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隊長講演会の解説感想がしんどい件

2013年03月30日


こら!どこのどいつだ!2ちゃんに隊長のことを貼り付けたのは!(笑)

まず、隊長は神道研究家じゃない。神道家だ!(笑)

隊長の話を自費出版したのは隊長本人じゃない。隊長のおっかけであるゆかりんだ!(笑)

そして、隊長は幸福の科学関係者じゃない!(笑) 完全他宗の人だっつーの!

まったくよー。難癖つけるならせめてちゃんと調べろよなー。





そんなわけで、やっと隊長講演会の解説感想が(2)まで書き終わりました。

聞いた内容を自分なりに解釈して自分の文章として書き起こすのは、すごく集中力がいるのを今回実感しました・・・・ああああああああああ

あまりにしんどいので、(3)の解説感想はちょっと分けて書こうかと思案中。

誰か私を褒めて!(;ω;)

さて、来週いよいよ、隊長講演会の質疑応答をアップさせていただきます!お楽しみに!

こちらは、実行委員のMさんが書き起こしてくださいました!

Mさん、本当にありがとうございました!
m(_ _)m


この三月は怒涛の忙しさで、もう目が回っておりました。

四月からは、本来のペースでブログを書かせていただけるものと思います。

最近刺激的なことが全然書けてないのを深く反省しております。

もっともっと面白い奄美ネタщ(゚д゚щ)カモーン!!!!







  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 22:22Comments(1)つぶやき

最終兵器ローズアロマオイル!

2013年03月28日


こう見えて、意外と繊細なアマミさん。

20代すぎて自分で自分を繊細と言うことの痛さは分かっている。野暮なツッコミはやめてほしい。(笑)

さて、ダメージを受けることが無駄に多い私は、どうしても自分を守るものが必要になった。

宗教?ちがう。パワーストーン?それもちがう。

結果的に見出したもの、それが「ローズアロマオイル」です!(笑)

いや、香りの力をバカにしてはいけません。

先日も、かなりキツいお客様に向かわねばならなくなったのです。

普段は何にも頼ることのない私ですが、ここぞとばかりにローズのアロマオイル(購入byシルク)をとりだし、

Tシャツの左胸(心臓)のところに一滴垂らすと、

あーら不思議!

それまでピリピリ体にきていたネガティブな威圧感が、サーッとひいていくのがわかりました!

ローズのアロマオイルの香りが、バリアのようになって、ネガティブなものからの干渉を遠ざけてくれるんですね。

これはねー、キツいときにはてきめんに分かります。

ローズさん、ありがじゅー!(;ω;)

マッサージのときにお客様の疲れがあまりにひどいときは、使用している薬草オイルにローズアロマオイルを数滴垂らしてブレンドすると、ものすごく疲れの取れ方がよくなります。


普段は香水などもつけない飾りっけのない私ですが、

ここぞというときにローズの香りがしたら、

「ああ、今日は防御体制バッチリなんだな」と思ってあげてください。(笑)

ローズの香りは免疫力の強化や細胞の活性化、胸から喉の感情のチャクラの傷を浄化する力、女性的パワーの補完などの効果もありますが、

私の場合は、なんといっても「邪気除け」&「疲れの回復」&「ネガティブな干渉からの防御」です!(笑)

ローズさん、いつもお世話になってます!

これからもよろぴくね!(笑)











  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 21:04Comments(2)スピリチュアル

人徳がない病

2013年03月27日

最近、自分に人徳がないとつくづく感じる。

人の心にグサッとくるようなことを言ってしまったり、そのせいで人が離れてしまったり、
(ほとんど無自覚)

隊長の大祓をブログで募集してるのに、受けた方の驚きエピソードとかがまったく私のブログにこなかったり、

自分はダメ人間なのかと落ち込む。


そこで自分を振り返ると、

ちょっとしたところですぐにうぬぼれたり、すぐに怒ったり、すぐに落ち込んだり、

どうも私は感情の起伏が激しいのかもしれない。(自覚はない)

だから人徳がないのだろうかとも感じる。

自分のことを自分が全然わかっていない。




もっと、自分は心の広い人間になりたいです。

人から言われたことやされたことは、さらさらと受け流して、

気にとめず、どんな人とも公平なお付き合いをできて、

人からいただいた優しさやご恩は絶対に忘れないようにして、いつまでも感謝して、

人を傷つけるようなことを言わず、相手様に配慮できるような言葉を選び、

誰からも「ほっ」としてもらえるような人間になりたい。






どうしたらそんな私になれるんでしょうか!

教えてお星様!(;ω;)








  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 23:43Comments(5)つぶやき

ここんとこハードな件

2013年03月25日

今お仕事が終わりました。

ここのところハードすぎで、脳がついてきてません。

隊長講演会の解説感想、もうしばしお待ちあれい!!!!







ピンポーン。インフォメーションです。

27日水曜日に幸福の科学奄美拠点で二度目の幸福供養祭があります。

代理供養をされたい方は、どうぞ奄美拠点・野崎まで。

こちらのブログでメッセージをいただけましたら、受付をさせていただきます。

嘉藤家のご先祖様、待っててねぇえええええええええええ





今日のマッサージもなかなかにハードでした。

しかし、観光客のお客様が、お二人とも

「いま、体から抜けたのが分かりました!」

と施術を受けながら感激してくださったので、よかったよかった。

疲れが抜ける感覚って、面白いですよねー。

明日もいい日でありますように。

今日一日に感謝。合掌。














  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 21:10Comments(3)日々の出来事

湯湾岳・山神の祠・マテリアの滝に豊川市からのお神酒を奉納

2013年03月24日

愛知県豊川市のAさんから「奄美の神様にご奉納ください」とご依頼をいただいていた豊川稲荷のお神酒を、

昨日、湯湾岳・山神の祠・マテリアの滝にご奉納させていただきました。

普段はめったなことでこちらの写真を撮影させていただくことはいたしませんが、

今回は他県の方からの奄美の神様への感謝のご奉納でしたので、

謹んで撮影させていただきました。




湯湾岳拝所  阿麻弥姑・志仁礼久二神降誕霊地の碑にて






フォレストポリス(ひろびろとしたキャンプ場つき公園)のなかに、山神の祠があります。
(この近くには、田畑佐文仁がつくらせた用水路跡があります)





なだらかな階段をのぼっていくと、五分ほどで祠が見えてまいります。






山神の祠。土台が斜めになっているので、念のため、箱にいれたままの状態で撮影させていただきました。





中に見つけた山桜。キレイでしたー。







最後に、マテリアの滝の神様に、謹んですべてのお神酒を滝壺にこぼして捧げさせていただきました。







いただきましたもう一本のお神酒は、近日中にアマンデーにお持ちしますね!

注・いま、マテリアから湯湾岳にいく道は工事中のため、遠周りしなくてはなりません。

マテリアからスムーズに湯湾岳に参拝されたい方は、日曜日(工事お休み日)がお勧めです(笑)

昨日は私はそのためにマテリアから湯湾岳の間(通常往復30分)に往復2時間半とられました・・・・私が帰りの道間違ったのもあるんですが、キツかった・・・・(笑)

  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 08:47Comments(1)奄美

母と次兄と墓参りへ

2013年03月23日


21日、お彼岸(お日願)の期間中に、母と次兄と私の三人で、車で一時間半の管鈍集落に墓参りにいってきました。



なんでも思い立ったら行動の私、その日の朝に「墓参りいくぞ!」と決め、母と次兄を無理やり引っ張り出す!!



途中で休憩。母とグー。






管鈍集落に到着。お墓まいりの準備をする母と次兄とぐー。





奄美ではお彼岸というものはなく、毎月1日と15日がお墓参りの日となっております。

でも、こういう機会に家族でお墓参りというのもいいものです。

最後にお墓をパシャリ。






管鈍集落から西古見集落へと続く道。

昔はこの右手奥にムレバカ(ライ病患者の墓地)があったらしいのですが、どなたか詳しくご存知の方おられます?





次こそは神社にも参拝するぞ!


  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 00:41Comments(1)日々の出来事

塩漬けヨモギができました!

2013年03月22日



やっとできたぞ!ゼーゼー・・・・

「薬草風呂用塩漬けヨモギ」五回分入り、1000円。

うちのマッサージに使ってる温湿布用のヨモギです。





もちろん私が採ってきて塩漬けにしました(笑)

採った場所は、龍郷町にある、叔母の趣味でやってる無農薬菜園。

またあそこはヨモギがよくでるんですわー。


これ、採るとき結構腰にくるんだよね・・・・・

使い方は、ついてる塩漬けヨモギ付属のパックにいれて、口を固く結び、

お鍋でぐつぐつお湯が茶色になるまで煮出していただき、

ほどよく煮出てきたら、お風呂に煮汁ごと投入するだけ。




お体ぽかぽかあたたまりますよ♪





ご興味のある方は、一度おためしください。

ご注文はこちらにて。

奄美自然のエステamamikyo@po3.synapse.ne.jp



代引かゆうちょ振込でお受けさせていただきます。

送料は結構デカいので1000円いただきます。すみません・・・・・

一万円以上は送料無料。


今、アロアロイエローさんに置かせていただいております。

アロアロさん、ありがとうございます!
m(_ _)m


よろしぴくお願いいたします☆



  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 09:50Comments(8)アマミちゃん通販・自然屋奄美

朝日新聞による従軍慰安婦問題捏造を中山議員が暴露

2013年03月21日

頭の悪い私には、隊長のお話の感想は脳がこげますわー。

少し息抜きさせてください(笑)

すこし前の話題(笑)の内容ですが、いまさら載せです。





朝日新聞による従軍慰安婦問題の捏造を中山議員が今国会で暴露!
http://www.youtube.com/watch?v=e0Ho-7MFPh4



詳しいバージョン(一時間)
http://www.youtube.com/watch?v=r_Y6WkUmfBw




  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 00:52Comments(0)おすすめサイトつぶやき

隊長講演会講演録・アマミさんなりの感想(2)

2013年03月20日

隊長講演録のアマミさんなりの感想、第二回でーす。

サラサラと書いてるように見えるでしょ?本当はかなーり大変なんですよ。(笑)

さて、引き続き、
http://amamikyo.amamin.jp/e326941.html
こちらの感想を書かせていただきたいと思います。









隊長が、ご先祖へのお祀りと同じく大切にしてほしいと言ったもの、それが「神様へのお祀り」です。

神道の八百万の神の頂点に立つ造化三神・その中央におられる天御中主神は、創造主であるということでした。

創造主は「造る」神であり、とても寛容な神様であるがゆえに、造ったものに対してその後の干渉を一切しない神であると。

だからこそ、人間の人生の不幸はほとんど神の関与するところにない、自己責任であるということでした。

では、災害などで不幸のうちに亡くなられた魂に対して、私達はどう受け止めるべきか?

