本土のブログ読者様からいただいた「奄美の観光にほしいもの」
2017年03月31日
本土某県在住ブログ読者様から、メールをいただきました。
何度か奄美に旅行に来てくださってるAさん(女性・40代)からのご意見です。
「アマミさんのブログで、お知らせいただけましたらありがたく思います」
とのことで、やりとりから私なりにAさんのご意見をまとめさせていただきます。
・奄美は好きだけど、いや、好きだからこそ「これがほしい」を聞いてください
・奄美は看板がとにかく分かりにくいです。もっと大きく、分かりやすく表示してほしいです
・本土の人間はとにかくめんどくさがりが多いのです。なるべく手軽に、なるべく服を汚さない、そんな観光体験をしたいです
・特に奄美の海はとっても魅力的!もっと海のレジャーを幅広くアピールしてほしいです
・できれば外国のように、空港内や空港周辺で積極的に「うちにはこんな面白いのがありますよ!今からきませんか?!」とか宣伝してほしい。
それくらいノープランで行く人間も多いです
・沖縄の公設市場みたいな、「ここにいけば奄美の名物は大体食べられる!」「釣ったお魚や買った材料を持ち込んだら料理してくれる」ようなところがほしいです
・私の友人Bも何度か奄美に来ていますが、「奄美はもっとサンセットクルーズに力いれたらいいのに」と言ってました。奄美の夕日は最高です
・でも私のオススメはなんといっても奄美の海です。海のレジャーをもっと充実させてほしいです
・失礼なことを言いますが、奄美は道路の両側がキレイじゃない。空港から街までの間雑草がひどい。できたら定期的に掃除してほしい。雑草がのびた国道は見ててガッカリします
・道路の両側に奄美の固有種をもっと植えたらどうですか?
・奄美の島唄や八月踊りの生演奏をもっと気軽に聞きながらお酒飲めるところがほしい
・奄美っぽさがほしい。せっかく鹿児島でもなく沖縄でもなく奄美にいくのだから、もっと奄美っぽさを出してほしいです。
奄美にきたという実感がもっともっとほしい。
自然も素敵だけど、奄美らしさが足りない。
空港で公共の場所でもっと島唄や八月踊りの生演奏とかあったら嬉しい
だそうです。
なるほど、これは奄美の人間には分からんわ・・・・。
Aさん、ご意見まことにありがとうございましたー!!!!!
(`・ω・´)ゞ
奄美メモ
2017年03月24日
個人的なメモです。
いろんなところから集めたいろんな情報の寄せ集めなので、
汎用性があるものではありません。
(ムー時代お呼びムー後継時代は本内容では除外)
・古代陰陽道では日本は奄美まで
注:琉球王朝成立までは歴史的には奄美側の勢力が強かったので、
当時は沖縄の方が奄美の一部と認識されていた可能性もある
・古代海人族の本拠地として奄美が機能していた
(とある日本の古文書に出てくる。聖徳太子そのへんの時代)
当時大和朝廷側からは、奄美(海人族本拠地)と沖縄は別の氏族として認識されている
↑これだいぶ前に手に入れてたのにすっかり忘れてたわ
(うろ覚えだけど、沖縄氏族が奄美を襲撃してきて、大和朝廷側から援軍送った記録もあったはず)
・海人族は縄文~古代日本にかけて強大な力を持っていたが、白村江の戦いを機に?海人族系氏族の権威は弱体化していく。
・阿曇氏
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%9B%87%E6%B0%8F
古代日本を代表する海人族として知られる有力氏族で、発祥地は筑前国糟屋郡阿曇郷(現在の福岡市東部)とされる。古くから中国や朝鮮半島とも交易などを通じて関連があったとされ、後に最初の本拠地である北部九州の福岡志賀島一帯から離れて全国に移住した。この移住の原因として、磐井の乱や白村江の戦いでの安曇比羅夫の戦死が関係しているとの説がある[要出典]。
安曇は海人津見(あまつみ)が転訛したものとされ[要出典]、津見(つみ)は「住み」を意味する古語とする説もあり[要出典]、その説だと安曇族はそのまま「海に住む人」を示す。
記紀に登場し、「日本書紀」の応神天皇の項に「海人の宗に任じられた」と記され、「古事記」では「阿曇連はその綿津見神の子、宇都志日金柝命の子孫なり」と記されている。その他、「新撰姓氏録」では「安曇連は綿津豊玉彦の子、穂高見命の後なり」と記される。
律令制の下で、宮内省に属する内膳司(天皇の食事の調理を司る)の長官(相当官位は正六位上)を務める。これは、古来より神に供される御贄(おにえ)には海産物が主に供えられた為、海人系氏族の役割とされたことに由来する。
安曇族が移住した地とされる場所は、阿曇・安曇・厚見・厚海・渥美・阿積・泉・熱海・飽海などの地名として残されており、安曇が語源とされる地名は九州から瀬戸内海を経由し近畿に達し、更に三河国の渥美郡(渥美半島、古名は飽海郡)や飽海川(あくみがわ、豊川の古名)、伊豆半島の熱海、最北端となる飽海郡(あくみぐん)は出羽国北部(山形県)に達する。この他に「志賀」や「滋賀」を志賀島由来の地名として、安曇族との関連を指摘する説がある[要出典]。
また海辺に限らず、川を遡って内陸部の安曇野にも名を残し、標高3190mの奥穂高岳山頂に嶺宮のある穂高神社はこの地の安曇氏が祖神を祀った古社で、中殿(主祭神)に「穂高見命」、左殿に「綿津見命」など海神を祀っている。内陸にあるにもかかわらず例大祭(御船神事)は大きな船形の山車が登場する。志賀島から全国に散った後の一族の本拠地は、この信濃国の安曇郡(長野県安曇野市)とされる[要出典]。
・古事記に出てくる最初のアマミは「海見」
・古代奄美を発祥とした海人族系氏族には高いレベルの天文学があり、星読みができた(航海術には星読みは必須)縄文時代~弥生初期において
・豊川が出てきてた(飽海川)
・なぜか穂高神社の祭神(祖神)に瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)
(海人族と皇族とのつながりからいけば山幸彦とも呼ばれる火遠理命ホオリノミコトのはずなのに、なぜニニギノミコト???)
