れてきたというのはネガティブな元からの情報のソースかも知れません
インスピレーションを受けやすい人であってもネガティブなところからの情報を流す役になり振り回す役にされているかも知れません
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以前の日記で、沖縄はかつて細長い帯状の陸地であり、ムーの出先機関があったところと書きました
沖縄の起源はムーにあって、そこから日本列島へ文化の伝承があったと考えたわけです
また、魏志倭人伝の記述はかつての沖縄を指しているという指摘もしました
なかには、沖縄の人々の起源として中国からの流れがあったとする人もいます
ですが、中国から流れてきた人々が沖縄の文化の起源であるなら、沖縄の方言に中国の影響があるはずです
例えば南米の国では、スペイン語やポルトガル語が流通している地域がありますが、それはスペインやポルトガルなどがかつて南米の地域を侵略した過去があるからです
ヨーロッパから流れてきた人の数は少なかったでしょうが、支配階級にある人々の文化や言語が強く影響します
もし、沖縄に中国から流れてきた人々が文化の伝承者なら、沖縄方言にはからなず中国語の影響が色濃く残っているはずなんです
ですが、沖縄の方言は古代の日本語と同一のものなのです
沖縄の方言を研究することで、古代の日本語はどのうだったか調べたりされることがあるわけです
では、どれくらい過去に日本語と分かれたかを調べると、一説には二〜三世紀ころだったと言われています
ちょうど邪馬台国があったとされる頃ですね
邪馬台国の後に日本についての中国での記述が無くなる空白の時期がくるわけですが、沖縄と日本列島の文化交流が途絶えたと思われる時期と一致するわけです
おそらく、邪馬台国は沖縄奄美と密接な関係にあったのが、戦乱により邪馬台国が滅ぼされた時に、沖縄奄美とも交流が途絶えたということでしょう
邪馬台国の女王卑弥呼には侍女が千人もいたことになっています、これは数が多過ぎるのでいくらか水増しされているかも知れませんが、多数の女性が周りにいたのは事実でしょう
侍女となっていますが、本当は神に仕える巫女であったと思います
こうした巫女が選ばれて邪馬台国にきたわけですが、そこで沖縄奄美が役割があったように思います
たくさんの巫女が沖縄奄美からきていたのではないかと感じられます
あるいは修行場のようなところになっていたのかも知れません
そういうわけで、沖縄は日本の創成期に関わっていたと思われますし、その起源はムーにあり、中国ではないと思います
というのも外国の超能力者という人が、邪馬台国の起源を中国から渡ってきたものたちによると言っていたらしいです
中国から流れてきたというのはネガティブな元からの情報のソースかも知れません
インスピレーションを受けやすい人であってもネガティブなところからの情報を流す役になり振り回す役にされているかも知れません
広田弘毅の前世について洪正幸さんにお聞きしてみた!
うちのブログで大変お世話になっております洪さん(子房さん)が、PHPから本をご出版されました!
明治維新の陰には奄美あり (子房さんのブログより転載)
子房さんが倉山満さんの前世をリーディングしてくださいました!
子房さんからいただいたヒーリング体験(過去記事)
STAP細胞はやはりあった!問われる批判者の立場 (子房さんブログより)
うちのブログで大変お世話になっております洪さん(子房さん)が、PHPから本をご出版されました!
明治維新の陰には奄美あり (子房さんのブログより転載)
子房さんが倉山満さんの前世をリーディングしてくださいました!