その点に関して、隊長は以下のように言われています。

「死に損にさせないために、生きている私達が、彼らからいただいた教訓を生かしていく事が大事です」

また、自殺された方とそのご遺族に対しても、隊長はこのように言われています。

「その人のその死が原因で、残された私達が考え方を変えて、そして、世の中、人のため一生懸命生きたという結果につながれば、その死は必ずしも救いのない死ではなくなる」(アマミ意訳)

ここに、最初の隊長のお話・『お祀り』がそのまま通じるのではないかと、私は感じました。


怨霊でさえも鎮める究極の作法・『お祀り』。

それは、「無念・怨念の状態の魂でさえも、信じ敬い感謝の意を唱えることで、鎮まり加護をもたらす存在となる」

ということでした。

つまり、『お祀り』の理念を、個々人レベルでどう使っていくのかという実践論を、隊長はここで具体的に説明してくださっているわけですね。

それは、「信じる」ということだと隊長は言われています。

相手様が今現在どうであるかではなく、

こちらが、相手様からいただいた恩恵や加護や教訓を信じ、感謝し、言霊にして語りかけ、お祀りする。

お祀りは特別なものではなく、私達一人一人の心がけから起こるものだと、隊長が教えておられるように、私には感じられました。



そして、お話は、創造主・・・造化神のお話に戻ります。

創造主である神は、我々を造りっぱなしにした冷たい存在なのか?

否と、隊長は言います。

この神様こそ、神道で一番大切な姿勢『奉仕』そのものであると。

『奉仕』とは、「させていただきます」という見返りを求めない姿勢であり、

私達人間を造られた造化神・天御中主神は、人間だけではなく、人間が必要とするすべての存在をも造られた。一切の見返りも求めることなく。

「だから、この神様は決して冷たい神様ではなく、むしろ、われわれ人間のほうが、それをどのように解釈するか、っていうほうが大事なんです。」

と、隊長は言います。

「そういう神様には、やっぱり感謝の気持ちを持たなきゃいけない。
そのためにはどうしたらいいかといったら、自分たちの姿勢を正して、美しい生活をやっていくしかないです。
それが日本で、世界に誇れる唯一の内容、道徳なんですよ。」

これが、『お祀り』に通じる心なのではないかと、私は感じます。

私達を造ってくださった創造主から、与えきりの奉仕をいただいていることに対し、報いる姿勢とはどのようなものであるのか。

それが「自分たちの姿勢を正し、美しい生活を心がけること」道徳であると、この国では継承されてきたのですね。

道徳という気高い精神によってまとめられた日本の平和と秩序。これを、世界に発信すべきではないかと、隊長は言います。




そして、お話はお墓の話題に移ります。

お墓とはご先祖のお骨が自然に還る場所であり、ご先祖の荒御霊が鎮まる場所です。

そこに大切なのは形式ではなく、ご先祖への感謝を、できる範囲内で、形にするということだと隊長は言われています。

「だけど、できる範囲でやるっていうことが大事なんです。そこの気持ちが相手に伝わる。ご先祖に口に出して話しかけるのも大事、そこの気持ちが相手に伝わる。」

では、お墓があるなら、どうして仏壇も祀らねばならないのか?お墓だけで充分ではないのか?

そこで隊長が説明されるたが、神道の一霊四魂でした。

人間の魂は、死後四つに分かれるそうです。

幸御霊(さちみたま)は、神様の分御霊そのものであり、死後は、高天原に還ります。

和御霊(にごみたま)は、地元の神社(産土神社)に還り、氏神として地域を守る守り神の一部となります。

奇御霊(くしみたま)は、霊璽(位牌)に宿り、その家の守り神となります。

荒御霊(あらみたま)は、一番エネルギーの強い魂であり、良くも悪くも大きな影響をもたらすそうです。
いろんなものに憑依しやすい性質を持つため、お墓に憑依させることで、安定したお祀りが可能となるわけですね。

この荒御霊が、きちんと祀られていない場合は、川原の石に憑依したりするので、川原の石を拾うのはやめたほうがいいと、隊長は言います。

巷で言われる「動物霊」は、この荒御霊が動物に憑依して、自分を動物であると思い込んだ結果である事も多いのではないかと隊長は指摘しています。

それぞれ四つの性質を持つ人間の魂。

それぞれを古来からの作法によって大切にお祀りさせていただくことにより、四つの魂からのご加護をいただくことが可能となると、私は感じました。

そして、一番大切なことを、隊長が言われていました。ここは私個人は、とても大切だと思いました。


「より、ご先祖を身近に感じるってことが大事なんですよ。
それは、自分たちが最後に、お墓でご先祖さんになるとき(自分が子孫を守るとき)にも必要なんだから。」


なぜご先祖を敬い、祀る必要があるのか。

それは、いずれ私達も先祖になるからではないでしょうか。

私達はいずれ死して四つの魂に分かれる。

そのときに、私達が、子孫や地域を護り導く存在となる。

非常に大切な観点ではないかと、私は思います。 

私達がやがて先祖の一部となり、子孫や地域の人々を護り導くそのときに、

少しでも私達の加護の力を受け取ってもらえる子孫であってほしい。

では、ご先祖のその気持ちに立ったときに、子孫としての私達のあり方は、いかにあるべきなのか。

その気持ちが、ご先祖様や神様と私達をつなぐ、大切な心ではないかと、私は感じました。
















  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 11:50Comments(0)隊長(眷属さん)

隊長講演会講演録・アマミさんなりの感想(1)

2013年03月19日

改名させていただきましたところ、あちこちから「そのままでいいじゃないか」とのありがたいお声をいただきました。

なので、これからは私はアマミもしくはアマミちゃんでいきますけれども、以前のように「アマミキョ」と呼んでいただいてもそれはそれで大変ありがたく思います!
(別の場所ではいまだにアマミキョと名乗っておりますし)

さて、ここからは、アマミさんなり(自分にちゃん付けするのはどうかというご意見を賜りました。)の解説をさせていただけたらと思います。もちろん隊長未許可・未検閲です。(笑)

これはあくまで、私の隊長講演への感想ということで(笑)







まず、冒頭で隊長がこのように言っておられます。

『さて、どういう題名で、どういう内容で話そうかなって考えてて、結局いまのいままで思いつかなかったんですよ。ひどいでしょ(笑)』

これは本当です。本講演の内容はその場でアドリブで話しておられました。(笑)

なんてったって、その一時間前まで個人面談してたんですから、考えようがない(笑)



そのあと、『お祀り』の話になります。

この『お祀り』というテーマが、おそらくは本講演の重要な中心になっているのではないかと、個人的に推測しています。

プロの宗教家達でさえ鎮められなかった怨霊をも鎮めた究極の作法、『お祀り』。

それは、「敬いの心を持ってたくさんの人が手を合わせ、感謝の言葉を唱える」ことでした。

無理やり力でねじ伏せるのではなく、神様として信じ、拝み敬うことで、怨霊の怨念さえも鎮め、加護の力さえも戴ける存在になっていただく。

怨霊でさえもそうであるなら、ご先祖様なら、また本当の神様なら、『お祀り』をさせていただいたときに戴ける加護の力はどれほどのものであるかという事ではないでしょうか?

この『お祀り』に際して、隊長から、大切なこととして、二点お話されています。

一つは「信じる」ということ。

この「信じる心、信仰心」によって、ご先祖や神様への敬意と感謝が生まれ、その敬意と感謝が、ご先祖からの加護の力や神様からの守りの力『御蔭』をいただきやすくなるということだと私は思いました。

ここで気をつけなければならないと感じたのは、いわゆる霊現象についてです。

家で起きる怪異・ラップ現象や明らかな霊現象について、「ご先祖が迷っている・祟っている」と伝え、ご先祖の供養をすすめる霊能者が少なくないけれども、その本心は、別のところにある場合が多いということですね。

つまり、いわゆる霊現象などがおきている家の少なくない数が、本当は

「ご先祖からの、まだ子孫が知らない危機への知らせ・警告」つまりご先祖が子孫をなんとか助けようとして事前に教えてくれようとしてくれているのための現象であり、それはご先祖の精一杯のメッセージである場合が多いということ。

本当はご先祖は子孫を護りたいのだけれども、信じて手を合わせてくれないので(霊的な繋がりがないので)充分に護れない状態になっている。

それを視た霊能者が、その家の方々がご先祖の加護の力を正しく受け止められるように、あえて脅しという手段を使って、ご先祖へのお祀りをアドバイスすることもある、ということですね。

ここは、非常に重要な論点ではないかと思いました。

隊長のお話を今まで私は数多く書かせていただいておりますが、「ご先祖の加護によって悪霊の干渉が抑えられている」という内容がいくつかあったことと記憶しております。

また、「病気の父親にすこしでも霊的パワーを届けてほしいがために、その息子達に墓参りにきてほしいと願うご先祖」の話もあったあと思います。(墓参りによって、霊的パワーをより多く与えることができる)

子孫を愛するご先祖の気持ちを、正しく汲み取ってほしいという思いが、隊長のお話の随所に感じられました。





もう一つは、『口に出して感謝を唱える』ということですね。

隊長のお話を私なりに要約すると、

「死んでる人間も生きてる人間の延長線。こちらの心が分かるなんてことはない。だから、言葉に出してこちらの思いを伝えることが大切です」

言葉に出さなければ、ハッキリとこちらの思いは伝わらない。それは生きてる人間も同じですよね。

また、日本では言葉は言霊ともいい、言葉そのものに、大きな力が宿ると信じられていました。

ご先祖に対して、感謝の言葉を、口に出して、伝えること。ご先祖に言霊を捧げるということ。

これによってご先祖の力が高まり、霊力が増します。

子孫からの感謝の言霊によって増した力を、ご先祖は加護の力として、子孫に向けてくださるわけですね。

とてもあったかい循環がおきるのではないかと思うのは、私だけでしょうか?

ご先祖や神様に対して、加護を信じ、敬い、言霊として感謝を述べ伝え、手を合わせて感謝を捧げる『お祀り』。

これは日本古来より継承されてきた、とても大切な習慣でした、(神社は神様をお祀りする場所ですね)




隊長が『お祀り』を伝えたい理由。それは、これが今の日本に最も必要であるからではないでしょうか?






