キリスト教との縁 ~聖書との出会い・その真実
2010年03月09日
聖書うんぬんで書き忘れていましたが、私の小六のときの担任が熱心なクリスチャンでした。(ロザリオはしていなかったから、プロテスタントだったのだろうか)
その先生は私がずっといじめられていたことを知って、卒業式の日、クラスの児童の前で
「この子の苦しみがみんなにわかりますか?」
と泣きながら訴えてくれました。
私が唯一楽しいと心から思った小六の一年間、それを支えてくださったのは、牧善一郎先生の愛情のおかげでした。
よく考えると、キリスト教の方とのご縁に、私はとても救われているのだと思います。
しかしこれが、あるルーツからいただいたものであったことを知るのは、もっとあとのことでした。
社会人になって東京にでて二年目のある日、山手線にのりこもうとしていたときのことでした。
年老いた修道女の方が、不安そうに駅のなかで回りをきょろきょろしていました。
「すみません、私でよろしければ、電車の乗り継ぎを案内いたしますが?」
話しかけると、老修道女はうれしそうに
「ありがとうございます。私は日本人ですが、30年ほどイタリアの修道院にいまして、日本に帰ってきたのはつい先日なのです」
その日本語のぎこちなさに、海外に長くいたことを疑う余地はありませんでした。
「どちらにいかれますか?」
「○○町の駅前で仲間が待っています。大事な集まりがあるんです。」
「ああ、そちらならここから近いですよ。私は時間ありますから、駅までご一緒しましょう」
それから、電車にゆられながら老修道女と話しました。
「あなたは親切な方ですね。クリスチャンですか?」
「いえ、仏教徒です。でも、イエス様の偉大さも信じています。」
「ああ、そうですか。主に感謝いたします。あなたは生まれはどちら?」
「ご存じではないかもわかりませんが、鹿児島県の奄美大島です。」
「ええ!?奄美の方なのですか?」
「ご存じですか?」
「とってもよく、知ってます。イタリアの修道院では、世界地図の日本は長崎と奄美にしるしがあります。」
「えぇ!それはどうしてですか!?」
「長崎と奄美が、日本で一番教会が多いのです。信仰が深くねづいているすばらしい場所です」
「しかし、イタリアでも有名とは・・・・・・」
「奄美はすばらしい聖職者も、たくさんででいます。私のいた修道院にも、奄美の方が数人いらっしゃいました。」
「そうなのですか。たしかに、奄美はどんなちいさな集落にも教会があります。キリスト教のおかげで、奄美のライ病の方々は無意味な強制堕胎をされずにすみました。」
「ああ、やはり今日のあなたとの出会いは主の○○(ききとれなかった)です。主に感謝いたします。」
老修道女は私と握手してくださり、何度も手を振ってくださいました。
帰りの電車にゆられながら、私はやっと見つけた不思議な一本の糸を、どう説明したらよいかわからないあたたかな感情でうけとめていました。
聖書との縁。キリスト教との出会い。人との出会い。偶然だと思っていたそのすべては奄美という土地とカトリックという信仰の融合によってもたらされた直線上の神秘だったということ。
その一本の糸こそが、いわゆる『福音』というものらしいということ。
これは奄美のすべての人々にもたらされている。私は、たまたまそれを認識しやすかっただけだったのだということ。
つまり、キリスト教系の救済の光は、奄美のすべての人々に降り注いでいるのだということ。
それが、過去にこの地でキリスト教のために命を賭けて信仰した先達からの徳であり、教会という信仰の磁場をいただいている奄美の徳であるということ。
奄美の地のすべての人々が、信仰の垣根をこえて、示されている大いなる主の愛を知ることができますように。
思わず祈った休日の午後の日でした。
その先生は私がずっといじめられていたことを知って、卒業式の日、クラスの児童の前で
「この子の苦しみがみんなにわかりますか?」
と泣きながら訴えてくれました。
私が唯一楽しいと心から思った小六の一年間、それを支えてくださったのは、牧善一郎先生の愛情のおかげでした。
よく考えると、キリスト教の方とのご縁に、私はとても救われているのだと思います。
しかしこれが、あるルーツからいただいたものであったことを知るのは、もっとあとのことでした。
社会人になって東京にでて二年目のある日、山手線にのりこもうとしていたときのことでした。
年老いた修道女の方が、不安そうに駅のなかで回りをきょろきょろしていました。
「すみません、私でよろしければ、電車の乗り継ぎを案内いたしますが?」
話しかけると、老修道女はうれしそうに
「ありがとうございます。私は日本人ですが、30年ほどイタリアの修道院にいまして、日本に帰ってきたのはつい先日なのです」
その日本語のぎこちなさに、海外に長くいたことを疑う余地はありませんでした。