誤解なきよう説明すると、沖縄と奄美は元は同じ氏族です。DNA的にも沖縄・奄美が日本人の一番古いDNA型をもっています。原日本人と呼んでいいのは奄美沖縄だけ。(笑)
大和朝廷側から見たときに奄美側とだけくっついときゃいいやと思ったんだろうと思われる。
あと、沖縄には外国から結構な数の他部族が流入してるので、他部族系の新興氏族が奄美側に略奪にきたとかがあったかもね。
いろんなところから集めたいろんな情報の寄せ集めなので、
汎用性があるものではありません。
(ムー時代お呼びムー後継時代は本内容では除外)
・古代陰陽道では日本は奄美まで
注:琉球王朝成立までは歴史的には奄美側の勢力が強かったので、
当時は沖縄の方が奄美の一部と認識されていた可能性もある
・古代海人族の本拠地として奄美が機能していた
(とある日本の古文書に出てくる。聖徳太子そのへんの時代)
当時大和朝廷側からは、奄美(海人族本拠地)と沖縄は別の氏族として認識されている
↑これだいぶ前に手に入れてたのにすっかり忘れてたわ
(うろ覚えだけど、沖縄氏族が奄美を襲撃してきて、大和朝廷側から援軍送った記録もあったはず)
・海人族は縄文~古代日本にかけて強大な力を持っていたが、白村江の戦いを機に?海人族系氏族の権威は弱体化していく。
・阿曇氏
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%9B%87%E6%B0%8F
古代日本を代表する海人族として知られる有力氏族で、発祥地は筑前国糟屋郡阿曇郷(現在の福岡市東部)とされる。古くから中国や朝鮮半島とも交易などを通じて関連があったとされ、後に最初の本拠地である北部九州の福岡志賀島一帯から離れて全国に移住した。この移住の原因として、磐井の乱や白村江の戦いでの安曇比羅夫の戦死が関係しているとの説がある[要出典]。
安曇は海人津見(あまつみ)が転訛したものとされ[要出典]、津見(つみ)は「住み」を意味する古語とする説もあり[要出典]、その説だと安曇族はそのまま「海に住む人」を示す。
記紀に登場し、「日本書紀」の応神天皇の項に「海人の宗に任じられた」と記され、「古事記」では「阿曇連はその綿津見神の子、宇都志日金柝命の子孫なり」と記されている。その他、「新撰姓氏録」では「安曇連は綿津豊玉彦の子、穂高見命の後なり」と記される。
律令制の下で、宮内省に属する内膳司(天皇の食事の調理を司る)の長官(相当官位は正六位上)を務める。これは、古来より神に供される御贄(おにえ)には海産物が主に供えられた為、海人系氏族の役割とされたことに由来する。
安曇族が移住した地とされる場所は、阿曇・安曇・厚見・厚海・渥美・阿積・泉・熱海・飽海などの地名として残されており、安曇が語源とされる地名は九州から瀬戸内海を経由し近畿に達し、更に三河国の渥美郡(渥美半島、古名は飽海郡)や飽海川(あくみがわ、豊川の古名)、伊豆半島の熱海、最北端となる飽海郡(あくみぐん)は出羽国北部(山形県)に達する。この他に「志賀」や「滋賀」を志賀島由来の地名として、安曇族との関連を指摘する説がある[要出典]。
また海辺に限らず、川を遡って内陸部の安曇野にも名を残し、標高3190mの奥穂高岳山頂に嶺宮のある穂高神社はこの地の安曇氏が祖神を祀った古社で、中殿(主祭神)に「穂高見命」、左殿に「綿津見命」など海神を祀っている。内陸にあるにもかかわらず例大祭(御船神事)は大きな船形の山車が登場する。志賀島から全国に散った後の一族の本拠地は、この信濃国の安曇郡(長野県安曇野市)とされる[要出典]。
・古事記に出てくる最初のアマミは「海見」
・古代奄美を発祥とした海人族系氏族には高いレベルの天文学があり、星読みができた(航海術には星読みは必須)縄文時代~弥生初期において
・豊川が出てきてた(飽海川)
・なぜか穂高神社の祭神(祖神)に瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)
(海人族と皇族とのつながりからいけば山幸彦とも呼ばれる火遠理命ホオリノミコトのはずなのに、なぜニニギノミコト???)
誤解なきよう説明すると、沖縄と奄美は元は同じ氏族です。DNA的にも沖縄・奄美が日本人の一番古いDNA型をもっています。原日本人と呼んでいいのは奄美沖縄だけ。(笑)
大和朝廷側から見たときに奄美側とだけくっついときゃいいやと思ったんだろうと思われる。
あと、沖縄には外国から結構な数の他部族が流入してるので、他部族系の新興氏族が奄美側に略奪にきたとかがあったかもね。
霊的防御力と霊障・病気の関係メモ
2017年03月17日
あくまでメモです。
私の個人的意見ですから鵜呑みにしないでね!!!!!
鵜呑みにしても責任とらないよ!!!(笑)
人は自分の念力などによる防御力に加え、かならず霊的な守護をいただいており、
この自力の防御力Aと霊的加護(他力)Bを加えたABが、自分の持つ霊的防衛力とする。
この霊的防衛力ABを分析してみる。
自力防御力A
・念力(思いの強さ)
・筋力(肉体の体力)
・確信波動(信仰心ふくむ)&自信
・光明思想(プラス思考)
・下座行と奉仕行(謙虚さの徹底によるプライドの統御)
自力防御力Aのエネルギー量を下げる作用C
・ネガティブ想念および自我我欲(プライド)の肥大
自我我欲は慢心や被害者意識とつながるので他者との相克を招き、
相克によって生じる執着や煩悩や感情が防衛力を下げる
つまり感謝や謙虚さの不在は、結果的に自力防御力Aを大幅に下げてしまう
念力や確信波動が強い場合は一時的にその力でうまく行くが、因果の法則によって自分のしたことはすべて自分に還るので、念力だけによる防御力が何かのきっかけ(病気や自信喪失につながる出来事などで)な急激に失われた場合、それまで弾いていた因果の返りが一気にかぶさってくるので、非常にリスク性が強い
・前世や今世における悪行・悪念
・嘘や捏造による自己保身
他力防御力B
・信仰している対象存在からの加護
(並びに信仰心という名の確信波動Aの増幅)
・縁故の強い先祖霊からの霊的支援
・守護霊からの霊的支援
・善行の結果自分に向けられる、他者からの感謝や応援の念
(生きてる人間に善行が知られずとも、本人を見守る諸霊が善行の度合いによって支援を強める)
・前世から積んでいる徳による霊的加護力
他力防御力Bのエネルギー量を下げる作用D
・信仰の不在(支援する神格存在がいない)
・棄教(神格存在の使いや生前信仰していた先祖からの怒りを買う)
・信仰への冒涜行為(神格存在の使いからの怒りはもちろん、他の信仰の神からも嫌悪される)
・先祖や目上への感謝の不在(自分から善縁を放棄してるため先祖からの加護が届かなくなる)
・不成仏霊となっている先祖や自我の強い守護霊、前世でのトラウマ・縁故霊からの思念干渉(縁が強いほど干渉力も強い)
・土地由来の不成仏霊や残留思念からの干渉
・前世や今世で受けた恨みや嫉妬の念
・悪行や悪念(支援霊から失望され支援を失う)
このように、総合防御力AB-防御をおとす作用CDをひいた数=残りの総力が、
現在の自分の霊的防御力となる。
(時期による運気の強弱もあるが、不確定要素も強いため今回はそれは計算には入れない)
病気や霊障には、この霊的防御力の不足が関係している。
自分の霊的防御力ABを高めるか、
もしくは霊的防御力をおとす作用CDを減らす必要、
もしくはそのどちらもする必要がある。
メモメモ。
私の個人的意見ですから鵜呑みにしないでね!!!!!
