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聖書との出会い(前編)

2010年03月08日

無宗教の方には、宗教や信仰は怖いというイメージがあるようだが、私はなぜかそのイメージがまったくない。それは精神論、つまり「愛」とか「やさしさ」とか「子が親を敬うこころ」の延長線にあるものであり、なにも特別あつかいしなくても、人間の良心の表現であるのだろうと当然のように考えているからです。

しかしこのように考えるにいたるには、やはり育った環境が大きいのではないかと思います。

うちの父は昔洗礼をうけたことがあるという。小さいころ、うちの本棚で共産主義関係の本にまじって読みこんでボロボロになった聖書をよく見つけては、

「とーちゃんは一体どっち側なんだ?」とこどもには理解できずに首をひねっていました。

いまならわかる。父は神の心を求めていたからこそ、この地上を神の国に近づけるために、誰も苦しむことのない理想の共産主義社会を目指したのだと。

しかしとーちゃん、ホント不器用な生き方だよなー。

そんな私は、やはり父からの目に見えないご縁なのだろう。早くからキリスト教とご縁がありました。

小二のとき、ものみの塔のおねーちゃんと友達になった。おねーちゃんは「神様は人種や生き物のちがいをこえたすばらしい世界をつくりたいんだよ」と教えてくれました。

エホバの証人以外は地獄におちるという教えとハルマゲドンがきてより分けされるという教えには、おさなごころに「これ、おかしすぎwww」と思ったが、まぁ、そこは宗教によくある危機をあおって信仰心をもたせる方便の一つなので、なぜかおさなごころに「私的にはアリじゃないけど仕方ないんだろうなー」とボンヤリ考えていました。

小四のとき、近くの紬工場で、キリスト教のおじさんと友達になった。おじさんはこども達をお菓子で集めては、遊びあいてになりながら、てづくりのロザリオをくれたり、お祈りの仕方を教えてくれました。

おじさんは「罪を犯してはいけないよ。悪いことをしたら、すぐ謝るんだよ。そうしたら、イエス様もマリア様も許してくださるからね。毎日、夜に一日を神様に感謝するんだよ。」と教えてくれました。

おじさんはとてもやさしかったけど、何故かすこし寂しそうな目をしていた。おじさんにどうしてキリスト教をしているかたずねたら、こう教えてくれました。

「おじさんは昔は神様なんか信じてなかったんだよ。でも、おじさんは奥さんと離婚してしまって、娘ともはなればなれになって、やっと自分の罪深さに気づいたんだよ。もっとはやく、イエス様を信じてたらよかったんだね」

中一のとき、学校である先生と出会いました。自習の時間(たしか読書の時間だったかな?)、先生はなぜか私にだけちがうプリントをみせてくれました。

それは、聖書にまつわる内容でした。ある信仰心篤い夫婦がいたが夫が病気で生死の境をさまよったとき、妻は夫の命のために不貞をおかした。夫はそれによって助かったが、回復したあとに妻の不貞を知った夫は、妻をけっして許さず、二度と家にいれなかった。

先生は「君ならこの内容の意味がわかるはずだからね」

私は先生のその言葉の意味がさっぱりわからず、一時間その紙とにらめっこしていました。(笑)

中学の卒業式の日、卒業式を終えてでてきた私に先生がある紙包みをさしだしました。

「君に、これをあげよう。僕の宝だよ。」

帰宅して紙包みをあけると、真新しい新約聖書がそこにはありました。

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Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 16:04│Comments(0)自分がたり
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