第二回隊長講演会・講演録(3)
2013年03月19日
私が教えを請うた先生が言う話では、亡くなられた人の最大の楽しみはなんであるかといったら、子孫が繁栄すること。そしてそれを、見守ることが一番の楽しみ、らしいです。
そのために、いろんなことを費やすんですよ、だから、霊障まがいのことをやったりもする、それは何かと言うと、いたずらをしているわけではなくて、(まだ気づいていない危機に対して)お知らせや警告を与えてくれてるんです。ちゃんと。
それを、額面どおりちゃんと受けとることができなかったりすると、変な方向に走っちゃうんですよ。ですよね。
神道の言葉の中に、大難を小難に、小難を無難にっていうのがあります。
大きい難があるのを、小さい難に変えてくれる。
小さい難だったのを、何にもない状態にしてくれる。
これも、神様及びご先祖さまの力なんですよ。
たとえば、車の事故に遭いました、なんて、ついてないんだと。でも、考え方を変えたら、その人が、もし怪我してないんだったら、ありがたいのかもしれない。そうでしょ?生きてる。保険でなんとかなる、と考えれば、必ずしもその事故が不運だったと言い切れない部分もでてくるんですね。
まあ、もちろん、不運ですよ、ならないほうがいいのに、なっちゃったんだから。
でも、大難が小難になっている可能性だけは切り捨てることができない。
そういうときに、「御先祖さまがもしかしたら助けてくれたのかな」と、ご先祖に声かけてみるのも、ひとつの手かな、って思うんですね。どうでしょう?
難しいですかね?
ここまでが、お墓の話と神様の話と御先祖さまの話と魂の話。やっつけみたいな話で申し訳ないんですけれど。
屋敷神と言って、家で祀る神様がおられます。屋敷神って言うのは正式な神様です、もちろん。
奄美では水神さまっていうんですかね。荒神さんになるのかな?ひょっとしたら三宝荒神。
ものすごくありがたい神様ですよ、家の中を守ってくださる。おそらく台所の神様みたいですね。
これは、われわれ神道も、ちゃんと祀っています、大事なことです。
だけど、これの類似品がいるんです。屋敷神であって、屋敷神じゃない。
なんだっていったら、 鬼なんです、鬼。
いるんですよ、鬼神。これを間違えて祀っちゃうとどういう事になるかというと、鬼貢ぎなんですね。鬼に貢ぐ。
これの違いは、大きいです。鬼貢ぎっていうのは、貢ぎものをやらないと願いを叶えてくれないんです、なんにも。その貢物がひどい内容だったりするんです、
一族の人間が自分とこの系統以外は全部絶えてしまったり、っていうこともあります。
だけど、屋敷神はそうじゃないですね、全体を繁栄させてくれる神様だったりする。でも、粗末に扱えば怒りますよ、当然。
家に祠があったりする庭がありますね、お稲荷さんとか、道祖神とか。そういうのも屋敷神と一緒だったりします。
あまり無下に扱っちゃだめなんですよ。その屋敷神の扱いを知っている先生方がおられるんだったら、もし、自分達が全然それを祀ることができないのだったら、御相談されて、返されたほうがいいです。
粗末な扱いをするくらいならね。
でも、さっきいった鬼、これは別だわ、タチ悪いんですよ。
でも、鬼だってわかっていて家の中にいれる阿呆もいるんです、なかには。
節分ありますね、本来、四節分っていって、いま、日本国内で言われる節分は、いわゆる豆まきをする節分。二月三日ですね。
この時に「鬼は外、福は内」と言いますが、これ、鬼は外って言わないで、鬼は内って、言っちゃうところがあるんですね。やっちゃいけないこと。どういう事かというと、その鬼神の力があまりにも強いから利用しようって言う話です。
いいですか?で、鬼を招き入れました、3億円くれと願うじゃないですか。
あまつさえ、そんなもんにお願いしちゃいけないです。そういう者にお願いするとどういうことになるか。3億円を手元に入れるんだったら、方法って、限られてますね。宝くじを買って当たるとか、でしょ。宝くじも買わずに3億円くれっていったら、どうなります?
