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伊藤律スパイ説の崩壊から見る野坂参三イズムの批判的検証の必要性(一部訂正および追記)

2018年05月15日


久々にしーまでブログ書いたらやっぱりこんな内容・・・・・・

わかってるんです・・・・私だって・・・・・

こんな内容誰も読まないって・・・・・

でも、何故かしーまにブログ記事書くとこういう内容になるんだよな~~~~

自分でも謎。



私は父が共産党地区講師の資格持ってるので(あれって更新しないと消えるもんなの?)

日本共産党のことが嫌いではないんです。


イヤな思いをしたことはありますけどね。

数年前に幸福実現とか関係なく一緒に尖閣諸島を守ろうデモしたいと思い、
いろんな政党の方に「党派とか関係なくデモしたいのでご参加ください」とお声をかけたんですが、
そのなかで日本共産党さん誘いに行ったら、
(ご存知でない人も多いかもしれないが、日本共産党は尖閣問題にはキチンとした主張を持ってる)
「おたく幸福実現党でしょ!それも言わないヤツを相手にできるか!」
と奄美地区委員会のしらんおっさんに怒られて、泣きながら帰ってきてからちょっと嫌いになったけど。(笑)

(あとでうちの父と母に報告したら「そんな礼儀知らずが党にいるなんて理解できない」と驚いてた)

あと私が小学校一年の時にいじめ相手の親からうちの両親が悪質な恐喝されてのちに大問題になった時は、
父母の古巣日本共産党はまるで頼りにならず、
結果的に私を助けてくれたのは社会党系の先生と新聞記者さんと徳洲会系の弁護士先生でした。

(あれからうちの母は共産党を応援する気がなくなったらしい。
そりゃそうだわな。自分の娘を助けてくれんかったんだからな)




でもそれ以外では概ね日本共産党は嫌いじゃない(笑)

私は中学校の時から「日本復帰運動における中村安太郎と奄美人民党の功績は再評価すべきだと繰り返し言ってたし、

(そもそも中3の時に県立図書館で中村安太郎『祖国への道』を借りてきて父に読ませたのは私だ。
金久中学校のみなさん、私が頼んで金久中図書館にいれてもらった『奄美独立革命論』と『祖国への道』はぜひ読んでね!)

民医連は医療後進地域だった奄美大島に中央病院という立派な病院を立ててくれた。

生活困窮者が多い奄美においては日本共産党がつくらせた生活保護は本当に生命線だろう。

また、奄美内において某大宗教さんへのお布施しすぎで信者の自己破産者が名瀬市の資料に載るくらいに続出した当時、

その信者さんたちを自己破産手続きをしてあげて少なくない数助けてあげたのが民商だった。

(なんで知ってるかというと民商でその時自己破産手続きしてあげてた一人がうちの父だからだ。
だからうちの父は某宗教は大嫌い。
父ちゃんもうそろそろ許してあげてください・・・・・)



日本共産党なくして弱者救済はここまで進まなかったであろうことは想像に難くないし、

だから私は日本共産党は本当にカッコイイといまだに思っている。



だからこそ、知ってほしい問題があるわけです。

それがこちら。

先日うちの父に購入してプレゼントしたら、

父が
「お前、すごい本よこしたな!これはすごい!ありがとう!」

とマジで感謝されました。

伊藤律スパイ説の崩壊から見る野坂参三イズムの批判的検証の必要性(一部訂正および追記)


日本共産党において長年スパイとされていた伊藤律。

友人の執念の検証の結果、伊藤が完全に無実であったこと、

伊藤を陥れたのは当時の日本共産党最高幹部・野坂参三であったこと。
死んだとされていた伊藤が中国で27年拘束されながらも生きて帰ってきた時のこと。
伊藤家の人々の苦悩。
(奥様はずっと共産党員として活動しながら女手一つで子供さん達を育ててこられていた)
いまだにスパイ説を崩さない党の公式見解。