隊長のお話は、次に神様のお話にはいります。

続きはまた明日!(笑)

















  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 19:39Comments(0)隊長(眷属さん)

第二回隊長講演会・講演録(3)

2013年03月19日

私が教えを請うた先生が言う話では、亡くなられた人の最大の楽しみはなんであるかといったら、子孫が繁栄すること。そしてそれを、見守ることが一番の楽しみ、らしいです。
そのために、いろんなことを費やすんですよ、だから、霊障まがいのことをやったりもする、それは何かと言うと、いたずらをしているわけではなくて、(まだ気づいていない危機に対して)お知らせや警告を与えてくれてるんです。ちゃんと。
それを、額面どおりちゃんと受けとることができなかったりすると、変な方向に走っちゃうんですよ。ですよね。
神道の言葉の中に、大難を小難に、小難を無難にっていうのがあります。
大きい難があるのを、小さい難に変えてくれる。
小さい難だったのを、何にもない状態にしてくれる。
これも、神様及びご先祖さまの力なんですよ。
たとえば、車の事故に遭いました、なんて、ついてないんだと。でも、考え方を変えたら、その人が、もし怪我してないんだったら、ありがたいのかもしれない。そうでしょ?生きてる。保険でなんとかなる、と考えれば、必ずしもその事故が不運だったと言い切れない部分もでてくるんですね。
まあ、もちろん、不運ですよ、ならないほうがいいのに、なっちゃったんだから。
でも、大難が小難になっている可能性だけは切り捨てることができない。
そういうときに、「御先祖さまがもしかしたら助けてくれたのかな」と、ご先祖に声かけてみるのも、ひとつの手かな、って思うんですね。どうでしょう?
難しいですかね?
ここまでが、お墓の話と神様の話と御先祖さまの話と魂の話。やっつけみたいな話で申し訳ないんですけれど。


屋敷神と言って、家で祀る神様がおられます。屋敷神って言うのは正式な神様です、もちろん。
奄美では水神さまっていうんですかね。荒神さんになるのかな?ひょっとしたら三宝荒神。
ものすごくありがたい神様ですよ、家の中を守ってくださる。おそらく台所の神様みたいですね。
これは、われわれ神道も、ちゃんと祀っています、大事なことです。

だけど、これの類似品がいるんです。屋敷神であって、屋敷神じゃない。 
なんだっていったら、 鬼なんです、鬼。
いるんですよ、鬼神。これを間違えて祀っちゃうとどういう事になるかというと、鬼貢ぎなんですね。鬼に貢ぐ。
これの違いは、大きいです。鬼貢ぎっていうのは、貢ぎものをやらないと願いを叶えてくれないんです、なんにも。その貢物がひどい内容だったりするんです、
一族の人間が自分とこの系統以外は全部絶えてしまったり、っていうこともあります。
だけど、屋敷神はそうじゃないですね、全体を繁栄させてくれる神様だったりする。でも、粗末に扱えば怒りますよ、当然。
家に祠があったりする庭がありますね、お稲荷さんとか、道祖神とか。そういうのも屋敷神と一緒だったりします。
あまり無下に扱っちゃだめなんですよ。その屋敷神の扱いを知っている先生方がおられるんだったら、もし、自分達が全然それを祀ることができないのだったら、御相談されて、返されたほうがいいです。
粗末な扱いをするくらいならね。
でも、さっきいった鬼、これは別だわ、タチ悪いんですよ。
でも、鬼だってわかっていて家の中にいれる阿呆もいるんです、なかには。
節分ありますね、本来、四節分っていって、いま、日本国内で言われる節分は、いわゆる豆まきをする節分。二月三日ですね。
この時に「鬼は外、福は内」と言いますが、これ、鬼は外って言わないで、鬼は内って、言っちゃうところがあるんですね。やっちゃいけないこと。どういう事かというと、その鬼神の力があまりにも強いから利用しようって言う話です。
いいですか?で、鬼を招き入れました、3億円くれと願うじゃないですか。
あまつさえ、そんなもんにお願いしちゃいけないです。そういう者にお願いするとどういうことになるか。3億円を手元に入れるんだったら、方法って、限られてますね。宝くじを買って当たるとか、でしょ。宝くじも買わずに3億円くれっていったら、どうなります?
残っているのはたぶん、保険金くらいしかないですよ・・・叶えてくれるんですよ・・・誰かを殺して。
神様のすることじゃないですね。そういうこともあるんです。契約。西洋で言ったら悪魔。
なかなかこういうのって、表面にでてこないんですね、
こういう鬼らが親玉で、その手先で小悪党みたいな悪霊がいっぱいいるわけですよ。それが大暴れしている。でもそのバックにそいつら(鬼)がいたりするんです。いないときもあるし、いるときもある。わかるときもあるし、わからないときもある、で、一家根絶やしなんてこともある。
でも、本当に、鬼じゃなくて、屋敷神の可能性もあるんですね。あまりにも扱いが悪すぎて、絶えちゃうというのも中にはあるんですよ。なかなか見分けられないです。まして、鬼を対処できる人って、あんまりいないです。
うかつに手を出すような世界じゃない。怖いですね。
で、分にあわないお願い、さっきいった3億円くれとか、ものすごく商売を繁盛させてくれ、誰よりも俺を一番にしてくれとか、こういうのを邪神にお願いしちゃうと大変なことになるんですよ。
分相応じゃないんですよ。必ずどこかで、ゆがみが出ます。ギャップ。


だから、地道に一生懸命やってくれというんです。道徳です。
自分の幸せって言うのは、数億円のお金で買うものでもなければ、売り上げ日本一を達成することでもないんです。そうじゃない。
分相応っていう部分、分相応って言うのは、私のレベルはここまでだから、これくらいくださいっていうレベルじゃないんですよ。
一生懸命やってみて、結果が残るじゃないですか、それが分相応です。
それ以上のものを別のもので求めれば、必ず、ギャップがでるんです。
それは、何かと契約しなくても、起こるんですよ。
心の中で思っていたり、変に行動したり、それが付け入る隙なんですね、心の。
だから、そういう心のつけいる隙っていうのを作らないように、気をつけてほしい。
それはなにかっていったら、もっと、もっと、って、思わないこと。一生懸命やってみたら、ここまで登りましたって言うことに対して、自分がいかに満足できるか、これが一番大事なんですね。
難しいんですよね、人間ってそうはいかないんですよ。もっと、もっとって、いっちゃうんですよ、そこを我慢する。これも大事なこと。
そのためにどうするかといったら、ご先祖さんを信じるわけです。そういう連中が寄って来づらい状況を作るために。全部このへん関連するんです。
じゃあ何かって言ったら、道徳を守って、清く正しく生きることが一番大事ということ。子供たちにもそういう話を伝えていくこと。ですよね。
これが基本です、なにごとにおいても。私利私欲はいけないとか、仏教のなかでいいますね、煩悩とか。
煩悩がなくなったら、人間ではないんですよ、多少はあります、誰でも。
ただ、過度な煩悩がいけないんですね。何でも貪るように求めると、危ないです、非常に。


去年かな。私、喋りながら、(会場内を)あちこち、歩いていたんですよ。今年はやめました。なんか皆さん怖がって、むさくるしいオヤジが目の前に来たぞとかいって。そう思われないようにするために主催者側から、ものすごい釘を刺されている(笑)顔が凶悪だから、あまり近寄るんじゃないと(笑)
僕の心はひどく傷ついたんですけど。でも、皆様に真実を知ってほしいから、一生懸命しゃべります。
だけど今回はそこに行かないです、怖がってほしくないから。(笑)
ここまでは、わかりました?わかりづらい?


これ(今日のお話)は、すべてがそうであるっていう話じゃないんですよ。私が根ざしてやっているなかではこういう事があるっていう説明なんです。
これをみなさんが、納得するかしないかというのは別の問題なんですよ。その中に、いやこういうのもあるはず、いやこういうのもあるはずっていうのは、必ずあります。
心の中にね、それは、プラスアルファとして、みなさん持っていてください、必要なことです。
なんでかっていったら、関心を持って前に進もうという気持ちが湧いているということですね。大事なんです。関心がないって言うよりはるかに。少なくともそこに気持ちがあるんだから。


今日のまとめなんですけど、何が一番大事で、なにより大切にしてほしいかというと、とにかく、御先祖さまに声をだして話しかけるということ。おはようございますでもいいんですよ。
知ってました?冷め切った夫婦を治す方法って、朝の挨拶らしいですよ。おはようございますって、ちゃんと、言えるかどうか?言えないでしょ?言ってください。
怨霊と同じです(笑)
言えばね、すこしやわらかくなる、ちょっと、よくなるかな、保証はないです(笑)
人間って、そういうものなんですよ、自分が嫌われているかもしれないって、お互いが思っていると、必要とされてない(と思い込んでしまう)。
されてます。黙っててもやってくれるさと思っているだけ。
でも女の人は違うもんね。感謝されたい。言ってほしい。言葉で表してほしい。
当たり前です。女性はそれだけのことをしてくれているんですから。      
ご先祖さんも同じ。そういうふうに考えてください。喋って伝えなきゃわからない。感謝の気持ちは、夫婦でも同じ、喋って伝えないとわからない。
言ってみてくださいよ、一言。朝、おはようとかって、突然。おいおいってはじめ思うかもしれないけど、1週間2週間たつごとに、状況は全然変わりますよ。
で、そのときに思ってください。旦那さんでも奥さんでもこんなに変わるんだから、ご先祖さまに声かければ、こんなもんじゃねえだろうなって、思ってください。わかります?


挨拶をしなくなることが(関係が)冷え切る原因なんですね。
神様が相手でも、ご先祖さまが相手でも、旦那さんが相手でも、奥さんが相手でも、そうなんです。
生きてる人間、死んでる人間の違いなだけ。生きてる人間の延長が死んでる人間。なんら変わらない、扱いは一緒。
でも、死んでる人間に対しては、生きてる人間は自分の都合を押し付けるんです。
だめですね。自分の子供が病気になったりしたときは、例えば、運動会がある、だけど病気になって寝込んじゃった、会社を休んででも看病しなきゃって、一生懸命看るんですよね、
だけど、ご先祖さまがいま、苦しい状況にあるって言ったら、会社休みます?いやいや会社が先だろって言うんでしょ?
だけど、もし、ご先祖さまと、会話することができるんだったら、状況変わりますよ。生きてる人間と変わらないと思えば、無下にはできない。
祀り方もそう、勘違いの祀り方もよくない。どういうことかっていったら、相手の身になって考えなくてはいけないということです。自分の都合で祀っているとろくなことにならないですよ。
こんなに一生懸命になって祀っているのに、なんでいろんなことが起きるんだよって、部屋の中がビシビシ鳴るは、ろくなことはないわって。
でもそれは自分の身勝手で見ている可能性もあるって思ってください。
内容はあえて伏せます、そういう方もおられるかもわからない。でも自分の身勝手が原因で、祀っているやりかたもあるんですよ、なかには。自分の都合だけで、祀る。
すごいご先祖を持って、何十代って、奄美大島でお墓を作っている。東京に一族が全部引っ越していっちゃって、手を合わせるのが面倒だから、東京の小さい猫の額みたいな墓地に全部移しましたと。
(ご先祖にとっては)いい迷惑ですよね。今まで一生懸命にそこ(奄美大島)で祀られていたのに、なんだよって。
年1回か2回帰ってきて、手を合わせるだけでいいからさ、干渉するなって言いたいけど、言えない。
なんでかっていったら、生きてる人間のほうの都合に合わせなきゃいけないんだもん。
それは、わがままです、生きてる人間の。そういうことをふまえて考えてください。
祀るということ、それは、自分勝手に物事を判断してするってことじゃなくて、死んだ人間が仮に生きていると仮定したときに、ものすごくいやな思いをしていないだろうかっていうことをいま一歩考えることができることを祀るっていうんです。


