隊長の話・臓器移植について
2011年04月25日
「隊長、うちの宗派は脳死臓器移植に反対なんですが、隊長はどう思いますか?」
「どうしてキミんとこは反対なんだ?」
「脳死は実際は生きてるのと同じなので、周りの会話も聞こえてるし痛みも感じてるらしいんです。生きてるうちに麻酔無しで切り刻むのと同じなので、本人にきついらしいと」
「そりゃそうだろうな。でも最近は麻酔打つだろ?」
「はい。麻酔なしでメスつきたてた途端に血圧が急上昇して手をばたつかせるそうですから、そしたらすぐ麻酔打つらしいですね。」
「最近は臓器移植も変化してるからな。脳死だけとはかぎらない。脳死じゃなければいいんじゃないか?」
「ふーむ」
「まぁ、本人が臓器提供の意志があるなら、とやかく言わなくてもいいんじゃないか?個人の判断だからな。あとは手術のときに怖かろうが痛かろうがわめこうが本人の責任だろ」
「その前に、脳死状態で臓器とりだされたら超痛いぞと・・・」
「あまり反対反対というのもどうかと思うよ。個人の選択枠を強制するのもどうかと思うしな。ただ、これだけは知っておいた方がいいのは、いわゆる『人格転移』だな」
「ああ、臓器をもらった患者が、臓器の持ち主の生前の記憶や性格の影響をうけてしまって、自分の肉親を肉親と思えなくなったり記憶の混同が起きたり、趣味嗜好や性格まで臓器の持ち主の影響を受けて変わってくるというヤツですね」
「あれは科学的にいっても本当は当たりまえなんだよ。記憶ってのは遺伝子情報だろ?他人のデカい遺伝子の塊を身体に入れるわけだ。違う遺伝子情報に浸食されることも当然のことだよ。なんらおかしいことじゃない。
だから俺が言いたいのは、『臓器の持ち主の人生まで背負う覚悟があるなら臓器をもらえ』ということだな。自分だけの人生じゃなくなるんだよ。相手の人生を背負うということは、そのご先祖とのかかわりまででてくるかもしれない。その覚悟があるなら臓器をもらえばいい」
「・・・・・・・・」
(((( ;゚Д゚)))ガクブル
「どうしてキミんとこは反対なんだ?」
「脳死は実際は生きてるのと同じなので、周りの会話も聞こえてるし痛みも感じてるらしいんです。生きてるうちに麻酔無しで切り刻むのと同じなので、本人にきついらしいと」
「そりゃそうだろうな。でも最近は麻酔打つだろ?」
「はい。麻酔なしでメスつきたてた途端に血圧が急上昇して手をばたつかせるそうですから、そしたらすぐ麻酔打つらしいですね。」
「最近は臓器移植も変化してるからな。脳死だけとはかぎらない。脳死じゃなければいいんじゃないか?」
「ふーむ」
「まぁ、本人が臓器提供の意志があるなら、とやかく言わなくてもいいんじゃないか?個人の判断だからな。あとは手術のときに怖かろうが痛かろうがわめこうが本人の責任だろ」
「その前に、脳死状態で臓器とりだされたら超痛いぞと・・・」
「あまり反対反対というのもどうかと思うよ。個人の選択枠を強制するのもどうかと思うしな。ただ、これだけは知っておいた方がいいのは、いわゆる『人格転移』だな」
「ああ、臓器をもらった患者が、臓器の持ち主の生前の記憶や性格の影響をうけてしまって、自分の肉親を肉親と思えなくなったり記憶の混同が起きたり、趣味嗜好や性格まで臓器の持ち主の影響を受けて変わってくるというヤツですね」
「あれは科学的にいっても本当は当たりまえなんだよ。記憶ってのは遺伝子情報だろ?他人のデカい遺伝子の塊を身体に入れるわけだ。違う遺伝子情報に浸食されることも当然のことだよ。なんらおかしいことじゃない。
だから俺が言いたいのは、『臓器の持ち主の人生まで背負う覚悟があるなら臓器をもらえ』ということだな。自分だけの人生じゃなくなるんだよ。相手の人生を背負うということは、そのご先祖とのかかわりまででてくるかもしれない。その覚悟があるなら臓器をもらえばいい」
「・・・・・・・・」
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隊長による年越の大祓・ネット受付のお知らせ!