そのすべてが、
伊藤律の次男さんの手でとても分かりやすく書かれています。


一年前か二年前に私がウィキペディアで見つけた伊藤律スパイ説崩壊情報を教えても

「それはどっかの偽情報だ!
二度とあんなスパイの名前を口にするな!」

と、伊藤律の名前出しただけで怒ってた父が、

この本で完全に理解できたらしい。(笑)


父ちゃん、娘の言うことは聞いとくもんだよ!!!(笑)




ちなみに伊藤律スパイ説を完全に覆したご友人の本がこちら。

伊藤律スパイ説の崩壊から見る野坂参三イズムの批判的検証の必要性(一部訂正および追記)


もう、新聞赤旗で小学~高校生の間に何回か見ただけの「スパイ・伊藤律」というフレーズを覚えてた私の脳を褒めてあげたいね!!!!(笑)

(それ覚えてなかったらこの情報拾えなかった)




ここからが本題なんですが、

この「伊藤律スパイ説の崩壊」と「それでも伊藤律スパイ説を曲げない党の姿勢」に見えるように、

野坂参三はソ連のスパイとしてのちに断罪されてますが、

党内における野坂参三イズムの検証がまったくされていません。

(これはうちの父も認めてた)

この野坂参三イズムの検証こそ、私は日本共産党の再興につながると思うんですけど、いかがでしょうね?

だってですよ?

野坂参三の決定のもと出された党方針すべてを洗い出したら、

たぶん『所感派』との対立はじめ、

社会党との共闘路線での護憲路線への方針転換という、

日本共産党最大の矛盾と謎に、

(日本共産党は元々強硬な改憲派)
(社会党が当時から組織ぐるみでソ連・中国・北朝鮮とズブズブだったのは共産党も知ってたはずなのに)

「スパイ・野坂」の背後にいた意図が入っていないと考える方が、むしろ不自然でしょ?

そこを徹底的に洗い出し、

野坂参三イズムの中に入っていたソ連の毒水を抜き取っていくことで

日本共産党は新しい改革ができるんじゃないかと思うんですけどね。



GHQ内にいたソ連のスパイが大きく関与していた日本国憲法。(ヴェノナ文書でもう確定)

その最大の部分「憲法九条」という、国家の防衛権の放棄を、戦勝国が敗戦国に押し付けた恥辱。

当時真っ向から憲法九条と日本国憲法に反対した日本共産党と徳田球一。

その後の党内での対立。

私は、「野坂参三イズムの批判的検証」という形で戦後党史をすべて見直すことで、

日本共産党にとってのよりよき未来が拓けると信じておりますです。





こんな資料も見つけた。
これ読むと、スパイ野坂の存在は日本にとって有益であったとも言える。
(天皇制の保護といい、敗戦後の日本共産化が非常に緩やかだったのは、
ソ連に向けていた野坂からの提言がソ連側に取り入れられていた結果ではないかと、
サイト内において著者は第三者的立場から推測している)
だから私は、野坂は完全に悪者ではなく、彼なりに日本を思っていたとは思うのよね。
キレイごとだけでは大きなことはできない。
でも、護憲路線はもうそろそろ下ろしてほしいです。はい。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/nagosi.htm
(以下抜粋引用)


 5、野坂が昭和天皇を救った

 野坂は四五年十月初め、モリ、ヤマダ、ウメダの三人の側近とともに、ソ連軍情報将校のソスコフ少佐に付き添われ、極秘裏に中国のカルガンからモスクワ入りした。野坂は到着後、人目につかない場所に送られ、外出も禁止。当時モスクワにいた妻と娘にも会えなかった。

 秘密会談でソ連側代表を務めたのは、ソ連軍参謀本部情報総局(GRU)のF・クズネツォフ大将で、ポノマリョフも同席した。会談は四五年十月から十一月にかけてクズネツォフの執務室で通訳を介して断続的に行なわれ、交渉の進行はモロトフ外相が管轄、モロトフから直接指示が出された。交渉の結果はマレンコフ、ベリヤというスターリンに最も近い側近に報告されており、スターリンは野坂との会談を掌握していたと思われる。