残っているのはたぶん、保険金くらいしかないですよ・・・叶えてくれるんですよ・・・誰かを殺して。
神様のすることじゃないですね。そういうこともあるんです。契約。西洋で言ったら悪魔。
なかなかこういうのって、表面にでてこないんですね、
こういう鬼らが親玉で、その手先で小悪党みたいな悪霊がいっぱいいるわけですよ。それが大暴れしている。でもそのバックにそいつら(鬼)がいたりするんです。いないときもあるし、いるときもある。わかるときもあるし、わからないときもある、で、一家根絶やしなんてこともある。
でも、本当に、鬼じゃなくて、屋敷神の可能性もあるんですね。あまりにも扱いが悪すぎて、絶えちゃうというのも中にはあるんですよ。なかなか見分けられないです。まして、鬼を対処できる人って、あんまりいないです。
うかつに手を出すような世界じゃない。怖いですね。
で、分にあわないお願い、さっきいった3億円くれとか、ものすごく商売を繁盛させてくれ、誰よりも俺を一番にしてくれとか、こういうのを邪神にお願いしちゃうと大変なことになるんですよ。
分相応じゃないんですよ。必ずどこかで、ゆがみが出ます。ギャップ。
だから、地道に一生懸命やってくれというんです。道徳です。
自分の幸せって言うのは、数億円のお金で買うものでもなければ、売り上げ日本一を達成することでもないんです。そうじゃない。
分相応っていう部分、分相応って言うのは、私のレベルはここまでだから、これくらいくださいっていうレベルじゃないんですよ。
一生懸命やってみて、結果が残るじゃないですか、それが分相応です。
それ以上のものを別のもので求めれば、必ず、ギャップがでるんです。
それは、何かと契約しなくても、起こるんですよ。
心の中で思っていたり、変に行動したり、それが付け入る隙なんですね、心の。
だから、そういう心のつけいる隙っていうのを作らないように、気をつけてほしい。
それはなにかっていったら、もっと、もっと、って、思わないこと。一生懸命やってみたら、ここまで登りましたって言うことに対して、自分がいかに満足できるか、これが一番大事なんですね。
難しいんですよね、人間ってそうはいかないんですよ。もっと、もっとって、いっちゃうんですよ、そこを我慢する。これも大事なこと。
そのためにどうするかといったら、ご先祖さんを信じるわけです。そういう連中が寄って来づらい状況を作るために。全部このへん関連するんです。
じゃあ何かって言ったら、道徳を守って、清く正しく生きることが一番大事ということ。子供たちにもそういう話を伝えていくこと。ですよね。
これが基本です、なにごとにおいても。私利私欲はいけないとか、仏教のなかでいいますね、煩悩とか。
煩悩がなくなったら、人間ではないんですよ、多少はあります、誰でも。
ただ、過度な煩悩がいけないんですね。何でも貪るように求めると、危ないです、非常に。
去年かな。私、喋りながら、(会場内を)あちこち、歩いていたんですよ。今年はやめました。なんか皆さん怖がって、むさくるしいオヤジが目の前に来たぞとかいって。そう思われないようにするために主催者側から、ものすごい釘を刺されている(笑)顔が凶悪だから、あまり近寄るんじゃないと(笑)
僕の心はひどく傷ついたんですけど。でも、皆様に真実を知ってほしいから、一生懸命しゃべります。
だけど今回はそこに行かないです、怖がってほしくないから。(笑)
ここまでは、わかりました?わかりづらい?
これ(今日のお話)は、すべてがそうであるっていう話じゃないんですよ。私が根ざしてやっているなかではこういう事があるっていう説明なんです。
これをみなさんが、納得するかしないかというのは別の問題なんですよ。その中に、いやこういうのもあるはず、いやこういうのもあるはずっていうのは、必ずあります。
心の中にね、それは、プラスアルファとして、みなさん持っていてください、必要なことです。
なんでかっていったら、関心を持って前に進もうという気持ちが湧いているということですね。大事なんです。関心がないって言うよりはるかに。少なくともそこに気持ちがあるんだから。
今日のまとめなんですけど、何が一番大事で、なにより大切にしてほしいかというと、とにかく、御先祖さまに声をだして話しかけるということ。おはようございますでもいいんですよ。
知ってました?冷め切った夫婦を治す方法って、朝の挨拶らしいですよ。おはようございますって、ちゃんと、言えるかどうか?言えないでしょ?言ってください。
怨霊と同じです(笑)
言えばね、すこしやわらかくなる、ちょっと、よくなるかな、保証はないです(笑)
人間って、そういうものなんですよ、自分が嫌われているかもしれないって、お互いが思っていると、必要とされてない(と思い込んでしまう)。
されてます。黙っててもやってくれるさと思っているだけ。
でも女の人は違うもんね。感謝されたい。言ってほしい。言葉で表してほしい。
当たり前です。女性はそれだけのことをしてくれているんですから。
ご先祖さんも同じ。そういうふうに考えてください。喋って伝えなきゃわからない。感謝の気持ちは、夫婦でも同じ、喋って伝えないとわからない。
言ってみてくださいよ、一言。朝、おはようとかって、突然。おいおいってはじめ思うかもしれないけど、1週間2週間たつごとに、状況は全然変わりますよ。
で、そのときに思ってください。旦那さんでも奥さんでもこんなに変わるんだから、ご先祖さまに声かければ、こんなもんじゃねえだろうなって、思ってください。わかります?