子房さんからいただいたヒーリング体験(過去記事)
STAP細胞はやはりあった!問われる批判者の立場 (子房さんブログより)
Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 10:18│Comments(6)
│洪正幸さん(子房さん)
この記事へのコメント
前々回あたりの幸福実現TVで言ってたけど、
琉球方言の語順は日本語と同様、動詞が最期に来るとのことだった。
これをもってあえば氏は「(中国ではなく、日本であることが)決定的ですね」
と言っていた。
補足しとくと、世界中の言語の大半が動詞は主語の次であるのに対し、日本語のように動詞が最期なのはごく例外的であったはず。(補足になっとらんか?)中国語ももちろん、主語の次は動詞です。
私のような東日本人には琉球は日本よりむしろ中国に近いんじゃないかって誤解してる人が多いけど、この語順の違いは中国の喧伝活動に対する強力な武器になると思う。
琉球方言の語順は日本語と同様、動詞が最期に来るとのことだった。
これをもってあえば氏は「(中国ではなく、日本であることが)決定的ですね」
と言っていた。
補足しとくと、世界中の言語の大半が動詞は主語の次であるのに対し、日本語のように動詞が最期なのはごく例外的であったはず。(補足になっとらんか?)中国語ももちろん、主語の次は動詞です。
私のような東日本人には琉球は日本よりむしろ中国に近いんじゃないかって誤解してる人が多いけど、この語順の違いは中国の喧伝活動に対する強力な武器になると思う。
Posted by うああ at 2012年07月22日 18:02
>世界中の言語の大半が・・・
ごめん、調べてみたらそうでもなかった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%9E%E9%A0%86
でも琉球語はSOV型であって、
中国語とは違うってことは間違いないですね。
ごめん、調べてみたらそうでもなかった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%9E%E9%A0%86
でも琉球語はSOV型であって、
中国語とは違うってことは間違いないですね。
Posted by うああ at 2012年07月22日 18:52
>というのも外国の超能力者という人が、邪馬台国の起源を中国から渡ってきたものたちによると言っていたらしいです
連投すまんが、こんなもの相手にするのは知力弱いだろ。
S・ハンチントンの分類に従えば、日本は独立した文明圏であって、
中国とは異なるというのがほぼ通説になりつつあるというのが俺の認識。
ちなみにハンチントン分類では世界を8つぐらいの文明圏としてるけど、
1文明圏が1国なのは日本だけだ。
連投すまんが、こんなもの相手にするのは知力弱いだろ。
S・ハンチントンの分類に従えば、日本は独立した文明圏であって、
中国とは異なるというのがほぼ通説になりつつあるというのが俺の認識。
ちなみにハンチントン分類では世界を8つぐらいの文明圏としてるけど、
1文明圏が1国なのは日本だけだ。
Posted by うああ at 2012年07月22日 19:35
勾玉はどこから(由来が)なんでしょうか。
今年の五月頃に出かけた先で、橋の欄干に大きな石製(御影石?で約1m位)の勾玉が付いていたのを見て
なんとなく「可愛い・・・かも」と思ったもので。(笑)
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)より
勾玉(まがたま、曲玉とも表記)は、先史・古代の日本における装身具の一つである。祭祀にも用いられたと言われるが、詳細は分からない。語の初出は『記紀』で、『古事記』には「曲玉」、『日本書紀』には「勾玉」の表記が見られる。語源は「曲っている玉」から来ているという説が有力である。
今年の五月頃に出かけた先で、橋の欄干に大きな石製(御影石?で約1m位)の勾玉が付いていたのを見て
なんとなく「可愛い・・・かも」と思ったもので。(笑)
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)より
勾玉(まがたま、曲玉とも表記)は、先史・古代の日本における装身具の一つである。祭祀にも用いられたと言われるが、詳細は分からない。語の初出は『記紀』で、『古事記』には「曲玉」、『日本書紀』には「勾玉」の表記が見られる。語源は「曲っている玉」から来ているという説が有力である。
Posted by 桔梗 at 2012年07月23日 15:04
勾玉につきましては過去に書いていたと思います
古代の奄美沖縄大島の話しの一部としてですね
こちらのアマミキョさんのブログにも載せられていたはずですのでそちらを参考にしていただけたらと思います
また、いずれムーと古代奄美琉球の交流につきましては小説風に書いたのを公開する予定にしています
古代の奄美沖縄大島の話しの一部としてですね
こちらのアマミキョさんのブログにも載せられていたはずですのでそちらを参考にしていただけたらと思います
また、いずれムーと古代奄美琉球の交流につきましては小説風に書いたのを公開する予定にしています
Posted by 子房 at 2012年07月25日 15:21
過去記事読みました。
「なるほど」と思いました。 <(_ _)>
小説を楽しみにしています。
「なるほど」と思いました。 <(_ _)>
小説を楽しみにしています。
Posted by 桔梗 at 2012年07月26日 11:46
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