「どちらにいかれますか?」
「○○町の駅前で仲間が待っています。大事な集まりがあるんです。」
「ああ、そちらならここから近いですよ。私は時間ありますから、駅までご一緒しましょう」
それから、電車にゆられながら老修道女と話しました。
「あなたは親切な方ですね。クリスチャンですか?」
「いえ、仏教徒です。でも、イエス様の偉大さも信じています。」
「ああ、そうですか。主に感謝いたします。あなたは生まれはどちら?」
「ご存じではないかもわかりませんが、鹿児島県の奄美大島です。」
「ええ!?奄美の方なのですか?」
「ご存じですか?」
「とってもよく、知ってます。イタリアの修道院では、世界地図の日本は長崎と奄美にしるしがあります。」
「えぇ!それはどうしてですか!?」
「長崎と奄美が、日本で一番教会が多いのです。信仰が深くねづいているすばらしい場所です」
「しかし、イタリアでも有名とは・・・・・・」
「奄美はすばらしい聖職者も、たくさんででいます。私のいた修道院にも、奄美の方が数人いらっしゃいました。」
「そうなのですか。たしかに、奄美はどんなちいさな集落にも教会があります。キリスト教のおかげで、奄美のライ病の方々は無意味な強制堕胎をされずにすみました。」
「ああ、やはり今日のあなたとの出会いは主の○○(ききとれなかった)です。主に感謝いたします。」
老修道女は私と握手してくださり、何度も手を振ってくださいました。
帰りの電車にゆられながら、私はやっと見つけた不思議な一本の糸を、どう説明したらよいかわからないあたたかな感情でうけとめていました。
聖書との縁。キリスト教との出会い。人との出会い。偶然だと思っていたそのすべては奄美という土地とカトリックという信仰の融合によってもたらされた直線上の神秘だったということ。
その一本の糸こそが、いわゆる『福音』というものらしいということ。
これは奄美のすべての人々にもたらされている。私は、たまたまそれを認識しやすかっただけだったのだということ。
つまり、キリスト教系の救済の光は、奄美のすべての人々に降り注いでいるのだということ。
それが、過去にこの地でキリスト教のために命を賭けて信仰した先達からの徳であり、教会という信仰の磁場をいただいている奄美の徳であるということ。
奄美の地のすべての人々が、信仰の垣根をこえて、示されている大いなる主の愛を知ることができますように。
思わず祈った休日の午後の日でした。
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Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 10:52│Comments(3)
│自分がたり
この記事へのコメント
こんにちは。
牧君は、大学生の頃からの友人です。
彼らしいと思いました。
今、鹿児島市の田上小学校の教頭をしています。
牧君は、大学生の頃からの友人です。
彼らしいと思いました。
今、鹿児島市の田上小学校の教頭をしています。
Posted by TJ at 2012年03月22日 22:40
イランとの戦闘がなければいいがね
Posted by 国防総省 at 2012年03月22日 23:54
自分も奄美で小学校6年生のときの担任が、牧 善一郎先生でした。
自分は悪いことばかりしては迷惑ばかりかけていました。
でも先生は決して見捨てなかった。 うざいぐらい・・・笑 時には愛の鞭もあったし、毎日追い掛け回されて逃げるのに必死な毎日でしたよ!
でも大人になって始めて気付きました。先生は素晴しい人間であり、素晴しい教師であったということ。 もう、あんな先生はいないでしょうね?
今は心から感謝しています。先生ありがとうございました。
追伸
自分が成人してから最後に電話で現況報告をしたとき先生を悲しませたことを今でも深く後悔しています。でも自分は足を洗って出直す覚悟を決めました。今は来年の国家試験に向けて勉強中です。
自分は悪いことばかりしては迷惑ばかりかけていました。
でも先生は決して見捨てなかった。 うざいぐらい・・・笑 時には愛の鞭もあったし、毎日追い掛け回されて逃げるのに必死な毎日でしたよ!
でも大人になって始めて気付きました。先生は素晴しい人間であり、素晴しい教師であったということ。 もう、あんな先生はいないでしょうね?
今は心から感謝しています。先生ありがとうございました。
追伸
自分が成人してから最後に電話で現況報告をしたとき先生を悲しませたことを今でも深く後悔しています。でも自分は足を洗って出直す覚悟を決めました。今は来年の国家試験に向けて勉強中です。
Posted by ひろき at 2015年12月29日 08:44
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