挨拶をしなくなることが(関係が)冷え切る原因なんですね。
神様が相手でも、ご先祖さまが相手でも、旦那さんが相手でも、奥さんが相手でも、そうなんです。
生きてる人間、死んでる人間の違いなだけ。生きてる人間の延長が死んでる人間。なんら変わらない、扱いは一緒。
でも、死んでる人間に対しては、生きてる人間は自分の都合を押し付けるんです。
だめですね。自分の子供が病気になったりしたときは、例えば、運動会がある、だけど病気になって寝込んじゃった、会社を休んででも看病しなきゃって、一生懸命看るんですよね、
だけど、ご先祖さまがいま、苦しい状況にあるって言ったら、会社休みます?いやいや会社が先だろって言うんでしょ?
だけど、もし、ご先祖さまと、会話することができるんだったら、状況変わりますよ。生きてる人間と変わらないと思えば、無下にはできない。
祀り方もそう、勘違いの祀り方もよくない。どういうことかっていったら、相手の身になって考えなくてはいけないということです。自分の都合で祀っているとろくなことにならないですよ。
こんなに一生懸命になって祀っているのに、なんでいろんなことが起きるんだよって、部屋の中がビシビシ鳴るは、ろくなことはないわって。
でもそれは自分の身勝手で見ている可能性もあるって思ってください。
内容はあえて伏せます、そういう方もおられるかもわからない。でも自分の身勝手が原因で、祀っているやりかたもあるんですよ、なかには。自分の都合だけで、祀る。
すごいご先祖を持って、何十代って、奄美大島でお墓を作っている。東京に一族が全部引っ越していっちゃって、手を合わせるのが面倒だから、東京の小さい猫の額みたいな墓地に全部移しましたと。
(ご先祖にとっては)いい迷惑ですよね。今まで一生懸命にそこ(奄美大島)で祀られていたのに、なんだよって。
年1回か2回帰ってきて、手を合わせるだけでいいからさ、干渉するなって言いたいけど、言えない。
なんでかっていったら、生きてる人間のほうの都合に合わせなきゃいけないんだもん。
それは、わがままです、生きてる人間の。そういうことをふまえて考えてください。
祀るということ、それは、自分勝手に物事を判断してするってことじゃなくて、死んだ人間が仮に生きていると仮定したときに、ものすごくいやな思いをしていないだろうかっていうことをいま一歩考えることができることを祀るっていうんです。
わかりました?
こんな若造が、こんな偉そうな話をしています。でも、私がずっとやってきた経験のなかで、これがほとんど。大事なことだと思います。
これを勘違いしなかったら、ものすごく幸せになれますよ。幸せになれます。
ものすごく幸せになれますっていうのは、通常の2.5倍くらい男前の兄ちゃんと、結婚したりとか、そういう話じゃないですよ(笑)そういうのは自分で探してください、ちゃんと。(笑)
そういうのじゃないです。自分なりに幸せになれるんです。心が豊かになる、ってことですね、大事なこと。
だから、ここの地元の神様(ユタ)の方々から聞いた話でも、ちゃんと自分なりに解釈してください。 真面目に。勘違いしないように。
脅されているんじゃないんです。その人達のことを思うがゆえに言っているって事もあるわけです。
だけど、粗末にするっていう状況が確かにそこに見受けられるのなら、多少強い言い方で注意することもあるんですね。
でもそれは、自分に驕りがあったんじゃないかっていうふうに受け止めて反省することも大事じゃないかっていうことを、忘れないでください。
そして、それを修正することによって、劇的に状況が変わるんじゃないかってことも、忘れないでください。
もう一つ言いたいのは、それを、子々孫々に伝えていかなければいけないといことです。なんでかっていうと、自分が死んだあと、祀ってもらわなければいけないでしょ。
あんまり子供いじめてたら、祀ってもらえませんよ。
ちゃんと祀ってもらえるように、たまにおいしいご飯食わせたりしてみてください。必要です。契約ですね、生きている間の。そういった感じです。
これで、全部かいな、ほとんど。まだ質問あったかいな?
