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『思いは実現する』らしい

2010年09月29日

ウゼー自分がたりですので、興味ない人は見ない方がいいですっちゃ。
(・∀・)








いろんな本を読んだ。

もちろん中途半端な斜め読みなので、名前をだすのも恥ずかしいので、ここではださない。

でもいろんな本に、共通の真理があった。

『思ったことは実現する』

だ。

それが良きビジョンであれ、悪しきビジョンであれ、

どのような場所か、どのような時間か、どのような状況でか、わからないが、

かならず実現する。


だから、思いを明確に持て。さらに、良き思いを実現したいと思え。

それは、かならず自分だけでなく、周りにも影響するからだ。



ま、ざっと書くとこんな感じだったと思う。これは宗教だけじゃなく心理学でも経営本でも偉人伝でもでてきますわね。




自分の過去の「明確な思い」を振り返ってみる。

幼稚園の頃、はじめて人を尊敬し、憧れる感情というものをおぼえた。
幼稚園でもらえる絵本にあった「マザー・テレサ」。あんな慈愛と奉仕の女性になりたいと思った。

小学生四年のときに、いじめられていたあまりのつらさに、自殺したいと思った。でも迷惑をかけた両親のため、両親が死ぬまで自殺してはいけないと思い、それからは毎日いじめっこたちを殺すことばかりを考えていた。なるべくむごたらしく、苦しめてから殺すビジョンばかりを思い描いた。このピークが五年生のときだったか。

小学校六年のころから、夢ができた。
「郷土奄美の為に尽くしたい。お役に立ちたい」これはたしか道徳の時間の待ち望んだ郷土教育のページに、奄美のことが西郷さんのエピソードの一個しかのっていなかったのがきっかけだったと思う。

中二のときに男子にいじめられたことをきっかけに頭がおかしくなり、そのときに「精神障害にいたる原因の半分は他の意識体からの干渉がある」と知る。あれですね。隊長いわく「雑鬼のささやき」というヤツですね。

中三のときに新元博文氏と交流をもち、新元氏に手紙をいただき、ずいぶん助けられた。不登校の私に毎日スピリチュアル的な内容の手紙をくださり、独特の表現で励ましてくださった。これをきっかけに、「雑鬼のささやき」(現実的にいうと「被害妄想」)のなかに、「守護霊・指導霊の意識」がまじるのをわかるようになる。この意識は「良心」とつながっていることもわかる。

中学三年のときに目標ができた。
「ノロ信仰の源流である奄美の姉妹神信仰を広めたい。奄美の思想を世にだしたい」



ここまで見ると、私の幼少期から思春期には「虐げられたことへの絶望・怒り」と「宗教的神秘・精神的世界への希望」があったことがわかる。

そういえば、父ちゃんの影響で小五のときから赤旗を読み、高校まで新日本出版社や第三書館の本をいっぱい読んでいた。
でも考えれば考えるほど「この泥沼の世界を理想の世界にすることは不可能だ」と知り、絶望でいつも枕を濡らしていた。

「私の使命は私には背負えない。私はこの社会を変えられない」

そうすると、「まず自分が自分を救わなければ、何もはじまらない」と気付き、そこから精神世界の本を読みあさるようになる。
自分を知るとはどういうことか。探求すればするほど、自分に盲目であり、自分のことを他人様よりも見えていない事実に驚き、自分という人間の見る世界観の未熟さに

「自分は今までこんな危うい世界でいきていたのか」

と、自分の主観をうのみにすることのきわどさを学んだ。
思いこみのつよい人間だったので、それから「まず周りの人の意見をきく」ということの大事さを学んだ気がする。


ここでわかるのは私におきた「社会正義への挫折」と「自分を知ることへの探求心」。

面白いことに幼稚園から中学までの「虐げられたことへの絶望・怒り」と「宗教性的神秘、精神世界への希望」と高校入学から卒業までの上記の思いはリンクしている。(笑)



これまでの思いが「実現している」とすると、今の私はまだ暗がりから真実の光を見上げている状態なのだろうか?

もうそろそろ、暗がりから自分を探し、はるか天からの希望をいただくのではなく、「暗がりを照らす側」になりたいのだが。

それには、『今、何を思うか』その思いにそってどう動くか。

私は思いの点検・志の点検をしてみるべきなのかもしれない。

自分を照らすカンテラは、まだ光が弱い。



やはり、テーマは「愛」なのだろう。

「愛」か・・・・「愛」ねぇ・・・・・・(遠い目)

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Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 01:09│Comments(5)自分がたり
この記事へのコメント
アマミキョさんの今のプロフ写真、
空がね、すごく愛があふれてる気がするんですよ。
誰のか、何のか、というのはわかんないけど、
暖かくて雄大な愛を感じるんです。
ゼロ感だからあくまでも私の感覚の話ですが;
私はブログでしかアマミキョさんを知らないけど、
アマミキョさんはきっと、そういう愛を知っているし、
そういう愛をたくさん届けることが出来る人だと思います。
なんていうかきっとアマミキョさんの中や周りにあるそういう愛に、
もっと全身をゆだねてみてもいいんじゃないのかな。
Posted by もーむ at 2010年09月29日 03:02
僕は幼稚園から高校を卒業するまでいじめの対象になっていて、何回も自殺を考えたことがあります。

いろんな方向から変な音が聞こえる幻聴に悩まされたこともあります。

でもアマミキョさんのように信仰や愛には全く関心がなくて、超能力にしか興味がなかったのは決定的な違いですね。

そういう意味では僕よりアマミキョさんの方が、愛深き人になれる素質があると思いますよ(笑)

魂の奥底には強い愛の衝動があるはずです。

今が暗がりだと思ってしまうのは、本当は小さい心の闇を過大評価してしまっているからではないでしょうか。
Posted by ピアニスト健太郎 at 2010年09月29日 16:03
もーむさん、僕も同感です。気付かなくとも愛の光は燦々と流れてます。慈悲は自分から出すのは大変な修行ですが、流すのには感謝しか要りません。もっと大いなる光に身を預ける気持ちで、気張らないこともいいと思います。
Posted by 777 at 2010年09月29日 16:41
つらさや苦悩から立ち上がってきた勇気。
その勇気に裏打ちされたやさしさは本物。
そのやさしさは必ず 傷ついた方の踏み出す一歩への的確な助言となる。

障害児の母から聞いた話です。
かなしみには底があり その底の蓋を踏み破ると笑いがこみあげてくると。
そこまで行くとね 泣きながら笑えてくるのだと。
その境地になると プロの障害児の母になれるのだ!と。

障害児の母達は底抜けに明るいです。
そしてものすごくやさしいです。

障害児をかかえていると次の子を産むことにすごく悩み苦しみます。
その悩んでいる母親に対して 的確な勇気の言葉をかけられるのは同じように悩み超えてきた母たちです。

知っているからです。
体験しているからです。

そのやさしさに裏打ちされた勇気の言葉は 人を動かし幸せと導きます。

そのやさしさは
『愛』と呼ぶものではないかと思います。
Posted by 涼風 at 2010年09月29日 20:10
>涼風さん
超いい話ですね。悲しみを超えた笑いの境地かあ。
甘ったれの俺に分かるはずはないのですが、何となく分かるような気がしました。

こんな話きくと品のないマンガ読んで気持ち悪い笑みを浮かべている自分が嫌になるな(笑)
Posted by 一般人 at 2010年09月29日 23:28
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