どれだけ自分を知ってますか?
2010年08月29日
私の人生のテーマの一つに
「自分を知る」
というのがある。
中学生の頃、頭がおかしくなったときに気付いた。
「私も含め、自分を知らずに生きてる人間が多すぎる。自分を知るということは、世界を知ることなんだ」
そうやって自分を知ろうとしたとき、あまりに自分に盲目な事実に戦慄した。
自分というは決して一面的ではない。世界がそうであるように。
長所が欠点に通じ、短所が精進をうながし、自分の知る自己像と他人から見た自己像のひらきはそのまま「自分の先入観の偏り」をしめし、良心が守護霊・先祖霊に通じ、感情が悪霊・動物霊に通じ、たとえ良心であってもその背景に偏りがあれば人生に与える影響ははかりしれない。
そういったところを知るにつれ、到った答えは至極単純だった。
「人間は10代の感性から大して成長しない」(笑)
ヘタすると小学生の頃にできた価値観でそのまま大人の人生を生きてる人もめずらしくない(笑)
もちろん、そのなかに私がいるわけだ。
だからこそ様々な価値観にふれ、外側からの価値観を自分から吸収し、多角的に自分を見つめ、自分の価値観・先入観をその都度点検していくことを、私は「人生のテーマ」とした。
自分という人間をのぞきこむとき、その向こうに世界への眼差しがある。
私はまだ自分と世界の片鱗も知ってはいない。
占いもいろいろ試した。だが自分を知らない者にとってそれは一時の余興でしかない。
過去世のこともいろいろわかってきた。だが、最終的には「過去世のカルマはすべて今世においてあらわれる。今世をより多角的にとらえられたとき、それは過去のカルマの前転も意味している」と知った。
悪霊憑依や病気のメカニズムにおいても、それは「自分の心がつくりだす」ものであり、結局のところ、「自己責任」であり、それをつきつめるなら「自分の心の歪みに盲目的であることの結果」なのだ。
野崎りのという人間にたいしての私の自己イメージは
「意思が弱い、一人では何もできない、声がでかい、体がでかい、ときどき言動が違う人間になる、基本上から目線、笑顔は忘れない、基本わがまま、配慮が足りない、空気読めない、我慢が苦手、よく居眠りする、ささいなことに怒りがわくときがある、抑圧された自己イメージがつよい、性格は父親似、好きな食べ物は肉」
くらいだ。
それにたいして周りからの基本的な野崎りののイメージは
「空気読めない、痩せたいと言いながら一向にダイエットしない、基本上から目線、いつも明るい、ケツがでかい、ゼッタイ霊とか見えてる、物事への分析は並はずれてる、妙な迫力がある、いつもジャージ、かなり目立つ」
くらいだろう。
しかし師匠と隊長はここにもっと踏み込んだ野崎りの像が加わる。
「自分の価値観をもって周りをはかろうとする一面的な未熟さがある、小さい頃の家庭の寂しさ(インナーチャイルド)をのりこえられていない、怒りは父親の思想と憑依霊の影響、強いなまけ心、現実逃避癖がありやるべき事が見えているのにやらない事が多い、やるべき事をやればおのずと道はひらける」
最初、私は師匠と隊長のおっしゃることがほとんどわからなかった。
今でもボンヤリとしかわからない。
それは、私が「知りたくない自分」がまだあるのだろう。
でも、私は私をもっともっと知りたい。私という人間の内面に深く穿ちいりたい。
だから私は自分を繕うことをまずやめた。ありのままの自分でありたい。そして、次の目標が「やるべきことをやれる自分になる」ことだ。
それがまわりを見る目をあたたかな眼差しにかえるための一番の「自己変革」であり、同時に自分をより深く知り、より深く周りを知るための方法の一つだと思っている。
これらのことをまとめたら、
「なんつーか、素直に自分を愛したいですな」
「そしたら素直に周りを好きになれるじゃん」
あ、二行で終わった・・・・(。・ω・)ゞ
「自分を知る」
というのがある。
中学生の頃、頭がおかしくなったときに気付いた。