(スタッフ「合祀(ごうさい)」)
合祀の話か、あんまりしたくないんだよな、いやいや、しようか。
合祀っていま、いいましたね、合わせ祀る、女性の方が多いから、今日言うまいと思っていたんですよ。
旦那さんのところにお嫁さんに行きました。そうしたら、旦那さんの家の神様を祀らなきゃいけない。
そうしたら、自分のところのご先祖、お父さん、お母さん(の入った仏壇)、連れて行けないんですよって言ったら、冷たいって、思わない?思うでしょ。これが合祀。
でも理由があるんです。さっき言ったみたいに、死んだ人間としてとらえずに、生きた人間として捉えてください。
旦那さんのところにお嫁さんに行きました。生きているお父さんとお母さんを連れて行って、毎日、私に面倒見さして、毎日ここでご飯食べてっていったら、喜んで行く?
絶対に行かないよね、冗談じゃない、これが、本音。
どういうことかって言うと、祀られる側のことを考えなさいっていうのが、ここにあるんです。わかります?
自分の都合でしょ?親の面倒見たいのはわかるけど、それが、亡くなられたって言うのが理由で、コンパクトになっている。文句も言わないし、だから、連れて行っている。で、自分が自己満足している。親の面倒みているんだからって、思い込んでいる。
でも、(連れて行かれた方のご先祖は)肩身の狭い思いをしているんだよね、本当は。
っていうことも考えましょうっていう話。こういう風に言えば、さっきの話と変わってくるでしょ、状況が。
だから、言っているんです。「生きている人間だったらどうなんだろう、ってことを、考えなければだめですよ」って。自分の勘違いが、そこに存在するんじゃないかってことを認識しましょう、って言う話、なんです。わかりづらいですかね?
口癖ですね(笑)わかりづらくないつもりだから、はなから、そう思っていない言い方ですね。これは。(笑)
絶対わかっているはずだ、と思っているから。だけど、もしそれで、しくじったら、わかりづらかったと言ってください。そうしたら僕のせいになります。
でも、僕は、小学校3,4年生くらいの子でもわかるように話している。だから、子供たちもそういう話聞いたら、たぶん、押してくれます、周りの人たちに。
前回のときもそうだったかな。講演のあと、聞いていた子供さんが、近所のおばちゃんに教えたらしいですよ。
お墓参りにいけないって、悔やんでいる人は、家からお墓のほうを向いて手を合わせても大丈夫らしいよって。この子はいいこと教えてくれたって、近所のおばちゃんが言っていたらしいです。いいじゃないですか、それで。
そういうことの繰り返しっていうのは、一番大事なんですよ、昔の日本は、そういうのがあったんです。最近冷たくなって、隣の家に誰が住んでいるかさえわからない、それじゃだめなんです、でしょ?
道徳ってそういうことだと思います。
たいへん、長らくありがとうございました。皆様のおかげで、今宵もかなり楽しい思いをさせていただきました。
できましたら、来年、また呼んでください。よろしくお願いいたします。
そのために、いろんなことを費やすんですよ、だから、霊障まがいのことをやったりもする、それは何かと言うと、いたずらをしているわけではなくて、(まだ気づいていない危機に対して)お知らせや警告を与えてくれてるんです。ちゃんと。
それを、額面どおりちゃんと受けとることができなかったりすると、変な方向に走っちゃうんですよ。ですよね。
神道の言葉の中に、大難を小難に、小難を無難にっていうのがあります。
大きい難があるのを、小さい難に変えてくれる。
小さい難だったのを、何にもない状態にしてくれる。
これも、神様及びご先祖さまの力なんですよ。
たとえば、車の事故に遭いました、なんて、ついてないんだと。でも、考え方を変えたら、その人が、もし怪我してないんだったら、ありがたいのかもしれない。そうでしょ?生きてる。保険でなんとかなる、と考えれば、必ずしもその事故が不運だったと言い切れない部分もでてくるんですね。
まあ、もちろん、不運ですよ、ならないほうがいいのに、なっちゃったんだから。
でも、大難が小難になっている可能性だけは切り捨てることができない。
そういうときに、「御先祖さまがもしかしたら助けてくれたのかな」と、ご先祖に声かけてみるのも、ひとつの手かな、って思うんですね。どうでしょう?