鵜呑みにしても責任とらないよ!!!(笑)
人は自分の念力などによる防御力に加え、かならず霊的な守護をいただいており、
この自力の防御力Aと霊的加護(他力)Bを加えたABが、自分の持つ霊的防衛力とする。
この霊的防衛力ABを分析してみる。
自力防御力A
・念力(思いの強さ)
・筋力(肉体の体力)
・確信波動(信仰心ふくむ)&自信
・光明思想(プラス思考)
・下座行と奉仕行(謙虚さの徹底によるプライドの統御)
自力防御力Aのエネルギー量を下げる作用C
・ネガティブ想念および自我我欲(プライド)の肥大
自我我欲は慢心や被害者意識とつながるので他者との相克を招き、
相克によって生じる執着や煩悩や感情が防衛力を下げる
つまり感謝や謙虚さの不在は、結果的に自力防御力Aを大幅に下げてしまう
念力や確信波動が強い場合は一時的にその力でうまく行くが、因果の法則によって自分のしたことはすべて自分に還るので、念力だけによる防御力が何かのきっかけ(病気や自信喪失につながる出来事などで)な急激に失われた場合、それまで弾いていた因果の返りが一気にかぶさってくるので、非常にリスク性が強い
・前世や今世における悪行・悪念
・嘘や捏造による自己保身
他力防御力B
・信仰している対象存在からの加護
(並びに信仰心という名の確信波動Aの増幅)
・縁故の強い先祖霊からの霊的支援
・守護霊からの霊的支援
・善行の結果自分に向けられる、他者からの感謝や応援の念
(生きてる人間に善行が知られずとも、本人を見守る諸霊が善行の度合いによって支援を強める)
・前世から積んでいる徳による霊的加護力
他力防御力Bのエネルギー量を下げる作用D
・信仰の不在(支援する神格存在がいない)
・棄教(神格存在の使いや生前信仰していた先祖からの怒りを買う)
・信仰への冒涜行為(神格存在の使いからの怒りはもちろん、他の信仰の神からも嫌悪される)
・先祖や目上への感謝の不在(自分から善縁を放棄してるため先祖からの加護が届かなくなる)
・不成仏霊となっている先祖や自我の強い守護霊、前世でのトラウマ・縁故霊からの思念干渉(縁が強いほど干渉力も強い)
・土地由来の不成仏霊や残留思念からの干渉
・前世や今世で受けた恨みや嫉妬の念
・悪行や悪念(支援霊から失望され支援を失う)
このように、総合防御力AB-防御をおとす作用CDをひいた数=残りの総力が、
現在の自分の霊的防御力となる。
(時期による運気の強弱もあるが、不確定要素も強いため今回はそれは計算には入れない)
病気や霊障には、この霊的防御力の不足が関係している。
自分の霊的防御力ABを高めるか、
もしくは霊的防御力をおとす作用CDを減らす必要、
もしくはそのどちらもする必要がある。
メモメモ。
うさじんぐーとひみこメモ
2017年03月16日
いろいろなところから集めた情報より合わせメモ。
自分用。
・八幡神信仰は応神天皇よりも以前にあった(らしい)
・よって応神天皇は元々の八幡神ではない。(正確には合祀されたあといろんな政治的事情からメインにされたっぽい)
・宇佐神宮の周りには霊山がたくさんある(霊山とは神社ができる以前の信仰の聖地)
・宇佐神宮は大和朝廷にも最重要視されていた国家鎮護と神託の総本山
・おそらく宇佐神宮に本来祀られていた「元々の八幡神」とは「役職としての日巫女達の御霊」
・《邪馬台国の卑弥呼》は、元々の日巫女制度をさらに権力を強化した形
・古代日本には小国の各国に「役職としての日巫女」がいた。その「日巫女」は継承制
・権力は奄美・沖縄のノロ制度よりも大きく、神託能力と政治実権両方をもっていた
(逆にいえばノロ制度とは日巫女制度の縮小版と言い換えてもよいかもしれない)
・おそらく各国の日巫女達は合議制のもと連携していた
(国レベルでの争いなども、日巫女同士の話し合いでおさめてた可能性もある)
・大和朝廷によって日巫女制度は消されてしまったが、日巫女達の霊が大和朝廷に祟らないよう、日巫女達の霊を鎮めるために建てたのが「八幡信仰」の神社(らしい)
・日巫女とはたぐいまれな霊力による神託能力と、研ぎ澄まされた政治力によって国をおさめていた霊なので、調伏するよりも祀ることで味方につけた
・つまり、宇佐神宮は元々は日巫女信仰の場所だった可能性大
(もしかしたら各国の日巫女が話し合いの為に集まる場所だったのかもね。今の国連の議場みたいな。)
・たしかに日巫女(神託で国を統治してた姫巫女)達の霊を祀ってたら、大和朝廷にとって国家鎮護のための神託の聖地になるのも合点
もしかして「神名奪われた」「地元の人達に忘れて欲しくない」って悲しんでたの、宇佐神宮に祀られてた日巫女してた人かな?
