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ミトラ教とマニ教(転載)

2010年05月25日

ミトラ教とマニ教

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> (資料1)
〜ミトラ教〜
■概説


「ミトラ」は「マイトレーヤー」のこと。古代からアーリア人の神・太陽神として「ミトラ信仰」があった。ミトラは、ゾロアスター教の聖典「ゼンド・アヴェスタ」では「最高神オーラ・マツダの子供」という位置付けになっており、ヒンドゥー教の聖典「リグ・ヴェーダ」にも登場する。仏教的には「弥勒信仰」となり、古代ペルシャでは代々の王朝の「守護神」とされていた。

 
「マイトレーヤーの霊言」での「BC3世紀頃、小アジア(現在のトルコ)に出て、ミトラ教を興した」というご本人の言葉から推測すると、すでに西アジアやインドに根付いていた「ミトラ信仰」を、マイトレーヤーご本人が「宗教」として立ち上げ、発展させたものと考えられる。ミトラ教が後の世界、特にキリスト教に及ぼした「陰の影響」は、かなりスゴい。

■西方ミトラ教

 
BC2世紀〜AC4世紀くらいが全盛期。西方では軍人を中心としてローマ領土全域に普及していたが、ローマ皇帝コンスタンティヌス1世がそれまで異教とされていたキリスト教をAD313年に公認して以降、迫害された。コンスタンティヌス1世の甥・ユリアヌス帝はミトラ教に心酔し擁護したため「背教者」と呼ばれた。その後、テオドシウス帝の時代にキリスト教が国教となると、ミトラ教の寺院はすべて破壊され「西方ミトラ教」は滅びた。

■ミトラ教のキリスト教への影響

キリスト教は、かなりあからさまにミトラ教を模倣している。

「ミトラの誕生を予言していた3人の占星術の学者がいた。ミトラの誕生を羊飼いから知らされた3人は、捧げ物を持って祝福に駆けつけた」→【「東方の3博士」】

ミトラ教徒は12月25日を「太陽神ミトラが生まれ変わる日」として祝っていた。→【クリスマス】

ミトラ教徒は「春分の日」を「太陽神ミトラの勝利の日」として祝っていた。→【復活祭】

「ミトラは12の星座に守られている」→【イエスの12弟子】

「ミトラは天上界に帰る前日、12人の光の友と晩餐をした」→【最後の晩餐】

「ミトラとアポロンは、宴を催して信者にパンやワインを振る舞う」→【聖体拝領】

「ミトラは『私は死後復活し、光の友と共に歩む』と予言した」→【イエスの復活】

「宇宙の終末の時に死が復活し、最後の裁きが行われる」→ 【最後の審判】

「ミトラの光の友らは、最後の戦いに天使軍として参加する。ミトラはその終末に、白馬に乗って現れる」→【ハルマゲドン】

ミトラ教の最高司祭は「パテル・パトルム(父の中の父)」と呼ばれる→【カトリックでは「パパ」と呼ぶ】

ミトラ教には「体を水に浸す儀式」がある→【洗礼】

ユダヤ教の安息日は土曜日だが、ミトラ教は日曜日→【キリスト教も日曜日】

「ミトラは病人を治し、目の見えない者を見えるようにし、歩けない者を歩けるようにした」→【イエスの奇跡。これは模倣とは言えないかもしれない】

AD2世紀頃、キリスト教徒のユスティヌスは「ミトラ教はキリスト教の『交わりの儀式』を悪魔的に模倣している」などと非難している。模倣しているのは自分たちのほうなのに、主導権を握るためにミトラ教に難癖をつけている。


■東方ミトラ教

日本人のミトラ教研究者・東條真人氏は以下のように述べる。

「『ギリシャの文明はヨーロッパがすべて受け継いだ』という説は、西洋人のプロパガンダである。ピタゴラス・エンペドクレス・プラトン・ストア哲学などは、ミトラ教を介してイスラムのシーア派やスーフィズムに流れ込んだ。イランのホメイニ師の政治神学はプラトンの『国家』を発展させたもの。『パウロ派』『ボゴミール派』『カタリ派』などは『秘教的キリスト教の一派』とされるが、実は『東方ミトラ教の一派』であり、近年のブラヴァツキーの教義は『古代ミトラ教』のものである」