難しいですかね?
ここまでが、お墓の話と神様の話と御先祖さまの話と魂の話。やっつけみたいな話で申し訳ないんですけれど。
屋敷神と言って、家で祀る神様がおられます。屋敷神って言うのは正式な神様です、もちろん。
奄美では水神さまっていうんですかね。荒神さんになるのかな?ひょっとしたら三宝荒神。
ものすごくありがたい神様ですよ、家の中を守ってくださる。おそらく台所の神様みたいですね。
これは、われわれ神道も、ちゃんと祀っています、大事なことです。
だけど、これの類似品がいるんです。屋敷神であって、屋敷神じゃない。
なんだっていったら、 鬼なんです、鬼。
いるんですよ、鬼神。これを間違えて祀っちゃうとどういう事になるかというと、鬼貢ぎなんですね。鬼に貢ぐ。
これの違いは、大きいです。鬼貢ぎっていうのは、貢ぎものをやらないと願いを叶えてくれないんです、なんにも。その貢物がひどい内容だったりするんです、
一族の人間が自分とこの系統以外は全部絶えてしまったり、っていうこともあります。
だけど、屋敷神はそうじゃないですね、全体を繁栄させてくれる神様だったりする。でも、粗末に扱えば怒りますよ、当然。
家に祠があったりする庭がありますね、お稲荷さんとか、道祖神とか。そういうのも屋敷神と一緒だったりします。
あまり無下に扱っちゃだめなんですよ。その屋敷神の扱いを知っている先生方がおられるんだったら、もし、自分達が全然それを祀ることができないのだったら、御相談されて、返されたほうがいいです。
粗末な扱いをするくらいならね。
でも、さっきいった鬼、これは別だわ、タチ悪いんですよ。
でも、鬼だってわかっていて家の中にいれる阿呆もいるんです、なかには。
節分ありますね、本来、四節分っていって、いま、日本国内で言われる節分は、いわゆる豆まきをする節分。二月三日ですね。
この時に「鬼は外、福は内」と言いますが、これ、鬼は外って言わないで、鬼は内って、言っちゃうところがあるんですね。やっちゃいけないこと。どういう事かというと、その鬼神の力があまりにも強いから利用しようって言う話です。
いいですか?で、鬼を招き入れました、3億円くれと願うじゃないですか。
あまつさえ、そんなもんにお願いしちゃいけないです。そういう者にお願いするとどういうことになるか。3億円を手元に入れるんだったら、方法って、限られてますね。宝くじを買って当たるとか、でしょ。宝くじも買わずに3億円くれっていったら、どうなります?