だとしたら、「日巫女信仰(八幡信仰)」が「八幡信仰(応神信仰)に替えられたらそりゃ悲しいよね。
こういうすり替え合戦ばっかだからね日本の歴史は。
でも、だからといって私のところに出られてもそれはそれで困るんですけど・・・・
私は日巫女はしたことないんで、きっと私の前世じゃないと思う。誰からも日巫女だなんて言われてないもーん。
宇佐神宮の巫女さん(私の前世)が引っ張った、宇佐で祀ってた日巫女霊でしょうねきっと。
話聴いてほしくて聞いてくれるところにならどこにでも出たがるのは分かりますが、こちらにこないでください。自分の前世と勘違いして混乱しかねません。
(これでマジに勘違いするスピ系の方も多い。情報を精査しないと簡単に勘違いする。
霊の方で騙す気がなくても自称高級霊な勘違いが多いのはそのためです)
ただ、私のところにまで上記の口伝情報が回ってくるってことは、
古代の八幡信仰してた方々(特に武将とか)、
実は八幡神が日巫女だって薄々分かってたんだと思うわ。
そうじゃなきゃ、最強の戦神ならスサノオとかを祀ればいいのに、
わざわざ八幡神を祀るというのは、
「妹の呪力」
「神託の力」
をかなり当てにしてたんじゃないかと思えないでもない。
(古代日本では「戦場や旅に出る男を守る女(妹)の霊力」が信じられてました。
日露戦争とか大東亜戦争でも、千人針は女に縫わせてたし、女の髪の毛いれたお守りを戦地の兵隊さんに持たせてました。マジで女性の霊力ってすごいのね)
そう考えたら、国おさめてた女神達なら守護神として最適だと思う。
まとめメモ。
天照大神様ってそう考えると日本の歴史における最強最高の日巫女ですね。
霊感お嬢さんAさんとの会話3 ~湯湾岳の神、琉球ノロと奄美ノロ、その他
2017年03月09日
(前回の続きです)
注・この内容は霊感お嬢さんAちゃんを通じて、ノロだった曾祖母さんの意識にご質問させていただいております。
ですので、ところどころAちゃんの意識もまじっています。
また、本内容はあくまでひとりのノロの意見ですので、くれぐれも鵜呑みになさらず、あくまでご参考としてください。
私「琉球と奄美がケンカしはじめた時に、調停役をしてくださった琉球の女帝が、ノロのはじめということでしょうか?」
曾祖母さん「島側の、まとめ役が奄美ノロの元です。」
私「琉球と奄美がケンカした時に、奄美側のまとめ役が、ノロ制度を 奄美にひろげたということですか?」
曾祖母さん「そうです」
(注・あとでお聞きしたところ「厳密には奄美ノロと琉球ノロは別派」だそうです)
私「では、琉球から侵略されるまでは、奄美側のノロは、琉球を尊敬もしくは信頼していたということでしょうか?」
曾祖母さん「そうです」
私「琉球ノロ側は、王国が奄美を侵略したことをどう思っていたのでしょうか」
曾祖母さん「それが当然のような感覚です」
私「琉球からはノロも王族も含めて奄美を侵略することが正当化されたわけですね」
曾祖母さん「はい」
私「 島津や琉球から奄美が侵略され文化を奪われたことに対して、竜王はどのようにお考えでしたでしょうか」
曾祖母さん「怒っています。水害が起きたのは怒りです」(注・当時のことと思われる)
私「 榊には霊力があるとのことですが、どう使われていたのでしょうか?」
曾祖母さん「手向けの花の代わりに棺桶にいれていました。
お祓いの時に使っていました。
クチを入れる時に使っていました。」
私「榊にどのような念をいれるかで用途が異なるんでしょうか?
曾祖母さん「儀式の前の言葉で念が入ります」
私「昔の言い伝えで「立神が移動する」話がありますが、それは事実でしょうか?(例・今里立神は西古見から嫁にきた、など)」
曾祖母さん「火山が関係しています」
私「具体的にはどのような感じなのでしょうか?奄美には火山 があったのですか?」
曾祖母さん「海底火山ですよ。立神は。だから動くしパワースポットなのです。」
私「次世代ノロに伝えたいことはございますでしょうか?」
曾祖母さん「過去にとらわれず、未来を向いて行きなさい。
ですかね・・・。」
私「曾祖母様は「豊玉姫」「玉依姫」はご存知でしょうか?」
Aちゃん「頭がピリッときました。たぶん知ってます」
私「 奄美大島で、危険な場所や気をつけた方がよい場所はありますか?」
曾祖母さん「霊道、カミ道。あまり人が立ち入らない道。」
私「霊道はどのようにして見分けたらよろしいのでしょうか?何か特徴はありますか?」
曾祖母さん「鏡に人が映ります。あちら側の住人です」
私「 琉球に侵略される以前、奄美はなんと呼ばれていたかご存知でしょうか?」
曾祖母さん「雨見大島
よく雨が降るので
あめみ です」
私「琉球から侵略される以前、奄美に国や王族はありましたでしょうか?」
曾祖母さん「王より、百姓はいました。
村長的な役割です。
その妻がユタやノロをしていて、実際は妻の方が政治を動かしていました。」
その他、お聞きしたことまとめ
・琉球ノロと奄美ノロの派生は別
・古代、琉球ノロは血族重視、奄美ノロはカンダーリ(神がかりがおきた者がノロになる)重視だった
・ある時期に琉球ノロの方に問題がおき、奄美ノロ側に対処法を学びにきたのがお互いの交流のはじまり
・琉球とは、国や文化はまったく別だったが交流は頻繁にしていた(古代奄美には、朝鮮や中国や琉球からよく旅芸人などがきていたそう)
・湯湾岳は奄美ノロにとってとても大事な場所
・ノロの霊達も順番で巡礼・警護などをしている
・古代は祀る日は厳しく定められていて、通常祭祀プラス地上で何かあると緊急祭祀のために登る
・通常の場所では80点で許されるところでも、湯湾岳では95点を要求される、そんなレベルの場所
・湯湾岳を護る警護の霊は、原則女装(男性霊でも)かならず羽衣を纏わなければならない
・古代のノロはかならず湯湾岳に登らないといけない日があった(曾祖母さんは生前、多い時は月に2回湯湾岳に登っていたそうです)
・湯湾岳は神様の避難所・停留所。集落に何か災害があった時に、集落の神が湯湾岳に避難してきたり、また、よそからきた神々へのお接待も兼ねる場所。だから高レベルが要求される。
・湯湾岳の力は非常に強く、よい力にも悪い力にも大きく働く
・湯湾岳を治める最高神は、どのような面も持つ懐の深い神様(その神様の個性が奄美に反映されているから奄美も強い癒しの力をもっている)
・その神様の力が悪用されないように、その神様の脇を固める補佐役の神々は厳しい神様が多い(排除する力が強い)
・ノロの中でも、持つ力が強い者の順に、行くノロが決められていた
・古代の奄美にはノロだけが知る絵文字のようなものがあった(中国の甲骨文字に近いそうです)
・文字や歴史が散逸したのは、琉球や薩摩のせいだけではなく、災害などのせいもある(たとえば水害や飢饉などで継承者が死んだり)
・海のノロが竜王と交信する日は、波の立たない穏やかで静かな状態の時。何月何日と決まっていた
以上。
Aちゃん、情報ありがとうございましたー!!!!!