「私も含め、自分を知らずに生きてる人間が多すぎる。自分を知るということは、世界を知ることなんだ」
そうやって自分を知ろうとしたとき、あまりに自分に盲目な事実に戦慄した。
自分というは決して一面的ではない。世界がそうであるように。
長所が欠点に通じ、短所が精進をうながし、自分の知る自己像と他人から見た自己像のひらきはそのまま「自分の先入観の偏り」をしめし、良心が守護霊・先祖霊に通じ、感情が悪霊・動物霊に通じ、たとえ良心であってもその背景に偏りがあれば人生に与える影響ははかりしれない。
そういったところを知るにつれ、到った答えは至極単純だった。
「人間は10代の感性から大して成長しない」(笑)
ヘタすると小学生の頃にできた価値観でそのまま大人の人生を生きてる人もめずらしくない(笑)
もちろん、そのなかに私がいるわけだ。
だからこそ様々な価値観にふれ、外側からの価値観を自分から吸収し、多角的に自分を見つめ、自分の価値観・先入観をその都度点検していくことを、私は「人生のテーマ」とした。
自分という人間をのぞきこむとき、その向こうに世界への眼差しがある。
私はまだ自分と世界の片鱗も知ってはいない。
占いもいろいろ試した。だが自分を知らない者にとってそれは一時の余興でしかない。
過去世のこともいろいろわかってきた。だが、最終的には「過去世のカルマはすべて今世においてあらわれる。今世をより多角的にとらえられたとき、それは過去のカルマの前転も意味している」と知った。
悪霊憑依や病気のメカニズムにおいても、それは「自分の心がつくりだす」ものであり、結局のところ、「自己責任」であり、それをつきつめるなら「自分の心の歪みに盲目的であることの結果」なのだ。
野崎りのという人間にたいしての私の自己イメージは
「意思が弱い、一人では何もできない、声がでかい、体がでかい、ときどき言動が違う人間になる、基本上から目線、笑顔は忘れない、基本わがまま、配慮が足りない、空気読めない、我慢が苦手、よく居眠りする、ささいなことに怒りがわくときがある、抑圧された自己イメージがつよい、性格は父親似、好きな食べ物は肉」
くらいだ。
それにたいして周りからの基本的な野崎りののイメージは
「空気読めない、痩せたいと言いながら一向にダイエットしない、基本上から目線、いつも明るい、ケツがでかい、ゼッタイ霊とか見えてる、物事への分析は並はずれてる、妙な迫力がある、いつもジャージ、かなり目立つ」
くらいだろう。
しかし師匠と隊長はここにもっと踏み込んだ野崎りの像が加わる。
「自分の価値観をもって周りをはかろうとする一面的な未熟さがある、小さい頃の家庭の寂しさ(インナーチャイルド)をのりこえられていない、怒りは父親の思想と憑依霊の影響、強いなまけ心、現実逃避癖がありやるべき事が見えているのにやらない事が多い、やるべき事をやればおのずと道はひらける」
最初、私は師匠と隊長のおっしゃることがほとんどわからなかった。
今でもボンヤリとしかわからない。
それは、私が「知りたくない自分」がまだあるのだろう。
でも、私は私をもっともっと知りたい。私という人間の内面に深く穿ちいりたい。
だから私は自分を繕うことをまずやめた。ありのままの自分でありたい。そして、次の目標が「やるべきことをやれる自分になる」ことだ。
それがまわりを見る目をあたたかな眼差しにかえるための一番の「自己変革」であり、同時に自分をより深く知り、より深く周りを知るための方法の一つだと思っている。
これらのことをまとめたら、
「なんつーか、素直に自分を愛したいですな」
「そしたら素直に周りを好きになれるじゃん」
あ、二行で終わった・・・・(。・ω・)ゞ
二度目の退行催眠2020.10.22 ~カタリ派時代・古代エジプト(古代ギリシャ)
過去記事「『思いは実現する』らしい」から10年
ぐのーしすのおもひで
自分と関わる古代史メモ
アマミちゃんの思春期論 ~死ぬほど自分の暗闇を見ろ!