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第三回隊長講演会 講演録(4)
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Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 08:21│Comments(7)
│隊長(眷属さん)
この記事へのコメント
私は、臓器移植には、反対です。
死にたくない、
死なせたくない、
そんな思いは当然にあるでしょうけれど、人の臓器を奪い、ときに臓器提供者の死後の世界への移行を妨げてまで、生きる価値って、なんなのでしょうか。
http://www.epochtimes.jp/jp/2007/05/html/d16331.html
この記事にもあるように、臓器狩りという言葉もあります。
再生医療の発展とともに、治せる分野が広がることは期待しますが、人を、パーツとしてしか見れない考え方がはびこることに、疑問を持ちます。
まるで、値札をぶら下げた人間が、歩いているような。
奪うことと、足ることを知ること。
肉体生命と霊的生命。
提供者の魂を、一生背負い続ける重み。
死を軽んじることなく、死の悲しみにとらわれず、
臓器移植に関しては、まだ考えるべきことがあるように思えます。
死にたくない、
死なせたくない、
そんな思いは当然にあるでしょうけれど、人の臓器を奪い、ときに臓器提供者の死後の世界への移行を妨げてまで、生きる価値って、なんなのでしょうか。
http://www.epochtimes.jp/jp/2007/05/html/d16331.html
この記事にもあるように、臓器狩りという言葉もあります。
再生医療の発展とともに、治せる分野が広がることは期待しますが、人を、パーツとしてしか見れない考え方がはびこることに、疑問を持ちます。
まるで、値札をぶら下げた人間が、歩いているような。
奪うことと、足ることを知ること。
肉体生命と霊的生命。
提供者の魂を、一生背負い続ける重み。
死を軽んじることなく、死の悲しみにとらわれず、
臓器移植に関しては、まだ考えるべきことがあるように思えます。
Posted by hara at 2011年04月25日 10:32
うちの母は看護師ですが、私が臓器移植カードを持ってきたら、
『絶対イヤー><』って言いました;
家族として絶対イヤなんだそうで;
なんじゃそりゃ。
せめて心臓死でも差し上げられる角膜や腎臓は差し上げたいんですが;
目の見えない人の目に、負担の多い透析をしなければいけない人の腎臓に、なって
ちょっとでもその方が健康を感じる事が出来たら、と私は思います。
透析は本当に負担が大きくて、幼い頃から透析し続けていた友人の兄は若くして亡くなりました。
前の仕事で大学病院勤務(NOT医療従事)してた時、
肺や心臓の重い病気で、毎日死の恐怖を感じて暮らしていた患者さんが、
脳死の方から移植を受け、顔色がよくなり、元気になって退院していくのを何人か見ました。
もちろんせっかく移植を受けても駄目だった方も沢山いましたが。
元気になった患者さんやそのご家族は、臓器を分けて生きるチャンスを下さった方に本当に感謝していましたし、
その方の分まで精一杯生きると言われていましたよ。
臓器移植手術をした先生達も、間に入る医療関係者も、
私の知っている範囲では、命について人について本当によく考え、誠実に対応されていました。
今後も議論議論の必要な事象であることはたしかですが、
幸福の科学の方のもつ嫌悪感には正直違和感を感じます。
輸血嫌がるのと何かちがうのでしょうか?
『絶対イヤー><』って言いました;
家族として絶対イヤなんだそうで;
なんじゃそりゃ。
せめて心臓死でも差し上げられる角膜や腎臓は差し上げたいんですが;
目の見えない人の目に、負担の多い透析をしなければいけない人の腎臓に、なって
ちょっとでもその方が健康を感じる事が出来たら、と私は思います。
透析は本当に負担が大きくて、幼い頃から透析し続けていた友人の兄は若くして亡くなりました。
前の仕事で大学病院勤務(NOT医療従事)してた時、
肺や心臓の重い病気で、毎日死の恐怖を感じて暮らしていた患者さんが、
脳死の方から移植を受け、顔色がよくなり、元気になって退院していくのを何人か見ました。
もちろんせっかく移植を受けても駄目だった方も沢山いましたが。
元気になった患者さんやそのご家族は、臓器を分けて生きるチャンスを下さった方に本当に感謝していましたし、
その方の分まで精一杯生きると言われていましたよ。
臓器移植手術をした先生達も、間に入る医療関係者も、
私の知っている範囲では、命について人について本当によく考え、誠実に対応されていました。
今後も議論議論の必要な事象であることはたしかですが、
幸福の科学の方のもつ嫌悪感には正直違和感を感じます。
輸血嫌がるのと何かちがうのでしょうか?