(`・ω・´)ゝ
注・この内容は霊感お嬢さんAちゃんを通じて、ノロだった曾祖母さんの意識にご質問させていただいております。
ですので、ところどころAちゃんの意識もまじっています。
また、本内容はあくまでひとりのノロの意見ですので、くれぐれも鵜呑みになさらず、あくまでご参考としてください。
私「琉球と奄美がケンカしはじめた時に、調停役をしてくださった琉球の女帝が、ノロのはじめということでしょうか?」
曾祖母さん「島側の、まとめ役が奄美ノロの元です。」
私「琉球と奄美がケンカした時に、奄美側のまとめ役が、ノロ制度を 奄美にひろげたということですか?」
曾祖母さん「そうです」
(注・あとでお聞きしたところ「厳密には奄美ノロと琉球ノロは別派」だそうです)
私「では、琉球から侵略されるまでは、奄美側のノロは、琉球を尊敬もしくは信頼していたということでしょうか?」
曾祖母さん「そうです」
私「琉球ノロ側は、王国が奄美を侵略したことをどう思っていたのでしょうか」
曾祖母さん「それが当然のような感覚です」
私「琉球からはノロも王族も含めて奄美を侵略することが正当化されたわけですね」
曾祖母さん「はい」
私「 島津や琉球から奄美が侵略され文化を奪われたことに対して、竜王はどのようにお考えでしたでしょうか」
曾祖母さん「怒っています。水害が起きたのは怒りです」(注・当時のことと思われる)
私「 榊には霊力があるとのことですが、どう使われていたのでしょうか?」
曾祖母さん「手向けの花の代わりに棺桶にいれていました。
お祓いの時に使っていました。
クチを入れる時に使っていました。」
私「榊にどのような念をいれるかで用途が異なるんでしょうか?
曾祖母さん「儀式の前の言葉で念が入ります」
私「昔の言い伝えで「立神が移動する」話がありますが、それは事実でしょうか?(例・今里立神は西古見から嫁にきた、など)」
曾祖母さん「火山が関係しています」
私「具体的にはどのような感じなのでしょうか?奄美には火山 があったのですか?」
曾祖母さん「海底火山ですよ。立神は。だから動くしパワースポットなのです。」
私「次世代ノロに伝えたいことはございますでしょうか?」
曾祖母さん「過去にとらわれず、未来を向いて行きなさい。
ですかね・・・。」
私「曾祖母様は「豊玉姫」「玉依姫」はご存知でしょうか?」
Aちゃん「頭がピリッときました。たぶん知ってます」
私「 奄美大島で、危険な場所や気をつけた方がよい場所はありますか?」
曾祖母さん「霊道、カミ道。あまり人が立ち入らない道。」
私「霊道はどのようにして見分けたらよろしいのでしょうか?何か特徴はありますか?」
曾祖母さん「鏡に人が映ります。あちら側の住人です」
私「 琉球に侵略される以前、奄美はなんと呼ばれていたかご存知でしょうか?」
曾祖母さん「雨見大島
よく雨が降るので
あめみ です」
私「琉球から侵略される以前、奄美に国や王族はありましたでしょうか?」
曾祖母さん「王より、百姓はいました。
村長的な役割です。
その妻がユタやノロをしていて、実際は妻の方が政治を動かしていました。」
その他、お聞きしたことまとめ
・琉球ノロと奄美ノロの派生は別
・古代、琉球ノロは血族重視、奄美ノロはカンダーリ(神がかりがおきた者がノロになる)重視だった
・ある時期に琉球ノロの方に問題がおき、奄美ノロ側に対処法を学びにきたのがお互いの交流のはじまり
・琉球とは、国や文化はまったく別だったが交流は頻繁にしていた(古代奄美には、朝鮮や中国や琉球からよく旅芸人などがきていたそう)
・湯湾岳は奄美ノロにとってとても大事な場所
・ノロの霊達も順番で巡礼・警護などをしている
・古代は祀る日は厳しく定められていて、通常祭祀プラス地上で何かあると緊急祭祀のために登る
・通常の場所では80点で許されるところでも、湯湾岳では95点を要求される、そんなレベルの場所
・湯湾岳を護る警護の霊は、原則女装(男性霊でも)かならず羽衣を纏わなければならない
・古代のノロはかならず湯湾岳に登らないといけない日があった(曾祖母さんは生前、多い時は月に2回湯湾岳に登っていたそうです)
・湯湾岳は神様の避難所・停留所。集落に何か災害があった時に、集落の神が湯湾岳に避難してきたり、また、よそからきた神々へのお接待も兼ねる場所。だから高レベルが要求される。
・湯湾岳の力は非常に強く、よい力にも悪い力にも大きく働く
・湯湾岳を治める最高神は、どのような面も持つ懐の深い神様(その神様の個性が奄美に反映されているから奄美も強い癒しの力をもっている)
・その神様の力が悪用されないように、その神様の脇を固める補佐役の神々は厳しい神様が多い(排除する力が強い)
・ノロの中でも、持つ力が強い者の順に、行くノロが決められていた
・古代の奄美にはノロだけが知る絵文字のようなものがあった(中国の甲骨文字に近いそうです)
・文字や歴史が散逸したのは、琉球や薩摩のせいだけではなく、災害などのせいもある(たとえば水害や飢饉などで継承者が死んだり)
・海のノロが竜王と交信する日は、波の立たない穏やかで静かな状態の時。何月何日と決まっていた
以上。
Aちゃん、情報ありがとうございましたー!!!!!
(`・ω・´)ゝ
共産主義の理念からいえば、今戦うべきは日帝ではなく中共である ~高江闘争に思う
2017年03月06日
どうも。共産党員の娘ですヽ(・∀・)ノ
今日は保守としての自分ではなく、高校生の時の「同志よ固く結べ」や「がんばろう」「夜明けだ」「地底の歌」「沖縄を返せ」を毎日聞いてた頃の私の視点で言わせていただきます。
平和運動に邁進(笑)する方々が、沖縄で日帝(笑)や米帝(笑)と一生懸命戦っておられるのを見て、
「うーん、これ、違うんじゃね」と思っている共産党員も多いと思うんですよね。うちの父ちゃんみたいなね。
いや、わかりますよ。わかるんです。
どんなに保守がキレイ事言おうが、米軍は銃剣とブルトーザーで沖縄の人々の土地を無理やり奪ったんです。
で、私は思うんですよ。
最初の理念から言えば、どういう経緯であれ、取り戻すべきはまず普天間でしょ?