残っているのはたぶん、保険金くらいしかないですよ・・・叶えてくれるんですよ・・・誰かを殺して。
神様のすることじゃないですね。そういうこともあるんです。契約。西洋で言ったら悪魔。
なかなかこういうのって、表面にでてこないんですね、
こういう鬼らが親玉で、その手先で小悪党みたいな悪霊がいっぱいいるわけですよ。それが大暴れしている。でもそのバックにそいつら(鬼)がいたりするんです。いないときもあるし、いるときもある。わかるときもあるし、わからないときもある、で、一家根絶やしなんてこともある。
でも、本当に、鬼じゃなくて、屋敷神の可能性もあるんですね。あまりにも扱いが悪すぎて、絶えちゃうというのも中にはあるんですよ。なかなか見分けられないです。まして、鬼を対処できる人って、あんまりいないです。
うかつに手を出すような世界じゃない。怖いですね。
で、分にあわないお願い、さっきいった3億円くれとか、ものすごく商売を繁盛させてくれ、誰よりも俺を一番にしてくれとか、こういうのを邪神にお願いしちゃうと大変なことになるんですよ。
分相応じゃないんですよ。必ずどこかで、ゆがみが出ます。ギャップ。
だから、地道に一生懸命やってくれというんです。道徳です。
自分の幸せって言うのは、数億円のお金で買うものでもなければ、売り上げ日本一を達成することでもないんです。そうじゃない。
分相応っていう部分、分相応って言うのは、私のレベルはここまでだから、これくらいくださいっていうレベルじゃないんですよ。
一生懸命やってみて、結果が残るじゃないですか、それが分相応です。
それ以上のものを別のもので求めれば、必ず、ギャップがでるんです。
それは、何かと契約しなくても、起こるんですよ。
心の中で思っていたり、変に行動したり、それが付け入る隙なんですね、心の。
だから、そういう心のつけいる隙っていうのを作らないように、気をつけてほしい。
それはなにかっていったら、もっと、もっと、って、思わないこと。一生懸命やってみたら、ここまで登りましたって言うことに対して、自分がいかに満足できるか、これが一番大事なんですね。
難しいんですよね、人間ってそうはいかないんですよ。もっと、もっとって、いっちゃうんですよ、そこを我慢する。これも大事なこと。
そのためにどうするかといったら、ご先祖さんを信じるわけです。そういう連中が寄って来づらい状況を作るために。全部このへん関連するんです。
じゃあ何かって言ったら、道徳を守って、清く正しく生きることが一番大事ということ。子供たちにもそういう話を伝えていくこと。ですよね。
これが基本です、なにごとにおいても。私利私欲はいけないとか、仏教のなかでいいますね、煩悩とか。
煩悩がなくなったら、人間ではないんですよ、多少はあります、誰でも。
ただ、過度な煩悩がいけないんですね。何でも貪るように求めると、危ないです、非常に。
去年かな。私、喋りながら、(会場内を)あちこち、歩いていたんですよ。今年はやめました。なんか皆さん怖がって、むさくるしいオヤジが目の前に来たぞとかいって。そう思われないようにするために主催者側から、ものすごい釘を刺されている(笑)顔が凶悪だから、あまり近寄るんじゃないと(笑)
僕の心はひどく傷ついたんですけど。でも、皆様に真実を知ってほしいから、一生懸命しゃべります。
だけど今回はそこに行かないです、怖がってほしくないから。(笑)
ここまでは、わかりました?わかりづらい?
これ(今日のお話)は、すべてがそうであるっていう話じゃないんですよ。私が根ざしてやっているなかではこういう事があるっていう説明なんです。
これをみなさんが、納得するかしないかというのは別の問題なんですよ。その中に、いやこういうのもあるはず、いやこういうのもあるはずっていうのは、必ずあります。
心の中にね、それは、プラスアルファとして、みなさん持っていてください、必要なことです。
なんでかっていったら、関心を持って前に進もうという気持ちが湧いているということですね。大事なんです。関心がないって言うよりはるかに。少なくともそこに気持ちがあるんだから。
今日のまとめなんですけど、何が一番大事で、なにより大切にしてほしいかというと、とにかく、御先祖さまに声をだして話しかけるということ。おはようございますでもいいんですよ。
知ってました?冷め切った夫婦を治す方法って、朝の挨拶らしいですよ。おはようございますって、ちゃんと、言えるかどうか?言えないでしょ?言ってください。
怨霊と同じです(笑)
言えばね、すこしやわらかくなる、ちょっと、よくなるかな、保証はないです(笑)
人間って、そういうものなんですよ、自分が嫌われているかもしれないって、お互いが思っていると、必要とされてない(と思い込んでしまう)。
されてます。黙っててもやってくれるさと思っているだけ。
でも女の人は違うもんね。感謝されたい。言ってほしい。言葉で表してほしい。
当たり前です。女性はそれだけのことをしてくれているんですから。
ご先祖さんも同じ。そういうふうに考えてください。喋って伝えなきゃわからない。感謝の気持ちは、夫婦でも同じ、喋って伝えないとわからない。
言ってみてくださいよ、一言。朝、おはようとかって、突然。おいおいってはじめ思うかもしれないけど、1週間2週間たつごとに、状況は全然変わりますよ。
で、そのときに思ってください。旦那さんでも奥さんでもこんなに変わるんだから、ご先祖さまに声かければ、こんなもんじゃねえだろうなって、思ってください。わかります?
