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奄美のアイデンティティとなりうる女神阿麻弥姑(アマミコ)」

2015年02月24日

2014/12/20 13:21:07



奄美のアイデンティティ(共同体が帰属する概念)とは何かを考えてみました。



アイデンティティとは、「精神的支柱となる歴史・文化」であり、

歴史文化とは「ヒロイズム・物語・優れたる偉人」から起きるものではないでしょうか?

たとえば日本の歴史・文化の根源は「天皇」であり、

その思想的源流は「天照大御神―神武天皇」にいきつきます。

では、奄美のアイデンティティになるべき「ヒロイズム・物語・優れたる偉人」から起きた「歴史・文化」とはなんでしょうか?

私はこれこそ

【女神阿麻弥姑(アマミコ)】であり、「アマミコ神話」ではないかと思うんですね。




奄美北部の宗教的聖地アマンデー、

奄美南部の宗教的聖地湯湾岳、

共に祀るのは奄美開闢の神「阿麻弥姑・志仁礼久」の男女二神ですが、

元々は阿麻弥姑一神であったのではないかという説もあります。

__________

沖縄の天下った神は1柱か それとも2柱か
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/min/1336198203/l50

2 :天之御名無主:2012/05/05(土) 15:19:41.37
たぶんアマミキヨだけ
神道との整合性を持たせるためシネリキヨを追加した
最初の正史・中山世鑑ではシネリキヨの記述がないが
その後編纂された中山世譜と球陽にはその名がある
おかしい

3 :天之御名無主:2012/05/05(土) 16:27:24.54
中山世鑑 ・・・ 羽地朝秀(日琉同祖論者)
中山世譜 ・・・ 蔡鐸(唐出身)

4 :天之御名無主:2012/05/05(土) 20:26:47.47
一口に沖縄地方の神話と言っても、実は島ごと・地域ごとに少しずつ違った内容
の話が伝わっていて、これが正統、と言えるようなものはありません。
そんなわけで、ここでは幾つかの別々の神話を並べてご紹介してい
こうと思います

1:沖縄本島
「アマミコとシルミコって神様が、天から命じられて沖縄の島を
作った」というパターンのものが主流

参考文献
「琉球神道記」 では シネリキュ(男神)、アマミキュ(女神)
「おもろそうし」では あまみきよ、しねりきよ
「中山世鑑」  では 阿摩美久
「混効験集 」 では あまみきょう、しねりきょう 琉球開闢の男女也
「中山世譜」  では 阿摩美姑(女神)、志仁礼久(男神)
「球陽」    では 男ハ志仁礼久ト名ケ 女ハ阿摩弥姑ト名ク

5 :天之御名無主:2012/05/05(土) 20:28:12.25
石垣島の話。
昔、日の神(テタン ガナシ)がアマン神に国作りを命じた。アマン神は
天の七色の橋の上に立つと、大海に土石を投げ入れて天の槍矛でかき混ぜ
た。こうして出来たのが八重山の島々である。
島には阿檀(アダン)の木が生い茂っていたが、人も動物もいなかった。
はじめに、阿檀の林の穴からやどかり(アーマンチャー)が現れた。
次に、神が天から人種を降ろすと、人間の男女が出てきた。
この男女は結婚の方法も知らなかった。
神は、それぞれ反対方向に池の周りを巡るように男女に命じた。
命じられたとおり巡って行った二人は、出会ったところで思わ
ずぶつかって抱き合い、そのまま夫婦の契りを交わした。

波照間島の滅亡伝説。
「人々が背徳的な暮らしをしていたので、神は人々を滅ぼしてしまう
ことにした。けれども信心深い兄妹二人だけは洞穴に逃がし、洞穴の
口を白金の鍋で塞いだ。外には油の雨が降り、大火となって全てを
焼き滅ぼした。
ただ二人助かった兄妹は、やがて結婚して子供を生んだが、それは
魚のような子であった。住んでいる場所が悪いのだろう、と二人は
洞穴から出てその上に転居したが、そこで生まれたのはハブ(毒蛇)
のような子であった。また転居して小屋を建てて住んだ。ここに至
って、ようやく人間の子供が生まれた。女の子で、新たな女
(アラマリヌバー)という。彼女が波照間島の人間の祖となった。