なんで米帝がせっかく普天間返すって言ってるのを邪魔してるわけ?革新勢力のみなさん。
普天間の代わりに辺野古奪っていいわけがない?あれは合法的でしょ?奪われたんじゃなくて地方自治体が国有地差し出したの。
戦うべきは合法的に戦わなきゃですよ。自由法曹団もいるじゃないですか。
なんであんな地元住民に迷惑かけるの。(まぁ、迷惑かけてるのは共産党系ではないと思いたい)
ハッキリ言って、革新勢力のみなさん、戦術間違えてると思う。
辺野古の「高江闘争」は、一般の方からすごく冷ややかな目で見られてる。この時点で闘争として失敗なんですよね。
日本共産党は戦争反対のために特高からのリンチ殺人官憲からの大弾圧にも負けずに平和主義を貫いた。
そりゃ尊いですね。でも、事実として日中戦争、日米戦争させたのは八路軍とコミンテルンなんですけどね。
尾崎秀実って証人いるし、毛沢東もゲロってるし、ヴェノナ文書って第一級の証拠でてきてるし。
(これ見抜けなかった&知らされてなかった時点で日本共産党はコミンテルンにとって捨て駒だったのが明白)
つまり何が言いたいかというとですね。
70年前の失敗を繰り返すなと言いたいんです。
国内で「戦争はんた~い!」では戦争なんて止まらないんですよ。
むしろ、その姿勢が「日本を支配したい外国の誰かさんの意図通りになる」こともあるってことです。
それはもうイヤというほど分かるでしょ?
ただし、安易な戦争推進はもってのほかです。それは尾崎秀実がしたことみてもわかりますよね。
(防共を主張してた日本をソ連と戦争させないため、ソ連のスパイだった当時朝日新聞主幹の尾崎秀実をつかって「鬼畜米英」を掲げて米英戦争につきすすませた)
一方で共産主義運動というのは、「独立闘争」とはきってもきれないというのは分かる子はみんな分かってますよね。
共産主義がガンジーみたいな無抵抗主義ならとっくにつぶされとるがな(笑)
だから、今共産主義勢力がするべきは、
安易な平和運動でもなく、
安易な戦争推進でもない、
「沖縄のために中国に断固抗議する」
という姿勢だと思うんです。
そもそも、不思議でしょうがないのは、
日本共産党を侵略しようとした中国に対して、なんでそんなに革新勢力のみなさんは甘いわけ?
米帝より日帝より、共産主義の理念から言っても一番許しちゃいかんのは断固中共でしょ?
北京空港で日本共産党員が紅衛兵達にリンチにされたの忘れました?
その順番を間違えてはいけないと思うんです。
いま、沖縄を奪おうと、米帝よりも数百倍悪辣な中共という「共産主義を名乗る悪魔」がアクションを起こし続けてる。
カンボジアをあんな膨大な死人とわずかな殺人者しか残らないような国にしたのも、バックにいたのは中共だって、共産党の人はみんな分かってるじゃないですか。
なのに、その中共が今度は沖縄に向かって文化的にも直接的にも侵略続けてきてるのは無視ですか?
あなた方の脳は一体どうなってるの?
それを無視して、いつまで周りにドン引きされながら70年代ゴッコを続けてるのですか?
もうベ平連とか「沖縄を返せ」の時代じゃないんですよ?
今戦うべきは中共であり、その次に米帝・日帝ではないか。
私は共産党を知る者として、思うわけです。
戦術を間違えないでほしい。
私は沖縄を想う。
歌劇『沖縄』(1970年)より「労働者の合唱」
https://www.youtube.com/watch?v=WF_w84neylg
今日は保守としての自分ではなく、高校生の時の「同志よ固く結べ」や「がんばろう」「夜明けだ」「地底の歌」「沖縄を返せ」を毎日聞いてた頃の私の視点で言わせていただきます。
平和運動に邁進(笑)する方々が、沖縄で日帝(笑)や米帝(笑)と一生懸命戦っておられるのを見て、
「うーん、これ、違うんじゃね」と思っている共産党員も多いと思うんですよね。うちの父ちゃんみたいなね。
いや、わかりますよ。わかるんです。
どんなに保守がキレイ事言おうが、米軍は銃剣とブルトーザーで沖縄の人々の土地を無理やり奪ったんです。
で、私は思うんですよ。
最初の理念から言えば、どういう経緯であれ、取り戻すべきはまず普天間でしょ?
なんで米帝がせっかく普天間返すって言ってるのを邪魔してるわけ?革新勢力のみなさん。
普天間の代わりに辺野古奪っていいわけがない?あれは合法的でしょ?奪われたんじゃなくて地方自治体が国有地差し出したの。
戦うべきは合法的に戦わなきゃですよ。自由法曹団もいるじゃないですか。
なんであんな地元住民に迷惑かけるの。(まぁ、迷惑かけてるのは共産党系ではないと思いたい)
ハッキリ言って、革新勢力のみなさん、戦術間違えてると思う。
辺野古の「高江闘争」は、一般の方からすごく冷ややかな目で見られてる。この時点で闘争として失敗なんですよね。
日本共産党は戦争反対のために特高からのリンチ殺人官憲からの大弾圧にも負けずに平和主義を貫いた。
そりゃ尊いですね。でも、事実として日中戦争、日米戦争させたのは八路軍とコミンテルンなんですけどね。
尾崎秀実って証人いるし、毛沢東もゲロってるし、ヴェノナ文書って第一級の証拠でてきてるし。
(これ見抜けなかった&知らされてなかった時点で日本共産党はコミンテルンにとって捨て駒だったのが明白)
つまり何が言いたいかというとですね。
70年前の失敗を繰り返すなと言いたいんです。
国内で「戦争はんた~い!」では戦争なんて止まらないんですよ。
むしろ、その姿勢が「日本を支配したい外国の誰かさんの意図通りになる」こともあるってことです。
それはもうイヤというほど分かるでしょ?
ただし、安易な戦争推進はもってのほかです。それは尾崎秀実がしたことみてもわかりますよね。
(防共を主張してた日本をソ連と戦争させないため、ソ連のスパイだった当時朝日新聞主幹の尾崎秀実をつかって「鬼畜米英」を掲げて米英戦争につきすすませた)
一方で共産主義運動というのは、「独立闘争」とはきってもきれないというのは分かる子はみんな分かってますよね。
共産主義がガンジーみたいな無抵抗主義ならとっくにつぶされとるがな(笑)
だから、今共産主義勢力がするべきは、
安易な平和運動でもなく、
安易な戦争推進でもない、
「沖縄のために中国に断固抗議する」
という姿勢だと思うんです。
そもそも、不思議でしょうがないのは、
日本共産党を侵略しようとした中国に対して、なんでそんなに革新勢力のみなさんは甘いわけ?
米帝より日帝より、共産主義の理念から言っても一番許しちゃいかんのは断固中共でしょ?
