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隊長のお祖母様のお話(再掲載)

2010年09月22日

隊長のお祖母様は本当にすごい方だったそうだ。

どのような方かと言うと、そのお孫さんである隊長が


「俺はこの世の中が嫌いだ。大嫌いだ。

ただ、祖母さんがしてたことを継承する。」



その一念でたくさんの人々を無償で助けてきたことからもわかる。

お祖母様はその名のとおり

『無償の愛』

の人だった。

どんな荒くれ者でも、道理をわきまえない者でも、それでも、お祖母様を知る人間はお祖母様のことを語るとき、誰もが絶対にお祖母様を悪くは言わないのだという。

隊長はいまもお祖母様のことをあまり語ろうとはしない。








隊長が小さい頃のお話。

隊長の田舎に手のつけられない荒くれ者で有名なヤクザがいた。

普段は人の話をきくこともあるが、いったんキレると手がつけられなくなる。そのため同業者からさえも敬遠されて嫌われていたらしい。

彼の指はほとんどのこっていなかった。それが彼のしてきた理不尽な怒りの代償であり、彼の人格破綻をものがたっていた。

ある日隊長の実家にきた彼は、隊長のお父様と口論になった。

キレてしまった彼は、もう獣のように、手がつけられなくなったらしい。

そこにお祖母様が近づいた。鬼のような形相で暴れている有名なヤクザを前に、背の小さなお祖母様は背伸びして、

彼の頭をやさしく撫でなでした。

彼は急におとなしくなった。今までどのような暴力的な制裁でも、指を失うようなことになっても、おさまらなかった彼が。

そのままお祖母様は彼のほとんど指のない手をひいて仏間へとつれていき、布団を敷き、彼を寝かせ、

彼が眠るまで彼の腰を、まるで幼子をあやすかのようにとんとんとやさしくたたきつづけていたという。

翌日、彼はちがう人間になっていた。

もう二度とキレることも暴れることもなくなった彼は、ヤクザ稼業からすっぱりと足を洗い、寺に修行に入り、

修験者として旅にでたという。










お祖母様すごすぎです・・・・・

(´;ω;`)ぴー

愛の力ってすごいですね・・・・


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 09:26│Comments(5)
この記事へのコメント
おはようございます
子供の本にあった暴れる鬼を鎮めた笛の音を思い出しました

恐怖の心で対峙したならば相手の怒りに油を注ぐこととなる
無心(愛かな?)の心が怒りの火を収める

無か・・・・・・
むずかしいな
欲深いもんね私
愛=無心なのか・・・・・

おっと目から汗が・・・・
Posted by 涼風 at 2010年09月22日 10:30
今日はいつもより深い話をしたいと思います。

 愛、愛、愛とどのコメントにも書いている僕ですが、主の愛に気づいたのは
三か月位前のことです。

 それまでは、自分の成していくであろう仕事が、多くの人への愛となる
とは思っていても、その心は愛というより使命感でした。(伝わりにくい文章ですいません) 
 だから、結構ぎすぎすとした感情もよく生まれるものでした。

 自分には愛がないというのは感じていたので、主の愛について深く論考していました。 
 それで、気づいたことは、主の慈悲のほとんどは、人々の不幸を悲しむ気持ちと、その幸福と成長を願う心なのだと気付きました。
 主は国難について語られた御法話で、よく涙を流されます。
 自分が思うにそれは愚かさへの悲しみではなくて、ただただ彼らが不幸の淵に立たされていることが視えていて、それが悲しいのだと気付きました。そして、主は慈悲ゆえに国難を引き起こそうとしているものと、あれだけ強く戦っておられると気付きました。

 そして、主にとっては、法も愛であり、縁も愛であり、信仰もより強い愛であると気付きました。しかし、このときは、まだ、これらのことが知識として、理念として分かっただけでした。

 ある日、ふと歯を磨いていたときに突然感じたことは、今までこのように愛が分からないままの僕にも、主はずっと愛を流し続けておられるのだと気付きました。
 気付く気付かないにかかわらず、魂の上下に関わらず、裏か表かに関わらず、主はすべてのものに愛を投げかけておられる。常に僕にも愛を投げかけておられる。このことにものすごい感謝が湧いてきて、涙がどんどんと溢れてきました。
 主は法や縁や信仰によって、光のパイプで我々を守ってくださっています。そして、何も縁もない人にも、愛を常に送り続けられています。

