25日高千穂神社・奄美群島日本復帰記念奉祝祭と、復帰記念行事のご報告
2015年12月26日
昨日、お手伝いさせていただいた高千穂神社での復帰記念行事ですが、
本日の南海日日新聞一面に、掲載されました。


奄美群島日本復帰記念
「燃えろ、篝火 ~奄美の未来を照らそう~」「燃えろ、篝火 ~奄美の未来を照らそう~」
○日時:12月25日18時開式
○場所:高千穂神社境内
「日本復帰運動「断食祈願」の舞台高千穂神社境内で篝火を焚き清め、日本復帰運動の心を繋ごう。」
○趣旨:60数年前、アメリカの統治政策によって日本本土から行政分離された奄美では、全島一体となった日本復帰運動が展開されました。
復帰の父と呼ばれる泉芳朗による高千穂神社での断食祈願など、日本復帰運動の象徴として高千穂神社において篝火が焚かれ、烽火となって奄美群島全島に広がっていきました。
それら先人達の命懸けの運動によって、奄美は昭和28年12月25日、ようやく祖国日本に復帰することができました。
現代日本人として恩恵を受ける奄美の私たちには、先人たちの民族運動を追体験することによって、次世代へと日本復帰のエネルギー・日本との絆・郷土を愛する強い思いを、後世へと引き継ぐ使命があろうかと思います。
篝火を再現し、先人の偉業へ想いを馳せ、奄美のさらなる発展と繁栄を祈念する祭典を執り行います。
(引用おわり)注・本当はもっと長いんですが、私なりに端折りました
18時より、高千穂神社拝殿において、初の奄美群島日本復帰記念奉祝祭が斎行されました。
黒木宮司様のお作りになられた、奉祝祭の祝詞に、思わず目頭が熱くなりました。
この祝詞を、すべての奄美のみなさんに聴いていただきたい、読んでいただきたいと強く思いました。
ほとんど無風で暖かな夜でしたが、まるで神様からのプレゼントのように、優しい一陣の風が拝殿前を吹き抜けていました。
その後、18時30分に、拝殿を出て拝殿前の境内に場所をうつし、
奄美群島日本復帰記念行事
「燃えろ、篝火 ~奄美の未来を照らそう~」「燃えろ、篝火 ~奄美の未来を照らそう~」
を執り行わせていただきました。
・君が代斉唱
・実行委員長挨拶
・復帰運動の講話
そののち、
御神前で清められた忌火を移して篝火を熾し、篝火を囲んで
・復帰の父・泉芳朗の詩「島へ」の朗読
・泉芳朗の詩「断食悲願」を参加者全員で唱和
・「日本復帰の歌」を参加者全員で合唱
参加者のみなさんで日本復帰運動の思いを追想させていただきました。
復帰の父・泉芳朗と高千穂神社での断食祈願
https://www.pref.kagoshima.jp/ba04/kyoiku-bunka/school/kyodo/documents/4990_20130604171211-1.pdf
本行事は、今年3月にご逝去された恒吉佳子先生のお志を継いだものでした。
恒吉先生は、高千穂神社の氏子総代として、その他様々な社会奉仕活動に長年ご活躍された方でした。
恒吉先生は、心から、日の丸と高千穂神社と奄美を愛しておられました。
「高千穂神社からのお神輿が名瀬の町を練り歩いたかつての浜下り行事の復活」を熱く語られる恒吉先生のお顔が、
今もありありと瞼の裏にやきついております。
恒吉先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
もっともっと、恒吉先生からいろんなお話をお聞きしたかったです。
私はくれぐれも実行委員といっても端っこの方のささやかなお手伝いをさせていただいた者でございまして、
えらそうなこと書けた身分でもなんでもないのですが、
この高千穂自神社での奄美群島日本復帰記念奉祝祭と、
恒吉先生の志を継承した有志による復帰記念行事「「燃えろ、篝火 ~奄美の未来を照らそう~」
に、ささやかではございますが、お手伝いさせていただけたことを、
心より感謝申し上げます。
南海日日新聞社様、ありがとうございました!
そして、当日取材にきてくださった他のマスコミのみなさま、
ご参列くださった参加者のみなさま、
奄美FM様、
実行委員のみなさま、
本当にありがとうございました。
行事終了後、篝火を前にして。