北京空港で日本共産党員が紅衛兵達にリンチにされたの忘れました?
その順番を間違えてはいけないと思うんです。
いま、沖縄を奪おうと、米帝よりも数百倍悪辣な中共という「共産主義を名乗る悪魔」がアクションを起こし続けてる。
カンボジアをあんな膨大な死人とわずかな殺人者しか残らないような国にしたのも、バックにいたのは中共だって、共産党の人はみんな分かってるじゃないですか。
なのに、その中共が今度は沖縄に向かって文化的にも直接的にも侵略続けてきてるのは無視ですか?
あなた方の脳は一体どうなってるの?
それを無視して、いつまで周りにドン引きされながら70年代ゴッコを続けてるのですか?
もうベ平連とか「沖縄を返せ」の時代じゃないんですよ?
今戦うべきは中共であり、その次に米帝・日帝ではないか。
私は共産党を知る者として、思うわけです。
戦術を間違えないでほしい。
私は沖縄を想う。
歌劇『沖縄』(1970年)より「労働者の合唱」
https://www.youtube.com/watch?v=WF_w84neylg
Posted by アマミちゃん(野崎りの) at
12:16
│Comments(1)
ブラタモリで思うこと
2017年03月05日
ブラタモリで黒糖のことを言ってたそうですが、うちはテレビがないから見ていない(号泣)
ここで、奄美独立革命論の著者・新元博文さんからお聞きしたお話を。
「沖縄に蘇鉄を食用として広めたのは奄美」
「沖縄では『蘇鉄地獄』と呼ぶが、奄美は『蘇鉄ガナシ(蘇鉄様)と呼んでいた。沖縄では蘇鉄は救荒食だったが、もっと貧しかった奄美では蘇鉄は常食だった。奄美の人々は蘇鉄に感謝していた』
泉芳朗の詩に「慕情」という詩がある。
(高校生の時に読んだきりなのでもしかしたら題名間違ってるかもしれない)
そこに蘇鉄がでてくる。
あの詩を読んだとき、私はもう泣けて泣けて。
島人としての意地を見た気がした。
ぜひ泉芳郎詩集で、「断食悲願」だけではない泉芳朗にふれてほしい。
私が昔書いた記事より。
奄美の人は、今の豊かさに感謝してほしい。
私は、奄美で一度だけでいいから精一杯の施餓鬼供養をしたい。
アダン林の幽霊~書籍「南島雑話の世界」より
http://amamikyo.amamin.jp/e148393.html
ここで、奄美独立革命論の著者・新元博文さんからお聞きしたお話を。
「沖縄に蘇鉄を食用として広めたのは奄美」
「沖縄では『蘇鉄地獄』と呼ぶが、奄美は『蘇鉄ガナシ(蘇鉄様)と呼んでいた。沖縄では蘇鉄は救荒食だったが、もっと貧しかった奄美では蘇鉄は常食だった。奄美の人々は蘇鉄に感謝していた』
泉芳朗の詩に「慕情」という詩がある。
(高校生の時に読んだきりなのでもしかしたら題名間違ってるかもしれない)
そこに蘇鉄がでてくる。
あの詩を読んだとき、私はもう泣けて泣けて。
島人としての意地を見た気がした。
ぜひ泉芳郎詩集で、「断食悲願」だけではない泉芳朗にふれてほしい。
私が昔書いた記事より。
奄美の人は、今の豊かさに感謝してほしい。
私は、奄美で一度だけでいいから精一杯の施餓鬼供養をしたい。
アダン林の幽霊~書籍「南島雑話の世界」より
http://amamikyo.amamin.jp/e148393.html
殉国七士廟のおもひで
2017年03月03日
('ω'乂)月('ω'乂)日
フェイスブックの顔写真を変えたら、HSUの非常勤講師の先生(私を授業でしゃべらせてくださった冒険心旺盛な方)から、
「前に会った時と違う。
前は武将みたいだったのに」
と言われた。
そりゃー人前でしゃべるの苦手な私がはじめてHSUに行ったら緊張で戦闘モードにもなりますって。
あの時は本当に緊張しました・・・・舌に正体不明の腫れものまで出来てむちゃくちゃ痛かったし・・・・。
いただいたHSUのパーカー、ぬくいので毎日使わせていただいております!
感謝(*´ω`人)感謝
('ω'乂)月('ω'乂)日
とあるお店で買い物してたら、“自他共に認める右翼”のAさんと初遭遇!
数年前にお電話でお話したことはありましたが、お会いするのははじめて!
ワーイヽ(゚∀゚)メ(゚∀゚)メ(゚∀゚)ノワーイ
(Aさんの本土での右翼時代の大親友が幸福の科学に出家されたご縁で、以前お電話をいただいた。そのご親友様は現在どこかで支部長されています)
数年前に殉国七士廟に参拝させていただいたことを伝えたらハグされた(笑)
あとでお店のお姉さんに「じゅんこくななしびょうって何?」と聞かれたので、
「その場所を知らない右翼はいないくらい有名な場所です」と説明しておいた(笑)
そんなこと言いながら、私も数年前、突然霊的に「はこねかんのん」(興亜観音のこと)をインスピレーションで教えていただかなかったら、殉国七士廟のことも知らなかったくせにねー!!!!!
( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
ここ、また行かなきゃいけない気がするんだけど・・・というか、いまウィキでちらっと写真見たらすでにビンビンきたんですけど・・・・
ああああああやめてぇええええ金がないからぁああああああ
2014年に隊長ファンさんと愛知県人さんと殉国七士廟に参拝させていただいた時のブログ記事。
8月15日愛知県三ヶ根山・殉国七士廟参拝(愛知県人さん、隊長ファンさんと)
http://amamikyo.amamin.jp/e458670.html
殉国七士廟参拝その後(つぶやき)
http://amamikyo.amamin.jp/e461066.html
我ながら、なぜ広田弘毅さん系なのかが全然分からない。
くるなら興亜観音につながる松井石根さん系なのにね。
あの時は愛知県人さんにご案内いただきました。愛知県人さんにはもうなんとお礼したらよいか・・・・
ε≡ ヽ__〇ノ… _| ̄|○
(でもそのあと憑依されて強烈な眠気で大変だったwww
広田弘毅さんのご縁の御霊からのアプローチが半端なかった。
たぶんあれで寝てたら完全憑依されてたんでしょうね)
その時の眠気はすべてメッセージだったらしく、
主に広田弘毅さんのこの時代の人に伝えたい内容だったらしい。
(私にきたのは広田弘毅さんの縁者の霊であり、広田弘毅さんご本人ではありません。
そんな偉い人がきたら逆に怖いわ!)