Posted by もーむ at 2011年04月25日 14:09
自分にはドナーの人生を背負って生きていけるような強さはないし、
自分の臓器を提供することが役に立つとしても、移植した人に自分の人生を背負わせるようなことはしたくないので、
移植はするのもされるのも拒否します。
移植で生きられる喜びと、人格転移による苦しみのどちらが大きいかは人それぞれだと思いますけどね。
自分の臓器を提供することが役に立つとしても、移植した人に自分の人生を背負わせるようなことはしたくないので、
移植はするのもされるのも拒否します。
移植で生きられる喜びと、人格転移による苦しみのどちらが大きいかは人それぞれだと思いますけどね。
Posted by ピアニスト健太郎 at 2011年04月25日 17:23
私も、臓器移植には反対かな・・・難病患者の生きたい気持ちも解るし、臓器を提供しても良いじゃない、って、医療の立場も解ります。ただ、亡くなってすぐに臓器を取り出すのは、患者本人にはかなりキツイはず。それだけ覚悟ができてる人いるかな・・・
オカルトや宗教云々ではなく、人間は魂があるという事を受け入れないと理屈が合わない経験をしてる立場としては、それを危惧します。
オカルトや宗教云々ではなく、人間は魂があるという事を受け入れないと理屈が合わない経験をしてる立場としては、それを危惧します。
Posted by ふりふり at 2011年04月25日 21:56
記憶は遺伝子情報ですか。
なるほどです。
私にとってはど真ん中のストライクゾーンの指摘で、ほれぼれしました。
なるほどです。
私にとってはど真ん中のストライクゾーンの指摘で、ほれぼれしました。
Posted by のぼる at 2011年04月25日 22:57
-1-
仕事が超ハードで忙しく 睡眠時間が10分の日があったりと 体力の限界でなかなかコメント出来ませんが GWに入り少し体力 精神力に余裕が出来たので この件にコメントさせて頂きたいと思いますww
他にも原発のこととかコメントしたいことがあるんですが この記事は かなり大事な話で 読んでから気になって仕方無かったから こちらのコメントを選びました
チャットは みんなから癒されて楽しいけど ブログのコメントは元気な時は そう感じないけど疲れがピークの時は かなりエネルギーが要りますww
もーむさんの意見は世の中の大半の意見を代表していることだと理解しています
それと輸血の禁止をしている「エホバの証人」とどこが違うのかと言う疑問も真摯に答えたいと思います
幸福の科学では 輸血そのものを否定しているエホバの証人とは違い 臓器移植自体は否定しておりません
これは言っておきたいと思います
他者に自らのものを与える心や その行為自体は尊い行為であると臓器移植に関しても明言しております
ただ、臓器提供した側が死んだ後のことを理解していればの話であり、生きたまま内蔵を切り刻まれて摘出された人が味わう恐怖と想像を絶するであろう痛みは 過去のどのような拷問をも越え その恐怖と苦痛のうちに死んだ人は天国へ帰る人生を送った人でも帰れない状況を産み出しているということなんです
霊界は想いがそのまま展開する世界ですから 恐怖があまりにも大きいと その恐怖の世界が その方の周りに展開します
麻酔の話も出ていますが 手術を受けたことのある方は分かると思いますが 麻酔が切れた後の術後の痛みは逃れることは出来ません
150年前にフランスでアランカルディックという光の大指導霊が肉体を持って生まれられ 当時のフランスの身近で亡くなられてすぐの方々の霊を招霊し 現在どのような境涯で どのような心境でいるのかを徹底的に検証され それを後世の遺産に残されました
あの世を信じてなく生きた人々は死んでから尚 肉体と切り離されることが出来ず 土葬の肉体がウジ虫に喰い尽くされる痛みと精神的な苦痛に苛まれ続けている方もいました
幸福の科学が何故『科学』なのかは アランカルディックのように実際に検証した上で世に問うていく姿勢を持っているからです
(続く)
仕事が超ハードで忙しく 睡眠時間が10分の日があったりと 体力の限界でなかなかコメント出来ませんが GWに入り少し体力 精神力に余裕が出来たので この件にコメントさせて頂きたいと思いますww
他にも原発のこととかコメントしたいことがあるんですが この記事は かなり大事な話で 読んでから気になって仕方無かったから こちらのコメントを選びました
チャットは みんなから癒されて楽しいけど ブログのコメントは元気な時は そう感じないけど疲れがピークの時は かなりエネルギーが要りますww
もーむさんの意見は世の中の大半の意見を代表していることだと理解しています
それと輸血の禁止をしている「エホバの証人」とどこが違うのかと言う疑問も真摯に答えたいと思います
幸福の科学では 輸血そのものを否定しているエホバの証人とは違い 臓器移植自体は否定しておりません
これは言っておきたいと思います
他者に自らのものを与える心や その行為自体は尊い行為であると臓器移植に関しても明言しております
