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正体が暴かれる恐ろしさと、自分に嘘をつかない勇気

2011年03月22日

私は本名でブログをしている。

しかし、世間ではそれは「勇気をともなう」らしい。

今、あるブログでさんざんなりすましで人を傷つけてきた人の正体が暴かれようとしている。

ご本人の恐怖心たるや、想像もできない。

リアルで善人を装い、違うアカウントで知人の罵詈雑言を並べる。

悪事はいつか露見するものだ。それは自業自得といってしまえばそれまでだろう。

だが、正体がバレたとき、傷つくのは本人よりも、本人を信じていた周りの人たちだ。

自分が罪を犯すということは、自分を信じてくれていた人たちの善意をも汚すのだ。

そのことの重さを知るのは、罪のなかにあるときよりも、罪を自覚し、改心したあとだろう。





だから、もう自分に嘘をつくのはやめよう。

自分の寂しさを誤魔化して、虚勢をふりかざし、周りを傷つけることなどもうやめにしよう。

真っ直ぐに、寂しい寂しいと泣きながら、正直に生きていこう。


寂しい自分と真っ直ぐ向き合えるとき、人は太陽のあたたかさを知るのだ。

周りのあたたかさは、まるで太陽のようだと気付くはずだ。

罪深い自分でも、小さな太陽になれるこの世界を、創られた神様の偉大さを知るだろう。







Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 10:39│Comments(7)
この記事へのコメント
初コメ失礼します。

暴かれたら公に公表されるのですか?
アマミキョさんの言うよぅに
寂しい時に寂しいと素直に涙すれば、それゎまっとうな生き方が出来るかもしれなぃ。
だけど、大半がそぅではない気がします。
その中でも、小さな小さな暖かさに触れながら躊躇する余地が、人を想う心ができてくるのでゎ、と思うのです。
胸がキューっと熱く熱くなったのゎ、私ゎまだ一度のみですが、これだけ太陽の暖かさを必要としてぃる自分に、親への感謝を覚えました。

この狭い島の中で、しーまといぅblogの中で、書くといぅ事ゎ
バレる前提のもとだと
みな少なからず勇気あってのblogなのでゎなぃかと。
“ココ”で罵声や弱音、自慢…もちろん傷つける事ゎ良くない事ですが、それぞれに寂しさを解消させている部分が“ココ”にあると思います。
話が少しそれてしまいましたが、
今回見て、すぐに思った事が
暴く。ことに意味があるのかなと思いました。
本人の事ゎどうでもイィ。
ただ周りの傷つく重さといぅのゎ
太陽の暖かさをも裏切る恐さではなぃか…
少し私自身に置き換えると…知人だったらと身震いしました。

生意気をすみません((゚Д゚ll))
Posted by rin at 2011年03月22日 15:30
ちょー気になります。だれ~?
Posted by しぇしぇー at 2011年03月22日 15:41
バトルの張本人は私ですが(笑)調べに、調べたら相手は51歳のアンマさんでした。見たら寒気しますよ~。差別発言全開です。
Posted by 秋介 at 2011年03月22日 16:40
ネットだから、誰だか判らないだろう。ネットだから、年齢もバレないだろうと、詐称して人を傷付け、追い落としバーチャル空間で強者を演じても「じゃあ、会おう」となったら51歳のしがないオッサンなワケでしょ?会えないですよね?ネットじゃ強い人を演じてもね…リングの貞子を騙ったが、実際はオバケのQ太郎だったみたいなもんです(笑)
Posted by 秋介 at 2011年03月22日 16:51
ブログで本名を出した時からアマミキョさんの公人としての歩みは始まっていたんでしょうね。

ネットが匿名の世界だと信じてる人ってまだいるんですね(笑)
Posted by ピアニスト健太郎 at 2011年03月22日 17:24
「愛とは、?」

http://plaza.rakuten.co.jp/imimi/

『imimiのリトリーバル日記』

より抜粋。



皆さま、この宇宙で唯一リアリティがあるのは、愛だとされています。

ですが、愛とは何なのかを言葉で説明するのは非常に困難です。

あなた自身、あなたの存在そのものが愛である、
これはかなり的を得た説明であるように思います。

愛がリアリティそのものならば、あなたはリアリティそのもの、
こういうことになります。

何ものにも染まらず、自由で、常に喜びに満ちている。

このような精神状態である と、愛を体現しやすい気がします。

愛は与えるだけであり、与えられることを求めません。

これはよく言われる説明です。

ですから、愛は母親の子供に対する愛情に似ているなどと言われることもあったりしますね。

ですが、愛と愛情は似て非なるものです。

愛には執着がないからです。

あなた自身が愛そのものであり、何の見返りも求めず、

広い意味での自分である他人 に奉仕してみてください。

奉仕するという意識にとらわれることなく、気が付いたら奉仕していた。

その時あなたは、ご自分が愛そのものであることに気づかれるかもしれません。


ご参考までに


合掌
Posted by koumyouin at 2011年03月23日 06:32
身につまされますね〜


誰でも理想像を演じる癖がついてしまうんですよね。本性は善人でも、魔の囁きに負ける弱い自分もいるから、つい息抜きで仮想の悪者になってみる。演じているうちに、仮想の自分にとって代わられる・・・ってことでしょうか?本当の自分はどっちだ?と言われたら、私も「・・・どっちだろ?」です。
まあ、棺桶のフタが閉じる時にわかるでしょうから、善い自分でいたいとは思います。本当はどっちか、わかりませんが。
Posted by ふりふり at 2011年03月23日 18:50
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