 私の入手した資料は、(1)クズネツォフらが書いた野坂との会談記録、(2)ソ連側が作成した野坂の経歴、(3)クズネツォフらがマレソコフ、ベリヤにあてた日本共産党の政治路線の報告など約一〇〇ページに上るが、これを基にモスクワ秘密会談を再構成してみよう。

 ポノマリョフは冒頭、「ソ連は敗戦後民主国家になった日本と友好関係を築くことを望んでいる。米帝国主義の占領下にある日本の多くの困難を十分理解している」と表明。野坂はソ連の対日政策や日本共産党の諸課題、今後の関係維持、支援問題を討議したいと答えた。

 会談の主要テーマは、日本共産党の新しい党路線や日本民主化、日ソ両共産党の関係、野坂自身の日本帰還問題などで、野坂が自らの見解を表明、ソ連側に助言と支援を仰ぐ形で進行した。野坂は敗戦後の日本で共産党がとるべき政治戦略をソ連共産党に提示したが、その内容は共産主義者とは思えないほど柔軟で、むしろ社民路線に近い内容だった。

 たとえば、天皇制について野坂は四五年十月三十一日の会談で、「天皇は政治、軍事的役割のみならず、神的な威信を備えた宗教的機能を果たしている」と天皇制存続を容認する発言を行なっている。

 《日本大衆の天皇への崇拝はまだ消えていない。日本共産党が天皇制打倒のスローガンを掲げるなら、国民から遊離し、大衆の支持は得られないだろう。第一二回コミンテルン大会まで、日本共産党は君主制打倒を要求してきたが、現実にはその要求は無力だった。延安で反戦同盟に参加した日本人捕虜とこの問題を討議したが、天皇制打倒のスローガンは不評だった。天皇制廃止の問題を提起することは、既に自由党などから公然たる抵抗に遭っている。
 この問題では、第二次大戦後の欧州の経験に配慮する必要がある。特にイタリアでは、君主制が維持されながら、同時に民主政府も存続している。戦略的には打倒を目指しても、戦術的には天皇に触れないのが適当だ。当面は日本における絶対主義体制の廃止、民主体制確立というより一般的なスローガンを掲げながら、天皇制存続の問題は国民の意思に沿って決定すると宣言した方が適当だろう。国民の意思にゆだねることは、ユーゴスラヴィアでも行なわれている。天皇制問題の決定は、米国やソ連の立場にも配慮する必要がある。
 天皇の宗教的機能を残すことは可能だ。皇太子を即位させ、一切の政治的機能を持たない宗教的存在にとどめることもできる。》

 この野坂の主張は西欧型の立憲君主制に近く、共産主義者とは明らかに相容れない立場である。モスクワでの天皇制容認発言が公表されると、野坂は名誉議長時代の一九九二年八月十六日付『赤旗』紙上で、「天皇に対する当時の私の配慮は、祖国を遠く、かつ長く離れて孤立した環境にあったことも反映して、今日の時点からみれば妥協的にすぎたきらいがある」と自己批判を迫られた。

 野坂が、徳田球一ら当時の共産党指導部の天皇制打倒要求から離れて天皇制を容認した理由は明らかでないが、野坂自身、理論や路線より自己保身や妥協を優先する戦術型政治家であり、戦後の党内論争で一貫して主流派についてきたのもその変わり身の早さにあった。現に、コミンテルンが一九五〇年、野坂の平和革命路線を「反社会主義的」と非難すると、地下に潜り、暴力革命路線に転じている。