6 :天之御名無主:2012/05/05(土) 20:29:08.92
奄美・徳之島(伊仙町小島)
昔、伊仙町の暗河(クラゴー)という鍾乳洞(ガマ)に、夫婦の契り
を結んだ兄妹が住んでいたという。あまりに仲睦まじいので周囲の人
も咎めることがなく、二人は子を沢山生んで小島の村を開いた。
けれども、別の説ではこうである。
昔、兄(イーリ)と妹(ウナリ)がいた。ある日、兄は妹に草履
(サバ)を二つ渡し、「綺麗な方は俺の恋人にやってくれ。
残った方はお前にやるから」と言った。けれども、妹は綺麗な方の
草履を自分のものにしてしまった


沖縄本島の「天女伝説」(察度編)
天女の登場する羽衣伝説の舞台となった場所は、沖縄島中部の宜野湾市
(ぎのわんし) にある森川公園の一角にある。
「森の川で沐浴していた天女と奥間大親(うくまうふや)とが出会い、
一女一男が生まれた。男の子は察度と名付けられ、遂に中山王に就いた」

7 :天之御名無主:2012/05/06(日) 09:57:18.77
元々は1柱だったと言われてる
アマミキヨ・シネリキヨという名称も、ニライ・カナイのようにゴロのいいように繰り返しただけという説もあります
琉球神道記を書いたのはお坊さん
お坊さんが近親相姦を文章にするのは明らかにおかしいので
何らかの力が働いて2柱にしたものと思われます
つまり、イザナミ・イザナギ

8 : 忍法帖【Lv=17,xxxPT】 !touden 【北電 76.6 %】 !kanden:2012/05/10(木) 20:00:08.79
盤古神話のバリエーション

10 :天之御名無主:2012/05/15(火) 19:22:52.62
琉球神道で創世神はアマミコだが
最高神は海底を宮とする竜宮神
名を君真物またはニレー大主

11 :天之御名無主:2012/05/16(水) 17:40:21.61
アマミチュ(神) → アマミチュ・シルミチュ(人)
と解釈してる
中山世鑑以外は日本神話に合わせて省略されたが

19 :天之御名無主:2013/01/07(月) 16:01:59.01
>>8
>盤古神話のバリエーション

琉球神道とは違う民間伝承には
盤古ぽいものもある。
天人と呼ばれる巨人の創世神話。
巨人伝説は沖縄にもちらほらある。

(転載以上)
_________

 
上記のように、琉球神話のアマミキョ・シニレキョの男女二神神話には

「盤古神話(道教)」の影響が示唆されていますが、

そもそも、道教自体が、「古代日本発祥」という説を複数の中国の道教の導師が唱えているのは、

以前から私のブログでとりあげている通りです。

(カタカムナ文字研究家の楢崎皐月さんも中国で聞いてますね
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%A2%E5%B4%8E%E7%9A%90%E6%9C%88

琉球神道そのものが奄美発祥の可能性が高い(複数のノロ研究者の説による)と仮定した場合、

「琉球開闢の神アマミキョ神話」も「元々は奄美神話の焼き直し」と仮定できますが、

そうしたときに、

古代から中国と日本の交易の要所であった奄美は盤古神話の発祥地もしくは中継地である可能性を考えても良いと私は思います。

つまり、盤古神話のルーツが日本(もしくは奄美)であれば、

「奄美開闢の神アマミコ・シニレク神話」はよりオリジナルに近い可能性が高いのではないでしょうか?

日本人の文化のルーツは南方にあると、最新のDNA研究結果からすでに解き明かされていますが、

では、道教の元ともなった可能性の高い日本の、その文化の源流となった南方の、

独自の宗教文化とは何か?

