ぽえむん 「痛みへのいのり」
2010年08月31日
愛とはなんでしょうか
私は 愛という言葉がキライでした
しかし 本当は 愛がほしかった
愛されていたのに
愛されているのに
足りざるところばかりを見て
いつも いつも いつも
自分の不幸を嘆いていました
ああ 幼き私よ
あなたを抱きしめてあげたい
もう肩をこわばらせることもないと
もう周りを見下して歩くこともないと
もう孤独を愛することもないのだと
孤独を愛するフリをして
自分を押し殺す必要はないのだと
自分自身を呪う必要もないのだと
伝えてあげたい
小さい頃 ほしかったのは
ともだち
私をブタとののしらない友達
私を汚いばい菌とののしらない友達
私に石を投げない友達
私が石をなげられ けられているときに
かばってくれる友達
しかし それは報いだったのです
私がしてきたことの 報いだったのです
報いを報いと知ったときに
扉はひらいたのです
自分の痛みを 知り
痛みの意味を知り
痛みをこえた向こう側を知れば
私は たくさんの人に愛されている
ああ とっくに示されているのに
そんなこともまだわからないなんて
いつまで私は
「愛される側」のままでいたいのでしょうか
いつになれば私は
「愛する側」になれるのでしょうか
まずは私を まずはあなたを そしてみんなを
愛したい
愛したい
そのために このてのひらを
まずは 痛みを なでるてのひらを
愛したい
愛したい
幼き私の
痛みを なでてあげたい
私は 愛という言葉がキライでした
しかし 本当は 愛がほしかった
愛されていたのに
愛されているのに
足りざるところばかりを見て
いつも いつも いつも
自分の不幸を嘆いていました
ああ 幼き私よ
あなたを抱きしめてあげたい
もう肩をこわばらせることもないと
もう周りを見下して歩くこともないと
もう孤独を愛することもないのだと
孤独を愛するフリをして
自分を押し殺す必要はないのだと
自分自身を呪う必要もないのだと
伝えてあげたい
小さい頃 ほしかったのは
ともだち
私をブタとののしらない友達
私を汚いばい菌とののしらない友達
私に石を投げない友達
私が石をなげられ けられているときに
かばってくれる友達
しかし それは報いだったのです
私がしてきたことの 報いだったのです
報いを報いと知ったときに
扉はひらいたのです
自分の痛みを 知り
痛みの意味を知り
痛みをこえた向こう側を知れば
私は たくさんの人に愛されている
ああ とっくに示されているのに
そんなこともまだわからないなんて
いつまで私は
「愛される側」のままでいたいのでしょうか
いつになれば私は
「愛する側」になれるのでしょうか
まずは私を まずはあなたを そしてみんなを
愛したい
愛したい
そのために このてのひらを
まずは 痛みを なでるてのひらを
愛したい
愛したい
幼き私の
痛みを なでてあげたい
Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 00:08│Comments(1)
│ぽえむん
この記事へのコメント
いつもありがとうございます。
ここのブログで気持ちを綴っておられることが、
既に与える側にいるのかなと思ったりします。
その証拠にアマミキヨさんは、多くの方から、愛されておられるから。与えている分、愛されている。
コメントだって、普通は、なかなか集まらないんですよ。
魅力的な所に人は、集まりますよね。
自分は、アマミキヨさんのポエムが大好きです。
いろんな表情を見ることが出来て、嬉しく思います。
真面目な時や、お笑いな時や、自分と向き合っているポエムのような時や、いろいろ。
霊的人生観を持った方の「魂」との向き合い、そしてより向上を目指していく。
とても、正直に生きておられると思います。
ここのブログで気持ちを綴っておられることが、
既に与える側にいるのかなと思ったりします。
その証拠にアマミキヨさんは、多くの方から、愛されておられるから。与えている分、愛されている。
コメントだって、普通は、なかなか集まらないんですよ。
魅力的な所に人は、集まりますよね。
自分は、アマミキヨさんのポエムが大好きです。
いろんな表情を見ることが出来て、嬉しく思います。
真面目な時や、お笑いな時や、自分と向き合っているポエムのような時や、いろいろ。
霊的人生観を持った方の「魂」との向き合い、そしてより向上を目指していく。
とても、正直に生きておられると思います。
Posted by ゆう at 2010年08月31日 01:04
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