ただ、臓器提供した側が死んだ後のことを理解していればの話であり、生きたまま内蔵を切り刻まれて摘出された人が味わう恐怖と想像を絶するであろう痛みは 過去のどのような拷問をも越え その恐怖と苦痛のうちに死んだ人は天国へ帰る人生を送った人でも帰れない状況を産み出しているということなんです
霊界は想いがそのまま展開する世界ですから 恐怖があまりにも大きいと その恐怖の世界が その方の周りに展開します
麻酔の話も出ていますが 手術を受けたことのある方は分かると思いますが 麻酔が切れた後の術後の痛みは逃れることは出来ません
150年前にフランスでアランカルディックという光の大指導霊が肉体を持って生まれられ 当時のフランスの身近で亡くなられてすぐの方々の霊を招霊し 現在どのような境涯で どのような心境でいるのかを徹底的に検証され それを後世の遺産に残されました
あの世を信じてなく生きた人々は死んでから尚 肉体と切り離されることが出来ず 土葬の肉体がウジ虫に喰い尽くされる痛みと精神的な苦痛に苛まれ続けている方もいました
幸福の科学が何故『科学』なのかは アランカルディックのように実際に検証した上で世に問うていく姿勢を持っているからです
(続く)
Posted by 宮崎 県太郎 at 2011年04月30日 06:31
-2-
それは肉体の目が持つ能力の限界を超えて 見えないものに対しても科学するという霊界科学とも呼べる現代の科学の先にある科学です
まず、幸福の科学が臓器移植に反対している理由の一つが先に述べた提供した側の不幸です
2つ目は 隊長のお話しにもあるように してもらった側と その家族に起こる不幸
これは必ずしも不幸になるケースばかりではありませんが 提供した側が愛による提供でなく 死刑囚の臓器であったり 臓器売買目的で殺された人の臓器であったり 事故で突然亡くなって死んだことを理解してない方の臓器であった場合に起こっている不幸はザラにあり これは臓器移植を議論する上で公表すべき問題であると提言してきました
単なる性格や意識の不一致による不幸は軽い方です
3つ目には 臓器移植が裏社会のブラックビジネスの温床に現実になっているということです
臓器目的で高利の金を貸したり途上国では人身売買が多発し始めました
貧困国では 貧しい親が お金に困って子供を数千円から数万円で売る
それが数百万円の臓器として切り刻まれて売られるわけですから
人を物としてしか考えてない悪魔の諸行ですね
売った側の親は騙されて子供が裕福な家庭で育ち学校に通わせてもらえると信じて売るそうです
売られた子は メイドや労働者として使われ(扱いは奴隷ですが)臓器が売れる商談が成立すれば…
霊界側からの死後の導きにも大きな混乱をきたしているわけですが 検証して知ったこと分かったことを世の中に伝えず黙っている人は本当に『人』でしょうか?
臓器移植を待ち望む親の気持ちもわかりますが 現時点では そこから産み出されてくる無作為の罪が大きすぎますよと
もっと検証し、議論し改善しなければ いけないことがまだ山のようにありますよと言わずにはいられない人達がいるということです
まず、この法案を進めた議員や関係者は自らがドナーカードを持ち それを公開して頂きたいと思います
最低の義務ですね
それは肉体の目が持つ能力の限界を超えて 見えないものに対しても科学するという霊界科学とも呼べる現代の科学の先にある科学です
まず、幸福の科学が臓器移植に反対している理由の一つが先に述べた提供した側の不幸です
2つ目は 隊長のお話しにもあるように してもらった側と その家族に起こる不幸
これは必ずしも不幸になるケースばかりではありませんが 提供した側が愛による提供でなく 死刑囚の臓器であったり 臓器売買目的で殺された人の臓器であったり 事故で突然亡くなって死んだことを理解してない方の臓器であった場合に起こっている不幸はザラにあり これは臓器移植を議論する上で公表すべき問題であると提言してきました
単なる性格や意識の不一致による不幸は軽い方です
3つ目には 臓器移植が裏社会のブラックビジネスの温床に現実になっているということです
臓器目的で高利の金を貸したり途上国では人身売買が多発し始めました
貧困国では 貧しい親が お金に困って子供を数千円から数万円で売る
それが数百万円の臓器として切り刻まれて売られるわけですから
人を物としてしか考えてない悪魔の諸行ですね
売った側の親は騙されて子供が裕福な家庭で育ち学校に通わせてもらえると信じて売るそうです
売られた子は メイドや労働者として使われ(扱いは奴隷ですが)臓器が売れる商談が成立すれば…
霊界側からの死後の導きにも大きな混乱をきたしているわけですが 検証して知ったこと分かったことを世の中に伝えず黙っている人は本当に『人』でしょうか?
臓器移植を待ち望む親の気持ちもわかりますが 現時点では そこから産み出されてくる無作為の罪が大きすぎますよと
もっと検証し、議論し改善しなければ いけないことがまだ山のようにありますよと言わずにはいられない人達がいるということです
まず、この法案を進めた議員や関係者は自らがドナーカードを持ち それを公開して頂きたいと思います
最低の義務ですね
Posted by 宮崎 県太郎 at 2011年04月30日 07:13
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。