わかりました?
こんな若造が、こんな偉そうな話をしています。でも、私がずっとやってきた経験のなかで、これがほとんど。大事なことだと思います。
これを勘違いしなかったら、ものすごく幸せになれますよ。幸せになれます。
ものすごく幸せになれますっていうのは、通常の2.5倍くらい男前の兄ちゃんと、結婚したりとか、そういう話じゃないですよ(笑)そういうのは自分で探してください、ちゃんと。(笑)
そういうのじゃないです。自分なりに幸せになれるんです。心が豊かになる、ってことですね、大事なこと。
だから、ここの地元の神様(ユタ)の方々から聞いた話でも、ちゃんと自分なりに解釈してください。 真面目に。勘違いしないように。
脅されているんじゃないんです。その人達のことを思うがゆえに言っているって事もあるわけです。
だけど、粗末にするっていう状況が確かにそこに見受けられるのなら、多少強い言い方で注意することもあるんですね。
でもそれは、自分に驕りがあったんじゃないかっていうふうに受け止めて反省することも大事じゃないかっていうことを、忘れないでください。
そして、それを修正することによって、劇的に状況が変わるんじゃないかってことも、忘れないでください。

もう一つ言いたいのは、それを、子々孫々に伝えていかなければいけないといことです。なんでかっていうと、自分が死んだあと、祀ってもらわなければいけないでしょ。
あんまり子供いじめてたら、祀ってもらえませんよ。
ちゃんと祀ってもらえるように、たまにおいしいご飯食わせたりしてみてください。必要です。契約ですね、生きている間の。そういった感じです。

これで、全部かいな、ほとんど。まだ質問あったかいな?
(スタッフ「合祀(ごうさい)」)
合祀の話か、あんまりしたくないんだよな、いやいや、しようか。
合祀っていま、いいましたね、合わせ祀る、女性の方が多いから、今日言うまいと思っていたんですよ。
旦那さんのところにお嫁さんに行きました。そうしたら、旦那さんの家の神様を祀らなきゃいけない。
そうしたら、自分のところのご先祖、お父さん、お母さん(の入った仏壇)、連れて行けないんですよって言ったら、冷たいって、思わない?思うでしょ。これが合祀。
でも理由があるんです。さっき言ったみたいに、死んだ人間としてとらえずに、生きた人間として捉えてください。
旦那さんのところにお嫁さんに行きました。生きているお父さんとお母さんを連れて行って、毎日、私に面倒見さして、毎日ここでご飯食べてっていったら、喜んで行く?
絶対に行かないよね、冗談じゃない、これが、本音。
どういうことかって言うと、祀られる側のことを考えなさいっていうのが、ここにあるんです。わかります?
自分の都合でしょ?親の面倒見たいのはわかるけど、それが、亡くなられたって言うのが理由で、コンパクトになっている。文句も言わないし、だから、連れて行っている。で、自分が自己満足している。親の面倒みているんだからって、思い込んでいる。
でも、(連れて行かれた方のご先祖は)肩身の狭い思いをしているんだよね、本当は。
っていうことも考えましょうっていう話。こういう風に言えば、さっきの話と変わってくるでしょ、状況が。
だから、言っているんです。「生きている人間だったらどうなんだろう、ってことを、考えなければだめですよ」って。自分の勘違いが、そこに存在するんじゃないかってことを認識しましょう、って言う話、なんです。わかりづらいですかね?


口癖ですね(笑)わかりづらくないつもりだから、はなから、そう思っていない言い方ですね。これは。(笑)
絶対わかっているはずだ、と思っているから。だけど、もしそれで、しくじったら、わかりづらかったと言ってください。そうしたら僕のせいになります。
でも、僕は、小学校3,4年生くらいの子でもわかるように話している。だから、子供たちもそういう話聞いたら、たぶん、押してくれます、周りの人たちに。
前回のときもそうだったかな。講演のあと、聞いていた子供さんが、近所のおばちゃんに教えたらしいですよ。
お墓参りにいけないって、悔やんでいる人は、家からお墓のほうを向いて手を合わせても大丈夫らしいよって。この子はいいこと教えてくれたって、近所のおばちゃんが言っていたらしいです。いいじゃないですか、それで。
そういうことの繰り返しっていうのは、一番大事なんですよ、昔の日本は、そういうのがあったんです。最近冷たくなって、隣の家に誰が住んでいるかさえわからない、それじゃだめなんです、でしょ?
道徳ってそういうことだと思います。

たいへん、長らくありがとうございました。皆様のおかげで、今宵もかなり楽しい思いをさせていただきました。
できましたら、来年、また呼んでください。よろしくお願いいたします。





  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 18:36Comments(1)隊長(眷属さん)

奄美の神様への奉納酒をお預かりいたしました

2013年03月19日



愛知県のある女性の方より、「奄美の神様にご奉納させていただきたいと思います」と、お酒をいただきました!

たしかにお預かりさせていただきました。

湯湾岳とアマンデーに、それぞれご奉納させていただきますね!

愛知県のAさん、ありがとうございました!
m(_ _)m





  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 12:38Comments(1)日々の出来事

第二回隊長講演会 講演録(2)

2013年03月18日



それと同時に大事にしてほしいのが、神様ですね、神様を大事にしてほしい。
でも、古今、東北の大震災があったり、戦争があったりするじゃないですか。
いっぱいいろんな人が死ぬ。生まれたばっかりの子供が死んじゃったりする。この世に神仏(かみほとけ)があるものかって、思っちゃうんですよね。ないですか?
そのへん、説明しろよって話ですよね。
天之御中主之神という神様が神道の中で一番中心におられるわけです。
この神様の役割は何か、造化神といって、創ること、造る神様。わかります?
創造主っていうんですね。キリスト教でもいま、ヤハウェの神様、創造主、イスラム教も当然いるし、仏教もそういう神様いるんですね、創造主。
この神様たちの仕事はなんでしょう?
造ること、創ることです。
そして、すごく寛容な神様なんですね、創ったあとは干渉しません。
わかりますか?それ以降は、自分たちの自己責任なんですよ、そこを勘違いしちゃだめです。
世の中で戦争が起きたりするのは、実質的には、我々人間が自分たちで起こしていることなんです。
それは、神様のせいじゃないです。
じゃあ小さい子がすぐ死んじゃったりするのは何?と言われますが、それも神様が任意的に殺したりしているわけじゃないです。そういうふうな『定め』なのですね。
東北の震災もしかり。ああいう地震が何年かの周期でやってきたりする。それは土地に問題があって、そんな結果になったと言われる方もおられるけど、そんなやりきれない話はしたくない。
そうではなくて、自然災害ということで、では、そこで死んでしまわれた方々は、もう死に損じゃないかっていうことになっちゃいますけれども、しかしそれを死に損にしないようにさせるためには、やっぱり生きてる人間が、認識して、その亡くなられた方々からの教訓っていうのを生かしていくっていうのが、大事なんですね。


自殺をされると、自殺、浮かばれません、って言いますね。もう、成仏することもなかなか難しい。
でも、周りでそれを解消する方法もあるんですよ、実は。
自殺を仮にしたとしても、その内容を意義あるものっていったらおかしいけど、別の方向に変えられるような内容・・・例えば、その人のその死が原因で、私達が考え方を変えて、そして、世の中、人のため一生懸命やっていきましたと、最終的にそれがあったおかげでそのような考え方、行いにつながりましたという部分もあるんです。
もちろん、自殺はよくないですよ。しちゃいけません。
だけど、100%だめ、100%浮かばれないじゃ、あまりにもかわいそうな状況です。
だから、どこかで助けてあげたいという気持ちがあるんだったら、そういうふうに周りの人間が思ってですね、弔う、祀る、そういう思いと行為が大事なんですね、わかります?
絶対に自殺はしちゃだめですよ、われわれ宗教者はそういうのを推奨していません。
地獄に落ちるぞって言います。
でも、そのご家族はいたたまれないと思いませんか?なんの希望もないじゃないかと。では、本当に全然希望はないのかっていったら、そういうわけじゃあない。さっき言ったみたいな話もありはするんです。
でも、それで、(自殺された霊が)完全に改心した状態で成仏できるのかっていったら、それはまた別の問題なんですけど、でも、やらないよりはやったほうがいいです。
信じてやるっていうことが大事なんですね。信じるってこと、信仰っていうのもそう、信じるってこと、さっき言った神様の信仰もそう。


信じるということです。さきほど、造化神・・・物を創られる神様って、存在しますよと、そして創るだけでそのあとは自己責任ですと、すごいぶっきらぼうな言い方をしました。
これは、ただ、創りっぱなしかよっていうふうに、聞こえるでしょ?
でもこの神様が、『奉仕』という、神道で一番重要な言葉そのものの存在なんです。
奉仕とは、やらせてくださいっていうような内容です。
ボランティアっていうのは、してあげます、ですね。
してあげますという姿勢は、見返りを要求するくらいの感じなんですね、
だけど、奉仕っていうのは、逆です。
頭を下げてさせてくださいっていうわけです。
これの頂点に立つのが、いまの造化三神のなかの天之御中主之神という中央の神様なんですね。
何故かというと、われわれがご飯食べたりする、魚や野菜、すべて創ってくれているわけなんですよ。
人間だけじゃないんですね。
この神様は、誰がお願いするわけじゃないのに、全部造ってくれているんです、奉仕で。
奉仕じゃなかったら、見返りを求めちゃいますよね。でも、この神様は見返りは求めてないんです。
見返りを求めてないのに、いろんなことをしてくれる、こういうありがたい神様なんですね、
だから、この神様は決して冷たい神様ではなく、むしろ、われわれ人間のほうが、それをどのように解釈するか、っていうほうが大事なんです。
わかりづらくないです?そこを勘違いしないでほしいんですね。

魚の話って、子供さんにしたりするんですよ。
お母さんが魚を焼いて食べさせてくれる、その魚はお母さんが、どこで買ってくるかといえばスーパーで買ってくる。じゃあ、スーパーは誰から買うかって言うと、中卸の人から買う。
仲買の人はどこから買ってくるかっていったら、漁師から買うんですね。
じゃあ、漁師は、海に行って魚を獲ってくるんでしょ?
その魚は誰が作るの?っていう話。
お子さんに話をするときは、神様の話はこういう話になるんです。
この魚を造ってくれたのが神様だよと。
みんな中間の人たちはお金を必要としているから、お金のやり取りをするけど、一番最初に魚を造るときに、お金を請求しないのは、神様です。
だと思いません?そういうこと。そういうものの上に、われわれは成り立っているんです。ですよね。
日本の神様は、八百万の神様とも言って、神様がいっぱいいるわけです。
造化神のつくられたなかから、いろんな神様が派生するわけですよ。天照大神様とか、イザナギ・イザナミとか、人間ぽい神様がでてくるわけですね。
これらの神様は人間の人生計画に関与してくる神様。
でも、もともとの造化三神というのは、そういう内容じゃなくて、われわれ人間だけではなく、アマミノクロウサギにしても、そのへんのうさぎにしても、魚にしても、全部均等に、ただ、造るという神様なんですね。
そういう神様には、やっぱり感謝の気持ちを持たなきゃいけない。
そのためにはどうしたらいいかといったら、自分たちの姿勢を正して、美しい生活をやっていくしかないです。
それが日本で、世界に誇れる唯一の内容、道徳なんですよ。


