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因果を見破る技術・初級

2011年09月30日

小さい頃から宜保愛子さんの本を読む母の背中に乗ってたりしたせいか、私は「超」霊好きに育っていました。

小学校三年のときにどうしてもクラスのみんなにこの霊的な世界を知ってほしいと「守護霊について」という作文を書いたことが忘れられません(笑)

同じく三年生のとき、授業で市役所に見学にいって森林伐採の担当のえらい人達に質問はないかと言われて

「人間のために犠牲になる屠殺場や保健所の処分場には動物達のための慰霊碑があるのに、どうして木のための慰霊碑はないんですか?」

と質問して先生含む周りの大人を凍り付かせたのもいい思い出です。(笑)



そんな私は霊感はまったくないのですが、一つだけ思うことがあります。

いろんな本を読んでも、問題を解決するためにはまず「何が原因なのかを見破る」ことが一番なのですね。

それは現実的な問題も、精神的な葛藤も、霊的な現象もすべて同じです。

見破るには「正見」を深く探求すること。心を深く見つめること。自分の人生の傾向性を第三者の目で分析すること。仏法真理を学んであてはめること。

そして、「守護霊や指導霊との対話・一体化によって愛の目で『嘘・誤魔化し・すり替え』見抜く」ことが大事なのだと思いました。

たとえば、主のお言葉には愛があふれています。どんな方にたいしても、それが厳しい怒りのお言葉であっても、愛そのものです。

「自分えらし」の思いで相手を観ようとすると、かならずそれは一滴一滴、我見の毒水を自らのこころの器におとしていきます。
(私はよくこのパターンにおちますね・・・・あわわわ)

その毒水が器から溢れたとき、愛への不信がおこるのだと思います。

しかし、器がすでに我でいっぱいになり、溢れている方の方が多いのも事実です。

すでにその器が我でいっぱいになっているのなら、それを一度に捨てることはできませんから、小さなスプーンでひとすくいずつ、ひとすくいずつ、捨てていくことが大事だと思われます。

そのひとすくいとは「自分の非を認める(反省)」ということだと思います。

そうしてひとすくいずつ、ひとすくいずつ、我という毒水を捨てて、心の器に天からの深い愛という黄金の水を一滴ずつおとしていくことで、

「愛の眼差し」を得ることができるのだと思います。

愛の眼差しで問題の原因を見抜き、

心の歪み・過去の歪みとその原因に光をあて、

悪霊からの作用(霊障)・守護霊からの過干渉を見抜き、

その方にあったお導きをさせていただきたいですね。





そんな自分になりたいと、

まず自分自身を愛の眼差しで見抜けるようになりたいと願っています。





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Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 19:01│Comments(5)つぶやき
この記事へのコメント
奄美のアマミちゃんお気楽ブログさま

もとを探れ。

豪雨災害も

もとを調べて。
Posted by sabakurininsabakurinin at 2011年09月30日 20:23
以前、講師の方に、『太陽の法』のにせものの自分の個所でわからないところがあったので伺ってみました。
今回のアマミさんの記事とちょっと似た部分があるので貼り付けますね。

↓↓↓
①他人から愛を奪い取る自分
②仏を信じない自分
③精進をしない自分~1怠け心のある自分 2仏法真理を学ぼうとしない自分 3他人を公平に見ない自分 4素直でない自分
④執着だらけの自分

③~4「素直さの欠如が、なぜ精進しない自分なのか」

精進というのは他からの学びも含まれますよね。
というより、むしろ他からの学びの方が主ではないかと思います。
そう考えますと、素直でなければ、先生役の他者や、先生にあたる対象に対して心が開くことはあり得ませんし、したがって精進もありえないということになるのではないでしょうか。

比喩的に言いますと、精進とは、自分という器(コップ)に水を注ぐようなものといえるでしょうか。
たとえば、250ccのコップにまだ100ccしか入っていない。それだけの知識や智慧しか詰まっていないとしますと、頑張って中身を110cc,120ccと段段に増やす必要があるわけです。これが精進ですよね。
この比喩でいきますと、素直でない状態というのは、丁度自らのにコップに蓋をしているようなものなのでしょうね。中身の増えようがないわけです。

ちなみに、素直さとよく似た概念に謙虚さという言葉がありますが、謙虚さが欠如しても同じように精進はできないと思われます。
他から学ぶ必要など自分にはないと心がおごっている状態が謙虚さの欠如であるからです。
こちらの方は先ほどの比喩でいきますと、すでに自分という器がもう中身でいっぱいなのです。
ただし、悲しいことに100ccでいっぱいなのです。ですから水がそれ以上、もう入る余地がないわけです。

謙虚さが大事なのは、謙虚であれば自分という器の容積を無限に大きくでき、したがって、無限に中身を増やせるからだと思います。もともと250cc程度の器であっても、謙虚であれば、250ccいっぱいに中身が詰まっても、まだまだ自分は未熟です、もっともっと学ぶ必要がありますと考えていると、中身を入れるために器の方が300ccになり、350ccになるということになります。
Posted by とびら at 2011年10月01日 09:39
とびらさん
 横レス失礼いたします。
 すごいわかりやすい説明ですね! ありがとうございます!
Posted by もーむ at 2011年10月01日 10:55
もーむさん

レスありがとうございます。

この返事をいただいたとき、私もすっごく納得できました。
独り占めしたらもったいないので、今までにいろんな人に転送してきました。
私も、わかりやすい言葉で腑に落ちる話をできるようになりたいものです。

ついでと言っては何ですが、
鈴木真実哉さんがよく言われるのは、
「謙虚と卑屈は違う」ということです。
この言葉にはドキッとして、何度も頷いてしまいました…。
Posted by とびら at 2011年10月02日 18:18
こんばんは 

このお話、なんとなく優しい言葉が使われていて好きです。

内容も肯定できますが、単語の使用方法が好きです。

《小さなスプーンでひとすくいずつ、ひとすくいずつ》とか
《愛の眼差し》という語感が好きです。

拝読していて、私は、すんなり映像化しやすい文章だな~~と思いました。

たぶん、視覚に訴えるようなアマミさんの文章が好きみたいです★
Posted by iio at 2011年10月06日 23:47
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