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Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 01:02│Comments(2)
│自分がたり
この記事へのコメント
おはようございます。日曜日の朝から訪問させて頂きました。
先日、紹介しましたポルノグラフィティの『愛が呼ぶほうへ』はお聴きに
なりましたでしょうか?“ぽえむん68”での私の質問にアマミキョさんから
<「私」および「私たち」は、私としては「守護霊・先祖霊」からの目線>
との返答を頂きました。
そこで、ポルノグラフィティの『愛が呼ぶほうへ』の歌詞をもう一度UPします。
ポルノグラフィティ 『愛が呼ぶほうへ』
http://www.youtube.com/watch?v=yHYeGedhhWw
作詞 新藤晴一
作曲 ak.homma
償う人の背に降り続く雨
綺麗な水をあげよう 望むまま
戸惑う人の目に吹きつける風
見えぬなら閉じればいい 手をとってあげよう
僕を知っているだろうか いつも傍にいるのだけど
My name is love
ほら何度でも僕たちは出逢っているでしょう?
そう 遠くから近くから君のこと見ている
幼い恋の瀬に一緒に泣いてくれた
友の隣で微笑んでいた
旅立つ君をただ黙って送った
父の背中の涙を受けとめていた
君は知っているだろうか 悲しみも喜びも
My name is love
僕が持つたくさんの名前のひとつだから
そう 永遠で一瞬で君にとってのすべてだ
花が空に伸びゆくように 海を越える旅人のように
いつも導かれているのでしょう 愛が呼ぶほうへ
僕を知っているだろうか いつも傍にいるのだけど
My name is love
ほら何度でも僕たちは出逢っているでしょう?
そう 永遠で一瞬で君にとってのすべてだ
遠くから近くから君のこと見ている
私は、ここで使われている『love(愛)』を『守護霊・先祖霊』と置き換えながら
この曲を聴くと人々の心は幾ばくかは癒されるのではないかと思います。尚
私の場合は、この『love(愛)』は宇宙に遍満する『善なるエネルギー(意識)』
と勝手に解釈して聴いています。まあ、一般的にはGODかも知れません。
もうひとつ8月3日の『どうでもいいつぶやき(宗教注意)』のコメントで紹介
したBoAの『Every Heart -ミンナノキモチ』と一緒に聴いていると“気持ち”
がこの世を超えたな精緻な安らぎの世界へとトリップする感じです。
BoA 『Every Heart -ミンナノキモチ』
http://www.youtube.com/watch?v=5xhp11_3zhI&playnext=1&videos=QZLDhuxRcyY
作曲:BOUNCEBACK
作詞:Natsumi Watanabe
いくつ 涙を流したら
Every Heart 素直になれるだろう
誰に 想いを伝えたら
Every Heart 心満たされるのだろう
長い長い夜に 怯えていた
遠い星に 祈ってた
めぐるめぐる時の中で
僕たちは 愛を探している
強く強くなりたいから
今日も 高い空 見上げている
どんな 笑顔に出逢えたら
Every Heart 夢に踏み出せるの
人は 悲しみの向こうに
Every Heart 幸せ浮かべて眠る
いつかいつか すべての魂が
やすらかになれるように
めぐるめぐる時の中で
僕たちは 生きて何かを知る
ときに笑い 少し泣いて
今日もまた 歩き続けて行く
幼い記憶の片隅に
あたたかな場所がある so sweet
星たちが話す未来は
いつも輝いてた so shine
めぐるめぐる時の中で
僕たちは 愛を探している