明治維新以降、列強大国がいっぱいある中で、誰だったかが言ったんですね。
日本が唯一世界に向けて発信できるのは、『道徳』だと。そうらしいです。
道徳。すごく美しい教えだと思いますよ。
その中に奉仕があるんですね。
外国人の方は、奉仕って言う言葉は理解できないんですよ。知っていました?
なんでやらせてくださいなんだよ、っていう話、してあげますで十分だろう、と。
でも、やらせてくださいっていうのが、われわれの中には息づいているんです。
これは何かっていったら、ネイティブな思想、昔から受け継がれていた、御先祖さんから継承されてきた内容が、そのままきているんですね。
これを大事にすることで、われわれは、平和国家を維持することができるんですよ。
だけど、悪用すれば、戦争にもいっちゃったりするわけですよ。
戦後の日本は平和をこよなく愛しています、これもひとえに神様のおかげですって言ったら、言い過ぎなのかもしれない、でも、少なくとも、道徳心があるおかげっていうのは、あると思うんですね。
いま、どこの国とは言わないけれど、諸外国で道徳心のない国がありますね。はっきり言わないけど。
それに対して日本人が違和感を感じるのはなぜかというと、われわれは、道徳心があるからですよね。
道徳に基づいた内容でやってもらえれば、おかしい話っていうのは、ないはずなんですよ、本来。ですよね。
だけど、利益第一主義だとかなんとかってなっていくと、それが違えてくるんですよ。
でも、われわれには、道徳がある。大事なことなんです。
本当に世の中のことを考えたり、世界の平和を考えたりするんだったら、道徳がないとできません。
これを世界中に発信していく必要があるんですね。




そして、お墓の話かな?お墓・・・なんていったかな、水をかけちゃだめだって、誰が言ったんでしょう?細木数子さんかな?テレビかなんかで、そう言っておられたらしいと。よくわかんないですけど。
なんで、お墓に水かけるか知ってます?聞いたことあります?
お墓に水をかける理由。土に帰れっていう意味なんですよ。土に還れって。清めるとかなんとかって思ってたでしょ?ちがう、土に還れって言う意味です。一番大事なことです。土に還らなきゃいけないんです、ちゃんと。知ってました?
ぜひ周りの方に教えてください、いろんな人に。あとなんか柔らかいスポンジで洗わなきゃいけないとか、ブラシは使っちゃいかんとか?
いや、洗ってくれるなら、洗ってくれたほうがいいですよ。藻だらけになるより、洗ってくれたほうがいいです。掃除もしてもらったほうがいい、当然です。
できる範囲でいいんですよ。腰が痛い、手がリュウマチで痛いっていうのに、スポンジできれいに洗うなんて、できません、無理。
だけど、できる範囲でやるっていうことが大事なんです。そこの気持ちが相手に伝わる。ご先祖に口に出して話しかけるのも大事、そこの気持ちが相手に伝わる。
これも道徳ですね、これを基本に考えていけば、やっていることは、同じことなんですね。わかります?
もしくはお墓掃除ができない人だっておられるわけなんですよ。
家から出られない、足が痛い、腰が痛い。そしたらどうするかといえば、家からお墓に向かって手を合わせる。
これしかできないのなら、やらないより、やったほうがいいんです。やらないより、やったほうがいい、絶対に。


前に言われたのは、家の仏壇に手を合わせているんだから、墓に行って手を合わせる必要ないだろ、っていう話だったんですね、不思議に思いません?
家に位牌があるのに、なんでお墓で手を合わせなければいけないのかな、って思った人いません?
理由があるんですね、神道的にはですよ。ほかの宗教はわからないです。
神道的な理由は、魂は4つの魂から構成されているんですね。
荒御霊(あらみたま)、
奇御霊(くしみたま)、
和御霊(にごみたま)、
幸御霊(さちみたま)、
この4つです。
亡くなられたときに、幸御霊というのは、まっすぐ神様の下に還ります。
奇御霊(くしみたま)は、お通夜のときに霊璽(れいじ)と言って、仏教でいう位牌を枕元におくんですね。
なんで置くのかっていったら、それに奇御霊を憑依をされるんですね。
奇御霊、これが後後にそのおうちの守りの神になるんですよ。わかります?
和御霊(にごみたま)っていうのは、これが地元の産土(うぶすな)神社と言われる、ご自宅の近くの神社に還られる。
これが、氏神様ってやつです、うじは苗字ですね、氏神様、管轄する氏神のところに還る。
これが、神道独特な解釈ですね、どこまでそうなのっていう話もあるけど、一応、私はそれを継承しております。
理由は?って聞かれても困るけれど。氏神様に還る。
で、荒御霊(あらみたま)っていうのが、一番最後に残る、これを、どうするか?
荒御霊の習性っていうのは、憑依。憑きやすいんですよ。いろんな物に。人間に憑依したり、石に憑依したり。
この特性を生かして、作られたのがお墓なんですね。
お墓に憑依させる、憑依っていったらたら、言い方悪いですね。
祀り納めるっていうことですね、わかります?
荒御霊をそうやって鎮めるんです、それは、49日になって、お墓に鎮めに行くときの儀式などをやるわけですね。
そして50年間お祈りを続けて、最後に50年祭(50年目の供養が終わった節目)をしたときには骨壷に残っているお骨なり水なりを土に還して終わりっていうことですね。通常はですよ。
これが荒御霊。荒御霊というものが、お墓でお祀りをしていないと、たまに、たまにですよ、川原の石についてみたり、海辺の石についてみたりします。
霊って、水場に寄りやすいんです。
何故かと言うと、水って言うのは、物を清らかにする力がある。竜神さんっていうことですね、
それに少しでも近づこうと思って、水場に行くんですよ。
流れる水に行けばいいんだけど、最終的にたまりっていう、いわゆる沼とか、池にはいっちゃう。
そうすると、よくないものになる。そのときに荒御霊っていうのが、変なものに憑依しちゃうことがある。
川原にいったら、石拾ってくるなって、言われたことありますか?聞いたことある?これがその理由。
荒御霊がついている可能性があるから、やめておきなさい、ろくなことないです。


さて、これからするお話は、多々異論があると思います。
自称蛇、狐、狸の霊がいるじゃないですか、蛇の霊が憑いていますなどという表現を聞いたりしませんか?
これからのお話は、僕の持論ですので、無視してもらってもかまいません、
蛇の霊って、日本語しゃべるんですか?
狐の霊は?どうして生前日本語使ってないのに、日本語ができるんでしょう?
でも、もしも、人間の荒御霊が蛇に憑依したら?荒御霊が狐に憑依したら?そして、何年も何年もそれを繰り返したら、どうなるか?
自分が蛇だ、自分が狐だって、思い込んじゃうこともでてくると思うんです。元は人間なんですけど。
僕が祓ったなかでは、自称蛇の霊や自称狐の霊が、本当の動物霊であったということは一度もないです。いまのところは、ですよ。
でも、なかには神様として祀らなきゃならないくらい古い霊もいるんですよ。それは、本人を尊重して、蛇の霊、狐の霊ということで、処理・・・処理って言ったら言い方悪いですね、祀り直すっていう形をとったりすることもあります。
でも、さっき言った人間の言葉をしゃべる動物霊というのはやっぱり人霊なんです。
で、それが全部憑依するっていう性質を持っている荒御霊がそういう(動物霊になりきる)ことをやるわけですね。
でも逆の言い方をすると、お墓に荒魂を納めて護ってもらうという方法も、それがゆえにできるんですね。
これも、日本古来からのやり方。
だから、荒御霊に手を合わせてみたり、奇御霊に手を合わせたりするわけです、
だから、家の位牌(霊璽)に手を合わせたり、お墓にいって、手を合わせる必要があるんですね。
わかりづらくないです?こういう話は誰もあまりしてくれないかな?と思うんですよ。
だから、漠然とそういわれたからやってます、という人が結構多いと思うんだけど、理由を知ってほしいんです。
なぜ、そうするか?理由を知ったら、お墓や仏壇でご先祖に接するときの気持ちが変わるじゃないですか。そう思いません?
より、ご先祖を身近に感じるってことが大事なんですよ。
それは、自分たちが最後に、お墓でご先祖さんになるとき(自分が子孫を守るとき)にも必要なんだから。 







  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 22:31Comments(1)隊長(眷属さん)

第二回隊長講演会 講演録(1)

2013年03月17日

第二回隊長講演会  2013.2.16 




こんばんは 皆様お忙しい中、大変ありがとうございます。
また、今回も呼んでいただきまして大変嬉しく思います。
大変あがっております。
あんまり人前で話すという機会はないんですね。個別ではよくやるんですよ。
でも、皆さんを相手にしてどこまで話せるか、前はあんまり拙い話ばかりでかえって御迷惑をおかけしたんじゃないかなという感じで喋らせていただいたんですけど、
なんとか今回もまた呼んでいただけたと、大変、嬉しく感じています。


さて、どういう題名で、どういう内容で話そうかなって考えてて、結局いまのいままで思いつかなかったんですよ。ひどいでしょ(笑)
でも要望は何件かきてるんですね、こういう風な感じの内容が知りたいとか、ああいう風な感じの内容が知りたいとか。
そういうご質問を中心に今回お話させていただこうかな、というふうに考えております。
怖い話を聞かせてくれという人もおられるし、お墓についてのお話をしてくださいという方もおられたし、普段じゃめったに聞くことができないお話をしてくださいって言われる方もおられました。
だから、それをすべて総合してお話できればいいのかなって考えています。さて、どこから話すかな・・・。


