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久米族と海人族と奄美と古代稲霊信仰ついて

2015年03月15日

「くめにし」ってなんのこと?と、とりあえず久米から調べてみました。

すると、古代に「久米氏」という氏族があったことが分かり、

そこをとっかかりにしてみました。


続き 日本の三神信仰は縄文先住民海人・安曇族から
http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/54984502.html

初期王朝に関わる史実
http://nigihayahi91.blog65.fc2.com/?m&no=289

【阿曇氏】海人族【宗像氏】
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/history/1317289551/

久米氏・山部氏
http://homepage2.nifty.com/amanokuni/kume.htm

久米氏考。天孫降臨と神武東征の実証。
http://blog.goo.ne.jp/araki-sennen/e/3c12aee586967b77b83cc1893780c369



「クメ」を久米とした場合、神武天皇とすごーく深いつながりがあるのが分かッたぁー!!(←いまさら)

神武天皇の東征に随行した忠臣・大久米命が久米氏で、しかも鯨面(入れ墨をいれた顔)だったとな!

しかも神武天皇も久米歌歌ってたとな!!!

これはまさしく海人族じゃん~~

(何をいまさらと思うでしょうが、私は知らんかったのだ。石投げないで~~~。
いかに普段興味のあるところしか読んでないのが分かるであろう!)

奄美のみなさん、奄美で八月にしてる「舟こぎ競争」があるでしょ?あれ、海人族の名残ですよ。(笑)

奄美の人間が実はほとんど奄美に残ってる文化のすごさを分かってないのです。

海人族の本拠地がアマミという説もあるんですが、まぁ、それはまだ根拠がハッキリしてないのでおいといて。

(古代フェニキア語で「アマミ」がうんぬんかんぬんもあるけど、まだマイ根拠としては乏しい)

じゃあ「クメ」ってなんなんでしょうね。クメール族(カンボジアが有名ですが、ざっくり言うと東南アジア系ということ)という説もあるけど、それもなんとなくしっくりこないし~~。

久米族の元になった「クメ」というのはどういう意味なんでしょう。そこの神道マニアさん、教えてください。

(「ノロクメ」という言葉があるように、奄美では「クメ」は尊称ですが、まさかそこまで繋がりはしまい)

もう一つ、「ニシ」とはどういう意味なんでしょう。

奄美方言では「北」のことを「ニシ」と言うのですが、だとしたら、「クメニシ」は直訳すると「北久米」という意味?

北久米ってどこだよ!wwwww

もう追求するときりがないんですが、ともかく、神武天皇自身久米族か、もしくは久米族と強いつながりがあるのはわかりました。

いまさら感が強いのですが、古代日本においては鯨面は宗教的な意味を持っていたものと思われます。

鯨面文身・絵で見分けるイケメン海人族の顔
http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/54324876.html

鯨面が廃れたのは、中国大陸との交易がさかんになるにつれて、中華王朝では鯨面が「刑罰」とされていたことを知って、文化として忌避されていったのかもね!(←あくまで憶測)

最後まで残った鯨面がアイヌ女性で、同じように入れ墨として残ったのが奄美・沖縄女性というのが、なかなかにわかりやすいです。(笑)

そんなわけで、完全自己満足調査でした。



ここから先は余談。

久米族(久米氏)から安曇氏(阿曇氏)につながり、よくわからぬまま調べてたら、こんなのが出てきました。

穂高神社
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%82%E9%AB%98%E7%A5%9E%E7%A4%BE

覚えておられる人がいたらすごいんですが(笑)、

私が最初に「声」が聞こえた出来事。

数年前の湯湾岳で「ホダカノ~~~」という歌が聞こえたんです。

(この時「ホダカ」で調べても特に何も分からなかった)

その後、アマンデーの帰りに「タカチホ~~」という言葉が聞こえ、寝言さんにつながって、和歌もどき(琉歌もどき)にいたり、

そのなかで繰り返し出てくる「クメニシ」を調べてたら、

久米族→海人族→安曇氏となって、

いきなり「穂高神社」が出てきたのでびっくりしました。

でもってこちら、なんと主祭神穂高見命の父は綿津見神で、

綿津見神といえば、わだつみ国の国王、つまり豊玉姫・玉依姫のおられた国の王です。

ワタツミ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%82%BF%E3%83%84%E3%83%9F

ただの偶然だとは思うのですが、本当にびっくりした(笑)

しかしなんで湯湾岳で「ホダカの~~~」な歌が聞こえたんでしょうか?

古代の「高千穂国」といい、「稲穂」はもしかすると海人族と大きなつながりがあったのかもしれませんね。

(そういえば、私がやたらご縁がある愛知県豊川市も、古代は「穂の国」と呼ばれてたそうで。)

奄美のお祭りも、稲霊を祭るお祭りですね。

古代において稲は、「月光と稲妻によって育つ」とされていました。

古代において大きな富の源であった稲が、

太陽光で育つものではなく、月光で育つと考えられていたところが実に面白いというか、非常に霊的なものを感じますね~~~。

久米族(久米氏)と安曇氏の繋がりが「海人族」であり、さらに安曇氏が内膳のトップだったということが分かって、私は驚いたのよ。

>「律令制の下で、宮内省に属する内膳司(天皇の食事の調理を司る)の長官(相当官位は正六位上)を務める。これは、古来より神に供される御贄(おにえ)には海産物が主に供えられた為、海人系氏族の役割とされたことに由来する。」

そしてここには“まだ”出てこないのですが、古代の稲霊信仰と繋がってるキーワードが示されたのが、

なんとも意味深ということで、今日はシメ。




















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