 興味深いのは、クズネツォフがモロトフ外相に宛てた報告の中で、「天皇制の問題に関する野坂の見解は賛同し得る」と述べ、天皇制存続に同調していることだ。

 また、ポノマリョフも野坂との一連の会談を踏まえた四五年十一月十三日付の報告書で、天皇制について、「現在の状況下で日本共産党がとるべき立場は、天皇ヒロヒトの戦争責任を提起し、息子の地位継承ないし摂政評議会の設立を要求するのが望ましい。基本的に日本の天皇は政治的、軍事的権力を削除し、宗教的機能だけにとどめるべきだ」とし、やはり天皇制存続を容認している。

 実はこの野坂の見解は、四六年からの極東国際軍事裁判(東京裁判)でソ連が昭和天皇訴追に反対したことに影響を与えたかもしれない。

 昭和天皇を戦犯として裁くかどうかは東京裁判の最大の焦点で、当時オーストラリアや中国が天皇訴追を要求、米国内にも訴追論があったが、東京裁判に臨むソ連側代表団が東京で提出した戦犯リストに昭和天皇の名はなかった。

 これについて、エリツィン大統領の軍事ブレーンで戦史家のボルコゴノフ大統領顧問は、「第二次大戦後、最高指導者のスターリンが天皇制存続を望み、昭和天皇を戦争犯罪人にする動きに反対を唱えた」ことを明らかにした。

 ボルコゴノフによると、スターリンは四六年五月に開廷した東京裁判の直前、モロトフ外相に対し、「ソ連は昭和天皇に戦争責任を負わせるという意見に賛成しない。軍国主義勢力を裁くべきだ」と文書で通達。モロトフはこの方針を駐ソ米国大使に口頭で伝達したとされる。この文書は大統領府公文書館に保存されているという。

 スターリンが天皇制存続を事実上支持した理由について同顧問は、(1)天皇制による「封建体制」に置くことで、日本が米国型政治体制へ移行し、米国の傘下に入ることを防ごうとした、(2)スターリンは各国の君主に敬意を払っていた、(3)米国が訴追しない方針を決めており、米国と衝突するのは得策ではないと判断した、などと分析していた。同顧問はこの中で、スターリンが満州帝国のラスト・エンペラー溥儀(ふぎ)と文通などを通じて交遊を結び、溥儀を可愛がっていたという意外な事実を公表したが、自らを「皇帝」とみなしたスターリンには各国の君主への妙なコンプレックスがあったようだ。

 昭和天皇不起訴は最終的には同年十月、連合国軍最高司令部(GHQ)の意見として決まったが、ソ連が昭和天皇訴追を避けたことも、天皇制存続に一定の役割を果たしたかもしれない。

 野坂自身は『赤旗』紙上で、ソ連が天皇不起訴を主張したこととのかかわりについて、「関係ない」と否定している。しかし、終戦直後のソ連には日本分析のための有力な情報パイプがなかったことからみて、野坂の見解がソ連の政策決定に一定の影響を与えたとの仮説も成り立ち得る。



 6、ソ連も柔軟な対日構想

 野坂は天皇制だけでなく、戦後日本の民主化構想について、予想外に柔軟な考え方をソ連側に提示した。

 農地改革では、「日本の特殊性を考慮し、一〇ヘクタール以上の面積の地主の土地を没収するとのスローガンを掲げるのが好ましい。土地没収にあたっては、国家と小作農、地主がそれぞれ部分的に犠牲を負って地主に補償すべきだ」と土地の集団化を拒否。

 独占資本解体問題では、「当面は独占資本統制のスローガンが適当だ。民主政府が収益と生産に対する統制を強めることで、資本家の力を弱め、生産関係を労働者に有利な方向に転換できる。産業国有化のスローガンを打ち出す時期には来ていない」と述べた。これでは財閥解体を断行したGHQの方がより革命的である。

 当面の政治戦略では、「幣原内閣退陣、民主政府樹立を進める」とした上で、「日本民主化の実現には、日本共産党は社会党や自由党と結集し、民主統一戦線創設を目指すべきだ。大衆の支持を獲得するため、八時間労働や社会保障、失業対策、地代値下げ、住宅建設などの要求を掲げていく」と述べている。