挨拶をしなくなることが(関係が)冷え切る原因なんですね。
神様が相手でも、ご先祖さまが相手でも、旦那さんが相手でも、奥さんが相手でも、そうなんです。
生きてる人間、死んでる人間の違いなだけ。生きてる人間の延長が死んでる人間。なんら変わらない、扱いは一緒。
でも、死んでる人間に対しては、生きてる人間は自分の都合を押し付けるんです。
だめですね。自分の子供が病気になったりしたときは、例えば、運動会がある、だけど病気になって寝込んじゃった、会社を休んででも看病しなきゃって、一生懸命看るんですよね、
だけど、ご先祖さまがいま、苦しい状況にあるって言ったら、会社休みます?いやいや会社が先だろって言うんでしょ?
だけど、もし、ご先祖さまと、会話することができるんだったら、状況変わりますよ。生きてる人間と変わらないと思えば、無下にはできない。
祀り方もそう、勘違いの祀り方もよくない。どういうことかっていったら、相手の身になって考えなくてはいけないということです。自分の都合で祀っているとろくなことにならないですよ。
こんなに一生懸命になって祀っているのに、なんでいろんなことが起きるんだよって、部屋の中がビシビシ鳴るは、ろくなことはないわって。
でもそれは自分の身勝手で見ている可能性もあるって思ってください。
内容はあえて伏せます、そういう方もおられるかもわからない。でも自分の身勝手が原因で、祀っているやりかたもあるんですよ、なかには。自分の都合だけで、祀る。
すごいご先祖を持って、何十代って、奄美大島でお墓を作っている。東京に一族が全部引っ越していっちゃって、手を合わせるのが面倒だから、東京の小さい猫の額みたいな墓地に全部移しましたと。
(ご先祖にとっては)いい迷惑ですよね。今まで一生懸命にそこ(奄美大島)で祀られていたのに、なんだよって。
年1回か2回帰ってきて、手を合わせるだけでいいからさ、干渉するなって言いたいけど、言えない。
なんでかっていったら、生きてる人間のほうの都合に合わせなきゃいけないんだもん。
それは、わがままです、生きてる人間の。そういうことをふまえて考えてください。
祀るということ、それは、自分勝手に物事を判断してするってことじゃなくて、死んだ人間が仮に生きていると仮定したときに、ものすごくいやな思いをしていないだろうかっていうことをいま一歩考えることができることを祀るっていうんです。
わかりました?
こんな若造が、こんな偉そうな話をしています。でも、私がずっとやってきた経験のなかで、これがほとんど。大事なことだと思います。
これを勘違いしなかったら、ものすごく幸せになれますよ。幸せになれます。
ものすごく幸せになれますっていうのは、通常の2.5倍くらい男前の兄ちゃんと、結婚したりとか、そういう話じゃないですよ(笑)そういうのは自分で探してください、ちゃんと。(笑)
そういうのじゃないです。自分なりに幸せになれるんです。心が豊かになる、ってことですね、大事なこと。
だから、ここの地元の神様(ユタ)の方々から聞いた話でも、ちゃんと自分なりに解釈してください。 真面目に。勘違いしないように。
脅されているんじゃないんです。その人達のことを思うがゆえに言っているって事もあるわけです。
だけど、粗末にするっていう状況が確かにそこに見受けられるのなら、多少強い言い方で注意することもあるんですね。
でもそれは、自分に驕りがあったんじゃないかっていうふうに受け止めて反省することも大事じゃないかっていうことを、忘れないでください。
そして、それを修正することによって、劇的に状況が変わるんじゃないかってことも、忘れないでください。
もう一つ言いたいのは、それを、子々孫々に伝えていかなければいけないといことです。なんでかっていうと、自分が死んだあと、祀ってもらわなければいけないでしょ。
あんまり子供いじめてたら、祀ってもらえませんよ。
ちゃんと祀ってもらえるように、たまにおいしいご飯食わせたりしてみてください。必要です。契約ですね、生きている間の。そういった感じです。
これで、全部かいな、ほとんど。まだ質問あったかいな?