眠気から私が拾えた内容は、
・自分たちの力不足を詫びる言葉
・国を愛する心がなくば国は滅びるという思い
・責任は自分にあり、その当時の官僚は彼らなりに一生懸命にやった。どうか責めないでやってほしい
・教育が大事。国をまもり国を栄えさせるために、何を学ばねばならないか、しっかりおさえてほしい(外交・国際政治もふくめ)
・国をつくるのは過去の人間ではなくいま現在の人間であるから、勇気をもって若者が国づくりに参加してほしい
・英霊への供養はいまを生きる人びとが国に誇りを持つこと、国が豊かになること(物理的・精神的両面で)
こんな感じでした。
特に「教育」「若者の目覚め」をかなり重視してました。
(たぶん厳密にお聞きしたら途方もない量ある)
こういうのを伝えるスピ系の人ってもっとどんどん出ればいいのにね。
平和主義全開の「武器はぜんぶすてませう」系の、村の中限定でならそれでいいかもしれないけど今の世界情勢でそれしたらただ単に民族の自殺みたいなどっかのお星様インスピだけじゃなくて、
もっと戦略的観点から天下国家を導く霊人のメッセージもスピ系の方々にジャンジャンおろしてほしいです。
武器を捨てれば向こうから攻めてこないんなら奄美は歴史なくなってねーっちゅーの。
「それは昔!今は今!」なら、日本が軍国主義で暴走(笑)したのも70年も前の昔の話なんで、今の平和主義者な方々が、過剰に軍隊恐怖症=日本の再軍国主義化(笑)に怯える必要もないですしねぇ~。
歴史に学ぶのなら、日本国が本当にやるべきは安易な非武装ではなく、今度こそ獅子身中の虫に翻弄されないしっかりした国家としての理論武装と国際社会の情勢を正確にとらえた国家戦略だと思いまする。
フェイスブックの顔写真を変えたら、HSUの非常勤講師の先生(私を授業でしゃべらせてくださった冒険心旺盛な方)から、
「前に会った時と違う。
前は武将みたいだったのに」
と言われた。
そりゃー人前でしゃべるの苦手な私がはじめてHSUに行ったら緊張で戦闘モードにもなりますって。
あの時は本当に緊張しました・・・・舌に正体不明の腫れものまで出来てむちゃくちゃ痛かったし・・・・。
いただいたHSUのパーカー、ぬくいので毎日使わせていただいております!
感謝(*´ω`人)感謝
('ω'乂)月('ω'乂)日
とあるお店で買い物してたら、“自他共に認める右翼”のAさんと初遭遇!
数年前にお電話でお話したことはありましたが、お会いするのははじめて!
ワーイヽ(゚∀゚)メ(゚∀゚)メ(゚∀゚)ノワーイ
(Aさんの本土での右翼時代の大親友が幸福の科学に出家されたご縁で、以前お電話をいただいた。そのご親友様は現在どこかで支部長されています)
数年前に殉国七士廟に参拝させていただいたことを伝えたらハグされた(笑)
あとでお店のお姉さんに「じゅんこくななしびょうって何?」と聞かれたので、
「その場所を知らない右翼はいないくらい有名な場所です」と説明しておいた(笑)
そんなこと言いながら、私も数年前、突然霊的に「はこねかんのん」(興亜観音のこと)をインスピレーションで教えていただかなかったら、殉国七士廟のことも知らなかったくせにねー!!!!!
( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
ここ、また行かなきゃいけない気がするんだけど・・・というか、いまウィキでちらっと写真見たらすでにビンビンきたんですけど・・・・
ああああああやめてぇええええ金がないからぁああああああ
2014年に隊長ファンさんと愛知県人さんと殉国七士廟に参拝させていただいた時のブログ記事。
8月15日愛知県三ヶ根山・殉国七士廟参拝(愛知県人さん、隊長ファンさんと)
http://amamikyo.amamin.jp/e458670.html
殉国七士廟参拝その後(つぶやき)
http://amamikyo.amamin.jp/e461066.html
我ながら、なぜ広田弘毅さん系なのかが全然分からない。
くるなら興亜観音につながる松井石根さん系なのにね。
あの時は愛知県人さんにご案内いただきました。愛知県人さんにはもうなんとお礼したらよいか・・・・
ε≡ ヽ__〇ノ… _| ̄|○
(でもそのあと憑依されて強烈な眠気で大変だったwww
広田弘毅さんのご縁の御霊からのアプローチが半端なかった。
たぶんあれで寝てたら完全憑依されてたんでしょうね)
その時の眠気はすべてメッセージだったらしく、
主に広田弘毅さんのこの時代の人に伝えたい内容だったらしい。
(私にきたのは広田弘毅さんの縁者の霊であり、広田弘毅さんご本人ではありません。
そんな偉い人がきたら逆に怖いわ!)
眠気から私が拾えた内容は、
・自分たちの力不足を詫びる言葉
・国を愛する心がなくば国は滅びるという思い
・責任は自分にあり、その当時の官僚は彼らなりに一生懸命にやった。どうか責めないでやってほしい
・教育が大事。国をまもり国を栄えさせるために、何を学ばねばならないか、しっかりおさえてほしい(外交・国際政治もふくめ)
・国をつくるのは過去の人間ではなくいま現在の人間であるから、勇気をもって若者が国づくりに参加してほしい
・英霊への供養はいまを生きる人びとが国に誇りを持つこと、国が豊かになること(物理的・精神的両面で)
こんな感じでした。
特に「教育」「若者の目覚め」をかなり重視してました。
(たぶん厳密にお聞きしたら途方もない量ある)
こういうのを伝えるスピ系の人ってもっとどんどん出ればいいのにね。
平和主義全開の「武器はぜんぶすてませう」系の、村の中限定でならそれでいいかもしれないけど今の世界情勢でそれしたらただ単に民族の自殺みたいなどっかのお星様インスピだけじゃなくて、
もっと戦略的観点から天下国家を導く霊人のメッセージもスピ系の方々にジャンジャンおろしてほしいです。
武器を捨てれば向こうから攻めてこないんなら奄美は歴史なくなってねーっちゅーの。
「それは昔!今は今!」なら、日本が軍国主義で暴走(笑)したのも70年も前の昔の話なんで、今の平和主義者な方々が、過剰に軍隊恐怖症=日本の再軍国主義化(笑)に怯える必要もないですしねぇ~。
歴史に学ぶのなら、日本国が本当にやるべきは安易な非武装ではなく、今度こそ獅子身中の虫に翻弄されないしっかりした国家としての理論武装と国際社会の情勢を正確にとらえた国家戦略だと思いまする。
Posted by アマミちゃん(野崎りの) at
12:19
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