隊長の話・「御蔭」の度合い~隊長講演会余話
2013年03月11日
隊長講演会の書き起こしをお待ちのみなさん、もうしばし!もうしばしだけ待たれい!!!!
ごめんなさい・・・。゚(゚´Д`゚)゚。
今回は、あまり長くお待たせしてしまっておりますお詫びとして、
とっておきのネタを出してしんぜよう!(笑)
これは、先日の隊長講演会の合間に、隊長からお聞きしたお話。
いわば、隊長講演会余話となります。
「隊長、○○君がご神前に向かうときの姿勢なんですが」
「なんか問題があったか?」
「私から見たときに、どうも○○君が猫背というか、前屈みになりすぎている気がするんです」
「たしかにそう見えたな。それがどうかしたのか?」
「ええ、もっと背筋を伸ばすべきではないかと」
「それは違うよ。(笑)」
「え!」
「他の場所はともかく、ご神前だろ?
神様の前で反り返って胸張ってるのと、遜って少し前屈みになってるのと、どっちが神様に対してより美しい姿だと思う?
神様にご奉仕させていただく側が、ご神前で遜ることは素晴らしい事だと俺は思うけどな」
「そ・・・そうでしたか!失礼しました!」
「そうか、この辺からの話になるんだよな。神道にふれてないと、わからないんだな」
「無知でお恥ずかしいです」
「いやいや、いいんだよ。じゃあ、たとえを話そうか。
とっても子供を愛している母親がいて、その子供が二人いたとする」
「はぁ」
「母親が、二人に同じ値段の靴を、それぞれに一足ずつ買ってあげる」
「はい」
「一人は、いつまでも大事に履いて、靴底に穴が空くまで履く。
母親がある日靴底に穴が空いていることに気づくまで、大切に履き続ける」
「はい」
「もうひとりは、母親が買ってきた靴を数日履いて、
“見た目が気に入らないから違うのを買って”とお願いする。」
「はい」
「母親は、どちらにも、もう一度靴を買ってあげるだろう。
でも、二度目以降に買ってあげる靴の値段は、徐々に違ってくると思う。
親は子供に対してはつねに平等に愛しているから、露骨に差は付けない。
でも、子供からの反応や姿勢がどうだったかで、親にとって本当になにげない差が徐々につくんだよ。
そしてそれは、親のせいじゃなく、子供が招いてるんだ。
わかるかな?」
「そうですね、履きつぶすまで大事に履いてくれる子になら、きっと高くて丈夫な靴を買うでしょうし、
すぐにわがままを言う子には、またわがまま言うかもしれないから、安い靴を買うでしょうね」
「そう。そしてそれは、神様もそうなんだよ。
これが神様ならどうなると思う?
『御蔭』(神仏の助け・加護)の度合いが変わってくるんだよ。
神様は我々が祈れば必ず『御蔭』をくれるさ。
でも、一度目の『御蔭』をどのように受け止めたか。どう報いたか。
それによって二度目、三度目、それ以降に、『御蔭』の度合いは少しずつ変わってくるんだと俺は思うよ」
「だから、遜ることが大切なんですね!」
「そう。それは見た目じゃないかと言うかもしれない。でも、気持ちは行いに宿る。
だから、同じご神前での奉仕でも、また人間関係でも『誠心誠意』が大切なんじゃないかな。
誠心誠意は同じ行為をしても、必ずにじみ出るんだ。
それは神様の前では、なおさらだと思う。
ならば、我々は神様から戴く『御蔭』に対して、どうあるべきかな?」
「感謝し、恭しく戴くべきですね」
「なら、反り返って胸を張るのと、遜りをもって少し姿勢を前におとすのと、どちらが美しいかな?」
「・・・・後者です」
「これは、とても大切なことだよ。
『御蔭』をいただけることを、当然のようにしているか。
いただけた『御蔭』に心から感謝して、一生懸命に報いようとするか。
それは必ず次に繋がるし、結果的にどう結びついたとしても、それは、本人が招くんだよ。
これは人間関係にも通じる、大切な考え方だと俺は思ってるよ」
周りや神様から戴いている『御蔭』。
そのありがたさを知り、恭しくいただける自分になりたいと思いました。
そのキーワードは、「誠心誠意」と「奉仕」。
奉仕は相手に尽くし、見返りを求めないこと。
それは遜りとなり礼儀となり優しさとなる。
奉仕とは、なんと美しく、そして自己に厳しいものでしょうか?
奉仕の峯ははるか高いです!
(;・∀・)
ごめんなさい・・・。゚(゚´Д`゚)゚。
今回は、あまり長くお待たせしてしまっておりますお詫びとして、
とっておきのネタを出してしんぜよう!(笑)
これは、先日の隊長講演会の合間に、隊長からお聞きしたお話。
いわば、隊長講演会余話となります。
「隊長、○○君がご神前に向かうときの姿勢なんですが」
「なんか問題があったか?」
「私から見たときに、どうも○○君が猫背というか、前屈みになりすぎている気がするんです」
「たしかにそう見えたな。それがどうかしたのか?」
「ええ、もっと背筋を伸ばすべきではないかと」
「それは違うよ。(笑)」
「え!」
「他の場所はともかく、ご神前だろ?
