70代のお客様に答えた「奄美について」
2014年01月05日
年末からとあるホテルで、あるご高齢の男性のお客様が連続してなんと四回も指名してくださった。
本土からこられているお客様で、年末年始のご旅行らしい。
初日、マッサージをさせていただいてすぐに、突然
「徳田球一はどうしたのかなぁ」
と聞いてこられたので、思わず
「北京でお亡くなりになりましたよ」
と返したら、お気に召していただいたらしいです。(笑)
うちのパパが日本共産党奄美地区委員会支部講師資格持ちで、小さい頃からいろいろ聞いててよかった~(笑)
しかし本当に博識なお客様で、
田中角栄、
北一輝、
野坂参三、
安倍晋太郎、
宇野宗佑、
野中広務、
旧満州国、
中央集権と地方分権、
文化大革命、
他にも知らない名前もたくさん出てきて、もうついていくので精一杯。(笑)
お客様から「奄美はどんなものがあるのかな?」と聞かれたので、私がお伝えしたのは以下の通り。
・黒糖焼酎
・大島紬
・アマミノクロウサギ
・薩摩藩による明治維新を支えた資金源・奄美の黒糖(きっかけは宝暦の大治水で抱えた莫大な借金を返すために奄美で行ったサトウキビのプランテーションの強化。収奪は凄惨を極め、食べるものがソテツしかなくなったため、島民はあちこちに救荒食としてのソテツを常食として植え、「ソテツガナシ(ソテツ様)」と呼んだ。)
・丸田南里(』明治維新後も鹿児島県によって合法的に行われた黒糖収奪のシステム「大島商社」への反発からはじまった運動『黒糖勝手世騒動』のリーダー)
(このときの鹿児島県の弾圧による騒動の敗北から、運動に関わった青年たちの中から「学問ど」の言葉が生まれ、奄美の青年は、学問によって本土で身を立てるという気風ができる。その気風は、のちに奄美群島から一県を凌ぐ官僚や弁護士などを生むという学問的土壌の基となる)
・琉球侵攻に最後まで抵抗した喜界島と、薩摩侵攻に最後まで抵抗した徳之島
・昇曙夢(ロシア文学界の重鎮。有名な人には超有名。旧ソ連から正式招待された初の日本人)
・島尾敏雄(有名な人には超有名。戦後文学界の重鎮の一人。『出発は遂に訪れず(舞台は奄美)』『死の棘(奄美出身の奥さんとの壮絶な夫婦ゲンカの日々を綴った作品)』が有名。奄美に23年住んでた)
・西郷菊次郎(これを話したらお客様はびっくりしてました。そりゃ知らないわよね。)
・徳三宝(戦前の講道館の伝説の達人の一人)
そして、このことを父に言うと、父が一言。
「新納忠三と岡程良を忘れてるぞ」
とうちゃん、新納忠三と岡程良は本土にとっては有名人じゃないし!(笑)
岡程良と新納忠三について知りたい方はこちら。(泣けます)
ありがたいのは、新納忠三は鹿児島の方なのに、鹿児島県の奄美への横暴に耐え兼ねて、奄美側についたということです。
新納忠三先生、ありがとうございました・・・・(;ω;)
http://www.synapse.ne.jp/amamihistory/oka.htm
これだけ読むと奄美は悲劇の島だと思うかもしれませんが、
そんなことはなく、とっても優しい風土の癒しの島でございます(笑)
ちょっと今回はお客様のお好み「反骨精神」に沿ったマニアックなところばかりをお話してしまった。
次回はもっと明るいところも説明せねば。
失敗失敗☆
(。・ ω<)ゞてへぺろ♡
本土からこられているお客様で、年末年始のご旅行らしい。
初日、マッサージをさせていただいてすぐに、突然
「徳田球一はどうしたのかなぁ」
と聞いてこられたので、思わず
「北京でお亡くなりになりましたよ」
と返したら、お気に召していただいたらしいです。(笑)
うちのパパが日本共産党奄美地区委員会支部講師資格持ちで、小さい頃からいろいろ聞いててよかった~(笑)
しかし本当に博識なお客様で、
田中角栄、
北一輝、
野坂参三、
安倍晋太郎、
宇野宗佑、
野中広務、
旧満州国、
中央集権と地方分権、
文化大革命、
他にも知らない名前もたくさん出てきて、もうついていくので精一杯。(笑)
お客様から「奄美はどんなものがあるのかな?」と聞かれたので、私がお伝えしたのは以下の通り。
・黒糖焼酎
・大島紬
・アマミノクロウサギ
・薩摩藩による明治維新を支えた資金源・奄美の黒糖(きっかけは宝暦の大治水で抱えた莫大な借金を返すために奄美で行ったサトウキビのプランテーションの強化。収奪は凄惨を極め、食べるものがソテツしかなくなったため、島民はあちこちに救荒食としてのソテツを常食として植え、「ソテツガナシ(ソテツ様)」と呼んだ。)
・丸田南里(』明治維新後も鹿児島県によって合法的に行われた黒糖収奪のシステム「大島商社」への反発からはじまった運動『黒糖勝手世騒動』のリーダー)
(このときの鹿児島県の弾圧による騒動の敗北から、運動に関わった青年たちの中から「学問ど」の言葉が生まれ、奄美の青年は、学問によって本土で身を立てるという気風ができる。その気風は、のちに奄美群島から一県を凌ぐ官僚や弁護士などを生むという学問的土壌の基となる)
・琉球侵攻に最後まで抵抗した喜界島と、薩摩侵攻に最後まで抵抗した徳之島
・昇曙夢(ロシア文学界の重鎮。有名な人には超有名。旧ソ連から正式招待された初の日本人)
・島尾敏雄(有名な人には超有名。戦後文学界の重鎮の一人。『出発は遂に訪れず(舞台は奄美)』『死の棘(奄美出身の奥さんとの壮絶な夫婦ゲンカの日々を綴った作品)』が有名。奄美に23年住んでた)
・西郷菊次郎(これを話したらお客様はびっくりしてました。そりゃ知らないわよね。)
・徳三宝(戦前の講道館の伝説の達人の一人)
そして、このことを父に言うと、父が一言。
「新納忠三と岡程良を忘れてるぞ」
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失敗失敗☆
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