(スタッフ「合祀(ごうさい)」)
合祀の話か、あんまりしたくないんだよな、いやいや、しようか。
合祀っていま、いいましたね、合わせ祀る、女性の方が多いから、今日言うまいと思っていたんですよ。
旦那さんのところにお嫁さんに行きました。そうしたら、旦那さんの家の神様を祀らなきゃいけない。
そうしたら、自分のところのご先祖、お父さん、お母さん(の入った仏壇)、連れて行けないんですよって言ったら、冷たいって、思わない?思うでしょ。これが合祀。
でも理由があるんです。さっき言ったみたいに、死んだ人間としてとらえずに、生きた人間として捉えてください。
旦那さんのところにお嫁さんに行きました。生きているお父さんとお母さんを連れて行って、毎日、私に面倒見さして、毎日ここでご飯食べてっていったら、喜んで行く?
絶対に行かないよね、冗談じゃない、これが、本音。
どういうことかって言うと、祀られる側のことを考えなさいっていうのが、ここにあるんです。わかります?
自分の都合でしょ?親の面倒見たいのはわかるけど、それが、亡くなられたって言うのが理由で、コンパクトになっている。文句も言わないし、だから、連れて行っている。で、自分が自己満足している。親の面倒みているんだからって、思い込んでいる。
でも、(連れて行かれた方のご先祖は)肩身の狭い思いをしているんだよね、本当は。
っていうことも考えましょうっていう話。こういう風に言えば、さっきの話と変わってくるでしょ、状況が。
だから、言っているんです。「生きている人間だったらどうなんだろう、ってことを、考えなければだめですよ」って。自分の勘違いが、そこに存在するんじゃないかってことを認識しましょう、って言う話、なんです。わかりづらいですかね?
口癖ですね(笑)わかりづらくないつもりだから、はなから、そう思っていない言い方ですね。これは。(笑)
絶対わかっているはずだ、と思っているから。だけど、もしそれで、しくじったら、わかりづらかったと言ってください。そうしたら僕のせいになります。
でも、僕は、小学校3,4年生くらいの子でもわかるように話している。だから、子供たちもそういう話聞いたら、たぶん、押してくれます、周りの人たちに。
前回のときもそうだったかな。講演のあと、聞いていた子供さんが、近所のおばちゃんに教えたらしいですよ。
お墓参りにいけないって、悔やんでいる人は、家からお墓のほうを向いて手を合わせても大丈夫らしいよって。この子はいいこと教えてくれたって、近所のおばちゃんが言っていたらしいです。いいじゃないですか、それで。
そういうことの繰り返しっていうのは、一番大事なんですよ、昔の日本は、そういうのがあったんです。最近冷たくなって、隣の家に誰が住んでいるかさえわからない、それじゃだめなんです、でしょ?
道徳ってそういうことだと思います。
たいへん、長らくありがとうございました。皆様のおかげで、今宵もかなり楽しい思いをさせていただきました。
できましたら、来年、また呼んでください。よろしくお願いいたします。
隊長による年越の大祓・ネット受付のお知らせ!
隊長の夏越の大祓・ネット受付のお知らせ!!
隊長講習会IN東大阪市・開催決定!!!!!
【隊長】関西講演会企画&夏越しの大祓ネット受付のお知らせ
第三回隊長講演会 講演録(4)
第三回隊長講演会 講演録(3)
隊長の夏越の大祓・ネット受付のお知らせ!!
隊長講習会IN東大阪市・開催決定!!!!!
【隊長】関西講演会企画&夏越しの大祓ネット受付のお知らせ
第三回隊長講演会 講演録(4)
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Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 18:36│Comments(1)
│隊長(眷属さん)
この記事へのコメント
とってもすばらしいお話ありがとうございました。
お祀り、屋敷神、お墓、仏壇、四魂の話など、目からウロコな話が
たくさんあって、じっくり読み込みました。
隊長講演会のポスターに、奄美は女神の島と書いてありましたが、
次回の講演会では奄美は女神の島であるという点についてもお話頂けると嬉しいです。
お祀り、屋敷神、お墓、仏壇、四魂の話など、目からウロコな話が
たくさんあって、じっくり読み込みました。
隊長講演会のポスターに、奄美は女神の島と書いてありましたが、
次回の講演会では奄美は女神の島であるという点についてもお話頂けると嬉しいです。
Posted by ミーハー at 2013年03月24日 17:41
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