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見抜かれることを恐れるモノ~師匠との日々(再掲載)

2010年12月02日

なんとなく再掲載。ま、要は「自分の感情に支配されるな」「より正しい見識に自らを委ねよ」ということで。

空がさわがしいなぁ・・・・


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見抜かれることを恐れるモノ~師匠との日々2010年10月15日



今日はめずらしく早めにねんねしてたのに、「見抜く目」というインスピでとびおき、つらつらといつものように夜更かしさん。

でもって「見抜かれることを恐れる」とはなんだろうなと考えてみました。

「ウソ」や「誤魔化し」「繕う心」があると、「見抜かれることを恐れ」ますよね。

「見抜く」とは「白日の下にさらされる」ということ。

白日の下にさらされたくないモノとはなんだろう。


○自分の過去の失敗

○自分の過去の罪

○虚飾(偉ぶってるけどそれにみあう実績が全然なかったということ)

○明らかなウソ・偽り

○明らかに正しいと思われない部分

○計略・謀略




師匠とお仕事させていただいたときに、師匠は人の心を見抜く方だった。

「あなたの相手を想う気持ちは愛ではなく同情です。慈悲魔は相手も自分もダメにします。相手を想うならきちんと諫めなさい。さもなくば縁をきりなさい」

「今あなたが考えている思いが周りに逆回りな思いを発散しています。やめなさい」

「あなたの今考えている反省はただの自己弁護です。考えるだけ無駄です。行動でただしなさい」

師匠はなぜあれほど私自身も気付いていない私の心を見抜けたのだろうと考えると、それは霊能力ではなく、「認識力」だったのだと今わかる。

師匠はどんな時もつねにご自分に一番厳しく、内省を欠かさない方だったからだ。

師匠は「己心の魔」を見抜く達人でもあられたが、「魔」はかならず「論理のすり替え」や「責任転嫁」「自己正当化」をする。

私も何度か経験したが、それは残念ながら、自分の認識力だけではとても破りがたかった。

「師匠の見識を受け入れた」ときに、はじめて「パン!」と視界が晴れて、道理が観えたものだ。

どんなに苦しくとも「自分の言い分」を捨て、「より正しい見識を受け入れる」ことが、魔境の分かれ道だった。

きっと師匠自身が何度も「その選択をなさった」のだろうと思う。



見抜かれることを恐れるモノは、自己保存欲だ。

しかし、とるにたらない自分をいくら守ろうとも、守った自分などたかがしれている。

自分を白日の下にさらし、自分の過ちや未熟さを受け入れる勇気。

どんな状況にあっても、自分を捨て、「正しい見識」を選択する勇気。

師匠はすごい人だったのだと改めて思う。



私にとって「見抜かれたくないモノ」とはなにか。

自分のなかにある暗がりは、やはりとるにたらない自己保存欲なのだ。






Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 21:40│Comments(6)
この記事へのコメント
見抜かれたくないことはイッパイあるけど、見抜かれた時って動揺するけど楽になった経験あり
Posted by gami at 2010年12月02日 23:01
まさにその日夕方M殊収録。
Posted by トンポ at 2010年12月02日 23:13
>ガミさん
楽になるんですよ。偽我をおろしたときって。おろすまでが死ぬほどキツいんですけどね。

>トンボさん
マジっすか!!!!!!!
ぎょえ~!!!
Posted by アマミキョアマミキョ at 2010年12月02日 23:19
M殊のDVD冒頭で日付をおっしゃったので『アレッ?珍しいな』って思った。
でも『見抜く』は見出すことでもあるよ。キラッと光った仏性が見えた時は幸福 見抜くは即ち『コーチング』
Posted by トンボ at 2010年12月02日 23:52
確かに先生はM殊1収録10/15日って言ってましたね~。。。
Posted by とっちー at 2010年12月03日 00:58
すんばらしい!とだけ、とりあえず書いておきます。
Posted by りある at 2010年12月03日 22:36
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