【natsuさん】以前かいた文章への反応について
2012年07月09日
A-side
少し以前のエントリーになりますが、実現党への苦言ということで書いた文章に
ついて色々とコメントを頂きました。
多種多様な意見があることは好ましいことなので、嬉しい限りです。
有り難うございます。
コメント欄の中での意見のやり取りはやらないということを最初に決めているので
そこはご了承を頂きたいと思います。
ただし、一言申し上げるならば、書いて頂いた皆さんには申し訳ないのですが
頂いたコメント内容は、こちらが何かを書くような必要のあるものでは無かったと認識しています。
それと個人的な意見として何を主張されることは自由だとは思いますが、
様々な方が読んで理解の出来る日本語をご使用下さい。
宜しくお願い致します。
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
私は基本的には、40歳ぐらいから上の年齢の人に対して何かを
求めるようなことはしていません。
40歳以上で他人の意見を謙虚に聞く耳を持つ方というのは少ないと思っているからです(経験より)
聞く耳を持っていない人に、何を話しても無駄だと思っていますから最初から求めないのが私のスタンスです。
多くのおっさん・おばさんは自分が生きてきた過去の経験(時間)に基づいて自分なりの価値観を作り上げています。
更に正確にいうならば、自分の過去に判断した事実の積み重ねが各人の価値観となります。
それが間違っていることは多々あるのですが、間違いを認めるということは、
自分の過去の時間を無駄にすると感じてしまうようで、頑なに嫌がります(笑)
いくらそれが明らかに間違っていたとしても、自分の過去の好き嫌いに基づいた価値判断の
連続という時間を捨て去ることは、多少は心が痛む内容ですから、そういう方々には
望むこと自体が難しいと思っています。
間違いを認めるも個人の自由。
間違いを認めないのも個人の自由。
その結果は、自然にその人の人生に跳ね返ってきます。
優れた人は優れた人を求め。
愚かな人は愚かな人を求めます。
これは面白いほど、自分と同じ種類を求めます。
優れた人は、自分の優れた部分を認めてくれない人とはお付き合いしたくないですし、
愚かな人は、優れている人の意見は自分を責めているような気持ちになるようです。
他人がたくさんいて嬉しいという人あり、
他人がたくさんいて煩わしいと思う人あり。
本を読むというのは、他人の意見を聞くということと似ていますから
様々な本を読むのが嫌だな、ということは、他人の意見を聞くことが
嫌いだと考えられると”私は”思います。
少し以前のエントリーになりますが、実現党への苦言ということで書いた文章に
ついて色々とコメントを頂きました。
多種多様な意見があることは好ましいことなので、嬉しい限りです。
有り難うございます。
コメント欄の中での意見のやり取りはやらないということを最初に決めているので
そこはご了承を頂きたいと思います。
ただし、一言申し上げるならば、書いて頂いた皆さんには申し訳ないのですが
頂いたコメント内容は、こちらが何かを書くような必要のあるものでは無かったと認識しています。
それと個人的な意見として何を主張されることは自由だとは思いますが、
様々な方が読んで理解の出来る日本語をご使用下さい。
宜しくお願い致します。
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
私は基本的には、40歳ぐらいから上の年齢の人に対して何かを
求めるようなことはしていません。
40歳以上で他人の意見を謙虚に聞く耳を持つ方というのは少ないと思っているからです(経験より)
聞く耳を持っていない人に、何を話しても無駄だと思っていますから最初から求めないのが私のスタンスです。
多くのおっさん・おばさんは自分が生きてきた過去の経験(時間)に基づいて自分なりの価値観を作り上げています。
更に正確にいうならば、自分の過去に判断した事実の積み重ねが各人の価値観となります。
それが間違っていることは多々あるのですが、間違いを認めるということは、
自分の過去の時間を無駄にすると感じてしまうようで、頑なに嫌がります(笑)
いくらそれが明らかに間違っていたとしても、自分の過去の好き嫌いに基づいた価値判断の
連続という時間を捨て去ることは、多少は心が痛む内容ですから、そういう方々には
望むこと自体が難しいと思っています。
間違いを認めるも個人の自由。
間違いを認めないのも個人の自由。
その結果は、自然にその人の人生に跳ね返ってきます。
優れた人は優れた人を求め。
愚かな人は愚かな人を求めます。
これは面白いほど、自分と同じ種類を求めます。
優れた人は、自分の優れた部分を認めてくれない人とはお付き合いしたくないですし、
愚かな人は、優れている人の意見は自分を責めているような気持ちになるようです。
他人がたくさんいて嬉しいという人あり、
他人がたくさんいて煩わしいと思う人あり。
本を読むというのは、他人の意見を聞くということと似ていますから
様々な本を読むのが嫌だな、ということは、他人の意見を聞くことが
嫌いだと考えられると”私は”思います。
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Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 23:49│Comments(1)
│natsu さん
この記事へのコメント
あの日記に書かれていた自分以外のコメントは、日本語能力のスキルを問わなければならないほど、理解に苦しむ文章ではなかったように記憶しています。
うがった言い方をすれば、他者の意見を受け入れたくない時に、日本語としてなっていないという口実で切り捨てることも可能ではないでしょうか。
僕は人の文章に欠陥があったとしても、気に食わなくても、スルーしたり頭ごなしに否定せずに、その真意を読み取ろうと努力します。
それが読み手の書き手に対する礼儀であり、愛であると信じているからです。
うがった言い方をすれば、他者の意見を受け入れたくない時に、日本語としてなっていないという口実で切り捨てることも可能ではないでしょうか。
僕は人の文章に欠陥があったとしても、気に食わなくても、スルーしたり頭ごなしに否定せずに、その真意を読み取ろうと努力します。
それが読み手の書き手に対する礼儀であり、愛であると信じているからです。
Posted by ピアニスト健太郎 at 2012年07月11日 18:15
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