強く強くなりたいから
今日も 高い空 見上げている
めぐるめぐる時の中で
僕たちは 生きて何かを知る
ときに笑い 少し泣いて
今日もまた 歩き続けて行く
最後にポルノグラフィティの『アゲハ蝶 』を紹介して置きます。これも結構
哲学的で好きな曲の一つです。特に「旅人に尋ねてみた~彼が僕自身だ
と気づいたのは今更になってだった」のところは非常に面白いです。深読み
すれば今回のアマミキョさんのテーマともシンクロしていると思いました。
ポルノグラフィティ 『アゲハ蝶 』
http://www.youtube.com/watch?v=-6iJmgh9o4Q
作詞 新藤晴一
作曲 ak.homma
ヒラリヒラリと舞い遊ぶように
姿見せたアゲハ蝶
夏の夜の真ん中 月の下
喜びとしてのイエロー
憂いを帯びたブルーに
世の果てに似ている漆黒の羽
旅人に尋ねてみた
どこまで行(ユ)くのかと
いつになれば終えるのかと
旅人は答えた
終わりなどはないさ
終わらせることはできるけど
そう… じゃあ お気をつけてと
見送ったのはずっと前で
ここに未(イマ)だ還らない
彼が僕自身だと気づいたのは
今更になってだった
あなたに逢えた それだけでよかった
世界に光が満ちた
夢で逢えるだけでよかったのに
愛されたいと願ってしまった
世界が表情を変えた
世の果てでは空と海が交じる
詩人がたったひとひらの 言の葉に込めた
意味をついに知ることはない
そう それは友に できるならあなたに
届けばいいと思う
もしこれが戯曲(ギキョク)なら
なんてひどいストーリーだろう
進むことも戻ることもできずに
ただひとり舞台に立っているだけなのだから
あなたが望むのなら この身など
いつでも差し出していい
降り注(ソソ)ぐ火の粉の 盾(タテ)になろう
ただそこに一握り残った僕の想いを
すくい上げて心の隅において
あなたに逢えた それだけでよかった
世界に光が満ちた
夢で逢えるだけでよかったのに
愛されたいと願ってしまった
世界が表情を変えた
世の果てでは空と海が交じる
荒野に咲いたアゲハ蝶
揺らぐその景色の向こう
近づくことはできないオアシス
冷たい水をください できたら愛してください
僕の肩で羽を休めておくれ
*少し、スペースを取り過ぎました。ご容赦ください。
先日、紹介しましたポルノグラフィティの『愛が呼ぶほうへ』はお聴きに
なりましたでしょうか?“ぽえむん68”での私の質問にアマミキョさんから
<「私」および「私たち」は、私としては「守護霊・先祖霊」からの目線>
との返答を頂きました。
そこで、ポルノグラフィティの『愛が呼ぶほうへ』の歌詞をもう一度UPします。
ポルノグラフィティ 『愛が呼ぶほうへ』
http://www.youtube.com/watch?v=yHYeGedhhWw
作詞 新藤晴一
作曲 ak.homma
償う人の背に降り続く雨
綺麗な水をあげよう 望むまま
戸惑う人の目に吹きつける風
見えぬなら閉じればいい 手をとってあげよう
僕を知っているだろうか いつも傍にいるのだけど
My name is love
ほら何度でも僕たちは出逢っているでしょう?
そう 遠くから近くから君のこと見ている
幼い恋の瀬に一緒に泣いてくれた
友の隣で微笑んでいた
旅立つ君をただ黙って送った
父の背中の涙を受けとめていた
君は知っているだろうか 悲しみも喜びも
My name is love
僕が持つたくさんの名前のひとつだから
そう 永遠で一瞬で君にとってのすべてだ
花が空に伸びゆくように 海を越える旅人のように
いつも導かれているのでしょう 愛が呼ぶほうへ
僕を知っているだろうか いつも傍にいるのだけど
My name is love
ほら何度でも僕たちは出逢っているでしょう?