ミトラ教はゾロアスター教やマニ教、仏教の「弥勒信仰」などと合流して中国に入り込み、「明教」と呼ばれた。12世紀に「朱子学」を創始した朱子は明教を学んでいたようで、その流れを汲む王陽明の「陽明学」にはゾロアスター教の「善悪二元論」的考え方が影響している可能性がある。

元朝末期の1351年、明教の一派・白蓮教の教祖・韓山童と劉福通が「紅巾の乱」を起こす。それに参加した朱元璋が元朝を打倒し、新王朝を「明」と名付けた。しかし、同じ農民出身で天下を取った「漢の劉邦」を手本として野心を持っていた朱元璋は、手のひらを返して白蓮教を弾圧し、滅ぼした。

その教えこそ伝わらなかったが、中国明朝の「明」は、ミトラ教の「ミ」なのである。19世紀フランスの思想家エルネスト・ルナンは、こう述べている。

「もし何らかの理由でキリスト教の成長が妨げられていたら、世界は『ミトラ教化』していただろう」〓


〜マニ教〜

■概要

マニはAD3世紀、ササン朝ペルシャ支配下のバビロンに生まれた。両親はユダヤ教徒だったが、キリスト教・グノーシス派・ミトラ教・ゾロアスター教・仏教・道教など他の様々な宗教の教えを学び、24歳のときに啓示を受けてマニ教を創始した。

ササン朝シャープール1世に重用され、信者を増やすが、国教のゾロアスター教の神官カルティールの嫉妬を受けて迫害され、AD277年頃、処刑された。(※ゾロアスター教の神官は「マギ」と呼ばれるが、不思議な能力を持ち、奇跡を起こすところから、英語のMAGICの語源となった)

マニ処刑後も教勢は拡大。西はローマ帝国全土に広がり、後にキリスト教の教父となったアウグスティヌスもマニ教徒だった。東は中国まで及んで世界宗教となったが、キリスト教とイスラム教の興隆につれて消滅していった。

マニ自筆の「聖典」もあったようだが、散逸した。今世紀に入って、中央アジアの敦煌やエジプトでマニ文書が発見されたとのことで、新事実が出てくる可能性もある。

■教義

前述の様々な宗教の教えがチャンポンになっているが、ゾロアスター教の「善悪二元」の教えを中心とした神秘主義・禁欲主義、というようなものだったら しい。

【マニ教の神話】

「原初、光と闇は共存していたが、闇が勢力を拡大してきたので、光を回復するための戦いが始まった。

光によって「原人」が創造されたが、闇に敗北し吸収された。

光は太陽神ミトラを派遣し、闇に囚われた光を部分的に取り戻した。

闇は手中に残った光を閉じ込めるため、人祖・アダムとイブを創造した」

「光が飛び散って植物に宿った」とされ、菜食を重視する。また、「肉体は闇によって汚されている」とされ、結婚・性交は「汚れた肉体を創造すること」として忌避された。

ユダヤ教とキリスト教を継承する点、「預言者は天より印璽を授かる」とする点、断食を行うなどの点は、後のイスラム教に影響を与えている。

■中国伝来

マニ教は694年、中国の唐に伝来した。中国では「摩尼教」と表記され、「景教(キリスト教ネストリウス派)」「ゾロアスター教」と共に「三夷教」と呼ばれた。1339年、福建省・晋江市に「草庵摩尼教寺」が建立され、福建省を中心に興隆したが、15世紀には下火になった。寺は現在では中国の国家重要文化財に指定され、毎年旧4月16日に「摩尼光仏聖誕祭」が執り行われるが、信仰は失われていて、単なる「観光イベント」に過ぎない。

マニ教やゾロアスター教、弥勒信仰やミトラ教、仏教や道教などが混交して出来た教えが「明教」。呪術的要素が多分にあったために体制からは「魔教」「喫菜事魔(菜食して妖術を行う魔者)」などと呼ばれた。この流れは「白蓮教」「義和団」などを通じて19世紀末まで続いたようだ。

※キリスト教ネストリウス派
東ローマ帝国のコンスタンティノープル総主教・ネストリウスの一派。「マリアはイエスの母ではあるが、神の母ではない」と主張し、431年「エフェソス公会議」において異端と認定される。エジプト奥地に追放されて客死したが、弟子が東方に行き、中国に入り込んで「景教」と呼ばれた。

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Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 05:24│Comments(0)オカルト
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