お祀り(おまつり)というもがあります。神道で言うおまつりっていうのは、「おみこしかついで、ワッショイワッショイ」というお祭じゃなくて、御先祖さんなんかを家でお祀りするっていう『お祀り』なんですね。
いま、仏教の方けっこう多いと思うんですけど、仏壇を家の中に祀られて、先祖崇拝っていう形をとられていると思うんですね。
奄美の方はすごく信仰心の篤い方が多いみたいで、皆さんはもちろんそういうことを一生懸命されているんじゃないかなって思うんですけど、お祀り、じゃあ、その効力は?という話をさせていただこうと思います。
はたして私たちがしゃべっている声がご先祖さまにまで届いているのかな?っていう話と、お祀りっていうのは、そもそもどのくらいの効力があるのか?っていう話なんですけど・・・・怖い話からいきましょうか?(笑)
平安時代の陰陽師がいますね、安倍清明。この人が調伏して静まらせようと思ってもできなかった怨霊がいるんです。誰でしょう?
大宰府天満宮の菅原道真公。あまりにも強烈で、あの安倍晴明でもどうしようもできなかった。
ここでお祀りの話がでるんですけど、日本人の知恵なんですね、敵対して何とかしようというんじゃなくて、神様にしてそのまんまお鎮めしようという事なんですよ。
これが『お祀り』。わかります?
当時怨霊だった菅原道真公は、いま学問の神様です、福岡のほうでね。
一番最初に上陸されたのは、綱敷天満宮っていって、椎田っていう処ですね。大分県中津市のちょっと手前の処に上陸されて、そこから、梅の街道を通って、福岡入りされたんです。
左遷されたということで恨みつらみがあって、不幸のうちに亡くなられて、怨霊になって、内裏っていうんですけど、天皇さんがおられるところに行って大暴れしちゃいましたと。
怨霊となった菅原道真を鎮めるために、有名な安倍晴明をはじめ神社・仏閣・陰陽師の類がありとあらゆる手をつくしたけど、なんとかしたいって思ったけど、できない。
ものすごい霊能者がいて、抑えようと持ってもできないことでも、神様として祀ってみんなで手を合わせちゃうと、おさまっちゃうんですよ。
もうひとりいますね、平将門。この人も恨みつらみをもって、結局だけどこの人も祀るという形をとることによって抑えちゃったんですね。


もっと、それが一般家庭的な話になってくると、自分の家でご先祖様を祀るっていう形も考えられるわけです。
これは別に祟るから祀って抑えちゃうってわけじゃないですよ。
そうではなくて、自分自身を護っていただける御先祖さんとか、守護をされる方々の力をより強めるための方法が『お祀り』であるんですね。
何がそんなに力を与えるかっていったら、信じること。
人間は死ぬときに一番怖いのは何かというと、忘れ去られることなんですね。
語り継がれることと、忘れ去られることは大違いなんですよ。
語り継がれるってことは、忘れられないし、名前を呼ばれるって言うことは、言霊が入る。
そうすればその分だけ力が強くなるし、ということは、護りの力も強くなってくる。
だから皆さんに、ご先祖さんに手を合わせてくださいって、お願いするんですよ。


でも、どうしてもそういっても聞いてもらえない場合があるんです。残念ですが。
せっかくそう伝えても分かっていただけない場合、アドバイスをする人によっては、怖い話にもっていく場合もあるんですね。
「ご先祖さんがちょっと祟っているぞ」と。そうすれば、手を合わせざるを得ない。そんな方向に相談者を持っていく方法もあります。
でも、本心は違う、そうじゃない。ご先祖さんに手を合わせることで、ご先祖さんからの護りを強くするためにそうしてほしいっていう気持ちから言っているんです。
でもそれだけじゃ聞いてもらえない方には、そういう風な(ご先祖さんが祟っているぞという)言い回しで持っていく場合もあるということですね。
先祖はほとんど、祟らないです。全然とは言いませんよ。ほとんど祟らない。
でも、子孫が先祖のお守りを忘れ去って、何もご先祖さん達に対して感謝の意も唱えることがないっていう状況になれば、ご先祖の方で護りたいって思っても、護れないんですね、守れない。
護れなくて、他の所からの作用でいろんな支障がきたしたときに、なんで護ってくれないんだっていう話なら、まだわかるのに、「御先祖さんが祟っているからじゃないか」って、勘違いする方もいるわけですよ、中には。
それは、祟っているんじゃなくて、護りたいがためにお知らせや警告を与えてくれている場合もあったりするわけですよ、実は。
でも、気がつかないでしょ?ご先祖は喋らないから分からない。
だから、手を合わせて、ちゃんと感謝の意を唱えて、お祀りしてくださいって、言っているんです。
そうすれば少なくともそういう感謝の行為をしている人に対して、ご先祖がいたずらや悪さをするっていうふうな先入観はなくなるはずで、
ではそういう中に奇異、変わった内容の事が起きるということは、どういうことかと言えば、「自分達がまだ気づいていない危機的状況へのお知らせや警告としてご先祖さんが何かを教えてくれているのではないか」と受け止めやすい内容になると思うんですね。
それが、御先祖様の力を強める方法。信じるっていうことです。



もう一つやってほしいのは、ご先祖に対して、声に出して喋りかけることです。
何故かというと、もうひとつの勘違いは、亡くなられたらご先祖や霊魂はみんなものすごい霊能力者みたいになっちゃうって、思い込んでいる人が結構多いんですよ。
霊はこちらが黙ってても(こちらの思いが)すべてが分かる?分からないんです。生きているときの延長なんですよ。
だけど、周りがそれを理解して、周りが手を合わせて、お祀りして、一緒に進むことによって、力を得られるっていうことは、ご先祖さんは偉くもなれるんですよ、最終的にはですね。
それをしてあげられるのは、生きた人間が、ご先祖さんをそういう風に持って行ってあげるということ。
それの延長線上にある大きい祀りっていうのがさっき言った太宰府天満宮の菅原道真公ですね。
いま福岡の守り神みたいになっています、これは、みんなが感謝の意を唱えて、ずっと祀っているからでしょ?
決して怨霊として扱っているからじゃない。だからああいうふうに、御利益とまではいかないけれど、加護があるわけですね。
それのミニサイズを自分の家で、やっているわけです、要は。
だから『お祀り』を大事にしてほしいんです、大事にしてほしい。



  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 19:59Comments(2)隊長(眷属さん)

ぽえむん「かぜをよぶ」

2013年03月17日


こころのちから

おもいのちから

はなひらけば

かぜまきおこり

きよめのかぜ

さきわいのかぜ

わたくしにのぞみ

あなたにのぞみ





おもいのはな

てんのよろこびをいただき

きよめのかぜおこり

さきわいのかぜおこり

いのりはてんへ

てんからかぜが

わたくしのみちひらき

あなたのみちひらき








はなよ

さきほこれ

かれんなるはな

ゆたかなはな

うるわしきはな

いろとりどりに

めがみのほほえみ









あなたのために

みかえりもとめず

はなひらく

はなのいのちが

かぜにまう

きよめのかぜ

さきわいのかぜ

このちに

このくにに

わたくしに

あなたに











たくさんの

はなたちのうたを

いのりを

かぜがはこぶ

はなびらのまいが

しずかにふりそそぐ
















  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 10:46Comments(0)ぽえむん

ただいま、隊長講演会実行委員会打ち上げなう

2013年03月16日

隊長講演会から1ヶ月目の今日、ただいま、小料理「木の花」なう。





本日、実行委員のみなさんでチェックののち、

いよいよ明日より、隊長講演会講演録を連載させていただきたいと思います!

乞うご期待です!
(・ω・)



  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 19:51Comments(2)日々の出来事

【子房さん】ヘルメス主義について

2013年03月16日

ご自身のブログを持たれてから、子房さんの書かれる内容はさらにパワーアップされたように感じますが、

今回は、特に個人的に「ビンビン」キました!(笑)

謹んで、転載させていただきたいと思います!

個人的には、子房さんがイエス・キリストの過去世と推察されているアガシャー王(古代アトランティス最後の王)とイクナアテン(古代エジプト文明の異端の王)も非常に気になります!

また、今回ご紹介させていただく記事ともつながるかもしれませんが、子房さんのこちらの記事もお勧め☆

宇宙人と神々と シュメールとグノーシス
http://japan-spiritual.blogspot.jp/









___________



宇宙の兄弟たちへ@スピリチュアルブログ
http://japan-spiritual.blogspot.jp/

ヘルメス主義について





ヘルメス主義は様々な宗教に影響を与えました
キリスト教のグノーシス派やカタリ派
マニ教
イスラム教のスーフィズム
ルネッサンスもヘルメス主義の復興です

それらに共通する思想がありますが特に重要なのは
「人間の内には神聖な光が宿っており、それは神の光と同質のものだ」と言う主張ではないかと私は考えます
これは東洋でも同じような思想があり、インドでは伝統的に宇宙の原理であるブラフマンと個人の原理であるアートマンは本来同一であると説いています
仏教でも如来蔵の思想や仏性論として全ての人に仏性が宿っていると説かれています

これを仮に同一論と名付けます(私が勝手に決めた名称)

こうした同一論とは反対の考え方・思想があります
わかりやすい例として旧約聖書が参考になるでしょう
そこには厳しい戒律を定めて、従わないものは罰する神が存在します
人間は神の言うことに従わない罪深い存在として描かれています
あきらかに神と人間とか掛け離れた存在として考える思想を仮に隔絶論と名付けます(同上)

同一論と隔絶論とにわけて両者の違いを見ていきます

ヘルメス主義=同一論
内に光を宿した存在としての人間に対して尊厳が生まれます
それは個人の尊重となります
これは近代発展してきた民主主義の根底にある思想でもあり、
個人への尊重から自由を認め、個人の才能を伸ばし、発揮する思想へと繋がります

隔絶論=旧約的思想
人間は全て罪の子である
それゆえ個人は平等で等価値となります
また個人は神様の言うことを聞かない存在
自由に放置したら罪を犯す
それゆえ統治者(神)の言うことに従わなければいけない
その神の代理人としての組織や、あるいは戒律があり、個人は従わなければならない存在
個性は抑圧して枠からはみ出さないようにしなければいけない
個人より統治者(組織)が尊重される思想となります


このように見ていけば、現代においても自由主義と社会・共産主義が対立する社会に私達は生きていますが、昔から対立していたヘルメス主義的思想と旧約的思想が政治思想として現代でも現れて対立しているものと見えます

ヘルメス主義=同一論は個人の尊重を生み、それは自由主義へと流れています

旧約的思想=隔絶論は平等思想を広め、社会主義・共産主義へと流れています

キリスト教の流れで見ていきます
初期のキリスト教では旧約の流れを汲む思想と、ヘルメス主義的な思想とが混雑していました
ですが、旧約の流れを汲む組織のほうが力をもち、ヘルメス主義的な思想を持つグノーシス派を徹底的に弾圧し滅ぼしていきました
(ただし歴史的に何度も再興する)
グノーシスでは旧約の創造神を否定し、旧約聖書の戒律を、悪神が人間をおとしいれようとする努力の一部だと考えました
教会にとっては教会から人間への許しがおりてくるものであると考えたほうが組織として権力を持てます
教会などの組織を抜きにして個人が神と直接やり取りするような思想(グノーシス)は認めたくなかったわけです
自分達の教会の権限が落ちてしまうと考え弾圧したのでしょう
組織(教会)にとっては、個人を尊重する思想より、人間を罪の子としてとらえ、その救済の権限も組織が持っていれば絶大な力を持てます

実際に教会は大きな権限をもち、中世でも異端審問や魔女狩りをするなど、権力を振るいました
個人の自由を認めず、人間を全て等価値として平等にとらえる思想は、中世のキリスト教会組織と社会主義・共産主義に入っておりこれらは共通のものです

教会は有神論であり、共産主義は無神論であるため、正反対のように思われますが、共産主義を主導したマルクスも旧約をかなり学ばれたはずであり、ともに旧約的思想の流れを強く受けています

