投票にいってきたー
2013年07月21日
お昼に参議院議員選挙の投票に行ってきました。
小さい頃、父と母が二人で、大事そうに投票券を持って行った投票。
あの安徳戦争の最中にも、支持政党は絶対に誰にも媚びず、貧しいなかでも誰にいくらお金を出されても譲らなかった投票用紙。
投票所に向かう朝の父と母は、普段の父と母ではないような、軽々しく甘えられないような、厳しく、凛々しい背中をしていました。
それは、少し怖くもあり、でも誇らしくもありました。
ついていきたいと言うと、「子供はダメ、大人になってからね」と言われました。
子供心に、踏み入ってはいけない「大人しか参加できない、神聖にして崇高な権利」を感じ、そこに参加できる父と母の背中をとてもうらやましく思いました。
大人になり、「選挙権」というものをいただき、
それは、権利であると同時に、責任でもあるのだと、ひしひしと感じます。
日月神事で言うところの大峠の第二弾。それを左右するのは、この選挙の結果であると言っても過言ではないと思います。
(たしか三回試練がくるんでしたっけ?どうなのMさん)
日本国民が選ぶシナリオが、素晴らしき未来を築くものでありますようにと、祈りました。
小さい頃、父と母が二人で、大事そうに投票券を持って行った投票。
あの安徳戦争の最中にも、支持政党は絶対に誰にも媚びず、貧しいなかでも誰にいくらお金を出されても譲らなかった投票用紙。
投票所に向かう朝の父と母は、普段の父と母ではないような、軽々しく甘えられないような、厳しく、凛々しい背中をしていました。
それは、少し怖くもあり、でも誇らしくもありました。
ついていきたいと言うと、「子供はダメ、大人になってからね」と言われました。
子供心に、踏み入ってはいけない「大人しか参加できない、神聖にして崇高な権利」を感じ、そこに参加できる父と母の背中をとてもうらやましく思いました。
大人になり、「選挙権」というものをいただき、
それは、権利であると同時に、責任でもあるのだと、ひしひしと感じます。
日月神事で言うところの大峠の第二弾。それを左右するのは、この選挙の結果であると言っても過言ではないと思います。
(たしか三回試練がくるんでしたっけ?どうなのMさん)
日本国民が選ぶシナリオが、素晴らしき未来を築くものでありますようにと、祈りました。
【natsuの戯れ言】仏教について
2013年07月21日
私からの再三のお願いに、ついに、natsuさんが重い腰をあげてくださいました!!!!
natsuさん、本当にありがとうございます!!!!
(;ω;)
皆の衆、natsuさんの真骨頂を味わうが良い!!!(笑)
シリーズ化希望です!!!!!!!!!!
m(_ _)m
_______
仏教用語
四苦(シク)---[生・老・病・死]
仏教では、人生は苦しみがあり、その苦しみの意味を考え
そして万人が求める幸福になる道を法として説きます。
私は少し違った観点から考えてみたいと思います。
人生には苦しみがあると言われています。
では、苦しいと感じているのは、あなたの心でしょうか、
意識でしょうか、心でしょうか、肉体でしょうか。
なんでしょうか?
例を挙げると、、、
口の中に食べ物を入れます。
あなたは、あるものは「美味しい」と感じ、あるものは「まずい」と感じる。
当然ながら、
・幸福---「美味しい」
・不幸---「まずい」
ということになります。
では、
「美味しい」けど「体に悪い」
「まずい」けど「栄養が高く体には良い」
となると、何が幸福で何が不幸でしょうか。
「苦しみ」というのは、
まず2つの違いがあります。
・精神的な苦しみ(ストレス)
・肉体的な苦しみ(痛み、空腹など)
自分は一体、何に対して苦しみ、苦しいと感じているのだろうか。
ここから始める必要があると思います。
生老病死という状態が苦しいというのは、一見すると肉体の苦しみの
ように思えます。
しかし、よくよく考えると、自分の思い通りに肉体を動かすことが出来ない
ということが苦しみとなっているわけです。
「自分の思い通りに肉体を操作したい」という思いに反して、動かない。
これが「苦しみ」になっているわけです。
自分の思い通りに動かない。
「自分はこうしたい、なりたい」→「違う現実となる」
これが苦しみなんですね。
ということは、未来において「希望・望み」が無ければ
苦しみというのは半減するのか?という考え方も出てきます。
このように考えてみると「苦しみ」の前には「望み」があると
いうことが分かります。
では、その望みが叶う実現可能性はどの程度として見ているのでしょうか。
周りからの客観的な見方として、その人の望むことが、「実現可能性が低い」にも係わらず
本人は、実現が十分に可能と思っている。
こういう状態で実現が叶わない、という結果になった場合。
これをどう見るか、ということがあります。
周り:「当然」
本人:「おかしい!!(怒+悲)」=不幸=苦しみ
こんな図柄にはならないでしょうか。
自分が感じている苦しみの強弱は、ご本人が考える「こうなって当然」という
思いの強さに依存します。
そのときに、ご自身の「未来予想の精度」が、どの程度なのか?を
考えることは大切だと思います。
仏陀の執着を捨てなさいという言葉は、別の言い方、、と言ってよいのかは
分かりませんが、
「ご自身の 「このぐらい当然」 というもののハードルを下げてみたらどうか?」
と変えてみることは出来ないでしょうか?
