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聖書との出会い( 後編)

2010年03月08日

先生からいただいた聖書は、正直アフォなわたしにはかなり難解でした。

『なぜイエスは右の頬を打たれたらひだりの頬をだせというのだろう?神エホバは正義を重んじる神ではないのか?』

『どうしてユダヤ人社会で嫌われ蔑まれている取税人や娼婦と付き合うのだろう?それは伝道の足枷ではないのか?』

最初はまるで常識からは真逆のイエスの言動が理解しがたく、しかしここに神理があるからこそ人類史の大きな財産となりえているわけなので、意味がわかるまで、繰り返し必死に読みかえすことにしました。

もう何度読み返したかわからないですが、それは三日目のことです。

突然、イエスの言葉の意味がわかりました。観の転回というか、なんか思考チャンネルが切り替わったら、スコーンと入ってきました。

『イエスの示したすべての者を受け入れる〔許す愛〕は神の眼差しそのものであること』

『イエスの愛は人の思想や常識などをの垣根をはるかに越えた、天からの眼差しであり深い慈悲そのものであること』

それがわかったわたしは畳の上を転げ回って泣きました。

神様は、こんな深い眼差しで私たちを見ていてくださっていらっしゃるのか。

ちっぽけだと思っていた私は、本当はこんなにも神様に愛され、許されているのか。

それを知ったら、イエス様の示された愛の尊さに涙がとまりませんでした。

ちょうどそのとき仕事から帰ってきたかーちゃんに、ものすごいドン引きされましたが。(笑)

その翌日から私にある変化が起きました。

いままで平気でついていたウソに、罪悪感をおぼえるようになりました。

憎しみや怒りにとらわれる自分を、諫めるもうひとりの自分の良心の声が聞こえるようになりました。

なにより、いままで自分しか見えていなかったのが、自分をとりまく家族の気持ちがすこしずつ理解できるようになりました。

父の不器用な愛情、私を案じる母の心労、内にためた兄の苦しみ、それが少しずつですが、自然に感じられるようになりました。

「聖書スゲェ……!」

はじめて露骨に味わう宗教体験に、改めてイエス様の偉大さに手をあわせる思いでした。

高校生活で心が波立っていたり苛々したときはイエス様の言葉の一説を繰り返し唱えていると気持ちがすぐ落ち着きますし、当時不眠症だった私は、眠れないときは聖書を枕元におくとよく眠れました。(お経でも同じ効果あり)

現在は仏教系宗派に属する私ですが、やっぱイエス様は偉大ですねという、そんな過去のお話でした。てゆーか、今の宗派は宗派の枠にとらわれず、いろんな歴史や思想、もちろんイエス様のこともめっちゃ詳しく教えてくれるので(笑)

あのとき私に聖書をくださったK先生、ありがとうございました。

これが、私がオススメ本をきかれたら真っ先に「聖書!」と叫ぶ理由でございます。
(*´Д`)あはーん


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Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 21:35│Comments(0)自分がたり
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