イタリアのルネッサンスが興隆し、ヘルメス主義がヨーロッパに再度息吹を吹き返しました
ルネッサンスとは何かいろいろ考えはあるでしょうが、私は旧約的思想に支配されていた社会に、もう一度ヘルメス主義の個人の尊重を認める思想運動であったと思います
そこから現代へと続く個人の人権を尊重する民主主義が生まれてきたものと考えます

  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 09:22Comments(1)洪正幸さん(子房さん)

ぽえむん「不安を退ける武器」

2013年03月16日


不安は外から内につねに忍び寄るけれども

その本質は、自らが不安を招き入れているに過ぎない




お前が外から不安を招く内なる心の正体は、

為すべきことを為さない言い訳、

他者と比較しての劣等感、

努力していない自分の誤魔化し、

怠っている自分に向ける後ろめたさ




不安を退ける武器とは、

正しき自信を育てることである

正しき自信とは、

為すべきことを為すこと

周りに喜びを与え徳をつむこと

自己弁護せず精進を重ねること

またこれらの積み重ねにおいて

正しき自信を育む自分を何度でも祝福すること





これらの積み重ねによって、

正しき自信が自らの内に大きな柱となり、

忍び寄る不安よりも勝る心の武器となる





為すべきことを為し、

徳を積み、

その道を歩む自らを祝福すべし



  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 00:10Comments(2)ぽえむん

つぶやき

2013年03月15日

最近、あるところで、ちょっとした騒動に関わった。

このことに関して、関係者様からのコメントは申し訳ありませんが、非公開にさせていただきたいと思います。

最終的に、私はある強制力を使った。

そんなことを思う必要はないと思う人もいるかもしれないが、私は胸が痛む。

どんな立場であっても、どんな言い分があっても、

やはり、本当は対話で理解しあえるのがのぞましいことだ。

自分が相手様の立場だったら、どう思うだろうかと思う。

我も彼も未熟で、同じ神の分霊(わけみたま)であるのなら、

本当は、こちらから頭を下げて、相手様の言い分に耳を傾けるべきであったのではとも思う。

これまで何度もそういった事に関わった。相手様を結果的に追い込んだことも一度や二度ではない。

明らかに道理に反した言動や、それによって周りの方々の被った痛みを見れば、

仕方のないことであったかもしれない。

それでも、

私にはもっとできることがあったのではないか。

それだけの技術と認識と器がないことが、くやしい。





自分の方が正しいと思うときに、驕りがでる。

驕りは、自分自身では気づかないところで腐敗し、ニオイを立てる。

ふと立ち止まれば、自分の歩いてきた道のいたるところで、

「これでよかったのか」という問いが私自身につきつけられている。





  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 14:42Comments(0)つぶやき

【愛知県人さん】奄美紀行 5

2013年03月14日

今日、お客様から美味しそうなスパークリングウォーターをいただきました。

「野崎さん、ブログにコーラ好きって書いてたから・・・」

Bさん、ありがたやありがたや・・・・(;ω;)

ちなみに、リアル愛知県人さんは、結構性感もとい精悍なお顔立ちの剣士といった風貌でしょうか。

私は男性恐怖症なのですが、愛知県人さんには二人きりでいてもまったく微塵も恐怖心がなかった。

愛知県人さんとは前世の絆を感じ(以下略




________




奄美紀行 5




さて、偶然にも隊長と同じホテルに宿泊することになった私。

実は、それだけにとどまらす、フロアーも一緒だった・・・。
しかし、隊長は男の子なので、一緒でも、何もうれしくない。


と、ここで、前回記し漏らしていたが、
ホテルにチェックインする前に、奄美自然のエステさん、に
寄りました。(というか、わたしが無理やり押し入った。(笑))

・・駐車場に車を止め、
『ちょ、ちょっとお車でおまちくださいっ、愛知県人さん・・』とのたまうアマミさん。
一緒に降りる私。
『だ~か~ら~、お車でお待ちください、愛知県人さん』
やっぱり、降りる私。 ウザイ。

そのまま、”だるまさんがころんだ”をしながら、3階へ、
遂に、エステ部屋に侵入成功!
(今思い出しても、ストーカー認定だな。)

入口のドアで、冷やかな気配を感じたが、あとは至って普通。
エステをしていただく時間は全くなかったが、当方もしていただく
つもりがなかったので、ただの野次馬。失礼しました。

そうして、講演会会場へ、れっつらGO!
隊長と、1年ぶりの再会。

皆様。
『はげー。』
隊長。
『俺は、はげとらん。』











・・・・続く。(苦笑)




  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 22:33Comments(0)愛知県人さん

PM2.5マスクが売ってるなんて!!!

2013年03月14日


沖縄で大変お世話になった方が、こんなお店をされていると知って超ビックリ!!

http://www.pm25mask.jp/

PM2.5って、粒子が細かくて普通のマスクじゃ防げないんですね・・・知らなかった・・・・
((((;゚Д゚))))ガクブル


奄美は毎日PM2,5と黄砂のせいでかなりやばいことになってます・・・・

主人も私も喉がほこりっぽくてイガイガするし(特に寝起きに喉がいたい)、

何より、車がすさまじい汚れです!。゚(゚´Д`゚)゚。



もうすこしやばくなったら、このマスク、頼るかもしれない・・・・・

黄砂もひどいけど、今年の冬すぎからの喉の妙なイガイガは、明らかに異常・・・・・








  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 22:00Comments(3)おすすめサイト

ぽえむん「蟹のダンス」

2013年03月14日


たくさんの

かわいらしい

カニさんたちが

えっちらおっちら

列をなして

あちこちから

やってくる






よいしょ

よいしょ

一生懸命切っている

ちょきちょき

ちょきちょき

切っている

粘着質な

蜘蛛の糸






カニさん達のハサミは

とってもちいさいのに

とっても強くて

丈夫そうな蜘蛛の糸も

ぷちぷち

ぷちぷち

切れた糸は

ビョーンと戻って

蜘蛛さんの方へ






ゴムのような蜘蛛の糸

巻き付いた蜘蛛の糸

切れたらビョーンと

蜘蛛さんの方へ

蜘蛛さんの方へ




カニさん達

ありがとう

本当にありがとう

かわいいカニさん

小さなハサミは

とっても強い




カニさんが誇らしげに

ハサミを高く掲げて

かちんかちんと

ハサミを鳴らす







  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 01:19Comments(1)ぽえむん

【愛知県人さん】奄美紀行4

2013年03月12日


愛知県人さん、いつも本当にありがとうございます!
( ゚д゚ )クワッ!!

愛知県人さん、今回はハグできなかったので、次回お会いするさせていただくときには、

背後から膝かっくんするぞ!

うおおおおおおおおおおおお

コーラだいすきぃいいいいいいいい



__________









前回の投稿から間が空いてしまいましたが、
ご容赦ください。
さらに、その間にアマミさんが、HNを変える事態も勃発。(笑)


空港の、到着ロビーで、アマミさんと再会を果たした・・。
相変わらず、ご立派な、御顔とお身体。(爆)

今回も、島内の移動は、レンタカーを使用したいと考えていたが、
アマミさんのご好意に甘えて、アマミさんの助手席を
温めることになった。

後部座席には、グーの姿が。(笑)
可愛い。

アマミさんと、愛知県人のコンビ。この怪しげなカップルは
3日間限定でユニットを組むことになった。

早速、アマミさんの提案で、前回行けなかったアマンデーに
行くことに。
アマミさんの愛車は、秋介さん所属団体のステッカーが貼ってあり、
なかなか雰囲気のいい車。
その車がどんどん人気の無い方へ登ってゆく。(笑)

阿麻弥姑神社(アマミコ)神社を右手に眺め、
私に気を遣ってくださる運転のアマミさん車は坂を登る。
対向車が来る度に、雄たけびを上げるアマミさん…。

と、妙にきれいな道路になり、自衛隊車両とおぼしき
車とすれ違う。
(アマミさんは気づいていたかどうかわからないが、乗っていた
全員がこちらをガン見していた。)

脇道にそれ、しばし下って、アマンデー駐車場へ。
アマンデー駐車場があることに、驚いた。
かなり大きな宴会ができるぞっていうスペース。

車を降りて、アマンデーへと下る山道をレッツゴー。
突然、ちょい太めの木の枝を掴んだアマミさん。
姿はまるで、熊追いのマタギ…。(笑)

『これで、クモの巣を払いながらいかないと大変なの。』と。
早速、持参したカメラで、撮影。これは魔除けになりそう。

アマンデーに、到着。
天気も良く、喜界島も良く見える。

まず、参拝。
一通り、アマミさんに説明いただき、碑文を読む。
アマミさん。質問。
『何か、感じます??。』

まず、結論で申し訳ないが、この度の奄美訪問。
昨年と違い、違和感や、身体の異常等は無かったです。
何事も無く、拍子抜けしてしまったぐらいです。

アマンデーで、何も感じなかった私。
アマミさんからも、何も感じなかった私。
”霊感0”、良かった、良かった。

景色もきれいで、空気もおいしい。
初日から好スタートです。

そういえば、アマンデーの碑文の石段。
サンゴが敷いてあるって、アマミさん情報。
そのサンゴの上に乗り、参拝した私。
『その上に乗って参拝した人はじめてみました・・。』は、アマミさん談。
罰当たりな私をお許しください・・・・。

さて、再び、グーを乗せて、講演会会場(個人面談会場)へ出発。
飛行機の遅れもあって、お腹もずいぶん減った。
昼食場所を検討するアマミさん。そのまま市街地へ突入。(笑)

突如の提案。
『愛知県人さん、ジョイフル行きません?』

アマミさんのこの一言で、お昼は聖地ジョイフルに決まった。

実行委員が集う、聖地ジョイフル。
憧れの、地。
さらに、なんと、聖地は、ぶどう館の隣に立地していた。
昼飯が食えて、お酒が買える。
なんて、いいロケーション。

そして、食事。
私は金曜定食で、ハンバーグ。
と、生ビール。(苦笑)
アマミさんには、”肉食うな!!と一言”
それに従うアマミさん。

アマミさん、注文。
『大盛りできますか?』 ←私の米。

アマミさんのドリンクバーは”コーラ”。

『だって、大盛りいいでしょ。』
『だって、コーラ好きだもん。』
・・それは、太るな。うーん。(苦笑)

ビール好きと、コーラ好き。
如何ともし難い・・・・


食事を済ませたら、ぶどう館さんへ、
イナユさんと、再会。初ぶどう館♪。

そこは、店内中お酒に溢れた素晴らしい空間が広がっていた。(笑)
早速、FAUの実物をGET。
どれも、これも、うまい酒に思えてきて、目移りが。

ぶどう館さんも、前回お邪魔できなかったので、うれしい訪問。
また、店内でビールを飲んでしまった。ははは。
なんとも、厚かましい客だったこと。(謝)

おかげさまで、良い焼酎をGETできました。

なんだか、もう目的を果たせたかのような私・・・。


その後、二晩お世話になるホテルにチェックイン。
そこは、隊長も宿泊されるホテルだった。



続く。



  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 00:06Comments(2)愛知県人さん

隊長の話・「御蔭」の度合い~隊長講演会余話

2013年03月11日

隊長講演会の書き起こしをお待ちのみなさん、もうしばし!もうしばしだけ待たれい!!!!

