【惠 隆之介先生】近況報告
2012年08月10日
8月になると広島、長崎、敗戦記念日と3点セットで実にうっとうしくなって来ます。
被爆の惨禍については亡き母からよく聞かされました。
当時、母は佐世保に学童疎開しておりましたが、長崎市内から被災重傷者が多数搬送されており、
国民学校上級学年も看護手伝い(包帯洗い等)に借り出され、母も被災者の惨状を身近に見て眼を覆わんばかりだったと生前証言しておりました。
そういう母も疎開途上、九州南方海上で疎開船が米潜水艦の雷撃を受け九死に一生を得ていたのです
(親戚の殆どはお陀仏)。
ここで長崎、広島原爆記念日に余りにも現実遊離した綺麗事がスピーチされるため非礼を省みず意見いたします。
「惨禍を恨むあまり国際情勢に背を向けてはなりません」
と言いたいのです。
1962年、中共が東シナ海進出を企てたため、米国は96発の中距離核ミサイルを沖縄に配備、
翌年には、おまけとして、米陸軍が核ロケット100発を同様に中国全土を照準して沖縄に配備しました。
すると中国は金縛り状態に陥りました。
この核抑止力が無ければ日本の高度成長や独立は無かったでありましょう、
事実、1950年代日本内地では、「中国軍が攻めてくる」と国民は戦々恐々としていたのです。
この史実を、いつか誰かが言ってくれるだろうと期待していたのですが、原発廃止論を含め、広島、長崎に慰霊祭がますます綺麗事のオンパレードになっていくものですから敢えて本論を掲載しました。
原爆殉難者の方々には哀悼の意を表しますが、今後の防衛政策、原発政策にはあくまでも現実対応すべきと思います。
被爆の惨禍については亡き母からよく聞かされました。
当時、母は佐世保に学童疎開しておりましたが、長崎市内から被災重傷者が多数搬送されており、
国民学校上級学年も看護手伝い(包帯洗い等)に借り出され、母も被災者の惨状を身近に見て眼を覆わんばかりだったと生前証言しておりました。
そういう母も疎開途上、九州南方海上で疎開船が米潜水艦の雷撃を受け九死に一生を得ていたのです
(親戚の殆どはお陀仏)。
ここで長崎、広島原爆記念日に余りにも現実遊離した綺麗事がスピーチされるため非礼を省みず意見いたします。
「惨禍を恨むあまり国際情勢に背を向けてはなりません」
と言いたいのです。
1962年、中共が東シナ海進出を企てたため、米国は96発の中距離核ミサイルを沖縄に配備、
翌年には、おまけとして、米陸軍が核ロケット100発を同様に中国全土を照準して沖縄に配備しました。
すると中国は金縛り状態に陥りました。
この核抑止力が無ければ日本の高度成長や独立は無かったでありましょう、
事実、1950年代日本内地では、「中国軍が攻めてくる」と国民は戦々恐々としていたのです。
この史実を、いつか誰かが言ってくれるだろうと期待していたのですが、原発廃止論を含め、広島、長崎に慰霊祭がますます綺麗事のオンパレードになっていくものですから敢えて本論を掲載しました。
原爆殉難者の方々には哀悼の意を表しますが、今後の防衛政策、原発政策にはあくまでも現実対応すべきと思います。
あの『海の武士道』の著者・ジャーナリストの惠隆之介先生から、奄美の皆様へのご伝言
恵隆之介先生から奄美台風被害へのお見舞いのお電話
航空自衛隊の偉い人のお話がありました
惠隆之介講演会、地元新聞に掲載!
第二回恵隆之介奄美講演会・成功御礼!!!
恵隆之介講演会、18時からです!!!
恵隆之介先生から奄美台風被害へのお見舞いのお電話
航空自衛隊の偉い人のお話がありました
惠隆之介講演会、地元新聞に掲載!
第二回恵隆之介奄美講演会・成功御礼!!!
恵隆之介講演会、18時からです!!!
Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 10:28│Comments(0)
│恵隆之介先生
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