小6の作文(タイムカプセルから出てきたヤツ)と感慨
2010年03月18日
昨日、主人がなにか捜し物をしていたらしくごそごそと押入を探していた。
なぜか私の荷物をひっぱりだしたらしく、私の昔のアルバムをみて「ひゃ~若い~」と歓声をあげていた。
そりゃ16歳の私は若いでしょうよ。「反社会的精神生活のすすめ」で弁論大会の県大会までいったときね。なつかしいなぁ。あのころ私は若かったよ、たしかに。いろんな意味でね。
もうあれから14年か・・・はやいなぁ・・・・。今年で30だもんなぁ・・・。
と感慨にふけっていると、主人が「これ、キミがいくつのときに書いたの?」と作文用紙をもってきた。
「ああ、それ、成人式のときにタイムカプセルからでてきたヤツですよ」と言いながら、小6の卒業式間近の授業を思い出していた。
たしかテーマは「わたしの宝物」だったな。
わたしという宝物 嘉藤 梨乃
今、地球という広い世界の片すみに、嘉藤梨乃という名のわたしがいる。この、約五十億もの人々が住まう世界で、たとえわたしが絵画で特選をとったとしても、たとえわたしが死んだとしても、世界の人々は、喜びもしなければ悲しみもしない。世界の人々からみれば、わたしは、それほどちっぽけな存在だ。
しかし、わたしの場合はちがう。わたしにとって、嘉藤梨乃というわたしは、この上ない宝物なのだ。
12年前、わたしは母に、この世に二つとないものを与えられた。それは、わたしという存在だ。母の胎内に宿り、そして長い月日を経て、母の苦痛と共に、この世にわたしという存在が認められたのである。
母に自分というものを与えられた時、わたしは母に抱かれながら、一体何を思ったのだろう。
わたしが母からわたしという存在を与えられてから六年の月日がたち、わたしは、小学一年生になっていた。そのころわたしはいじめを受けていて、自分という存在さえもが苦痛だった。そして、いつしかこう思っていた。
“なぜみんな私だけをここまで責めるんだ。もういやだ。わたしなんか、死んだ方がいいんだ。わたしさえいなかったら、こんなに苦しまなくても済んだんだ”
ある日、たまりかねていたものが、一気に発した。いつものようにまわりを囲まれて悪口を言われている時、そばで文句を言っていた男子を、一発だけ、力をこめてなぐった。そのこぶしには、今までの、憎悪と、くやしさと、いかりが、あふれんばかりにこめられていた。すると、その男子は、鼻を打ったのだろう、鼻血を出し、なんと、止まらなくなってしまった。後でなんとか止まったが、その傷のこういしょうで、ちょっとしたショックでも鼻血を出してしまうようになってしまったのだ。わたしは、父と母といっしょに、その男子の家に、謝罪に行った。相手がその時何と言ったか、もう忘れてしまったが。すると、その時、信じられないようなことがおきた。普段からプライドが強く、冗談でも人にあやまるようなことをしない父が、なんとその男子の父と母に、土下座しているのである。母も、深々と頭を下げていた。帰り道で私は、父と母に、ただただ、ごめんなさいと言った。そんな言葉しか、おもいうかばなかったのだ。すると、父と母は、まるで何事もなかったかのように、わたしに優しい言葉をかけてくれた。その時わたしは、父と母の、こんなにあたたかい愛に包まれていながら、死のうなどと思っていた自分が、はずかしくなった。
それから六年たち、先生から、「わたしの宝物」という作文を書けと言われた。私は、何の迷いもなく書こう。
“わたしの宝物は、わたし自身です。母から与えられ、両親の愛に包まれ、この世の中でいちばん幸福な、わたし自身が、これからの一生の宝物です”
もうね。青いな~。あおい。なんだよこの背伸びしまくった文章はよ!はずかしすぎ!もう、このオチャメさんめ!(笑)
ま、この男子は元々鼻血がでやすい体質で、私のせいで鼻血がでやすくなった云々はあっちの親の恐喝のための詐称だったんですが、そのからみのことはもう書いてるからいいや。
本当のことを知ったのは中三のときでしたしね。
いや~、当時の私に会ったら「ま、そう肩肘貼らずに、これでも飲め」と頭くしゃくしゃ撫でてコーラでもおごってやりたいですね。
(笑)
二年後、中一のときにあの男子とまた出会うけど、もう許してやれ。中二からまた二年ほどどん底に苦しむけど、それは人生に必要な時期だ。あとでわかるときがくる。その苦しみによって守護霊さんに出会えるし、あの新元博文さんとも出会える。石橋さんとも出会える。だから負けるな。がんばれとはいわんが、負けるな。
高校は楽しいぞ。今までの人生観がかわるくらい楽しい。もうあと三年の辛抱だ。どんまい。
18年後のあなたはあいかわらずすきっ歯でますます肥えてますが、結婚してマッサージ業してるよ。すげーだろ!(笑)結婚なんて絶対しないって言ってたのに、人生どうなるかわかんないですね。あの頃はいろんな先生に「キミは将来は政治家か宗教家してそう」とか言われて、その気になってがんばって赤旗読んでたのにね(笑)ざんねんでした~。でも、よく母ちゃんマッサージしてたし、これはこれでいいもんだぜ?