神様の前で反り返って胸張ってるのと、遜って少し前屈みになってるのと、どっちが神様に対してより美しい姿だと思う?
神様にご奉仕させていただく側が、ご神前で遜ることは素晴らしい事だと俺は思うけどな」
「そ・・・そうでしたか!失礼しました!」
「そうか、この辺からの話になるんだよな。神道にふれてないと、わからないんだな」
「無知でお恥ずかしいです」
「いやいや、いいんだよ。じゃあ、たとえを話そうか。
とっても子供を愛している母親がいて、その子供が二人いたとする」
「はぁ」
「母親が、二人に同じ値段の靴を、それぞれに一足ずつ買ってあげる」
「はい」
「一人は、いつまでも大事に履いて、靴底に穴が空くまで履く。
母親がある日靴底に穴が空いていることに気づくまで、大切に履き続ける」
「はい」
「もうひとりは、母親が買ってきた靴を数日履いて、
“見た目が気に入らないから違うのを買って”とお願いする。」
「はい」
「母親は、どちらにも、もう一度靴を買ってあげるだろう。
でも、二度目以降に買ってあげる靴の値段は、徐々に違ってくると思う。
親は子供に対してはつねに平等に愛しているから、露骨に差は付けない。
でも、子供からの反応や姿勢がどうだったかで、親にとって本当になにげない差が徐々につくんだよ。
そしてそれは、親のせいじゃなく、子供が招いてるんだ。
わかるかな?」
「そうですね、履きつぶすまで大事に履いてくれる子になら、きっと高くて丈夫な靴を買うでしょうし、
すぐにわがままを言う子には、またわがまま言うかもしれないから、安い靴を買うでしょうね」
「そう。そしてそれは、神様もそうなんだよ。
これが神様ならどうなると思う?
『御蔭』(神仏の助け・加護)の度合いが変わってくるんだよ。
神様は我々が祈れば必ず『御蔭』をくれるさ。
でも、一度目の『御蔭』をどのように受け止めたか。どう報いたか。
それによって二度目、三度目、それ以降に、『御蔭』の度合いは少しずつ変わってくるんだと俺は思うよ」
「だから、遜ることが大切なんですね!」
「そう。それは見た目じゃないかと言うかもしれない。でも、気持ちは行いに宿る。
だから、同じご神前での奉仕でも、また人間関係でも『誠心誠意』が大切なんじゃないかな。
誠心誠意は同じ行為をしても、必ずにじみ出るんだ。
それは神様の前では、なおさらだと思う。
ならば、我々は神様から戴く『御蔭』に対して、どうあるべきかな?」
「感謝し、恭しく戴くべきですね」
「なら、反り返って胸を張るのと、遜りをもって少し姿勢を前におとすのと、どちらが美しいかな?」
「・・・・後者です」
「これは、とても大切なことだよ。
『御蔭』をいただけることを、当然のようにしているか。
いただけた『御蔭』に心から感謝して、一生懸命に報いようとするか。
それは必ず次に繋がるし、結果的にどう結びついたとしても、それは、本人が招くんだよ。
これは人間関係にも通じる、大切な考え方だと俺は思ってるよ」
周りや神様から戴いている『御蔭』。
そのありがたさを知り、恭しくいただける自分になりたいと思いました。
そのキーワードは、「誠心誠意」と「奉仕」。
奉仕は相手に尽くし、見返りを求めないこと。
それは遜りとなり礼儀となり優しさとなる。
奉仕とは、なんと美しく、そして自己に厳しいものでしょうか?
奉仕の峯ははるか高いです!
(;・∀・)
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Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 09:35│Comments(2)
│隊長(眷属さん)
この記事へのコメント
いや~!いいお話を聞かせてもらった。
心が、すっきり、さっぱりしたぜ!
こういう、話し、もっと聞かせてほしいな!
心が、すっきり、さっぱりしたぜ!
こういう、話し、もっと聞かせてほしいな!
Posted by おいちゃん at 2013年03月11日 17:52
こんにちは、わかりやすいたとえ話で、ためになります。
でも、参拝で神前に伺うとき、なんというか、神域独特の、厳かな雰囲気に
自然と背筋がピシッと伸びてしまうのは、しかたない、ですよね。。。
こう、気持ちが引き締まるというか、居住まいを正してしまうというか。
そういう気持ちや姿勢は、神様は笑ってお許しになってくださるのでしょうか?
でも、参拝で神前に伺うとき、なんというか、神域独特の、厳かな雰囲気に
自然と背筋がピシッと伸びてしまうのは、しかたない、ですよね。。。
こう、気持ちが引き締まるというか、居住まいを正してしまうというか。
そういう気持ちや姿勢は、神様は笑ってお許しになってくださるのでしょうか?
Posted by iio at 2013年03月26日 16:29
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