 私の手元には、野坂が会談に際し、日本語で書いてソ連共産党に提出した「民主的戦線を組織するために共産党が提示すべき共同綱領」という三ページの文書がある。この中で野坂は、(1)太平洋戦争を侵略戦争と宣言、(2)現政府の即時退陣、(3)言論の完全自由、(4)勤労者の生活改善など二一項目を挙げているが、過激な方針は慎重に避けている。

 これに対し、クズネツォフは同年十一月二十三日の会談で、野坂の見解を総合的に論評。「天皇制や民主統一戦線結成、民主化プログラムに関する立場は正しいと思う」と述べ、野坂の基本路線を評価した。個別には、「農業問題では、当面地主から没収した土地を小作農に分配するというスローガンは制限し、農業の現状を深く研究したうえで、詳細な構想を練るべきだ。独占資本統制というスローガンも慎重に対応すべきであり、独占資本の詳細な研究と調査が必要だ」と指摘。また、「ルーマニアやポーランド、ハンガリーの経験を機械的に日本に適用すべきではない。日本は資源の限られた島国であり、特殊性を考慮すべきだ」とアドヴァイスしている。

 軍情報機関の幹部であるクズネツォフがどのような人物かは不明だが、野坂への回答に際してはモロトフら上層部の指示を受けたはずで、ソ連指導部も占領下の日本に対して比較的柔軟に対処したといえよう。

 ソ連が戦後の日本民主化にどう対処し、日本共産党にどのような指示を与えたかは、党国際情報部のポノマリョフとパノシキンが四五年一月十三日付で、マレンコフ首相と、ヘリヤNKVD長官に宛てた極秘報告書に示されている。野坂との一連の会談を踏まえて書かれた全文一三ページの秘密報告書から勧告部分の要旨を紹介しよう。

 《一、権力と国家体制=現下の情勢では、日本共産党は幣原内閣退陣を要求し、天皇制については、天皇裕仁の息子への地位委譲ないし摂政評議会の設立を要求する立場をとるのが望ましい。天皇からはその政治的、軍事的権力を剥奪し、宗教的幾能にとどめるべきだ。
 一、憲法改革=日本共産党はこの問題で、全政府機関の民主化、中央・地方機関からの反動分子、軍国主義分子の一掃、戦争責任者の公職追放、民主選挙による知事・地方代表の選出などの要求を掲げるのが望ましい。
 一、農地改革=われわれの意見では、日本共産党は天皇と戦犯の所有地没収のスローガンを掲げるべきだ。他の地主の土地については、部分的な没収にとどめるとともに、小作の一掃を主張する。
 一、大企業=財閥の解体や銀行、輸送、電力部門の国有化は制限する方が望ましい。日本共産党は中小企業への国家支援を要求すべきだ。
 一、民主戦線=日本の民主勢力はまだ団結しておらず、政治的、組織的にも極めて脆弱だが、それでも、共産党や社会党、民主組織、労組が参加する民主統一戦線創設への現実的可能性が存在する。民主勢力は日本の特殊性から出発し、広範な民主連盟のような形に結集すべきだ。》

 これらは、戦後革命を達成した東欧諸国にソ連が提示した要求に比べ、極めて柔軟な内容といえよう。ソ連は敗戦後の日本で直ちに社会主義革命が成功するとはみておらず、進歩勢力を結集した統一戦線方式を支持、米国の占領政策にもあえて抵抗しなかった。

 クズネツォフはモロトフに送った報告書で、野坂について、「成熟した政治家であり、国際問題にも通じている」としながらも、「数年間日本を離れて活動しているため、一部の問題には精通せず、明確な構想を提示できなかった。たとえば、農業問題や土地問題の状況を知らないし、組織問題にも強くない印象を受けた」と疑問符を付けていた。

(転載終わり)















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Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 23:38│Comments(0)つぶやき
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