本日の南海日日新聞一面に、掲載されました。

奄美群島日本復帰記念
「燃えろ、篝火 ~奄美の未来を照らそう~」「燃えろ、篝火 ~奄美の未来を照らそう~」
○日時:12月25日18時開式
○場所:高千穂神社境内
「日本復帰運動「断食祈願」の舞台高千穂神社境内で篝火を焚き清め、日本復帰運動の心を繋ごう。」
○趣旨:60数年前、アメリカの統治政策によって日本本土から行政分離された奄美では、全島一体となった日本復帰運動が展開されました。
復帰の父と呼ばれる泉芳朗による高千穂神社での断食祈願など、日本復帰運動の象徴として高千穂神社において篝火が焚かれ、烽火となって奄美群島全島に広がっていきました。
それら先人達の命懸けの運動によって、奄美は昭和28年12月25日、ようやく祖国日本に復帰することができました。
現代日本人として恩恵を受ける奄美の私たちには、先人たちの民族運動を追体験することによって、次世代へと日本復帰のエネルギー・日本との絆・郷土を愛する強い思いを、後世へと引き継ぐ使命があろうかと思います。
篝火を再現し、先人の偉業へ想いを馳せ、奄美のさらなる発展と繁栄を祈念する祭典を執り行います。
(引用おわり)注・本当はもっと長いんですが、私なりに端折りました
18時より、高千穂神社拝殿において、初の奄美群島日本復帰記念奉祝祭が斎行されました。
黒木宮司様のお作りになられた、奉祝祭の祝詞に、思わず目頭が熱くなりました。
この祝詞を、すべての奄美のみなさんに聴いていただきたい、読んでいただきたいと強く思いました。
ほとんど無風で暖かな夜でしたが、まるで神様からのプレゼントのように、優しい一陣の風が拝殿前を吹き抜けていました。
その後、18時30分に、拝殿を出て拝殿前の境内に場所をうつし、
奄美群島日本復帰記念行事
「燃えろ、篝火 ~奄美の未来を照らそう~」「燃えろ、篝火 ~奄美の未来を照らそう~」
を執り行わせていただきました。
・君が代斉唱
・実行委員長挨拶
・復帰運動の講話
そののち、
御神前で清められた忌火を移して篝火を熾し、篝火を囲んで
・復帰の父・泉芳朗の詩「島へ」の朗読
・泉芳朗の詩「断食悲願」を参加者全員で唱和
・「日本復帰の歌」を参加者全員で合唱
参加者のみなさんで日本復帰運動の思いを追想させていただきました。
復帰の父・泉芳朗と高千穂神社での断食祈願
https://www.pref.kagoshima.jp/ba04/kyoiku-bunka/school/kyodo/documents/4990_20130604171211-1.pdf
本行事は、今年3月にご逝去された恒吉佳子先生のお志を継いだものでした。
恒吉先生は、高千穂神社の氏子総代として、その他様々な社会奉仕活動に長年ご活躍された方でした。
恒吉先生は、心から、日の丸と高千穂神社と奄美を愛しておられました。
「高千穂神社からのお神輿が名瀬の町を練り歩いたかつての浜下り行事の復活」を熱く語られる恒吉先生のお顔が、
今もありありと瞼の裏にやきついております。
恒吉先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
もっともっと、恒吉先生からいろんなお話をお聞きしたかったです。
私はくれぐれも実行委員といっても端っこの方のささやかなお手伝いをさせていただいた者でございまして、
えらそうなこと書けた身分でもなんでもないのですが、
この高千穂自神社での奄美群島日本復帰記念奉祝祭と、
恒吉先生の志を継承した有志による復帰記念行事「「燃えろ、篝火 ~奄美の未来を照らそう~」
に、ささやかではございますが、お手伝いさせていただけたことを、
心より感謝申し上げます。
南海日日新聞社様、ありがとうございました!
そして、当日取材にきてくださった他のマスコミのみなさま、
ご参列くださった参加者のみなさま、
奄美FM様、
実行委員のみなさま、
本当にありがとうございました。
行事終了後、篝火を前にして。