★執着=ご自身が当然と思っていること、内容、状態
私は、そんな風に考えています。
念の為、記載をしますが、私は皆さんの「当然」が間違っていると言っているわけではありません。
もし、苦しみが大きいと思うのならば、まずはその苦しみ=ご自身が考える当然
というものが、
・本当にそうなのか?・?
・ご自身の能力に見合った、当然なのか?・?
を考えることは、無駄ではないと思います、という意味です。
何かのご参考になれば幸甚です。
natsuさん、本当にありがとうございます!!!!
(;ω;)
皆の衆、natsuさんの真骨頂を味わうが良い!!!(笑)
シリーズ化希望です!!!!!!!!!!
m(_ _)m
_______
仏教用語
四苦(シク)---[生・老・病・死]
仏教では、人生は苦しみがあり、その苦しみの意味を考え
そして万人が求める幸福になる道を法として説きます。
私は少し違った観点から考えてみたいと思います。
人生には苦しみがあると言われています。
では、苦しいと感じているのは、あなたの心でしょうか、
意識でしょうか、心でしょうか、肉体でしょうか。
なんでしょうか?
例を挙げると、、、
口の中に食べ物を入れます。
あなたは、あるものは「美味しい」と感じ、あるものは「まずい」と感じる。
当然ながら、
・幸福---「美味しい」
・不幸---「まずい」
ということになります。
では、
「美味しい」けど「体に悪い」
「まずい」けど「栄養が高く体には良い」
となると、何が幸福で何が不幸でしょうか。
「苦しみ」というのは、
まず2つの違いがあります。
・精神的な苦しみ(ストレス)
・肉体的な苦しみ(痛み、空腹など)
自分は一体、何に対して苦しみ、苦しいと感じているのだろうか。
ここから始める必要があると思います。
生老病死という状態が苦しいというのは、一見すると肉体の苦しみの
ように思えます。
しかし、よくよく考えると、自分の思い通りに肉体を動かすことが出来ない
ということが苦しみとなっているわけです。
「自分の思い通りに肉体を操作したい」という思いに反して、動かない。
これが「苦しみ」になっているわけです。
自分の思い通りに動かない。
「自分はこうしたい、なりたい」→「違う現実となる」
これが苦しみなんですね。
ということは、未来において「希望・望み」が無ければ
苦しみというのは半減するのか?という考え方も出てきます。
このように考えてみると「苦しみ」の前には「望み」があると
いうことが分かります。
では、その望みが叶う実現可能性はどの程度として見ているのでしょうか。
周りからの客観的な見方として、その人の望むことが、「実現可能性が低い」にも係わらず
本人は、実現が十分に可能と思っている。
こういう状態で実現が叶わない、という結果になった場合。
これをどう見るか、ということがあります。
周り:「当然」
本人:「おかしい!!(怒+悲)」=不幸=苦しみ
こんな図柄にはならないでしょうか。
自分が感じている苦しみの強弱は、ご本人が考える「こうなって当然」という
思いの強さに依存します。
そのときに、ご自身の「未来予想の精度」が、どの程度なのか?を
考えることは大切だと思います。
仏陀の執着を捨てなさいという言葉は、別の言い方、、と言ってよいのかは
分かりませんが、
「ご自身の 「このぐらい当然」 というもののハードルを下げてみたらどうか?」
と変えてみることは出来ないでしょうか?
★執着=ご自身が当然と思っていること、内容、状態
私は、そんな風に考えています。
念の為、記載をしますが、私は皆さんの「当然」が間違っていると言っているわけではありません。
もし、苦しみが大きいと思うのならば、まずはその苦しみ=ご自身が考える当然
というものが、
・本当にそうなのか?・?
・ご自身の能力に見合った、当然なのか?・?
を考えることは、無駄ではないと思います、という意味です。
何かのご参考になれば幸甚です。