そう 永遠で一瞬で君にとってのすべてだ
遠くから近くから君のこと見ている
私は、ここで使われている『love(愛)』を『守護霊・先祖霊』と置き換えながら
この曲を聴くと人々の心は幾ばくかは癒されるのではないかと思います。尚
私の場合は、この『love(愛)』は宇宙に遍満する『善なるエネルギー(意識)』
と勝手に解釈して聴いています。まあ、一般的にはGODかも知れません。
もうひとつ8月3日の『どうでもいいつぶやき(宗教注意)』のコメントで紹介
したBoAの『Every Heart -ミンナノキモチ』と一緒に聴いていると“気持ち”
がこの世を超えたな精緻な安らぎの世界へとトリップする感じです。
BoA 『Every Heart -ミンナノキモチ』
http://www.youtube.com/watch?v=5xhp11_3zhI&playnext=1&videos=QZLDhuxRcyY
作曲:BOUNCEBACK
作詞:Natsumi Watanabe
いくつ 涙を流したら
Every Heart 素直になれるだろう
誰に 想いを伝えたら
Every Heart 心満たされるのだろう
長い長い夜に 怯えていた
遠い星に 祈ってた
めぐるめぐる時の中で
僕たちは 愛を探している
強く強くなりたいから
今日も 高い空 見上げている
どんな 笑顔に出逢えたら
Every Heart 夢に踏み出せるの
人は 悲しみの向こうに
Every Heart 幸せ浮かべて眠る
いつかいつか すべての魂が
やすらかになれるように
めぐるめぐる時の中で
僕たちは 生きて何かを知る
ときに笑い 少し泣いて
今日もまた 歩き続けて行く
幼い記憶の片隅に
あたたかな場所がある so sweet
星たちが話す未来は
いつも輝いてた so shine
めぐるめぐる時の中で
僕たちは 愛を探している
強く強くなりたいから
今日も 高い空 見上げている
めぐるめぐる時の中で
僕たちは 生きて何かを知る
ときに笑い 少し泣いて
今日もまた 歩き続けて行く
最後にポルノグラフィティの『アゲハ蝶 』を紹介して置きます。これも結構
哲学的で好きな曲の一つです。特に「旅人に尋ねてみた~彼が僕自身だ
と気づいたのは今更になってだった」のところは非常に面白いです。深読み
すれば今回のアマミキョさんのテーマともシンクロしていると思いました。
ポルノグラフィティ 『アゲハ蝶 』
http://www.youtube.com/watch?v=-6iJmgh9o4Q
作詞 新藤晴一
作曲 ak.homma
ヒラリヒラリと舞い遊ぶように
姿見せたアゲハ蝶
夏の夜の真ん中 月の下
喜びとしてのイエロー
憂いを帯びたブルーに
世の果てに似ている漆黒の羽
旅人に尋ねてみた
どこまで行(ユ)くのかと
いつになれば終えるのかと
旅人は答えた
終わりなどはないさ
終わらせることはできるけど
そう… じゃあ お気をつけてと
見送ったのはずっと前で
ここに未(イマ)だ還らない
彼が僕自身だと気づいたのは
今更になってだった
あなたに逢えた それだけでよかった
世界に光が満ちた
夢で逢えるだけでよかったのに
愛されたいと願ってしまった
世界が表情を変えた
世の果てでは空と海が交じる
詩人がたったひとひらの 言の葉に込めた
意味をついに知ることはない
そう それは友に できるならあなたに
届けばいいと思う
もしこれが戯曲(ギキョク)なら
なんてひどいストーリーだろう
進むことも戻ることもできずに
ただひとり舞台に立っているだけなのだから
あなたが望むのなら この身など
いつでも差し出していい
降り注(ソソ)ぐ火の粉の 盾(タテ)になろう
ただそこに一握り残った僕の想いを
すくい上げて心の隅において
あなたに逢えた それだけでよかった
世界に光が満ちた
夢で逢えるだけでよかったのに
愛されたいと願ってしまった
世界が表情を変えた
世の果てでは空と海が交じる
荒野に咲いたアゲハ蝶
揺らぐその景色の向こう
近づくことはできないオアシス
冷たい水をください できたら愛してください
僕の肩で羽を休めておくれ
*少し、スペースを取り過ぎました。ご容赦ください。
Posted by 宗教ウォッチャー at 2010年08月29日 09:20
>宗教ウォッチャーさん
聴かせていただきました。ありがとうございました。
鳥肌がたちました!
まさにリンクしていますね。
きっと、これは「集合無意識」といいますか、そういった「共通した感性」があるんでしょうね。それをどのような名前で呼ぶはそれぞれなのでしょうが。
なんというか、感性の世界はどこまでも希望にみちているんだなぁ・・・と感じます。
いつもながら、宗教ウォッチャーさんの知識の幅広さに驚嘆します。
ありがとうございました!
聴かせていただきました。ありがとうございました。
鳥肌がたちました!
まさにリンクしていますね。
きっと、これは「集合無意識」といいますか、そういった「共通した感性」があるんでしょうね。それをどのような名前で呼ぶはそれぞれなのでしょうが。
なんというか、感性の世界はどこまでも希望にみちているんだなぁ・・・と感じます。
いつもながら、宗教ウォッチャーさんの知識の幅広さに驚嘆します。
ありがとうございました!
Posted by アマミキョ
at 2010年08月30日 23:14

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