 どんな時でも、自分が気づいていなくても、主は私のそばに常におられた。だから、自分はどんな人たちでも絶対に絶対に見放したくない、彼らの仏性の味方となり、必ずそのそばに居たい。
  この思いが止まらなくなりました。愛が初めて止まらない位出てきたんです。
 主がこの地球のロードなのはその力より、その慈悲によるのだと気付いたのです。
 すべての存在に、その存在が気づく前から無限に送られている愛。だから、私はその愛をそのまま流せばいい。その愛に気づかせてあげればいい。それによって、エルカンターレの愛はその人に吹き抜けるように流れていく。一人一人が気付いたときに、愛の大河は人から人へ、人々を幸福にしながら、無限に流れていくだろう。
 この気づきが、本当に愛のパッションとして心から湧いて出てきました。

 思えば、仏陀再誕の時に、僕は涙ながらに仏陀に、
「すべての人の夢の味方になる」と約束していました。
(夢というのはその人の前向きな志のことです。)
 仏陀が気づかせてくれたのではないかと感謝しています。

 慈悲や愛は、裏の人々が気付かないか、軽んじている力です。しかし、それは本当は根本仏の力であり、この宇宙の創造力の根幹です。
 人々の可能性や夢を拓いていく、その力こそ創造の力であり、形を変えたる仏の慈悲です。この創造の力は夢を現実にしていく力を、信じたものに与えます。仏が使う魔法そのものです。
 裏の人々の予言が手厳しいのは、反省させる目的もありますが、もうひとつは愛を知らない側の人々による予言だからです。
 
 主の本当の力は、愛と智慧が合わさった慈悲、そして創造という形を変えた愛です。そのことに、真に気付く人が増えるときに、愛は無限の大河となってその本当の力を現わします。逆に、誰も気づかなければ慈悲の力は開かれず、裏による、念力やこの世的な力だけを考慮した予言は、そのまま成就します。

 色々な霊人が言うように、主の力は一割しか流れていなかったと、僕には見えます。二度の選挙の反省から、その割合は15%位に上がってきて、慈悲の力もだんだんと流れてきているように感じます。

 しかし、この大きな闇から人々を救うには、絶対にもっと慈悲や愛を伝える人が必要で、我々がどんどん気付いていく必要があります。
 主はまだまだ孤独です。主の慈悲に気づいている人が少ないのです。   
 だから、多くの人にこのような形で愛を流されているこのブログはすごいと思います。

  forecastという御法話はここらへんのことについて強く訴えておられるとてつもない御法話ですので是非見てみてください。
http://happyscience.toyonaka.irh-web.net/Untitled-12.htm
Posted by 777() at 2010年09月22日 22:31
>涼風さん
私も怒りは得意ですが愛はもっとも苦手です・・・・
てゆーか、なんでこんなの書いてるんだ????

>777さん
すみません、お名前に(宗教注意)が入ってる方を間違って消してしましました・・・・本当にごめんなさい・・・・
。・゚・(ノД`)・゚・。
Posted by アマミキョアマミキョ at 2010年09月22日 22:56
>アマミさん
全然構いませんよ(^o^)
forecast暇なときに、是非読んでくださいね(笑)
Posted by 777 at 2010年09月22日 23:26
>アマミさんへ
 
 追伸です。
 自分のコメントを後から読み返して膨大な量の文章に自分でもまずったと思いました。
 大事なことを一つの文にほとんど凝縮したので、どこも大事ではあるんですが、一番伝えたかったのは、
 
 愛に触れる、ものすごい一瞬というのが、ふとした時に訪れ、涙が止まらなくなることが多いんです。もーむさんのコメントも感動しながら見てました。
 
 その一瞬を開くカギは二つで、「主や周りの人への感謝」、
 「他の人の苦しみを心で感じ、その隣に居たい」
 という思いでした。

 焦らず、日々を感謝に生きていくことで、こういった一瞬が訪れるのではないかと思います。(本当に上からな文ですいません。ごめんなさい。)

 愛は苦手と仰られますが、一番愛を強く意識しているからこその思いであり、絶対に色々な方が温かく見ておられます。苦手に思っていること自体が、愛深くなることに続くステップではないかと思います。

 心より愛を込めて
Posted by 777 at 2010年09月23日 17:48
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