ごめんなさい・・・。゚(゚´Д`゚)゚。

今回は、あまり長くお待たせしてしまっておりますお詫びとして、

とっておきのネタを出してしんぜよう!(笑)



これは、先日の隊長講演会の合間に、隊長からお聞きしたお話。

いわば、隊長講演会余話となります。










「隊長、○○君がご神前に向かうときの姿勢なんですが」

「なんか問題があったか?」

「私から見たときに、どうも○○君が猫背というか、前屈みになりすぎている気がするんです」

「たしかにそう見えたな。それがどうかしたのか?」

「ええ、もっと背筋を伸ばすべきではないかと」

「それは違うよ。(笑)」

「え!」

「他の場所はともかく、ご神前だろ?
神様の前で反り返って胸張ってるのと、遜って少し前屈みになってるのと、どっちが神様に対してより美しい姿だと思う?
神様にご奉仕させていただく側が、ご神前で遜ることは素晴らしい事だと俺は思うけどな」

「そ・・・そうでしたか!失礼しました!」

「そうか、この辺からの話になるんだよな。神道にふれてないと、わからないんだな」

「無知でお恥ずかしいです」

「いやいや、いいんだよ。じゃあ、たとえを話そうか。
とっても子供を愛している母親がいて、その子供が二人いたとする」

「はぁ」

「母親が、二人に同じ値段の靴を、それぞれに一足ずつ買ってあげる」

「はい」

「一人は、いつまでも大事に履いて、靴底に穴が空くまで履く。
母親がある日靴底に穴が空いていることに気づくまで、大切に履き続ける」

「はい」

「もうひとりは、母親が買ってきた靴を数日履いて、
“見た目が気に入らないから違うのを買って”とお願いする。」

「はい」

「母親は、どちらにも、もう一度靴を買ってあげるだろう。
でも、二度目以降に買ってあげる靴の値段は、徐々に違ってくると思う。
親は子供に対してはつねに平等に愛しているから、露骨に差は付けない。
でも、子供からの反応や姿勢がどうだったかで、親にとって本当になにげない差が徐々につくんだよ。
そしてそれは、親のせいじゃなく、子供が招いてるんだ。
わかるかな?」

「そうですね、履きつぶすまで大事に履いてくれる子になら、きっと高くて丈夫な靴を買うでしょうし、
すぐにわがままを言う子には、またわがまま言うかもしれないから、安い靴を買うでしょうね」

「そう。そしてそれは、神様もそうなんだよ。
これが神様ならどうなると思う?
『御蔭』(神仏の助け・加護)の度合いが変わってくるんだよ。
神様は我々が祈れば必ず『御蔭』をくれるさ。
でも、一度目の『御蔭』をどのように受け止めたか。どう報いたか。
それによって二度目、三度目、それ以降に、『御蔭』の度合いは少しずつ変わってくるんだと俺は思うよ」

「だから、遜ることが大切なんですね!」

「そう。それは見た目じゃないかと言うかもしれない。でも、気持ちは行いに宿る。
だから、同じご神前での奉仕でも、また人間関係でも『誠心誠意』が大切なんじゃないかな。
誠心誠意は同じ行為をしても、必ずにじみ出るんだ。
それは神様の前では、なおさらだと思う。
ならば、我々は神様から戴く『御蔭』に対して、どうあるべきかな?」

「感謝し、恭しく戴くべきですね」

「なら、反り返って胸を張るのと、遜りをもって少し姿勢を前におとすのと、どちらが美しいかな?」

「・・・・後者です」

「これは、とても大切なことだよ。
『御蔭』をいただけることを、当然のようにしているか。
いただけた『御蔭』に心から感謝して、一生懸命に報いようとするか。
それは必ず次に繋がるし、結果的にどう結びついたとしても、それは、本人が招くんだよ。
これは人間関係にも通じる、大切な考え方だと俺は思ってるよ」






周りや神様から戴いている『御蔭』。

そのありがたさを知り、恭しくいただける自分になりたいと思いました。

そのキーワードは、「誠心誠意」と「奉仕」。

奉仕は相手に尽くし、見返りを求めないこと。

それは遜りとなり礼儀となり優しさとなる。

奉仕とは、なんと美しく、そして自己に厳しいものでしょうか?

奉仕の峯ははるか高いです!

(;・∀・)











  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 09:35Comments(2)隊長(眷属さん)

賢炭がお部屋の浄化に効く!!

2013年03月09日

うちのエステ部屋は、お客様の疲れを取らせていただく場所なので、

やっぱりお客様のお疲れやいろんなモノ(笑)が溜まるわけです。

そのせいか、終わったあとにかならずペパーミントのアロマオイルを含ませた雑巾で雑巾がけをしているのに、

かならずお部屋の角の、一番暗い場所に置いてある部屋の植物が弱って枯れちゃったりしてたんですね。

でも、ある日宇検村の売店で「賢炭」を見つけ、さっそく、大きなサイズを購入!

植物を置いてあるすのこ台の下に置いておきました。

すると、あーらビックリ。

いくら経っても、植物が枯れない!

むしろ、他の場所の植物さんよりも元気!

それどころか、空間が軽い!明るい!

以前よりも、確実にエステ部屋の空間が澄んだ空間になってるんです。

賢炭一個でこの効果・・・・四隅に置いたらどうなるの・・・・・

そんなわけで、奄美市中心部で賢炭置いてる場所をさがしてます。

あの炭はすごいぞ!

Bさん、笠利町で賢炭が売ってるお店の情報ありがとうございました!

笠利まで用事があるときにはぜひ買ってくるぞー!!!!



  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 22:39Comments(4)奄美オススメ案内

増え続けるネットの誹謗中傷、もしものときの“法的撃退術”

2013年03月09日

( ..)φメモメモ


増え続けるネットの誹謗中傷、もしものときの“法的撃退術”を久保弁護士に聞く
http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/pickup/20071025/1003871/?P=1

  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 02:43Comments(1)おすすめサイト

アロアロさんに品物をもうすぐ置いていただきます!

2013年03月08日


現在、うちで開発中の商品を、アロアロさんに置いていただくことになりました!

アロアロさんはこちら。http://aloaloyellow.amamin.jp/

ホテルニュー奄美の向かいにある、素敵なお土産屋さんです!

ちなみに現在開発中の商品とは、

○薬草オイル(セルフマッサージ用ボディーオイル。奄美自然のエステで使用中。)

○塩漬けヨモギ(薬草風呂用・空間浄化用。奄美自然のエステでヨモギ温湿布に使用中。)

うちの兄ちゃんが「つくれつくれ」と急かすもので、重すぎる腰をあげてえっこら造っております。

また、うちのブレスレットも置いていただく予定です!ドキドキ・・・・

もちろん、うちのグァバ茶も置いていただく予定!

ご興味のある方は、しばらくしてからアロアロさんへどうぞ☆







兄ちゃん、はやく作るからぶたないで~

  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 21:00Comments(0)日々の出来事

「惚れ薬」と恋愛観(再掲載)

2013年03月07日

私が以前勤めてた師匠のとこで、よく霊的に「惚れ薬をかけられる」ということがありました。

あるお客様なんですが、目があった何気ない一瞬に、すごい動悸がして、その人の事が何日も頭について離れなくなるんですね。

慣れると数時間くらいでとれますが、しかし厄介なことにかわりはありません(笑)

これは、ちゃんと平時から自分を客観的に観たりして多角的な自己認識をもっておかないと、恋愛感情とまちがえかねないので、しばらく苦しみます。(笑)

これをうちの会社では「惚れ薬」といってました。「また○○さんに惚れ薬かけられたわね~」みたいな感じですね。

これはうちの師匠によると一種の念縛りのような霊的な術だそうです。異性相手のみならず、仕事などでもこれを無意識につかってる人もいます。

宗教家やビジネスマンで無意識にこれを使ってる人もいるとか。支配欲のつよい人はこれを使うのがウマイみたいですね。

これにのまれると、自分に盲目的な方ほど理由なく恋愛感情や心酔感におちておかしくはないでしょうね。

そう考えると、「恋愛とはなんだろうか」と思います。

私は昔から人格と志と天意でしか相手を定めないときめていたので、自分は二度ほど恋はしましたが、相手に尊敬できるまでの人格と志がなかったのでその恋情を「これは持つべき思いではない!」と切りました。

ちなみに、私の男性の萌えポイントは「悲しそうな目」です。(笑)

なんでかって?私の父がそんな目をしてるからです。(笑)

主人は全然違いますけどね。5歳のこどものような透明な目をしてます。ときどき、まぶしすぎて無性になぐりたくなります。(笑)

しかし、あの思春期の恋情の胸の苦しさは本当に心臓の病気かと思うくらいでした。それもすぎればかわいい思い出です。

しかし惚れ薬かける名人だったあの方、一体何者だったんだろう・・・
(*´Д`*)ハァハァ




  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 02:32Comments(0)

ぽえむん「罪と祈り」

2013年03月07日





あなたを傷つけた罪を

あなたを死に追いやった罪を

あなたに罪を重ねさせた罪を

あなたを悲しませた罪を






幾度も

幾度も

突きつけられ




一人慟哭す






過去の記憶はなくとも

過去は私の背をつかんで離さない

祈る

祈る








なぜに突きつけられるか

なぜにそれがあなたなのか

問うても答えはなく







「観よ」との声のみが響く








迷いのなかにある

自信など持つべくもない

私が

どのツラをさげて戦う







それでも









いつか叶えたい夢

供養と謝罪の祈りとを

今は拳にかえて

今は剣にかえて





女神に祈る

天の父に伝えてほしい

我が祈りを

彼らの救済を






  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 01:44Comments(0)ぽえむん

これからは「アマミちゃん」と呼んでね!(笑)

2013年03月06日

インターネットをはじめて今まで8年間、「アマミキョ」と名乗っておりましたが、

自分を改めて振り返りまして、やはり琉球の女神様の御名を拝借するのは不遜に過ぎるのではないかという思いに至りました。

なので、これから私は「アマミちゃん」と名乗らせていただきます!

(`・ω・´) シャキーン

え?なんでアマミちゃんかって?

このブログの題にもありますが、元々このフレーズは、師匠からいただいたものです。

以前、師匠が

「梨乃を四コマ漫画にすると面白いと思うの。『アマミちゃん』という題でね」

と楽しそうに言っておられたので、つけました。(笑)

これからは『アマミキョ』改め『アマミちゃん』となります!

今後ともなにとぞよろぴくお願いいたします!(笑)

ド━(゚Д゚)━ ン !!!




  


Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 09:25Comments(5)つぶやき