しかしこれ、よく見つけたなぁ。ネタにしました。いいでしょ?六年生の頃の梨乃ちゃん(笑)
きみはよく耐えた。そしてよく頑張った。もういいから、いっぱい幸せになれ。あ、もうなってるか。
あれ?どうして泣けるんだろう。おかしいなぁ。
過去との対話も、たまにはいいもんです。
年月というものは、ありがたいものです。
なぜか私の荷物をひっぱりだしたらしく、私の昔のアルバムをみて「ひゃ~若い~」と歓声をあげていた。
そりゃ16歳の私は若いでしょうよ。「反社会的精神生活のすすめ」で弁論大会の県大会までいったときね。なつかしいなぁ。あのころ私は若かったよ、たしかに。いろんな意味でね。
もうあれから14年か・・・はやいなぁ・・・・。今年で30だもんなぁ・・・。
と感慨にふけっていると、主人が「これ、キミがいくつのときに書いたの?」と作文用紙をもってきた。
「ああ、それ、成人式のときにタイムカプセルからでてきたヤツですよ」と言いながら、小6の卒業式間近の授業を思い出していた。
たしかテーマは「わたしの宝物」だったな。
わたしという宝物 嘉藤 梨乃
今、地球という広い世界の片すみに、嘉藤梨乃という名のわたしがいる。この、約五十億もの人々が住まう世界で、たとえわたしが絵画で特選をとったとしても、たとえわたしが死んだとしても、世界の人々は、喜びもしなければ悲しみもしない。世界の人々からみれば、わたしは、それほどちっぽけな存在だ。
しかし、わたしの場合はちがう。わたしにとって、嘉藤梨乃というわたしは、この上ない宝物なのだ。
12年前、わたしは母に、この世に二つとないものを与えられた。それは、わたしという存在だ。母の胎内に宿り、そして長い月日を経て、母の苦痛と共に、この世にわたしという存在が認められたのである。
母に自分というものを与えられた時、わたしは母に抱かれながら、一体何を思ったのだろう。
わたしが母からわたしという存在を与えられてから六年の月日がたち、わたしは、小学一年生になっていた。そのころわたしはいじめを受けていて、自分という存在さえもが苦痛だった。そして、いつしかこう思っていた。
“なぜみんな私だけをここまで責めるんだ。もういやだ。わたしなんか、死んだ方がいいんだ。わたしさえいなかったら、こんなに苦しまなくても済んだんだ”
ある日、たまりかねていたものが、一気に発した。いつものようにまわりを囲まれて悪口を言われている時、そばで文句を言っていた男子を、一発だけ、力をこめてなぐった。そのこぶしには、今までの、憎悪と、くやしさと、いかりが、あふれんばかりにこめられていた。すると、その男子は、鼻を打ったのだろう、鼻血を出し、なんと、止まらなくなってしまった。後でなんとか止まったが、その傷のこういしょうで、ちょっとしたショックでも鼻血を出してしまうようになってしまったのだ。わたしは、父と母といっしょに、その男子の家に、謝罪に行った。相手がその時何と言ったか、もう忘れてしまったが。すると、その時、信じられないようなことがおきた。普段からプライドが強く、冗談でも人にあやまるようなことをしない父が、なんとその男子の父と母に、土下座しているのである。母も、深々と頭を下げていた。帰り道で私は、父と母に、ただただ、ごめんなさいと言った。そんな言葉しか、おもいうかばなかったのだ。すると、父と母は、まるで何事もなかったかのように、わたしに優しい言葉をかけてくれた。その時わたしは、父と母の、こんなにあたたかい愛に包まれていながら、死のうなどと思っていた自分が、はずかしくなった。
それから六年たち、先生から、「わたしの宝物」という作文を書けと言われた。私は、何の迷いもなく書こう。
“わたしの宝物は、わたし自身です。母から与えられ、両親の愛に包まれ、この世の中でいちばん幸福な、わたし自身が、これからの一生の宝物です”
もうね。青いな~。あおい。なんだよこの背伸びしまくった文章はよ!はずかしすぎ!もう、このオチャメさんめ!(笑)
ま、この男子は元々鼻血がでやすい体質で、私のせいで鼻血がでやすくなった云々はあっちの親の恐喝のための詐称だったんですが、そのからみのことはもう書いてるからいいや。
本当のことを知ったのは中三のときでしたしね。
いや~、当時の私に会ったら「ま、そう肩肘貼らずに、これでも飲め」と頭くしゃくしゃ撫でてコーラでもおごってやりたいですね。
(笑)
二年後、中一のときにあの男子とまた出会うけど、もう許してやれ。中二からまた二年ほどどん底に苦しむけど、それは人生に必要な時期だ。あとでわかるときがくる。その苦しみによって守護霊さんに出会えるし、あの新元博文さんとも出会える。石橋さんとも出会える。だから負けるな。がんばれとはいわんが、負けるな。
高校は楽しいぞ。今までの人生観がかわるくらい楽しい。もうあと三年の辛抱だ。どんまい。
18年後のあなたはあいかわらずすきっ歯でますます肥えてますが、結婚してマッサージ業してるよ。すげーだろ!(笑)結婚なんて絶対しないって言ってたのに、人生どうなるかわかんないですね。あの頃はいろんな先生に「キミは将来は政治家か宗教家してそう」とか言われて、その気になってがんばって赤旗読んでたのにね(笑)ざんねんでした~。でも、よく母ちゃんマッサージしてたし、これはこれでいいもんだぜ?
しかしこれ、よく見つけたなぁ。ネタにしました。いいでしょ?六年生の頃の梨乃ちゃん(笑)
きみはよく耐えた。そしてよく頑張った。もういいから、いっぱい幸せになれ。あ、もうなってるか。
あれ?どうして泣けるんだろう。おかしいなぁ。
過去との対話も、たまにはいいもんです。
年月というものは、ありがたいものです。
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Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 14:18│Comments(0)
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