英霊を想う 2008年11月25日 14:11
2011年12月26日
(再掲載)
最近、沖縄にいった大川隆法総裁が、こんなことを仰有っていました。
「沖縄では、いまも多くの魂が成仏できずに迷っている。それは『自分達の死は無駄だったのか、犬死にだったのか』というつらさ、無念さだ。生きている人々の思いが、霊にはストレートに伝わる。先の大戦で自分たちのしたことは犯罪なのか、自分たちは何のために死んだのか、説明を欲している。
先の大戦は犯罪なのか?No!」
それをきいたとき、涙がとまりませんでした。
うちの父が酔って言ったことがあります。
「戦争で“俺たち”兵隊は天皇に殺されたんだ!!」
その目には、やり場のない恨みと怒りがにじんでいました。それは、酔っぱらいの戯言とききながすにはあまりに切実でした。
この国では、先の戦争の加害的側面を大きくみて、戦争やそこに関わった人々を否定する見方がつよくあります。その方々に言わせると、戦争で亡くなった方を否定しないことは【右翼】になるそうです。
大川隆法総裁が、東条英機の霊について語ったことがあります。
東条は高天原の軍神の一柱だそうです。しかし今、人々の恨みの念によって暗い世界にいる。しかし東条はそれを軍人の責任としてうけとめている。天皇と日本のためならば、自分の魂はどんな仕打ちをうけてもかまわないと思っている。
それを宗教家の私見とするにも、私の胸には強くささります。
国のために戦った者を犯罪者にしたてたのは誰だ。
国を守るために戦った精神を、その血を汚すのは誰だ。
沖縄は日本軍によってたくさんの血が流されたと沖縄はいう。
沖縄によって流された奄美の血はみられることはない。
沖縄の血も奄美の血も広島の血も長崎の血も、同じ日本の血。
私はその血に祈る。
ありがとうございます。あなた方のおかげで、私たちの幸福な今はあります。
あなた方が胸をはれるような私になりたいとおもいます。
そして、あなた方がまたこの国に生まれたときに、この国に生まれてよかったと、言える国にしたいです。
この国を守った人々の歴史、国のために流された血の思い。
私はそれを尊び、祈ることしかできません。
最近、沖縄にいった大川隆法総裁が、こんなことを仰有っていました。
「沖縄では、いまも多くの魂が成仏できずに迷っている。それは『自分達の死は無駄だったのか、犬死にだったのか』というつらさ、無念さだ。生きている人々の思いが、霊にはストレートに伝わる。先の大戦で自分たちのしたことは犯罪なのか、自分たちは何のために死んだのか、説明を欲している。
先の大戦は犯罪なのか?No!」
それをきいたとき、涙がとまりませんでした。
うちの父が酔って言ったことがあります。
「戦争で“俺たち”兵隊は天皇に殺されたんだ!!」
その目には、やり場のない恨みと怒りがにじんでいました。それは、酔っぱらいの戯言とききながすにはあまりに切実でした。
この国では、先の戦争の加害的側面を大きくみて、戦争やそこに関わった人々を否定する見方がつよくあります。その方々に言わせると、戦争で亡くなった方を否定しないことは【右翼】になるそうです。
大川隆法総裁が、東条英機の霊について語ったことがあります。
東条は高天原の軍神の一柱だそうです。しかし今、人々の恨みの念によって暗い世界にいる。しかし東条はそれを軍人の責任としてうけとめている。天皇と日本のためならば、自分の魂はどんな仕打ちをうけてもかまわないと思っている。
それを宗教家の私見とするにも、私の胸には強くささります。
国のために戦った者を犯罪者にしたてたのは誰だ。
国を守るために戦った精神を、その血を汚すのは誰だ。
沖縄は日本軍によってたくさんの血が流されたと沖縄はいう。
沖縄によって流された奄美の血はみられることはない。
沖縄の血も奄美の血も広島の血も長崎の血も、同じ日本の血。
私はその血に祈る。
ありがとうございます。あなた方のおかげで、私たちの幸福な今はあります。
あなた方が胸をはれるような私になりたいとおもいます。
そして、あなた方がまたこの国に生まれたときに、この国に生まれてよかったと、言える国にしたいです。
この国を守った人々の歴史、国のために流された血の思い。
私はそれを尊び、祈ることしかできません。
Posted by アマミちゃん(野崎りの) at 00:01│Comments(0)
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