私はそれこそ、「女神阿麻弥姑(アマミコ)」と「姉妹(ウナリ)神信仰」ではないかと思うのです。

日本本土や中国に厳然とあった「男尊女卑観」。

その男尊女卑観に染まりきれなかった琉球独自の女性尊重の信仰観・姉妹(ウナリ)神。

ここに、奄美の歴史と文化の起点があり、また現在にも至る奄美の高度な美の文化の背景があるのではないでしょうか?

日本最古の絹織物技術であり世界的にも高度な技術工程を要する大島紬、

天然真珠のなかで日本トップレベルの美しさを誇る奄美真珠、

古代より宝として珍重された奄美産夜光貝、
(本土で使われる法螺貝も奄美産のみ)

南西諸島のなかで唯一裏声を多用し、「女性の音階に男性が合わせて歌う」奄美島唄、

琉球神道のルーツとも言われる奄美のノロユタの多さ、

これらは奄美がかつて「大きな宗教的もしくは文化的影響力を持っていた」と仮定するに充分な材料ではないかと思います。

(個人的には本土各地の縄文遺跡~弥生遺跡から出ている装飾品南洋貝のDNAを調べていただきたい)




文明は移り変わり、その源流である可能性のある奄美は文化のほとんどを忘失し、

奄美は「日本と沖縄の、そのどちらでもない自己喪失の島」と言われることもあります。

しかし、その意見はあまりに安易ではないでしょうか?

私達奄美の人間は何に帰属意識を持つべきなのか?

ヤマトか?沖縄か?その二択しかないのでしょうか?

アイデンティティ。それは何に依るかではなく、

何を誇るかではないでしょうか?

奄美の歴史は、古代から女神神話や天女伝説と共にあり、

奄美の古代の生活は「姉妹(ウナリ)神」という女性を生き神とし大切にする考え方と共にあり、

奄美からもたらされた「美」は多くの人々を喜ばせ、慰め、自慢できる宝物となりました。

この「奄美が外の世界に与える善きモノ」をこそ、奄美の誇りとすべきであり、

その象徴が、「女神阿麻弥姑(アマミコ)」と「姉妹(ウナリ)神信仰」ではないかと私は思うものです。





これが、私が「奄美『女神の島計画』」を進める動機です。

奄美が「女神の島」になっていいじゃないか!

奄美は世界に女神の美と調和を発信できる島になっていただきたいと思う。

どうか、おひとりでも多くの方が、賛同していただけますように。

賛同してくださる方は、どうか「奄美の女神の美」を、奄美内外に発信していただけますように。

その方その方の「女神」のイメージで結構です。

やがてこの奄美に「女神の美」が満ちた時に、

奄美は、大きな影響力を持って日本と沖縄とアジアを繋ぐ大きな調和発展の島になれると、

私は信じております。








注・現在、神道の神官はほとんどが男性ですが、元々は女性神官が主流だったそうです。
分かりやすいところでは、邪馬台国の卑弥呼がそうですね。
なぜ男性神官が主流となったかについてですが、
戦争で元いた領主が敗れた場合、その元領主の一族をその土地の神社の祭主に封じたからだとか。
つまり、日本神道の原型は琉球神道と同じ女性神官制度だったんですね。
そして奄美は、琉球神道のなかでも神官が非常に多い場所でした。
また、神道の大祓詞には、天津神と国津神の祓いのあと、残るケガレを祓う神として、
(つまり天津神も国津神も祓えないケガレを祓う神)
四柱の「祓戸の神」が出てきますが、
この神々は水の神であり、その三柱は海の神であり、さらに三柱は女神です。
出口王仁三郎が「日本の雛形」と呼び、
一部伝統宗教の口伝で「龍の頭」と呼ばれる奄美。
この奄美の思想的源流こそ、日本そのものを解き明かす一つの鍵になるのではないかと、私は思うんですけどね。












Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 07:45│Comments(0)
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