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隊長からの学び・我と偏りと自己信頼について

2011年09月18日

隊長と話していて、思うことがある。

私が右の見方で話していると隊長は左の意見を示し、霊的な話をすれば現実的な見方を示し、私見を話せば客観的眼差しを示してくださる。

前世を知りたいときには
「キミの前世?ああ、ミトコンドリアが見えるよ」
などと茶化されるが、

ミーハーな興味から一歩離れた気持ちになっているときに何気なく
「私の前世はお百姓さんです」
と冗談を言うと、

「いや、キミの前世は…」
と真面目に話をはじめる。

最近になって気付いた。

隊長は私の見方の偏りを戒め、つねにバランスのとれた見方を示してくださっているのだと。

一方の見方だけを正しいとこちらが信じている「我見」の状態のとき、隊長はその偏りを半笑いで冗談をまじえながら忍耐強く、こちらにわかりやすく多角的な見方を示してくださる。

しかしこちらが「我をかぎりなく薄めることができている状態」のときには、隊長の言葉には力がこもる。

隊長のお話をうかがうとき、私は私が「どちら側にいるか」をつねに振り返る機会をいただいているわけだ。

しかもそれを隊長は一度も私に言われたことはなかった。私が気付いたのはつい最近だったのだ。

ああ、これが「配慮」というものか。

隊長のおかげで学びをいただいても、そのさりげなさは、「この学びは隊長のおかげ」という恩着せがましさは微塵もなかった。

まるで最初から「私にその素養があって私自身が学んだのだ」と、私自身がなんの疑いもなく信じて、自分に自信を持てるように、小さな成功体験を実感できるように、細やかに配慮された会話だったのだ。

自分への尊敬や感謝という徳の見返りすら求めず、さりげない会話によってただただこちら側だけに大きな学びとそれによる自己信頼の積み重ねを実践させてくださっていたのだ。

尊敬や感謝さえも求めない生き方は、どれだけの我を捨てたらたどり着けるのだろう。




さりげなく語る会話に、隊長の凄さを感じる。

その凄さとは、「無我」の愛なのだろうと思う。





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Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 00:02│Comments(1)隊長(眷属さん)
この記事へのコメント
ありとあらゆる有形・無形の存在は多面性を有しているので、

複眼的思考は物事の本質をとらえる上では必要不可欠ですね。

初歩的な無我の境地を体得すると、一度に二つの方向から見る複眼的思考が可能になって、

更に悟りが深まると三つ以上の方向から一度に見れるようになるんでしょうね。
Posted by ピアニスト健太郎 at 2011年09月19日 16:38
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